Epilogue


「ラナ、ちょっと手伝ってくれ」


 遠くで名を呼ばれて、私は振り返った。父だ。


 家を建てていた。共和国北部の肥沃な大地にすくすくと育つイオクスの真っ直ぐな木は、しっとりと濡れた地面によく似た色の幹を、枝を、広く大きな蒼い空に向かって勢いよく伸ばす。森からそれを幾らか頂戴して、私達は村を再び蘇らせようとしていた。


「はーい、お父さん」


 三年経つうちに、帝国はシルディアナ国民の力によって群主制共和国へと変わり、各地方でそれぞれ選出された代表者が群を治めるようになった。へまをすれば即刻群主の座から追放されるらしい。アーフェルズが革命後の城で、帝国各地から集まってきた国民でごったがえすその場を取り仕切って決めたのだという。彼は先帝の息子であるということを遂に明かさぬまま私達が今いるアイスラー地方――と言っても、取るに足らないごく小さな群でしかないのだが――の小群主の座におさまった。ここに移り住んだ私達、アルジョスタ・プレナの一部を取り仕切っていた人々にも異論はなかった、寧ろ諸手を上げて喜んだくらいだ。


 半壊した城は修復され、サヴォラの尖塔は必要なものだけを残して撤去された。つい先日墓参りの為と久し振りに訪れたシルディアナ共和国の首都は幾分かすっきりしており、尖塔が並ぶ以前と比べるとかなり開放的になったのではないかと思えるぐらいだった。


 私はその時仲間の眠る墓に向かって、ここもよくなったねと呟いた。そして今は、頑張っているよと誰にも聞こえない所で囁くのだ。




 そう、シルディアナでの墓参りの訳。


 陽気な竜人族のマルクスは死んだ。かつての上司であった同じ竜人族の将軍ガイウス・ギレークと、槍で刺し違えて事切れていた。それを見付けたのは、剣が砕かれた後、急ぎ皆でシルディアナ市に戻ってアルジョスタ・プレナの幹部を集結させる為に探している最中だった。


 動かない二人の横に紙きれが置いてあったのを覚えている。私が真っ先に手に取ったその中にはまず、裏切った自分を許せなかった、と書いてあった。明るくきらきらと輝く黒い瞳の奥に、マルクスは死を選ばざるを得ないような深い哀しみを抱いていたのだ。彼はやはり、誰かに忠実であることを最高の美徳とする純粋な竜人族だった。


 マルクスの遺書の下に、最も愛する国の行き詰まりに気付くことが出来なかった、サイアを頼むと記されていた。間違いなく傍らに横たわるガイウスのものだ。何もこんなことをしなくてもよかったのに、そう思えど二人が帰ってくることはない。私は悔しかった。


 その後私は二日掛けて、かつて酒場で一緒に働いていた懐かしきサイアを探した。幸い彼女はとある市民の家に善意で匿われていて、私が語ったガイウスの死を、ただ静かに涙を流しながら聴き、しっかりと受け止めた。抱き締めた私の腕の中、そういう人だ、と彼女は呟いた。


 あの二人はそのまま、シルディアナ市の少し小高い丘に埋葬されている。


 


 そう、サイアのことだ。


 彼女は子供を一人生んでいた。ガイウスとの間に生まれた女の子で、まだ量は少ないが細く美しい金色の髪が生えてきていて、竜人族のように飛ぶことは出来ないだろうが、背には小さな一対の黒いドラゴンの翼があった。いつだったかエレミアが呼び出した水の精霊のように神秘的な光を抱く大きな深い青の瞳を持った、とても愛らしい子。サイアにそっくりだった。




 そして、私のおじであるティルクのこと。


 錯乱したおじは、手にした例の鎚で覇王の剣を粉々に砕いた。ラライーナのアリスィア・レフィエール曰く、彼女が抱くレフィエールの末裔の竜の力と同等か、それ以上のものを孕んだ危険な代物であったらしい。そして、アイスラー族の村周辺に祝福された者――鍛冶屋が円形に埋め込んだ竜の楔は、円形の内側に存在するアイスラー族の自我を奪うものだった。彼らが自分の子孫であるにもかかわらず、鍛冶屋はそれを願い、剣が破壊されることを望んだ。そして、そう仕向けるようにしたのだった。


 革命の日から数日経って、再び起き上がった時、おじは、私達のことを忘れていた。


 ティリア――おじの姉であり私の母でもある大事な人のことも、守り通すと誓った私のことも、イークと父は倒すべき敵であったということも、二人への憎しみも、アーフェルズと出会った時に交わした約束のことも、エレミアは綺麗だと呟いたことも、祝福された鎚を振るったことも……やってきたことも、何処で育ったかも。


 己の名前さえも、全部。


 言葉はちゃんと話すのに、今まで生きてきた記憶が全て、綺麗に抜け落ちていた。


 恨まれて殺される覚悟でいたのにこれではやりきれない、と、その時父は俯いた。当の本人が忘れてしまった憎しみを周りの人間が知っているのはひどく空虚だ。


 けれど、おじが知っていたことが二つだけあった。俺は祝福された鎚を持つ鍛冶師クライア・サナーレの子孫でアイスラー族の人間だ、聖なる剣は破壊された。アリスィアはその時溜め息をついた。ああ、この方は純粋なアイスラー族だったのですね、間に合わなかった、と。




 私達は全てを教えなかった。


 まずは、おじの名前。次に私達の名前。今は皆で村を作ろうとしている、ということ。






☆作者追記

おい待て、凄く中途半端なエピローグの終わりだな!!!

プロトタイプ版は総じて人と人との関わりが薄かったな、と、読み返していて思います。ガイウスとマルクスの死因もあっさりしすぎているので、私ですらも置いてきぼりです。きっとその理由などは2章か何処かで書く予定だったのでしょうか……構想していた21歳の頃に書く予定でいたのはラナの修行云々だけだったな、ということを思い出していますが。

当時ではなく、6年後である2017年に再構成してしっかり書いてよかったと思います。結果としてちゃんと見られる体裁を整えた形になったので、間違いなくこの年に完結すべき物語でした。

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白翼の聖女 久遠マリ @barkies

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