第2話 優しい言葉とほんのわずかな贈り物
上司からの辞令や転勤とかのことに比べたらこれほどまでに嬉しい言葉はないのでだろうか?学生のうちにこんなことを考えてしまっている自分に少し情けなくなってくる。
「早く、そのエプロン脱いじゃって行っておいでよ!ほらほら!」
手入れが行き届いた亜麻色のふんわりとした髪を愛らしげに
遠藤さんが俺を急かしてくるので、興奮加速度の上がった思いがガードレールを破壊し、崖へと落ちかねない気がしたので静止させようと努力をした。
「いきなりオーナーどうしたんですか?本の精霊にでも憑りつかれちゃいました?別に、パーティは6時からなので5時まででいいですよ。」
今日のオーナーはちょっとおかしい。この人はいつもギリギリまで人を働かせて、できるだけ自分の業務を減らしたがる人だったのに。ここってもしかしたらブラックなのかもしれないなぁ・・・。あと、憑りついている本の精霊がおっさんだと悲しい。
両腕を左右の腰に当てて、今から説教を始めようとしているような雰囲気であった。
「そりゃねぇ、君がそんなことを言い出すなんて思いもよらなかったのよ。いつもいつもここで文句も言わずにお手伝いさせておいて、わがままも言わないから驚いたのよ!」
頬を少しだけ膨らませて怒っているような風に見せているのが背伸びしている年頃の少女のようでちょっと可愛げがあった。遠藤さんは年齢と中身のアンバランス具合が絶妙で、俺のような男子高校生から見てこのギャップには勝てない。
おそらく、遠藤さんは貴重な学生の時間をもっと楽しんでもらいたいからと思ってそんなことを言っているのだろう。そして、自分自身の経験談も踏まえながらそういったイベントには参加するだけでなく一緒に1から手伝ってあげることがお互いの信頼を深めることができるとでも言いたいのだろう。もしくは遠藤さんができなかった後悔を繰り返させないように俺に忠告させているのかもしれないかと思う。
俺は遠藤さんの過去のことについては知らない。だが、遠藤さんは俺にそういった暗い話や相談などはしてこない。俺とは違って、いつも明るい表情で色んな問題も笑顔で乗り越えてきたような人だ。その裏側を俺は見たくも無いし想像もしたくない。
「遠藤さんらしくないことを言いますね。俺は、別に時間ギリギリでも大丈夫ですよ。あと、まだこの作業終わりそうにないですし」
俺の手元に残っている日本文学の古本はざっと20冊以上、それに加えてフランス文学と裏の在庫に入っている本の整理も残っているのでそれなりに時間がかかってしまう。合理的な判断で考えるとここで切り上げてしまうのはマストではない。
「あ~、いいのよいいのよ。それくらい私がやるわ。わたしはお店のことで付きっ切りになった身。君のように自由に歩き回れる時間は残されていないの」
「でも、まだこれだけありますよ?一人でやるにはちょっと量が多いんでできる限りやっておきますよ」
「君は、本当に優しいのね。その優しさをもっと人前で振る舞う気は無いのかしら?」
「けれど、その甘い思いは私は受け取れないわ。別の人にその思いを差し上げなさいあ」
「差し上げるも何も、俺は合理的に考えて終わらないと思って言っただけですよ」
「君って本当、合理的とかそういって人を助けちゃうんだから」
うーん、なかなか折れないようだ。遠藤さんはそのくらい俺のことを気にかけているようだ。今回は折れることにしよう。
「分かりました。そこまで言うなら、お言葉に甘えて。」
短くて、的を射た言葉を聞いて遠藤さん少し落ち着きを取り戻したかのように思えた。
言葉を失ってしまった遠藤さんは取って付けたかのように「これは、わたしからのクリスマスプレゼントよ、受け取りなさい」と少し恥ずかしそうに俺に告げた。
俺は笑顔がたくさん詰まった見えないプレゼントを受け取って、この後どうしようかと考えていたら、その思考を遮断された。
「さぁ、早く行った!行った!友達と合流してパーティの手伝いをしてきなさい!」
遠藤さんはそう言うと瞬時に俺の後ろに回ってエプロンの紐を解こうとする。真後ろから感じる柑橘系のフレーバーと女性独特の甘い匂いが鼻をくすぐる。
「あれ、ちょっとこの結び方変わっているわね。ちょっと固い。んしょ!」
僕の用意されていた店用のエプロンは、少し大きめのサイズしかなかったので渋々エプロンの紐を固く結んでいるのだ。遠藤さんの手が僕の体に時々触れる。柔らかくて繊細な手はとても綺麗で暖かった。同じ人間でもここまで変わるものなのかと少し感心してしまうくらいであった。
「よし!ほどけた!今度からちゃんとサイズがあったのを用意してあげるね!」
時たま見せる宝石のような輝きに目を奪われてしまう。どうしてこの人には恋人がいないのだろうかと疑問をどうしても疑問を抱いてしまう。
エプロンを脱がされて、荷物を持って店の前扉で遠藤さんに「先にあがります」と言ってドアノブに手をかけると人の通りが少ない裏通りとご対面した。ドアをゆっくりと閉めようとしたときに、遠藤さんは俺に背中を見せながら何かを言っていた。しかし、閉じられていく扉と共に遠藤さんの言葉が店内へと吸い込まれていった。とても小さな声であったためちゃんと聞き取ることができなかった。
無理矢理エプロンをひっぺはがされた俺の体温は遠藤さんに抵抗されていた時に少し火照っていた。おかげで、外に出てもそこまでの寒さを感じさせなかった。その人肌はかすかに温もりを持っていて、俺の凍てついた心を溶かすには充分すぎる優しさが詰まっていた。しかし、店を出た後に残ったものは手に染み付いた古本のほこりの匂いだけであった。
「行くか」
たった3文字の言葉は、頭上に浮かぶ灰色の空に飲み込まれていった。
今日は雪が降りそうだ。きっとお空で、誰かが氷をカチ割って冬の日の準備をしているのだろう。
思い出には、素敵な古本を なおぽん @naopon0021
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