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餅のようにふくれた顔の、もしくは勝ち誇ったような、満面の笑みのそなたを見せておくれって、王妃さまもなかなか言いますね。死期を悟っての言葉となると何故かその言葉さえも大切に感じてしまう。
自分を導いてくれた人の存在は大きいですね。うるうる……
しかし王妃さま、つむじ風で良いのですか? それだけ王妃さまの懐が大きかったという事でしょうか……
作者からの返信
フグ面かドヤ顔が鈴玉のトレードマークですからね。この世の思い出に、泣き顔ではなく鈴玉らしい顔を見せて欲しいのでしょうね、王妃様。
自分を導き、慈しんでくれた人との別れは辛いですね…。
つむじ風は周囲を巻き込みつつも、後宮のドロドロを吹き飛ばしてもくれましたし、王妃さまの懐は広いので、つむじ風でも台風でもダイジョブです!
作品タイトル、王妃さまか鈴玉のどちらかを表しているのか気になっていました。
第35話で王さまが「主上が王妃さまを『路傍に咲く花のごとき』と評された」を否定しているし、第47話で鈴玉が「路傍の花」を自身に置き換えて思っているから……タイトルは鈴玉を表しているの? と疑問には思っていました。
ガンダムを振った時点でお家再興の伏線を回収するなら、こうなるしか…… とは思うのですが。
大泣きしている鈴玉がさすがに読んでいてつらいです。
子を託されたので、鈴玉は良いお母さんになれそうで、そこが救いです。
作者からの返信
作品サブタイトルの「路傍の花」について、仰るとおり、後で王様自身の言葉ではないことが明らかになるのですが、噂を信じ込み、王妃を軽く見ていたかつての鈴玉は「王妃=路傍の花」と思っていました。
そして、鈴玉も、取り調べの時に「自分=路傍の花」とも思っています。ということで、「路傍の花」は鈴玉を主に指していますが、王妃のことをも指しています。では、メインタイトルの「賢妃」とは…?
物語の構想当初から決めていた展開でしたが、読者の皆さんが王妃も鈴玉も愛してくださったので、今回の更新はなかなかに辛いものがありました。ただ、王妃が最後に心のうちを奥底まで鈴玉に明かし、ひとりの人間と人間として完全な信頼関係を示したことが書けて、満足もしています。
むむむむ、まさかこうなるとは。
これ最後どうなるのー???
作者からの返信
まさかまさかの展開ですが、あと数話のお付き合い、話は落ち着くところに落ち着きますのでよろしくお願いします!