最終話 ジンチョウゲのせい


 ~ 十二月十五日(金) 終業式・ホームルーム ~


   ジンチョウゲの花言葉 栄光



 好きなのか、はたまた嫌いなのか。

 いつからだろう、俺は考えるのをやめた。


 きっちり十五センチ離れた机。


 終業式に相応しく、しっかり目に髪を結って。

 終業式に相応しくなく、かんざしの代わりに手毬咲きのモコっとしたジンチョウゲの株を挿す変な子は藍川あいかわ穂咲ほさき


 君は晴れ晴れしい顔をしていますけど。

 俺は不安な気持ちでいっぱいです。


 それというのも終業式のこの日まで。

 未だに返却されていないテストがあるから。

 しかもよりによって、二人して大の苦手の物理だから。


 そもそも教える俺も理解できていなくて。

 教わる穂咲に至ってはちんぷんかんぷん。

 二人して首をひねったまま試験当日を迎えたのです。


 君の頭に揺れる手毬の様なジンチョウゲ。

 ピンクで十文字の小花がひしめくように身を寄せる姿を見ていると。

 嫌な予感しか湧いてきません。


 その花言葉と同じように、永遠に一年生でいるのか。

 その花言葉と同じように、歓楽に呆けていた報いなのか。

 その花言葉と同じように、甘美な思い出となってしまうのか。

 その花言葉と同じように、実らぬ恋となってしまうのか。


 いや、最後の関係ないか。

 でもよりにもよっておばさん、なんでこんな花を選んだのさ。


 もちろん、この最後のテストに緊張しているのは俺ばかりでなく。

 留年という二文字に怯えてピリピリとした空気が教室を満たしていて。


 しわぶきひとつ聞こえず、身じろぎひとつ許されない緊張感。

 そんな教室に、扉の開く音と共に審判の時がやってきた。


 先生の手には紙の束。

 普段はそれなり緊張する二つ折りの紙は、今日はどうだっていい。

 問題はA4サイズの山の方。


 全員が手に汗を握る中、よりによってどうでもいい方が出席番号順に渡されて。

 通常ならその内容に一喜一憂するものだけど。

 誰もがちらりと確認する程度でとどめ、黙って席に着いていく。


 ……そして、運命の返却が始まった。


 最初に穂咲の名前が呼ばれるものと、緊張していたというのに。

 なんの演出やら、渡さんの名前が呼ばれ、次いで六本木君が席を立つ。


 出席番号逆順に返却するとか、心臓に悪いです。


 自分がハードルを越えたことを知った面々はようやく心からの笑顔を浮かべ。

 そして、おそらくもっとも心配なやつに手を組んで祈りをささげる。


 みんな、ありがとう。

 すぐ隣の席に座る俺にも、みんなの祈りが届くよう。


 どうか越えてますようにどうか越えてますようにどうか越えてますようにどうか越えてますようにどうか越えてますようにどうか越えてますようにどうか越えてますようにどうか越えてますようにどうか越えてますように。



 ……声は聞こえていないのに。

 圧倒的な思念を感じつつ。


 自分の答案を受け取って振り返ると。

 穂咲は緊張の面持ちで席を立った。


 確かにこれまでは遊び惚けてきたけども。

 この一ヶ月、一生懸命努力してきたんだ。

 一杯成長してきたんだ。


 報われて欲しい。

 赤点を回避していて欲しい。


 どうか神様! お願いします!



