第4話 戒めのエーデ②
暗闇の中で重たい衝撃音が響き渡る。それは分厚い土の壁を紅の大剣が幾度も打ち付けている音だった。
オルカは自分の速さと腕力には自信があった。そして、人とは一線を画する研ぎ澄ませれた感覚にもまた。それが彼女の一族の特徴であり、その中でもオルカは稀代の天才として恐れられていたのだ。
「くっ……」
しかし、エーデに彼女の刃が届くことはなかった。数え切れない程のフェイントを混じえ、四方八方から目にも止まらぬ速さで斬撃を繰り出すも、まるで予知されているかのようにエーデの前には土の壁が形成されていく。また、鉄の鎧ごと切り砕くオルカの腕力をもってしても、その土の壁には僅かな綻びができるだけだった。
「こんなに暗いのに正確に急所を狙えるんですねー。興味深いですー。余程夜目が利くんですねー。それとも異常なまでの感知能力ですかねー」
必死に攻撃を繰り出すオルカとは対照的にエーデは新しい玩具を見つけた子供のような無邪気口調で呟く。
「うーん、白髪に紫の瞳ですかー。以前どこかで似たような方にお会いしたようなー……あっ、わかりましたー。あなたもしかして、【忌鬼族】ですねー!」
その言葉を聞いたオルカはぴたりと攻撃を止めた。そして、地面に大剣を突き刺し、暗闇の中で妖しく光る紫色の瞳を鋭くエーデに向ける。
「お前、なぜ私が忌鬼族だと?」
オルカが問うのには理由があった。
忌鬼族は古くからその強大な力と角を生やした異形の姿から人々に恐れられ、忌み嫌われていた。口伝による忌鬼族は人を攫い喰らう恐ろしい化け物だった。しかし、世間が思うイメージとは異なり、彼らが人間を襲うことなどなく、東の辺境の地で細々と暮らしていたのだ。
そんな忌鬼族に悲劇が起こったのは今から50年以上も昔。人間に憧れたある変わり者の忌鬼族がいた。彼は類い稀なる才能により同胞からも一目置かれる存在で、その剛健さはさることながら、彼が最も他と一線を画したのが思考能力だった。忌鬼族は高い戦闘能力を誇る一方で、決して利口とは言えない種族であった。そのため忌鬼族のあり方に疑問も持つことも、外の世界に興味も持つこともない。そうやって何百年も生き続けてきたのだ。
しかし、その鬼だけは違った。
幸か不幸か高い知能を生まれ持った彼は閉鎖的な忌鬼族の生活に退屈していた。そして、齢15歳を迎えたある日のこと、忌鬼族の集落に迷い込んだある人間の女性と出会う。
それが悲劇の始まりだった。
彼はは人間になるための禁呪を東の魔女から学び、施そうと目論んだ。しかし、それには多くの良質な生贄が必要だった。男は生贄として動物、魔物、魔獣……人間以外のありとあらゆるものを試したが禁呪が成ることはなかった。そして、禁呪に囚われ狂気に染まった男が最後に生贄として選んだのは忌鬼族--あろうことか自らの手で一族を根絶やしにしたのだった。
オルカはその悲劇の生き残り。気まぐれで生かされた唯一の存在だった。そして、今のオルカの姿はその憎き呪いによって人間となった姿であり、本来の忌鬼族の姿ではない。つまり、この呪われた白髪と紫色の瞳からオルカが忌鬼族であることがわかるはずはないのだ。しかし、もしエーデがそう判断できたとしたならば理由はひとつしかない。オルカが探し求めている一族の憎き仇と繋がりがあるのだ。
「えー? 何でですかねー? 」
「答えろっ! そいつは何処にいる!」
普段は冷静なオルカが声を荒げる。辺りの空気はひりつき、突き刺すような殺気が立ち込めた。
それを感じたエーデは心底嬉しそうに顔を歪めると、
「あー、思い出しましたー。あの方ですねー。でも、教えませーん。知りたければ力ずくでどうぞー」
と嘲るように言い放つ。
--それが引き金だった。
「……そうする」
地面に突き立てられた紅の大剣が業火に灼かれたかの如く、その刀身を一層赫く染めていく。大剣はまるでオルカの怒りに呼応して脈を打っているようだった。
そして、
「怒髪、天を衝くが如し、【神怒のレーヴァテイン】。後悔しても赦さない」
オルカの紅の大剣--レーヴァテインがその真価を魅せる。
