第14話「始まり」

 初めてのライブがもうすぐ始まる。高校二年の終わり、まだ冬が支配的な二月。地元埼玉で1番有名なライブハウス、大宮フリークスの楽屋に僕達はいた。


 原宿で買って来たガーゼシャツを着て、髪をダイエースプレーで立て、それぞれの髪をスプレーで赤、青、黄色、緑に染めた。その姿はセンスのかけらもないアマチュアバンドそのものだったけれど、僕達の中ではCBGBに出演するUKから来たポジティブパンクバンドくらいのイメージだった。頭の中ではすでに一流バンド。コピーバンドのくせに。昼の部のくせに。夜はベルズが出るぜ! と盛り上がる少年バンドの初ステージ。明日はカステラだってよ! と口々に話す少年バンドの晴れ舞台。


 ステージを前にして緊張する中、僕は香織ちゃんのことを考えていた。あのお見舞いに行った夜、容体は急変した。もうすでに死期を悟っていた香織ちゃんは、特に苦しむこともなく静かに息を引き取った。十七年の短い人生はあの無機質な病院で終わりを告げた。僕の目に映っていた命のベルトコンベアーは本当に天国まで続いており、彼女は静かに運ばれてしまった。結局僕らが最後の見舞い客だったとお葬式で聞かされた。僕らが感無量で帰ったあの美しい夜にそんなことが起こるなんて、とてもじゃないが信じられなかった。信じたくなかった。でもそれが現実だった。


 そしてお葬式の最中、泣きじゃくる上家の隣で、僕は涙も流すことなく上の空でどこかを見ていた。中学卒業後、一心不乱に想い続けた人になんとか告白をして、気持ちを伝えた夜にあっさりその人が死んでしまう。この流れの速さに僕は完全に取り残されていた。悲しみにも追いつけない状態だった。僕の伝えたはずの恋心も行き場を失い、右往左往して今は空虚にはまりこんでいた。僕の宗教にも似た恋は、突然ナタでぶった切られるように終わってしまった。


 あれから僕は本格的に自分で曲を作るようになった。追いつけない気持ちを、言葉にならない感情を形にする為に。言い表せない何かを自分で確認する為に。僕はこの後もずっと曲を作る人生を送るだろう。どんな時でも、どんな場所でも、何歳になってもそれは変わらない。どんなに貧乏でも、どんなに辛くても、どんなに幸せでも、僕はそれを続けることに決めた。それこそが香織ちゃんが僕にくれたもの。僕は香織ちゃんとの最後の会話をそんな風に解釈していた。一生共に生きるものを香織ちゃんはくれた。何よりも大切なものを彼女はくれた。大切な彼女がくれた、大切な贈り物。僕にとって音楽は神聖なものになった。


 緊張の塊の四人がおどおどしながらステージに立つ。ベースのヨコは緊張し過ぎて吐きそうになっている。おのちは上の空だし、チャッピーは忙しない。僕は緊張しながらもこの場所を心地よく感じていた。なんとなくここは自分のいる場所なのかもと感じていた。足元に転がるいくつかのエフェクター、やる気満々にノイズを出すアンプ。そして堂々と立つマイクスタンド。ステージの真ん中でギターを構える。何度か練習を繰り返した結果、僕がボーカルを担当することになった。フロントマンになるなんて考えてもいなかったが、僕は最前線でステージを見据えていた。

 お客さんはメンバーのクラスメイト達。僕の友達は1人だけ。熊みたいな顔したクラスメイトがライブに来てくれた。もしかしたら友達になれるかも? と思えた奴。まあこの後は疎遠になってしまうのだけど、この時は応援にやって来てくれた。客席からは激励の、そして冷やかしの声が上がる。

 僕は深呼吸してDのコードを鳴らした。大宮のライブハウスに不器用なDのコードが鳴り響く。音が減衰したところでメンバーと目を合わせ、肯き合う。ドラムのカウントに合わせて全員の音がフライング気味に飛び出した。ダッチロールするように、転げ回りながらも前に進む音。アンサンブルは無茶苦茶だが、一心不乱に奏でる音。全身全霊をかけて吐き出す音。そこには今と未来があった。今日は明日に繋がっていた。そして過去はしっかりポケットにねじまれ、少し熱を帯びていた。初めて繋がった一本の線が、前に向かって真っ直ぐ伸びていた。


 ここから何かが始まった。転がり、傷付き、暗い道を走り抜けるような毎日でも、僕は前に走ることに決めた。ガムシャラに走った。人生の幕はあがり、もう後戻りはできないんだと自分に言い聞かせた。僕は腹の底から声を出して歌った。誰かに届くように。誰かに届けるために。


 そして、天国まで届くように。

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ラバーソウル @egawahiroshi

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