第21話
リエットの全身から、とてつもない奇跡のオーラが漏れ出始める。その奇跡のオーラは瞬く間にすさまじい風圧となって、部屋の中を暴風のように駆け回った。
「むぅううううううぅひょぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぅっ!!」
「ほらぁ、こうなるからぁ! だからバラしちゃダメって言ったのにぃ!」
クルトンは半泣きでそう叫んだ。
圧倒的な奇跡の力が、リエットを中心に空間を震わせているのだ。
リエットは光り輝いていた。その髪は金糸と見間違うほどきらきらと、目は水晶よりも澄み切って美しく、その肌は月光のように柔らかい輝きを帯びている。光の泡で体を包み、受けていた負傷がたちどころに癒えていく。
そして、剣の眩い白き発光。
神代の文字がリエットの身体から溢れ出て、広間の床や壁を泳ぎ回っている。
見る者を釘付けにし、畏怖させる力があった。
「し、四天王! ひるむな! 私に続きなさい!」
ローレルは士気を奮い立たせたが、手遅れだった。
覚醒したリエットの前には、四天王など何の役にも立たない。四方から襲いかかった四天王は、瞬きする間に武器を砕かれ、鎧を引き裂かれ、壁や床へと叩きつけられた。
リエットは剣を当てる事すらしていない。
剣を払う動作で空気を操ったのだろう、歴戦の四天王たちを毬のように弾き飛ばしてしまったのだ。四天王たちの硬質の鎧が、飴細工のように剥がれている。
先ほどまでの劣勢は一体何だったのかと思う程、あっけない。
ローレルもなんとか食い下がろうとしたが、リエットの圧倒的な奇跡の力によって跳ね飛ばされ、魔王様の足先まで蹴り転がされてしまった。
砕かれた鉄棒を捨てて、飾ってあった鎧から斧槍を奪い取り、ローレルはあくまで臨戦態勢を取ろうとしたが、その斧槍の柄がぐにゃりと折れ曲がった。
なす術がない。
リエットの放つ光にあてられただけで、鎧までもがぐにゃぐにゃと変形していく。材質など関係ない。リエットの害となる武器・防具は、ことごとくがその能を奪われていく。
「ば、馬鹿な……そんな、そんなバカな事が……あの劣勢を跳ね返すなんて……こんな武装解除の魔法があるなんて……聞いたことが……」
長い兎耳をへなんとさせ、乱れ髪のローレルは愕然と呟いた。
奇跡の勇者――そうとしか言いようが無い。
もう疑いの余地はない。
聖女の神託にして、占い師の予言。魔王国とソタナフマ連合の戦略すら大きく変える事となった、その文言にあった奇跡の存在こそ、目の前のド変態マゾ勇者なのだ。
「ああもうダメだぁあああああ! 絶対勝てないよこれっ。この勇者さんの魔法ハンパないよ。なんか一段とすごい事になっちゃったよ! マジヤバいよ! もうなんかすんごいパワーアップしちゃった感じがバシバシ伝わってくるよ!!」
恐怖のあまり壊れ始めた魔王様を、ローレルが叱咤すべく手で制した。
「魔王様っ! 威厳、威厳ですっ!! どんな時も威厳を!」
「いやローレルさんこの状況で威厳とかそんなコト言ってる場合じゃない気がするんですけどみたいな感じなんですけどぉ!?」
焦りすぎて魔王様もかなり混乱しているらしい。
本来なら、臣下の前では絶対に見せないであろう口調であった。
この世の者とは思えない奇跡の女勇者に首を狙われれば、いかに魔王国の頂きに立つ者とはいえ仕方がないと言える。おそろしい奇跡のオーラをまとい、その目をらんらんと光らせたヒト科ヒト属の異常生物が、一歩また一歩と近づいてくるのだ。
「ふしゅぅうううううっ、こほぉおおおおおっ!!」
奇跡のオーラを全身から風の如く放ち、リエットは口から白煙を立ち上らせていた。
奇跡の勇者なのか、冥界の化け物なのか。
もはや区別がつかない様相だ。
魔王は片手を突っ張り、リエットを制止しようと目を剥いていた。
「ま、待て! 待ってくれ、女勇者リエットよ!!」
「笑止っ、私が待つのは放置プレイと熱い蝋燭の一滴目のみですわ」
リエットの目には一切の迷いが無かった。その人間性は魔界の迷宮を彷徨い続けているというのに、欲望だけは小気味よいほど一直線だ。
