ピエタ

小野寺こゆみ

ピエタ


 俺の恋人は最近、自分の良心とセックスしている。

 ――こうして明文化すると、なかなかに混乱する字面で戸惑う。俺はそれ以上日記を書く気がなくなって、ぱたんと表紙を閉じてしまう。そして、さっきまで悲鳴みたいな貴方の泣き声が響いていた地下室が静かになっていることを確認して、そっと階段を降りる。地下室の薄い扉のノブを回すと、そこには、いつもかかっていたはずの鍵はかかっていない。俺はそれをもう予測していた。貴方はきっと、俺に話を聞いてもらいたくてそうするだろう。

 扉を開けると、そこには少女の四肢と胴体と首がばらばらになって収まった、棺桶のように大きなダンボール箱がある。貴方は泣き腫らした目をこすりながら、背筋を伸ばして正座して、じっと箱の中身を見つめている。俺はその少女を初めて見た。貴方と瓜二つの少女だ。こうして目を閉じていると、剣道の鍛錬をしているときの貴方を思い出させる。思い出すのは、貴方の眠り姫のようにうつくしい寝顔、と言いたいところだけど、貴方は眠ると、いつも俺の腕に涎を垂らして幸せそうに眠る。こんな無心の顔で眠ることはない。貴方はそれを知らないだろうけど。

 俺は箱の蓋を閉じ、傍に都合よく転がっていたガムテープでぴっちりと隙間を閉じた。この市の粗大ごみの回収方法はどうなっていただろう。スマホを取り出して「横浜市 粗大ごみ 回収」でググると、市役所の案内より先に、リサイクル業者のサイトが出てきた。

「すぐに捨てます? 業者に頼めば持ってってもらえるみたいですけど。それとも売りに……ああでも、貴方の顔した女の子が知らない人間に犯されるのは嫌だな。すいません、廃棄にしてもらえると嬉しいんですが」

「それより前に聞かないのか。なんでこんなことになったのか」

「珈琲いります?」

「グアテマラがいい」

 俺は一旦上に上がって、淹れておいた珈琲をペアのマグカップに注いだ。貴方はこれを使う度に苦虫を噛み潰した顔をわざと作るけれど、本当は一回貴方が俺の方のカップを割ってしまって、わざわざ単品で買い直したことを俺は知っている。自分のカップに、たっぷりのミルクと砂糖と珈琲、貴方のカップに珈琲だけ注いで、俺はまた地下室へ行く。もう貴方はお気に入りのぬいぐるみとクッションを自分の周りに敷き詰めて、俺が自分用に買ってきたもこもこの毛布をひっかぶっている。それは狙い通りだ、貴方は俺のものを奪い取るのが大好きだけど、俺から与えられるのを何故か激しく嫌うから。

 そして、俺の持ってきた珈琲を受け取っても、決して口をつけない。俺が自分の珈琲に口をつけて、

「ミルクと砂糖入れ過ぎた……貴方のと交換してくれません?」

って、俺のカップを差し出すと、貴方はしぶしぶといった風に自分のカップと俺のカップを交換して、やっと珈琲に口をつけてくれる。

 そんな感じで、今日も貴方は自分のことをゆっくりと話し始める。



 俺がお前と寝なくなったのは一週間前からか? これが届いてからだから、大体そんなもんだろ。そもそも、なんでこんなん作ったんだっけか。ああそう、実を言えばはっきり覚えてんだ。俺が欲しいと思ったからだ。

 すげーよな、貴方の感情を切り取って、それを体現するアンドロイドを作ります、なんて。完全なコピーは法律違反、だけど一部だけならいんじゃね? ってゆーこのユルさが、なんとも、現代的だよな。実際、精神病患者のトラウマを切り取って具現化させて、文字通り過去のイヤーな思い出に「立ち向かう」治療なんてのもあるらしいけど――俺はメンヘラではないんだよな。いや、自分がメンヘラだって自覚してるメンヘラなんていないと思うんだけど。

 そう、俺は別に治療目的とか、そういう目的で作ったんじゃなくて、じゃあなんで作ったんだって、ひとえにお前のせいなんだよ。うん、そうだ、お前のせい。どんな気持ちを切り取ったかって知ってるよな、まあ俺の良心なんだけど、なんでそんなとこを切り取るかって、お前がなんで俺に惚れてるか、またわかんなくなってきたからだ。

 知っての通り、俺はお前のことが別に好きじゃない。前々から宣言してる通り、強いて言うなら顔と、それからそのデカブツが好き、のレベル。だって俺もお前も男だもん。で、お前は俺のことが好きっていうけど、でもお前、おっぱいおっきい女のが確実に好きじゃん。というか普通に一緒にえーぶい見て、普通に一緒に興奮して、ふと隣に目をやってみるけどそこには男しかいないって落胆を何度も何度も味わったもんな。俺もお前も男が好きなわけじゃないからな。でもセックスはできるししかも気持ちイイんだから救われねーな俺たち。

 ンン、話ずれた。で、俺さ、何度も何度も何度もお前に聞いたじゃん、俺のどこが好きなのお前って。俺はね、てっきりね、俺と同じく顔が好みって回答がくると思ってたんだよ。というか今でも本心はそうだろって思ってる。だって俺さあ、自分で言っちゃうけど美少年じゃん。非常にうつくしい顔、でしょう? お前以外にもアプローチをかけてきた男は沢山いるんだぜ、お前は知らないだろうけど。そん中でお前にだけ抱かれて、お前とだけ同棲して、お前とだけ食事をするのは、お前があんまりにも哀れだから。

