5.9 アンジェリーナとエドワード
仙台駅の長い階段を脇に逸れたところにある売店で、美心はお土産を選んでいた。
「いつまでやっているんだ」
「いいでしょ、どうせまだ時間あるんだから」
既にチケットは買ってある。
その待ち時間を有効に使っているのに、いったい何を急いているのだろう。
「どこか行きたいところがあるの?」
「待合室があるだろ」
「……直登くんのお土産でも選びなさいよ」
そう言っても選んだりしないだろうと、直登の分も、美心は既にいくつか見繕ってあった。
あと、モデル友達のあかりの分は、この訳のわからないキャラクターのキーホルダーでいいだろう。それから、お菓子はかもめの玉子でいいか。いくついるだろうか。事務所の人と、お母さんと、それに。
「こんなものネットで買えるだろ」
「あー、それ言っちゃうんだ。ネットとか使えない人が、言っちゃうんだ」
「直登が使えるから、俺はいいんだ」
変な理屈だ、と美心はお土産をカウンターに運んだ。
お土産とは、ただの証だ。遠出してきたことを伝える際に、ついでに渡す付属品、そのもの自体に意味はなく、渡すという行為に価値がある。
「ほら、これ、直登くんへのお土産」
「何で俺が。おまえが渡せばいいだろ」
「私は明日から大阪で仕事があるの。いつもお世話になっているんだから、ちゃんと渡すのよ」
「余計なお世話だ」
文句を言いつつも、瑠璃丸は菓子の入った紙袋を受け取った。
「ん」
そして、差し出された美心の掌を見て、首を傾げた。
「お代よ」
「……押し売りだろ、これ」
渋々と瑠璃丸はお代を払った。
「このお土産、SNSにアップしたら、宣伝の仕事が来たりしないかな」
「本当に金の話ばかりだな、おまえは」
「これで食べてるの。仕事なの。ドールじゃないんだから、お金を稼がないと餓死しちゃうの」
「これだから、人間は」
「あんたもでしょ」
スマホで時計を確認するとよい頃合いであった。
美心は、瑠璃丸を連れて階段を登り、そして改札を通った。
待合室もあったが、さほど待つこともないだろうと、ホームに向かうことになった。秋も終わりということで、さすがに夜が早く、辺りは暗い。
息は白み、虚空へと消えていく。
「寒いね」
「言っても暖かくはならないぞ」
そんなこと知っているし。
「言っただけだし」
「無駄の多い奴だ」
本当に話しがいのない男である。
どうせ会話なんてものは、その99%が無駄なのだ。そこから、無駄を省いたら何も残らない。
まぁ、そういう思想だから、無駄を排除した、あれほど美しいドールを造ることができると言われれば、納得もできるが。
だから、釈然としないんだって。
はぁ、と美心は一度項垂れて、それから、
「あ、そうだ」
とスマホを取り出した。
「ねぇ、メールアドレス教えてよ」
「何が目的だ?」
「メールよ。それ以外に何があるの」
何、当たり前なことを言ってんだか。
「さっき、寛太郎さんから、ジュメルちゃんの写真のデータをもらったの。送ってあげるから、アドレス教えて」
「何でメールで写真を送るんだ?」
「送れるのよ。あぁ、もう、機械音痴なんだから」
半信半疑の瑠璃丸から、スマホをひったくり、美心はアドレスを直打ちした。
帰ってからでもよかったのだが、とりあえず写真を確認したいと思い、美心はコンビニでSDカードのコネクタを買っていた。
「うわっ、けっこういっぱいあるな。全部送るのたいへんかも」
「じゃ、送らなくていい」
「そんなこと言わないでよ。適当に選んで送るから。余ったのは直登くんに渡すか」
画面をフリックして、美心は写真を確認する。
寛太郎の話の通り、写真は、他の舞台やイベントでのジュメルの写真であった。中には、劇団員と一緒に写っているものもあり、家族の一員のように扱われているのがよく伝わってきた。
「ドールって不思議ね。こうやって写真で見ると、笑っていたり、泣きそうだったり、ちょっと怒っているように見えたり、いろんな表情が見えるんだもの」
「ふん、そんなわけないだろ」
