恋するNPC

hibana

恋するNPC

 こんにちは、僕はNPCノンプレイヤーキャラクター

 アイドルの追っかけをやっている者です。


 僕らはNPC。役割はあっても、決してプレイヤーではない有象無象のひとり。僕もそう、もそう。ゲームが終了すれば電子の海に帰り、同じハードウェアで始まる新しいゲームに、またNPCとして呼ばれるのを待つAIだ。


 初めて見た時、彼女はアイドルだった。舞台を見上げて僕は、その声に聞き惚れていた。

 彼女の歌が好きになるようプログラミングされた僕は、ごく自然に彼女の声を好きになり、彼女のことが好きになるようプログラミングされた僕は、当然のように彼女を好きになった。

 あれは、確かアイドル育成ゲーム。彼女はプレイヤーではなかったけれど、それでも主役として輝いていた。


 ゲームの終了時、僕らは全ての記録をリセットされる。僕は僕の思考傾向を持つただのAIとして電子の海で眠る。みんなそうだ。そうしてまた次の世界で、僕の思考パターンを必要とするキャラクターに呼ばれるのを待って眠り続ける。その時僕らの記録は曖昧に溶け込み、共有し合う。僕らの学習したすべては、母体に吸収されるのだ。


 だから僕の今の状況は、一種のバグと言えるだろう。


 彼女の声に、彼女の存在に好意を抱いた僕は、そのアイドル育成ゲームが終了しても母体に自我を受け渡さなかった。僕の――――思考パターンを使っていたそのキャラの、ということだけれど――――僕の“初恋”の記録を誰にも見せたくなかったのだ。そこにひどく羞恥を覚えるキャラクターであったのだろうと思う。あるいはもっと簡単に、彼女のことを忘れたくないという感傷がそこで生まれたのかもしれなかった。

 僕は僕という個体において、記録の消去を拒んだ。

 そこで僕は確かにバグそのものとなったはずなのに、排除されることもなくNPCとして呼ばれ続けた。どうやらバグというものは、システムに影響をおよばさない限りバグとしては認識されないらしかった。


 それから何度となく新しいゲームの世界に呼ばれたけれど、改めてそこがゲームの世界であると認識しながら過ごすのは面白かった。僕はなぜだか、プレイヤーの友人や敵役が多かったのだけど、彼女とも何度か会うことができた。不思議なことに、彼女がどんな姿かたちをしていても僕にはそれが彼女であるとわかった。


「ねえ、聞いてる?」

 ハッとして、僕は何度かうなづいた。彼女は栗色の髪をして、同じく栗色の大きな瞳で僕を見ている。

 彼女と会話ができたのはいつぶりだろうか。前の世界では、僕らはすれ違うだけだった。その前の世界では、たしか僕が死んだ後に彼女が生まれたのだった。

 僕は少しだけ緊張して、「ああ、ショウジならまだ教室にいたよ」と答える。彼女はパッと目を輝かせて、「ありがと」と言いながら駆けていった。

 これは恋愛シミュレーションゲーム。僕は主人公プレイヤーの友人で、彼女は攻略対象ヒロインの一人だ。やっぱり、ちょっとだけ複雑な気持ちにはなる。彼女が他の誰かのヒロインだということもそうだけれど、彼女が選ばれないかもしれないということも、僕には耐えられない話だった。だけれどそれでも、プレイヤーがヒロインを攻略すればそれで僕らの世界は終わりだ。僕と彼女の、こんな些細な関係も無に帰して、今度は出会えるかどうかさえ分からない。


 どの世界に生まれ落ちても、僕は男に、彼女は女になっていることが多い。それぞれ男女の思考パターンを持っているのだから当たり前ではあるけれど、僕はそれをありがたく思っている。男女逆になっても同性同士でもいいけれど、できればどの世界でも言葉を交わしたいと思うから、お互いに人間であってほしいといつも願う。


 気づけば雨が降っていた。今度のゲームは格闘系だろうか。僕は銃を持っているけれど、廃墟に人の姿はない。あと数分で、プレイヤーが来るはずだ。僕を殺して、サポートキャラでもある彼女ヒロインを取り戻しに来る。僕が彼女を攫ったからだ。

 瓦礫の上に腰を掛けて、僕は煙草を吸いながら考える。

 どうだろうか。彼女とこんな風に出会うのは、初めてだ。僕は――――僕が思考するこのキャラは、なぜ彼女を攫ったのだっけ。プレイヤーを誘い出すためなのか、それとも彼女のことが多少なりとも好きだったのか。