 立ち尽くす俺のすぐ目の前。

 緊張の面持ちで答案を受け取った穂先。


 ……その頭が、珍しく口元をほころばせた先生に、ポンと撫でられた。



 と、いうことは……。



「ピタリ賞! 六十点なの!」



「「「うおおおおおおお!!!」」」


 皆が席を立ち、教卓を、穂咲を囲んで抱きしめ合う。

 そしてにわかに始まる穂咲コール。



 …………よかった。

 本当に良かった。


 気が遠くなる。

 皆の歓声が、すごく遠くから聞こえる心地。

 思い起こせばこの一か月、それはそれは大変だった。


 でも、すべてが報われた心地だよ。



 ぐったりと膝から落ちて。

 胸に詰まっていたものをすべて吐き出す。


 そして新しいページを心の中でめくりながら息を吸ったら。

 心地よい、暖かな空気で胸がいっぱいになった。



 ……そんな俺に差し出される小さな手。

 にっこり涙ぐむ穂咲に支えられて腰を上げると。

 盛大な秋山コールが鳴り響き。

 そして、先生から熱く肩を叩かれた。


「なんです先生。俺じゃなくて、穂咲が頑張った結果ですってば」

「秋山よ。…………自分の点数をよく見ろ」




 え?




 …………えええええええええ!?


「ごっ、五十九点……、だと?」


「「「えええええええええ!?」」」


 戦勝ムード、一変。

 全員が唖然として固まってしまった。


 ま、一番唖然としてるの、俺なんですけどね。


「秋山よ。俺は二年の担任になるからな、来年会えなくなると思うと寂しいぞ」


「いやいやいやいやいや! ちょっ! 何とかならないんですかこれ!?」


 先生の胸倉をつかんで必死に抗議してみたものの。

 ガチのリアクションで顔を背けられてしまった。


 お、俺……。




 留年?




 再び膝からがっくり床に落ちた俺に。

 再び小さな手が差し出される。


 ごめんな穂咲。

 俺、その手を掴むことなんかできない。

 もうどんな顔をしたらいいか分からないや。


 ここにいるのも辛い。

 廊下に逃げよう。


 涙ぐんで歪んだ視界の中で、穂咲は強引に俺の手を掴む。

 そして自分の答案を押し付けて。

 毅然と立ち上がると、先生に優しい声音で呟いた。

 

「あたしのから、道久君に一点あげるの」


 え?


「まてまて! バカ言っちゃいけません。そんなことしたら君が留年になります」

「いいの。……あたし、道久君のおかげでここまで来れたの」


 そう言いながら微笑む穂咲は。

 いつものバカみたいな笑顔じゃなくて。

 成長した、優しい微笑で見つめてくれるけど。


「そ、それじゃダメなんだ! 俺を置いて先に行け! 必ず追いつくから!」

「ばかもん。どうやって一年から二年に追いつく気だ」

「じゃあ、なんとか大目に見て欲しいの」

「ダメなもんはダメだ」


 冷たい先生の返事は当然で。

 でも、それを聞いたみんなが、急に掴みかかるように押し寄せてきた。


「いや! じゃあ俺が一点やる!」

「あたしも!」

「いやいや俺が!」

「先生! 何とかしてください!」


 ……ああ、嬉しいな。

 もう感動して涙が止まらない。

 みんな、俺の為に必死になって。

 こんなにも俺は愛されて。

 でも、そんなのダメだよ。



 ……だって、そもそも点数をあげるなんてことできないからね?



「無茶を言うなばかもん! 座れ!」


 とうとう怒ってしまった先生の一喝に、全員が何か言いたげに席へ戻っていく。


 教卓の前に残ったのは、俺と穂咲。

 そして……。


「…………宇佐美さん?」


 クールでちょっとヤンキーっぽいルックスの宇佐美さん。

 俺の事を冷たい目で見下ろしている。


 穂咲に勉強を強要して、君に嫌われて。

 それで自分はこのざまなんて。


 なにか一言あるのかな。


 ちょっとびくびくしながら彼女の目を見上げていたら。

 宇佐美さんは一つ鼻を鳴らして先生の前に立った。


「どういうつもりだ宇佐美! 席に着け!」

「先生。…………先生は、穂咲が全教科赤点無しになるほど頑張ったのか?」


 宇佐美さんの言葉に口をつぐんでしまった先生。

 そこに畳みかけるように、掴みかかるように宇佐美さんの声が襲い掛かった。


「ぜんぶ秋山に任せきりだったじゃねえか! こいつは穂咲のために、みんなの三人分ぐらい頑張ったんだ! そのせいでぶっ倒れたのだって知ってるだろ! こいつが進級できないなら、あたしも合格ラインには達してねえ!」


