第13話「告白」

 待ち合わせの駅にはもうイガと上家が着いていた。中学時代にイガのことが好きだった上家は、少し嬉しそうだった。僕は少しだけ無理に笑顔を見せて2人の前に現れた。

「じゃあ、行こうか」

 僕らは病院に向かった。


 病院に向かう電車の中では上家が良く喋った。みんなこれから目の前に広がるだろう光景から目を逸らしたいのは明らかだった。まだ人が生きるとか死ぬとか、そんなことすら考えたことのない未熟な僕らは、とにかくくだらない話で時間を塗りつぶしていった。それでも病院が近づくにつれて言葉数は少しずつ減り、最後のモノレールで揺られる頃には、無言になって病院の最寄り駅に到着した。ホームを降りると空気が少しひんやりしていた。秋に切り替わる季節のせいか、それとも全く違う理由なのか。上家がカーディガンを出して羽織った。


 病院はとても綺麗で、ある意味無機質に思えた。命に関わる重大さを拒否するように、淡々と全てが進んでいく命のベルトコンベアー。そんなものが無数に設置された巨大な工場のように僕の目には映っていた。ナースステーションではみんなキビキビと動いており、無駄なものは何一つ見当たらなかった。

「すいません、入院してる小泉香織さんに面会したいんですが」

 上家が受付に問い合わせる。学級委員はこんな時でも先頭に立って色々やってくれるんだな、そんな姿に中学時代を思い出していた。上家はいつも教室の1番前で、小泉香織ちゃんはいつも1番後ろの席だった。僕はいつも真ん中辺りの席で、隙を見ては後ろへ振り返り小泉香織ちゃんの姿を見ていた。たまに目が合うとニッコリ笑ってくれた。あの笑顔が今日も見られるんだろうか? 

「ほら、行くよ! 」

 上家の声がして僕は我に返り、エレベーターに乗り込んだ。


 病室の前の札には「小泉香織」と書いてあった。このドアの向こうにあの小泉香織ちゃんがいる。こんな状況なのにどこか喜んでいる自分がいた。恋心が場違いな温度で顔を出していた。しかし病院という低温の世界が僕の恋心を鎮めていく。ドアの前で躊躇する三人。上家がノックしようとすると、病室から人が出て来た。


「あらこんにちは、今日は来てくれてありがとうね」

 中から出て来たのは、ドアの前でモジモジする僕らの声に気が付いた、小泉香織ちゃんのお母さんだった。何度か見かけたことのあるお母さんだったが、今日はいつもより少し疲れた顔で、でもとても優しい顔で僕らを出迎えてくれた。

「ご無沙汰してます。これつまらないものですが……。」

 僕らは高校生の精一杯の礼儀を見せて持参したゼリーを渡し、無礼のないように挨拶をした。

「あらお気遣いいただいて。どうぞどうぞ、中に入って下さいな」

 僕達は病室の中に入る。唾を飲み込む音が自分の中に響く。頭の中は何も考えられず、ただ病室の壁が押し寄せて来るような息苦しさだけを感じていた。そんな病室に爽やかな声が響いた。


「久しぶりー! 」


 そこにはあの笑顔で僕達に手をあげる小泉香織ちゃんがいた。しかしその腕には無数の点滴の管が繋がり、蜘蛛の巣に絡めとられたように見えた。そして体は瘦せ細り、髪の毛も眉毛も放射線治療の影響で抜け落ちていた。ちっぽけな青二才の僕が想像した姿より数段厳しい状況が目の前にあった。そこにある命の灯火がゆらゆらと揺れていることは、何も知らない僕らにでもはっきりわかった。僕達三人は愛想笑いさえも出来ず、ただただ立ち尽くしていた。口を開け、衝撃に身動きが取れなくなっていた。すると小泉香織ちゃんが口を開く。

「あぁ、そうかー。私髪の毛ないんだもんねー。びっくりするよねえ……」

 そう言って帽子に手をやる彼女は少し恥ずかしそうにはにかんで見せた。それは中学時代、髪型が決まらない日に見せる表情と全く一緒だった。その顔を見て我に返った僕ら三人は、飛びかかるようにベッドの周りを囲んだ。そして大袈裟なくらいに久しぶりの再会を祝して喜び、談笑を始めた。誰もがそうすべきだと理解した。病状が大変なことはわかっているけど、中身は僕らのよく知ってる小泉香織ちゃんで、彼女は昔みたいに楽しく、くだらない話を求めている。僕らにできることはそのくらい。その事実を痛感した三人は、出来るだけ楽しい話を繰り返した。僕達が出来る精一杯のことを、精一杯やることに僕達は決めた。僕はとても胸が熱くなっていた。僕達は昔話と近況報告で盛り上がった。こんな時、あの頃誰が好きだったかの打ち明け話は最高の話題だ。

「上家は五十嵐が好きだったよねー」と小泉香織ちゃんが言うと、上家が顔を赤くした。「まあでもそんなの誰もがわかってたよね」と僕が続ける。「イガもわかってたよねえ? 」と言うとイガも「まあな」と答え、上家の顔はさらに赤くなった。僕らは完全に中学時代の空気に戻り、何もかもを忘れて爆笑しまくっていた。