おもむろに前方へ跳躍したオルカはそのまま宙返りし、弧を描くように大剣を振り下ろす。無論エーデはそれを予知し、強固な土壁を展開する。先程までとなんら変わらぬ攻防--否、先程まで微細な傷しか負わすことができなかった大剣の刃はいとも容易く土の壁を両断した。それだけではない。両断した次の瞬間に土の壁は消炭と化して夜風に攫われていったのだった。
「え? 嘘ですよねー?」
これにはエーデも動揺を隠せない。
瞬く間に背後へと回り二の太刀を浴びせようとするオルカに対し、エーデは先程と比べてゆうに三倍は厚い土壁を形成する。
「無駄」
オルカはお構いなしに剣先を前方に向けて渾身の突きを穿つ。容易く土壁を貫通した大剣の剣先はエーデの目の前僅か数センチのところで止まった。
剣先に触れたエーデの前髪がハラリと地面に落ち、灰となり消える。
エーデは後方に大きく跳躍し距離をとった。
「あーすごいですー。最高ですー。私の全細胞が信じられないくら敏感になってますー。あーこれがとてつもなく気持ちいいー。これを求めてたのですー。警戒レベル最大ですー」
エーデは身をよじらせながら小指を加えて善がる。感情が昂ぶっている証拠だった。
「気持ち悪い」
そんな彼女に対しオルカはそう吐き棄てると、一気に距離を詰めるために体制を低くして両脚に力を込めた。
しかし、
「もっと楽しませて下さいー。いきますよー。極大土魔法【地変地異】」
「なっ!」
エーデがそう唱えると、突如地面が波打ち始めた。かと思えば、所々で隆起と沈降が起こり周囲一帯の地形がみるみる変化していく。そして、地面がまるで意思を持ったかのように、土の剣、槍、矢など様々な武器を形成してオルカを襲ったのだ。
「チッ、邪魔」
オルカはそれらを物ともせずに叩き落としていく。また、次々に立ちはだかる無数の壁も力任せに大剣でで薙ぎ払う。その無限とも思われるエーデの土魔法も本体を叩けば終わる。そう思い確実に前に歩を進めるオルカだったが、異変に気付く。
「バカな」
それはエーデとの距離だった。確かに距離を詰めていたはずが標的は遠ざかっていたのだ。これも彼女の魔法の一部なのだろう。
「あー、警戒もここまで行くとやり過ぎかしらー。はやく私のとこまで辿り着いて下さいー。可愛い鬼の娘ちゃん。そうしないとあなたの命が燃え尽きますよー」
「黙れ。すぐに灰に変えてやる」
強気な口調とは裏腹に、オルカは焦りを覚えていた。
魔法は感情に起因する。
無論、オルカのレーヴァテインも魔の力宿す、所以魔剣のため例外ではない。魔剣を振るうためには莫大な感情エネルギーを必要とするのだ。
しかし、オルカにはそれを賄うほどの感情がない。元々忌鬼族には人間ほどの感情はなく、それ故に魔法を扱う事はできなかったが、かの呪いによりオルカは偶発的に感情と魔の力を得たのだ。いわばそれは偽りの力であり、魔剣の器には到底なり得ない。だから代償として捧げたのだ、自身の命の火を。
オルカはエーデを追うのを止め、大剣を最上段に構える。この戦いを長引かせるわけにはいかない。そして何より、ここでエーデを止めなくてはならない。
「レーヴァテイン、我が怒り、真実の焔であることをここに示せ」
オルカの呼びかけに応えるように大剣はその赫きを極める。濃密度の魔力が剣先に集まっていく。
「わー。すごいですー。さすがにまずそうですなね……」
「懺悔しても赦さない。これで終わりーー【滅鬼怒】」
振り下ろされた大剣から発せられた焔は何もかもを灼き焼き払い滅する鬼の怒り。オルカを襲う全ての障害を灰と化せながらエーデに向かう。エーデのいかなる小細工もこの無慈悲の一撃の前では意味をなさないだろう。
力を使い果たし、霞みゆく頭の中でオルカは思う。何故自らの命を燃やしてまで戦うのか。それは復讐のためか、或いは--。
膝をついたオルカは視界の端に闇を照らす灯光を見た。
感情というのは厄介なものだ。
オルカは微かに笑うと、焔の行方を追うことなくその場に倒れ込んだのだった。
無言の転生者と感情のない国 @infinity5506
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