腰を抜かしたらしい魔王様は、リエットを見上げながら懇願を始めた。
「ざ、財宝の全てをくれてやるっ。和睦しよう! 今魔王国が崩壊すれば、戦乱の世に逆戻りしてしまう。秩序が乱れ、再び民が苦しむっ。オレを殺しても良い! この命などいくらでもくれてやる! 縊り殺したいのならそうするがいい! だがどうかっ、もう少しだけ待ってくれっ。治世が安定するまで、もうちょっとなんだ。この魔王国だけは、民の生活だけは助けてはくれないか!? 民は皆、あなたを称賛するぞ!」
「称賛など不要ですわ」
魔王の言葉をリエットは一笑に付し、剣の切っ先で魔王を狙った。
「侮蔑こそ我が覇道……魔王っ、いざ覚悟!!」
「すとぉおおおおおおおっぷ!! ちょい待ちです、リエット様っ!」
クルトンが声を張り上げると、リエットはせせら笑った。
「ふっ、何を今さら、見苦しい」
せせら笑いながらも、しかし、魔王の喉首を狙ったトドメの構えのまま、リエットはぴたりと止まっている。クルトンを完全には無視していない。言葉一つ誤るだけで魔王のそっ首が吹っ飛ぶこの状況下、リエットの心へと斬り込む言葉をクルトンは必死で探していた。
諦めの悪さこそ密偵に必要なモノ――
尊敬する先輩から頂いた言葉を胸にして、クルトンはリエットへと一歩踏み込んだ。
だが、リエットの嘲笑の目はクルトンを貫いている。
「卑劣な裏切り者と知れたあなたの言葉に、わたくしが耳を貸すとでも?」
リエットの問いかけには答えず、クルトンは距離を詰めて腹の底に力を込めた。
「あなたはあらゆる人間から蔑まれるチャンスをふいにするんですかっ!!」
「……?」
戸惑うように首を傾げるリエットへ、クルトンはさらに詰め寄った。
守りも退きもない。攻めあるのみだ。
全身から声を出そうと、クルトンは力を漲らせた。
「勇者でありながら魔王軍の軍門に下る。ましてや、魔王を倒せる一歩手前まで追い込んでおいて、取引するなんて、神に仇名す最低最悪のカスの極みの様なメスブタとして、世界の半分の人間から一生蔑まれて余生を過ごせるんですよ!!」
クルトンの迫力と言葉に気圧されたのか、リエットの瞳が揺らいでいた。
「……せ、世界の半分から蔑まれるのは、魔王を倒しても同じこと――」
「いいえ!! 同じじゃありません」
クルトンは言い切った。
リエットが興味深そうにクルトンを見てくる。
「……それはどういう事ですの?」
「上手くやれば世界の半分なんてもんじゃないです。魔王国の者たちは初志や約束を重んじる者が多く、仁義を尊いものであるとしています! 魔王国内部からも、ソタナフマ連合の同胞を捨てたクズの裏切り者として、常に不信と猜疑の目を向けられ、そりゃ表向きは歓迎されたとしても、心の中では反吐のように扱われるはずです!」
クルトンが大声で断じると、リエットは目を白黒させた。
「……なん、です、って……?」
「裏切り者とはそういうものですっ。世界の半分から蔑まれるより、世界の全てから蔑まれたいっ――……そうは思わないんですかっ!? リエット様!!」
クルトンの言葉に、リエットは驚愕に目を見開きながら身体を震わせた。
「そ、そそそっ――その発想はありませんでしたわ!!!」
「俺もこんな発想する事になるとは思いませんでしたよ!!!」
クルトンは声が枯れるほどの大きさでそう答えた。
魔王城中にそのツッコミは響き渡った。
こうして魔王国は辛くも生きながらえ、世紀のうらぎりものが誕生した。
元勇者リエット。
リエット・アンジュ・ド・トゥール。
その名を口にする事すら汚らわしい、人族最強にして最大の謀反人。
彼女はその後も数多くの伝説を作ったという。
侮蔑と嫌悪と憐憫と憤怒と憧憬と嘲笑と、なんと言って良いのか形容しがたい複雑な感情を込め、人々は彼女を様々に呼称した。
『希代のメスブタ』
『誇り高き変質者』
『寝取られクイーン』
『金色のド変態』
そのいずれもが彼女には相応しい称号であったと、歴史書に記されている。
終わり
う。ら。ぎ。り。も。の。 喜多川 信 @kitashin
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