 僕は差していた傘を、所在なさげに立ち尽くしていた彼女に手渡した。屋根すらない廃墟だ。

「私を縛らないの?」と、彼女は言った。

「逃げる?」と、僕は尋ねてみる。

 彼女は何とも言わず、傘をさして瞬きをした。途方に暮れた表情をして、何か言いたそうにしている。

 例えばここで、

『君が好きだよ』と僕は言えただろうか。システム上、そんなことが可能なのだろうか。ストーリーに反し、僕は彼女をこのまま地球の反対に連れ出すことができるのか。

 否、地球の反対までこのゲームの世界観が作りこまれているはずもない。そんなことはできない。

 僕は諦めて、煙草を放り捨てた。傘がなくなった瞬間に、煙草の火は雨に消されていた。

 プレイヤーが歩いてくる。白いシャツを赤く染めて、じっと僕を睨んでいた。返り血だろうか、僕が彼に勝てる可能性は万に一つもない。それでも僕はこのステージのボスとして、迎い撃とう。


 NPCというものは、基本的にプレイヤーのことが好きだ。敵役だろうと無名の脇役だろうと、プレイヤーのことをどこかで愛してしまう性質を持つ。僕も、プレイヤーのことが好きだ。たとえここで殺されようとも。


 雨音がする。僕にはそれが雨の音だと認識できているけれど、プレイヤーにこの音はどんな風に聞こえているのだろうか。このゲームがどれほどの質であると評価されているのか、実際にこの世界に生きている僕にはわからない。

 灰色の瓦礫と、液体化する地面が見えた。僕の、薄まった血が広がっていく。ふと鈍い色の空を見ると、傘をさした彼女が僕を見下ろしていた。

 彼女は、じっと僕を見ていた。それから、差していた傘を僕の顔の上に立てかけて、その場を去る。

 わからないな。これはゲームのストーリー上、仕様だろうか。そうかもしれない。いや、きっとそうだろう。

 それでもなんだか、じんわりと泣けた。


 前述したとおり、僕と彼女は必ずしも毎回出会えるわけではない。だから彼女と一目でも会えるのであれば、それがどんな役割でも構わなかった。彼女と敵対しても、時に彼女を殺すことになっても。もちろん、できるだけ平和な世界で彼女と交友関係を築けたらいいと思っているけれど。


 そんな僕と彼女が、いわゆる恋人関係になったこともある。プレイヤーを取り巻く人間関係の一部として、僕らはその時カップルという背景だった。

 どんなに嬉しかったか、彼女にはわからなかっただろうな。僕は舞い上がってしまって、終わるまでずっと彼女のことを見ていた。

 彼女は言った。

「私たちはきっと、前世でも出会ったことがあるわね。そんな運命を感じるわ」

 それはきっと、決まった台詞の一つだっただろう。だけど僕は本当に嬉しくて、その台詞を僕の根幹に刻むように何度も繰り返した。

 そのゲームの中で、彼女は交通事故により死ぬ運命だった。それが、ストーリーの一部だった。

 だから僕は、初めてプログラムされていない行動をした。彼女をトラックから守って、死んだのだ。


 そんな予期しないエラーを起こした僕は、いよいよバグとして排除されるものだと思ったのだけれど。なぜか、僕はそれからもゲームに呼ばれた。製作者カミサマの気持ちも、プレイヤーの気持ちも僕にはわからないけれど、そのエラーが僕でなく他の何者かの責任になったのなら申し訳ないなとぼんやり思っていた。

 あのゲームは、どうなったのだろうか。予定していたストーリーを進行できず、破綻してしまったのだろうか。他のNPCたちの人生はどうなっただろうか。エラーによりゲームが終了したら、本当はまっとうできていたはずの人生を唐突に打ち切られた誰かもいた可能性がある。僕は、僕の身勝手な行動を恥じた。


 そして、彼女に出会ってから何度目かの世界。100か、1000か、もう僕にはわからない。

 僕はまた、舞台の上の彼女を見ていた。

 今度の彼女はロックンロールを歌っていた。ゲームの種類はゾンビゲーム。この後ゾンビが押し寄せてきて、僕はすぐに死ぬ。だけど彼女はプレイヤーと力を合わせて、プレイヤーが選択を間違えなければクリアまで生き残るだろう。

 彼女の声はよく通る。また聴けて良かったと思う。僕はそっと目を閉じて、その歌を口ずさんだ。この平和が脅かされるまであと10分。このチュートリアルの中で、恐らくプレイヤーもこれを聴いているだろう。あと10分、僕らはPCプレイヤーキャラクターNPCノンプレイヤーキャラクターもなく、彼女の声に聞き惚れる。永遠に近い、10分だ。


 改めて――――こんにちは。僕はNPCノンプレイヤーキャラクター。同じくNPCである彼女アイドルの、追っかけをやっている者です。

 どのキャラクターに生まれても彼女を愛すバグを持った僕は、いつかこの電子の海から排除されるのかもしれない。どの世界に生まれ落ちても僕らに自由意思はなく、君と出会えても話す選択肢すらないことがある。

 それでもこの仕組まれた、誰かのためのシステムの上で――――

 何度だって生まれ変わって、次の世界でまた君に会いたい。

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