「やりたい事」は誰が望むか? その2
そういうわけで仕事っていうのは要するに仕方ないからやるっていうのが基本である。ただ基本があれば例外もあり、仕事の全てを好きな存在がいるのである。快も不快も全肯定出来る人間。もちろん少数派ではある。
ただこれが少数派なのは色々理由がある。まず飽きる、挫折する、優先順位が自身の健康より高い、認知的不協和に耐えられない、その少数派同士で更にしのぎを削る、等。とにかく好きを続けるのは大変なのだ。
話が逸れた。で、問題と思うのはその少数派でもないのにやりたい事がある場合、大体どこかでセーブがかかる。諦めたり、程々にしたり、出来るやつを悪く言ったり。まあどこかで止まる。自分の命は惜しい。
ということは「やりたい事」があったとしてもそれは殆どの場合、大きく実を結ばないということだ。つまりその人の「やりたい事」と「成果」は関係性があまりないということになる。少し考えれば分かる事である。故人も下手の横好きという言葉を遺している。ちょっと違うか。
にもかかわらず「やりたい事」を求める世界というのはなぜ存在しているのか。そこまで考えていないというのももちろんあろうが、やはり前述の通り利便性が高いからというのが強いからだと思われる。人間の意思をパラメータに変えて管理するのは効率がいい。
そして問題点も前述の通り。このシステムにそぐわない人間が抜け落ちるのだ。またやりたい事があってもそこまでではない人間、やりたい事がないけれどとりあえず盛ってみた人間も余計なストレスを感じうる。前者は理想と現実のギャップに、後者は嘘を突き通す後悔に。無論そこをクリアする者もいるだろうが。
幸いな事に本当に「やりたい事」を求めている組織は多くはないとは思う。ただ「やりたい事」を求めている会社は、そうでない人間を下に見る傾向があると筆者は感じる。「やりたい事」を免罪符にしてやりがいを報酬代わりにしようとしているのではないかと邪推してしまう。
何が言いたいかって言うと、生活の維持に必要な報酬と健康を損なわない程度の適度な負荷のある仕事を下さいって話である。
ある文章 @rh45sc
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