銀腕令嬢(レディ・オブ・シルバーアーム)

夏川 修一

第1話 セクハラ教師を打ち砕くは「銀の腕」

 中学1年生の春休み、燃え盛るベンツ・マイバッハからレスキュー隊によって助け出された菱三河菫(ひしみかわ・すみれ)の左腕は、肘関節よりも先、5センチほどのところで切断されていた。同乗していた運転手と彼女の母親は助からなかった。泣き叫ぶ彼女には鎮静剤が打たれ、次に気がついたのは病院のベッドの上だった。


 それから3年。彼女は高校2年生となり、表面上はごく普通の学生生活を送っているように見えた。ただ一つ、肘まで隠せる白絹の長手袋を身につけていることを除いては。


 彼女が通う私立「姫百合学園高校」は、東京都港区南青山に存在する創立100年を越す名門女子校である。幼稚舎から大学まで揃うこの学園は政財界、芸能界、スポーツ界まで幅広い人材を輩出してきた。もちろん入学金及び授業料その他寄付金は超高額であり、在校生の父兄はいずれもいわゆる「セレブリティ」ばかりである。


 なかでも高等部である「姫百合学園高校」は全国の高校生および大きいお友達の憧れの的であり、その制服はオークションで極めて高額で取引されている。この「ネクタイ・ブレザー・ベレー帽・プリーツスカート・コート」などからなる同校の制服に、菱三河菫が入学した年からオプションとして「長手袋」が加わった。無論、同学園に多額の寄付をしている彼女の父親による圧力である。かくして彼女は校則違反という誹(そし)りを受けることなく、学園生活を送っていた。


 だが、そんな平和な学園生活においても、ささやかなトラブルは発生する。


「菫ちゃ〜ん、消しゴムが見つからないの! さ・が・し・てぇ〜」

「もう・・・しょうがないわね。あきら、またなの?」


 5時限目の授業が終わるや否や、すらりとした菫の体に抱きついてきたのは髪を三つ編みにした小柄な少女だった。その子供のような仕草と頬に浮かんだそばかすが、彼女をより幼く見せている。菫にあきらと呼ばれた少女、幼馴染である鈴宮あきら(すずみや・あきら)は頬を膨らませた。


「だってぇ、気がついたらなくなったんだもん。きっと足が生えてどっか行っちゃったんだよ〜」

「そんなわけないでしょ・・・」


 肩をすくめつつ、菫は意識を集中した。


(シルバーアーム、あきらの消しゴムを探して)

<ラジャー。アクティブソナー起動。スキャン完了。教室内に存在する消しゴムおよび類似のゴム製品38個の位置を特定。なお、「あきらの消しゴム」はありません>


 菫の左腕の義手に仕込まれた自律型AI『シルバーアーム』が彼女の脳波による指示を読み取り、その結果を電磁パルスによる擬似脳波信号に変換して回答した。


(類似のゴム製品って?)

<主に生殖活動における受精を回避するための物品です。正確には「コン」>

(黙りなさい、セクハラAI。設計者に似て悪趣味だわ)

<「ドーム」です。ラジャー>

(・・・あくまでも言い終えるってわけね)


 心の中でため息をつき、抱きついたままのあきらの耳元に菫は息をそっと吹きかけた。


「わひゃひゃぁ! 菫ちゃん、びっくりさせないでよぉ〜」

「あきらの消しゴムだけど、私の勘ではこの教室内にはないと思うわ。他に心当たりはない?」

「菫ちゃんの勘はよく当たるもんね! あとは・・・美術部の部室かなぁ。お昼休みにデッサンの練習したから」

「じゃ、そこまで行ってみましょう」


 そう言った菫は軽々とあきらをお姫様抱っこにして、立ち上がってしまった。


「わわわ! 菫ちゃん、すごい力持ち〜!?」


(しまった・・・シルバーアーム、パワーアシストは切っときなさい。「怪力女」って噂が立っちゃうでしょ!)

<ラジャー>


 まったく重さを感じなかったあきらの体が、突然40キロ程度の重みに変わる。ごく平均的な筋力しかない菫が支えられるはずもなく、2人は机をひっくり返しつつ、もつれ合うように床に転がった。自然と2人の顔が近づき、まるで菫があきらを押し倒したような形になる。