 また話がずれた。そう、それで、お前は俺が優しいからとても心惹かれるんだって聞くたびに言った。俺が優しい。それを聞いた時に虫唾が走る走る。なんだってお前なんかに俺を規定されなきゃいけないんだ。俺が優しいだとふざけるんじゃぁねえよ。

 で、俺は思ったわけだよそれなら俺の良心というものを見つめてやろうじゃんかと。それで、俺の良心を造り上げてもらったってわけ。

 また、お前はそうしてなんにも言わないで、ただ笑ってるだけでさ。ほんとイラつくぐらいにお前はいいこ、そして哀れだ。宣言してやっていい、お前は一生報われない。だって俺の良心はそう言った。

 そう、今話そうとしていたのは俺の良心の話なんだ。お前に向ける、お前だけしか感じられないかもしれない俺のやさしさ。それは、見ればわかるように女だったんだよ。そのほかは全部俺に似てた! これが届いたとき、お前はいなかった――それでよかった、少なくとも俺にはね。だってこれを見たときに、俺はこれをめちゃくちゃに破壊してしまおうと思ったんだ、だって気持ち悪いじゃんか。

 で、あとはお前の知ってる通り、俺はこれの胴体だけ取り出して、とりあえずセックスしてみたんだ。顔と手脚が無ければ、これ、ただのでかいオナホだしさ。俺の手、お前と比べるととってもちっちゃい俺の手にだよ、綺麗におっぱいが収まってさ、俺はこういう見た目だからどんな女だって好きだけど、何回押し倒してもその瞬間に、あれこいつよりオレのがよっぽどいいオンナじゃねーかって萎える人間だから、お前と同じく童貞だけど、あれは最後まで保てるぐらい興奮した。

 賢者タイムになって改めて組み立てて起動して、そうするとこれがもう、可愛い声で喋るんだよ、私は貴方の良心です、貴方の愛です、貴方の優しさです、貴方はどうして私を認められないんですか、認めてお兄ちゃん、お父さん、お母さん、あなた、わたし。俺はねえ、この感情は俺の中でがん細胞に冒されちまってんじゃねえかっておもいながら、もう一回それを抱いたわけだ。それはな、とてもとても素直に喘ぐんだよこれが。もうそうなるとさ、完全に玩具を発見した気分になっちゃって。

 そう、それが今日のさっきまで続いてたんだよ。ここで目が覚めて、お前がリビングに用意した食事を食べて、トイレ行って、地下室で抱いて、風呂に入って、また抱いて、お前が帰ってきた音を聞いて、俺はまた眠るの。俺の良心は大変によく喘ぎ、よく喋った、俺のお前に対する想いばかりぺらぺらぺらと。貴方は本当は相手を深く深く愛しているから、本当に愛しすぎてかえって何にも見えなくなっちゃって、結局お前は俺の良心を愛しているんだから、貴方じゃなくてわたしがいればいいんですよ。

 と、まあ、そういう話を、されたので、思わず解体したわけだ。

 うん、これは壮大な愛の告白の話だぜ、高介。

 俺は結局、お前が愛している俺を理解できなくて、それを愛しきることも、一体になることも結局できなくて、お前が愛していない俺はどうすりゃいいんだって不安になって、それをまた粗大ごみにした、そういう話なんだ。

 俺がお前の顔とデカブツと、その気味悪いぐらいの献身以外なんにもいらないのと同じように、お前は俺の良心、少女、お前を産んで育んで慈しんでやれる存在以外はなんにもいらないって、それを受け入れるのが怖かったんだよ、俺は。



 すっかり話し終わった貴方は、初めて会ったとき以来、多分片手の指の数ほども呼んだことのない俺の名を呼んでしまったのに酷く照れて、毛布にもふもふと包まってしまった。俺は毛布の塊を、できるだけ丁寧に優しく抱き上げて、二人の寝室に運んでいく。

 俺は確かに、貴方の優しさしか愛せない。貴方の、たまに見せる純真無垢な微笑み、此方に差し出された手、綺麗に折りたたまれた脚、貴方が息づく場所のどこかしこにも、少女と母を織り交ぜた、ピエタの影を感じている。そして俺はそれに、たまらなく苦しい恋をしている。貴方の身体に宿っている、その優しさがなかったら、俺は貴方を愛してはいない。貴方が俺の何かを愛して、その他の何かを不用品だと切り捨てるのと同じように。

 貴方はどれだけ綺麗な顔をしていても、結局はどうしようもなく美少年なのだから。その腹は俺を産めない。その乳は俺を育めない。そして俺と貴方は甘やかな家庭をつくることもなく、そのうち世界の底に押しつぶされるようにして死ぬ。

 でも、俺はそれを不幸だとは思わないし、貴方が女だったら、それはそれで、嫌いだったのかもしれないと、不安になってしまう。

「結局のところ、俺はお前に愛される俺を探し求めている俺でいることが好きなのかもしれない」

 貴方がそう呟いて、すう、と眠りに落ちていくのを確認して、俺もベッドに横たわって眠ることにした。貴方は俺の求める貴方を、俺は貴方の求める俺を何百年も、ひょっとしたら何千年も、ずっと探し続けるのかもしれない。それは、ぞっとするほど孤独な幸福だった。

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