案の定、瑠璃丸は否定して、しかし、ひょいとスマホを覗き込んできた。
「ドールの形相が変わるわけがないんだから、もしも、感情があるように見えたのならば、それは見る角度や照明の加減に依るものにほかならない」
「そうかなぁ。それでも私は感情があると思うけど。今日の人形劇じゃないけれど、心があって、写真から滲み出てくるような」
「ドールに心などない」
出会った頃から何も変わらず、瑠璃丸は滔々と自説を告げた。
「もしも、そう思ったならば」
だけれども、今日、瑠璃丸は雄弁に付け加えた。
「おまえが、そうであってほしいと思っているだけだ」
「そういうもんかなぁ」
確認しようと美心が顔をスマホに近づけたとき、ハッと頬の熱気に気づいた。
すぐそこに瑠璃丸の顔があったのだ。当の瑠璃丸は気にする様子もなく、熱心にスマホを覗いているが、美心の方は、すっと顔を引いて、片方の手を頬に当てた。
別に意識しているわけじゃないけど。
「写真、送るから」
「ん? あぁ」
美心がスマホを引き寄せると、瑠璃丸は応じて、背を向けた。
「どこ行くの?」
「散歩だ」
さいですか。
美心は暗闇の奥の線路をみつめながら、ちょっと上がった心拍数を下げるように努めた。
これは、あれだから。
驚いただけだから、と誰にともなく言い訳をして、自分を落ち着かせた。
それほど特別でない感情にあたふたしている美心は、その心が、ドールにはないと言われても、何度言われても納得できなかった。
けれども一方で、先程の瑠璃丸の言葉は少しだけ理解できた。
『おまえが、そうであってほしいと思っているだけだ』
人形劇の白銀のドール、ジュメルを見て、彼女達の表情がとても和らいで見えたとき、美心は、少しだけ、そうであってほしいと思っていた気がする。
それは、人形劇の前に寛太郎に会っていたからかもしれない。
彼らと旅をしてきたドールであるならば、幸せに違いない。幸せであってほしいと。
その因果を裏返して理解することは、それほど悪いことだろうか。
少なくとも美心にとっては、どちらが先ということはない。
心の豊かな彼らと旅をしてきたから、ジュメルは幸せな顔をしていた。
それでいい。
うん、と一人頷いた美心の頬に熱いものが押し付けられた。
「ほわちゃ!」
「……色気ない女だな」
呆れた顔で瑠璃丸がこちらを見ていた。
「不意打ちなんて卑怯だ!」
「ぼーっとしている方がわるい」
ほら、とよこしてきたのは缶コーヒーであった。
冷えてかじかんだ手が、缶コーヒーの熱で暖められて、ほっこりとした温もりが腕を伝ってくる。
瑠璃丸にしては、気の効いたことをする。
が、なんとなくむかつく。
「私、ココアの方がよかった」
「……かわいくない奴だ」
べー、と美心は舌を出した。
その姿を傍目に見つつ、瑠璃丸は美心の隣に立った。まだしばらく来ないだろう新幹線を、二人はぽつねんと待っていた。
「いいお芝居だったね」
「芝居のことはよくわからん」
予想通りのつっけんどんな反応を見せた瑠璃丸であったが、それから少し言いよどみ、
「まぁ」
顔を美心からなるべく逸らして、本当に小さく呟いた。
「おまえが、楽しめたのならよかった」
妙な静けさがホームに訪れて、遠くの方でクラクションがラッパのように鳴っていた。
美心は、暗い夜の虚空に白い息を吐きかける。
「そう」
色づいた頬はコーヒーの熱さのせいだと言い訳しつつ、美心はひとり、去り際の寛太郎の言葉を思い出していた。
『瑠璃丸さんがアンジェリーナならば、エドワードは誰でしょうね?』
エドワード役など美心はまっぴらだ。こんな男のために、命を狙われてまでがんばるなんて御免こうむる。
ただ、心を失くす前のアンジェリーナであったら、話し相手くらいにはなってあげてもいいかもしれない。
美心は、ふふと小さく笑って、瑠璃丸の澄ました横顔をなんとなしに、ただなんとなしに眺めた。
瑠璃色工房 最終章 @p_matsuge
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