「す、菫ちゃん・・・」

「え、ちょ・・・あ、あきら・・・」


 何かを覚悟したかのような表情でギュッと目をつぶるあきらから、菫は目が離せなくなった。見えない力に引き寄せられるように、次第に2人の顔が接近していく。


<マスター、参考情報です。我々を視認している周囲の女子生徒たちの心拍数が上昇中。つまり、マスターとあきら殿の痴態に興奮していると思われます>


 菫はガバッとあきらの体から自分の身を引き剥がした。そして赤くなった顔を背けて、あきらに苦しい言い訳をする。


「ご、ごめん! ちょっと足がもつれてしまったわ! ひ、貧血かしら?」

「う、うん! そうだね! 菫ちゃん、大丈夫!?」


 2人は慌てて立ち上がり、ワザとらしくお互いのスカートのホコリを払った。そんな2人をみて、周囲の女子生徒たちは淑女の卵らしく「私たち、何にも見ませんでしたよ・・・」という顔で帰り支度を始める。そそくさと教室を出た2人は足早に美術室に向かった。


<教室内に残った女子生徒達がマスターの行動について興味深い論評を繰り広げています。今後の学園生活に役立つかもしれません。パッシブソナーで音声を拾って録音していますが、再生しますか?>

(聞かせなくていいから! 録音も消しなさい!)

<・・・ラジャー。録音を消去しました>


「どしたの、菫ちゃん? 怖い顔してるよ〜?」

「な、なんでもないわよ。えーと、ここね」


 菫が美術室の扉を開けようとすると、あきらがハッとしたように口を手で押さえ、しょんぼりとした顔を向けてきた。


「忘れてた・・・ここは美術部の顧問の後白河先生が鍵を掛けてるから、部活のない日の放課後は閉まってるんだっけ」

「そうなんだ? でも、先生だって鍵を掛け忘れることくらいあるかもよ?」


 菫はガチャガチャと扉の電子ロックを開けるフリをした。


(開けて)

(ラジャー。学園内システムをハッキングします。開錠しました)


「ほら、開いた。普段から私たちの行いがいいからね・・・って、あら?」


 菫がドアを開けると、そこには気難しげな表情にパイプをくわえ、油絵の具に塗れた白衣を着たヒゲ面の男が1人の女子生徒と向かいあっていた。男は学園の美術教師である後白河だ。後白河はいらだたしげに菫たちを睨みつけた。


 「なんだ、お前達は・・・?」

 「2年A組の菱三河です。友人の鈴宮さんの落し物を探しに来ました」

 

 菫は答えつつ、背中に隠れている鈴宮を振り返った。なぜか彼女は涙目で首を左右に振っている。菫は肩をすくめ、美術室を見渡した。


(あきらの消しゴムはある?)

<右手前方の石膏裸婦像の下です。マスター、それより気になることが。美術室の扉の開錠・施錠ログを調べたのですが・・・>


 菫はシルバーアームの報告を聞きつつ、石膏裸婦像に近づいた。後白河と美術室にいた女子生徒は、彼女が近づく気配にビクリと肩を震わせた。その瞳は涙で潤み、助けを求めているように見えた。姫百合学園の生徒には珍しく、ヌラヌラと唇を光らせるリップグロスを塗っている。内心に疑惑が広がるのを感じつつ、菫は石膏像の下にあった消しゴムを見つけ、それを手の中に握り込んだ。そして入り口のところに立っていたあきらの手を包み込むように消しゴムを渡したあと、彼女はもう一度室内を振り返った。


「消しゴムを見つけたなら、さっさと帰れ!」


 いらだたしげな後白河のセリフを聞いた瞬間、菫の中の疑惑は確信に変わった。つかつかと後白河の前に近づき、長手袋に包まれた指を突きつける。


「私は『友人の落し物』を言っただけなのに、なぜ先生はそれが『消しゴム』だと知っていたのですか?」

「な、なに!? ど、どうせ、落し物と言えば普通は消しゴムだろうと思ったから、そう言ったまでだ!」


 後白河は椅子から腰を浮かせ、逃げ腰になりつつも虚勢を張った。菫は教室にいた少女の肩に手を置いた。彼女はまた、ビクリと身体を震わせた。その肩は小刻みに震えていた。


「なるほど。ではもう一つ。どうして彼女は鍵のかかった美術室に、先生と2人でいたのですか?」

「そ、それは・・・美術の補習をしていたんだ!」


 菫が一歩距離を詰めると、また一歩、後白河は後ずさりした。


「私の友人とこの子の様子を見れば想像はつきますが・・・先生は、生徒の持ち物を隠し、それを探しに来た生徒をこの美術室で待ち伏せ、良からぬ行為をしていたのではありませんか? 私の友人が1人でこの部屋に来ていたら、彼女も襲おうと?」


 菫は背後で、あきらが息を呑むのを感じた。


「ど、どこに証拠がある!? 言いがかりだ!」


 菫はため息を付いた。


(彼女の口に付いているのは『リップグロス』?)