 先生も、クラスの皆も、気を飲まれて呼吸すらしている感覚がない。


 そんな中で、肩で息をついた宇佐美さんは厳しい目で先生を見据えながら、最後に言い放った。


「……私も、一年生をもう一回やるよ」


 これを皮切りに、クラス中みんなが席を立って俺もあたしもと騒ぎ出す。

 でも、そんな騒ぎを上書きするほどの大声が響くと一瞬でそれが収まった。


「おちつけばかもん! 誰が即刻留年なんて言った!」



 ……全員、きょとん。



「追試があるに決まってるだろう! まったく騒がしい連中だな!」



 はあ!? 追試???


「せ、先生うそついた! それにさっきも留年確定みたいな言い回しして!」

「それはすまん。だが過剰に言わねば藍川もきさまも必死にならんだろう」


 こ、このやろおおおお!


 クラス全員同時に肩を落としてがっくり脱力。


 そんな中、マイペースなこいつが、最後の最後に俺を怒らせた。


「ちゃんと勉強しないなんて、だめな道久君なの。道久君の勉強はあたしがみるの」



「まともに勉強できなかったの! 全部穂咲のせいだから!!!」






 好きなのか、はたまた嫌いなのか。

 いつからだろう、俺は考えるのをやめた。


 いつでも君は俺を振り回して。

 おかげで俺の人生、波乱万丈だよ。


 とは言え、勉強を見てくれる、か。

 いままで必死だったから忘れていたけども。

 ちょっと青春って感じで、いいかもね。


 好きな子と一緒に勉強して。

 憧れのシチュエーションじゃないか。





 …………間違えた。

 俺はこいつの事なんか好きじゃないのだった。



 追試を頑張って。

 そしたらいよいよ冬休み。


 楽しみなクリスマス。

 大晦日にお正月。


 楽しい年末年始が待っている。


 みたび俺の前に差し出される小さな手。

 そうだね、どうせまたこの手で俺に迷惑ばっかりかける気なんだろ?


 苦笑いと共に掴んで腰を浮かせると、光り輝く笑顔が俺を受け止めてくれた。





 「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌 6冊目♪♪

 おしまい!




 ………………

 …………

 ……



 なんてことを考えた一瞬前の俺のバカ。

 いや、バカはこいつだったっけ。


 ちょっとリプレイしてみよう。

 …………。


 そうだね、どうせまたこの手で俺に迷惑ばっかりかける気なんだろ?

 苦笑いと共に掴んで腰を浮かせると、ぱっと離されて早速迷惑をかけられた。


「空想じゃ綺麗に終わってたんだよ!? なんで現実はこんなにも俺に厳しいのさ! いたいわ穂咲! なにするの!」

「メッセが来たの。んと……」


 呆れ顔で見つめる先。

 携帯をちゃっちゃか操作し出した穂咲は、急に気を付けの姿勢で固まった。


「…………どしたの?」

「来るの」

「なにが?」

「おばあちゃん」


 おばあちゃん?

 ………………おばあちゃん!?



 あの、厳しい穂咲のおばあちゃんが来る!



 その言葉を聞いただけで条件反射。

 俺はその場で、折り目正しくピシッと正座した。





「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌 6.5冊目!


「秋山が座らされた理由」欄のある反省ノート!


12月18日(月)よりスタート!!


皆様、きちっと身だしなみを整えて、厳しいおばあさまをお出迎え下さい!

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「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌 6冊目♪♪ 如月 仁成 @hitomi_aki

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