「そんなこと言ったら江川だって香織のこと好きだったんじゃないの? 今日だって凄い会いたがってたし! 」

 と上家が頬を膨らましながら言い放つ。僕は大笑いしてた息が止まり、小泉香織ちゃんと目が合う。恥ずかしさで顔がみるみる赤くなっていくのがわかった。

「バ、バカ言うんじゃ……」

 反射的に否定しようとしたが、僕はそこで言葉を止める。好きだと伝えるなんて考えたこともなかったし、今日もそんなつもりはなかった。でも彼女のとても美しい笑顔を見ていて、僕の心は少し腹を括ったようなところがあった。そして僕は正直な気持ちを口にしていた。ドラマチックなところは何もない、平坦な道を歩くように、僕は言葉を紡いだ。少しだけ大きな声が僕の勇気を表していた。


「そうだな、まあそうだったよ! 好きだった! 」


 小泉香織ちゃんは恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑う。上家とイガは口笛を吹いて囃し立てる。僕の恋心が初めて外に出た瞬間だった。それはとても気持ちの良い経験で、僕はそんな言葉を口にしただけで満足していた。部屋がパッと明るくなり、病室に置いてあった花が大きく開いて笑ったようにも見えた。僕は十七年の人生の中で1番幸せな気分を味わっていた。空気を読まずに別の話を始めていた上家を遮るように、今度は小泉香織ちゃんも喋り出す。


「私も」


 みんなが小泉香織ちゃんの方を向く。頬を赤らめた彼女は僕の方をチラリと見た。


「私も、江川のこと好きだったよ。一時期だけだけど! 」


 僕は夢の世界でしか聞いたことのない、妄想の世界でだけ存在したフレーズを現実の世界で聞いた。その甘美な響きは胸の奥の柔らかい場所に染み込んでいく。僕は驚きで何も言えず、口を開けたままで、食べようとしたゼリーが僕の口のすぐそばでプルプル震えていた。上家とイガがニヤニヤこっちを見ている。すると香織ちゃんがもう一度口を開く。

「一時期だけよ! 一時期! 」

「なんだよその念の押し方! 俺が可哀想じゃん! 」

 と僕は大げさに答えてみんなで笑った。病室内は爆笑に包まれて、ちょうど通りかかった看護婦さんに怒られた。僕らは「すいません! 」と謝り、大人しくした。でもみんなの表情はいたずらっ子の表情で、看護婦さんの気配が消えた瞬間、僕らはまた以前よりでかい声で爆笑した。香織ちゃんのお母さんも涙を流して笑っていた。ハンカチで目頭を押さえていた。その涙の本当の意味は、僕らにはわからなかった。


 そしてイガとそのまま盛り上がる上家をよそに、僕は香織ちゃんと会話していた。

「俺、最近バンド始めたんだ」

 彼女はレベッカとボウイが大好きで、鞄にはボウイのステッカーを張り、ノッコのダンスを真似するような女の子だった。バンドに対する憧れを良く二人で話し、高校行ったらバンドする! と僕は良く口にしていた。

「へぇー。バンド本当に始めたんだねぇ。凄いなぁー。江川のバンド、見てみたいな……」

 香織ちゃんの口から、そんな言葉が漏れてきた。

「退院したらさ、ライブ見に来てよ。まだライブやったことないけどね! 」

 そう言うと、彼女は中学時代と同じ表情で笑った。僕は香織ちゃんがいるライブハウスを想像していた。彼女の目の前で演奏する。胸の奥底で熱くなるものを感じていた。

「俺、最近自分で曲作ってるんだよね。中学の時も話したけど、やっぱりミュージシャンになりたくて。高校の面談でもさ、将来のこと聞かれて、ミュージシャンになります! って言ったんだぜ。まあでも先生も困ってたけどね。大学進学か聞きたいだけなのに。」

 僕は自分が今、人に話せる唯一のこと、音楽のことを香織ちゃんに伝えた。音楽の話なら何時間でも出来そうだった。そんな僕を見て、香織ちゃんはとても嬉しそうだった。

「いいなぁー。江川の曲、聴きたい。ねえ、良い曲が出来たら、最初に聴かせてよ! いいでしょ? 」

「いいよ! もちろん! じゃあ良い曲書かなくちゃね」


 そんな風に話していると、看護婦さんが面会時間の終了を伝えに来た。「え? もうそんな時間? 」みんな口々に驚き、時計を見たらもう病室に来てから3時間になろうとしていた。もうとにかく楽しかった。闇雲に楽しかった。あんなに楽しい時間は経験したことなかった。そして僕らは騒ぎすぎたことを反省しつつ、来週も来るよ! と約束して帰った。帰り道は三人とも感無量だった。なんとも言えない顔で、それぞれがただ頷いていた。僕達はやるべきことをやった。それだけは事実だと胸を張って言えた。特に話をすることもなく、僕らは別れた。

「じゃあまた来週! 」

 みんなで手を振って別れた。笑顔で別れた。


 その三日後、香織ちゃんの訃報が届いた。僕の好きな人は天国に行ってしまった。


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