<赤外線スペクトラム解析を実行します。完了。申し上げにくいのですが、あれは・・・>

(私に堂々とセクハラできて、嬉しいんじゃないの?)

<ご冗談を>


 シルバーアームの答えを聞き、菫は後白河を睨みつけた。


「この部屋は先生のパイプの煙と油絵の具の匂いがきつくてわかりませんが・・・彼女の唇に付いているのは、先生の『体液』ですね」


 その瞬間、美術室にいた少女が顔を手で覆い、嗚咽し始めた。その肩を優しく抱きながら、ポケットから取り出したシルクのハンカチで彼女の涙と口元を拭いてやり、菫は囁いた。


「大丈夫。私は誰にも言わないし、あいつが二度とこんなことができないようにするから」


 菫はそう言うと、ゆっくりと左手の長手袋を外した。その下から現れたのは、細さの中に無限の強靭さを感じさせる銀色の義手だった。折しも窓から差し込んだ真紅の夕日が義手に反射し、裁きの日の業火のように美術教室を照らし出す。


「く、くそっ!! お前の口も犯してやる!!」


 手近にあった油絵用のパレットナイフを逆手にもち、後白河はもつれる足取りで菫に襲いかかって来た。


(シルバーアーム、やっつけて)

<ラジャー。テーザーアロー射出。命中。対象、失神しました>


「す、す、す、菫ちゃ〜〜〜ん!!!」


 口から泡を吹きつつ床に倒れた後白河を冷然と見下ろす菫の背中に、いきなりあきらが抱きついて来た。そのまま泣き顔をグリグリとこすり付けて来る。


「ちょ、ちょっと、あきら!」

「ご、ごめんなさ〜〜い! わだじ、なんにもでぎなぐっで〜〜〜!」


 嗚咽していた少女も駆け寄って来ると、深々と菫に頭を下げた。


「菱三河先輩、ありがとうございました・・・私は1年B組の雛美里絢香(ひなみさと・あやか)と申します。なんとお礼を言えばいいのか・・・汚された身体ではございますが、この身を捧げるのもやぶさかではございません・・・」


 グイグイと迫る2人の少女をなんとか引き剥がし、菫は2人の前に銀の腕を突き出した。


「え、菫ちゃん・・・?」

「菱三河先輩・・・何を・・・?」


(シルバーアーム、この子達の記憶を消して)

<ラジャー。秒間0.3ミリ秒のストロボ発光により瞬間催眠状態に落とします。適当な擬似記憶を与えてください。暗示内容の入力は5秒以内でお願いします>


 まぶたを閉じても効力を発揮するほどの光量をもつ光の明滅により、あきらと雛美里は催眠状態に落とし込まれた。その2人を抱きしめ、耳元に菫は囁きかける。


「あなたたちは今日、この部屋で起きたことと私がしたことを忘れる。後白河は私たちを襲おうとして、自分で転んで失神した。いい?」


 意識を取り戻した2人が見たものは、いつも通り純白の長手袋をはめ、教室の床に倒れる後白河を見下ろす菫の姿だった。菫は2人を振り返り、驚きを隠せない表情を向けた。


「ああ・・・2人ともびっくりしたわね。突然、後白河先生が襲って来るなんて。さ、職員室に連絡しましょう」


 その後、3人の生徒の証言が一致したことにより、後白河は懲戒免職処分となった。彼は「菱三河は武器を隠し持っている」「あいつに俺は殺されそうになった」と主張したが、変質者の戯言であると一蹴されたのであった。


 その日の夕刻、菱三河邸の豪奢なリビングで、菫はメイドが淹れてくれた紅茶の香りを楽しんでいた。その脳裏にシルバーアームとは異なる、彼女と同世代の少年の声が響く。


<それで、いつリップグロスが怪しいって気づいたの?>

(唇の色が真っ青なのに、テカテカしてるなんておかしいでしょ。そんなグロス、女子は使わないわ)

<なるほどね。ちなみに、その体液はどうしてついたか知ってる?>

(し、知らないわよ! そういうセクハラはやめてくれない!? いくらシルバーアームの製作者だからって怒るわよ!)

<「フェ」>

(シルバーアーム! 通信を切って!)

<「ラチオ」ですね。ラジャー。通信終了しました>

(また最後まで言う!?)


 紅茶を楽しみながら百面相をする彼女の様子を見ながら、菱三河家に使えるメイドと執事がヒソヒソ話をしていた。


「お嬢様・・・私が淹れた紅茶が気に入らなかったんですかね?」

「いや、なんとも・・・。最近、独り言も多いようで・・・」


かくして、菱三河菫の優雅な一日が終わるのであった。



 


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