第20話




     17



 遥か遠くから山の頂きを眺めるだけでも、見えていた魔王城。近づくとその大きさは半端ではない。世界の半分を統べる魔王の城に相応しく、この世の物とは思えない。ソタナフマ連合の国力・技術力では絶対に築けない巨大な城だ。


 標高は高い。


 本来なら夏以外は雪に覆われていなければならない場所だが、心地の良い風と柔らかな緑、そして花々に満ちて居る。高山病を恐れる必要も無く、息を吸う事も全く問題ない。この標高では育つはずの無い、背の高い樹々が見える。すぐ近くに豊かな畑や牧草地が広がっていたように、強大な魔法で環境すら作り変えているのだ。


 なにせ、魔法研究の最精鋭たちが集い、日夜研鑽している地でもある。己が地の厳しさをバネにしてこそ知恵は育つもの――初代魔王の遺訓を体現している。


(とうとう、着いてしまった……)


 魔王城の真ん前に立ち、クルトンはごくりと喉を鳴らした。

 泣いても笑っても、これが最後だ。


 魔王城の正面扉を押し開け、リエットは侵入した。リエットの襲来を見越しての事か、戦力にならない一般兵や情報士官、女中や出入り業者などの姿は見えない。


 魔王城一階広間には、武器を持った鎧の像だけ。


 佐官軍人を次々と撃破した勇者に対して、城の防戦兵器など役に立たぬと判断したのか、魔王城門前からほぼ何事も無くリエットはここまでやって来ていた。


 不気味なほど静まり返った城の中で、リエットの靴の音が響いている。

 もはや頼れる希望は一つ。


「よくぞここまで参った、勇者よ! その鋼の意志、敵ながら見事!」


 その希望がようやく現れ、クルトンはほっとした。病気や食中毒で全員欠席、などという予感が二日前の晩あたりから、クルトンの脳裏にこびりついて離れなかったのだ。


 四つの人影がリエットの前に立ち塞がる。

 その四人の鎧姿をみとめ、リエットは剣を抜き放ってひゅっと一振りした。


 そんなリエットの戦意に応じるように、四つの人影はポーズをとった。


「我が名はパスタ。人呼んで、『鋼鉄のパスタ』である」

「自分はマカロニであります! 『溶解のマカロニ』の名で通っております!」

「おいは、ペンネ。『白炎のペンネ』、言われとりもす」

「……フジッリ……『螺旋のフジッリ』……よろしく、ね……」


 魔王近衛隊四天王が一階広間に勢ぞろいし、それぞれ名乗りを上げた。


 筋骨隆々の黒い重装鎧がパスタ、緑の軍服鎧を着こなす細面がマカロニ、両手両足を露出した巨漢の白鎧がペンネ、小柄なローブ姿から真紅の鎧をのぞかせるのがフジッリだ。


 四天王に対して、リエットは丁寧に一礼をした。


「リエットと申します。リエット・アンジュ・ド・トゥール。あなた方四人を打ち倒し、魔王の首をもらい受ける者の名ですわ。どうぞ、心にお留めおきを」


 リエットがそう言うと、鋼鉄のパスタが頷いた。


「うむっ、その心意気、実に良し!」


 パスタは重装鎧をかちゃかちゃとさせつつ、腕を組んでそう言った。


「では、はじめましょう、いざ!」

「あいや、待たれよ、勇者」


 せっかちなリエットを、パスタが手で制した。

 飛びかかろうとしたリエットがつんのめっている。


「……な、なんですの?」

「我らは誇り高き武人。そなたもここまで、数々の戦いをくぐり抜けたモノノフとお見受けする。最上階の魔王の座までの四階層、我らが一人ずつお相手致そう!」


 パスタは自信満々にそう言った。

 リエットの実力を考えればありえない申し出だ。


 クルトンは目をひん剥いた。


(四人で囲んでボコってください! 武人の誇りとかほんとどうでもいいんで!!)


 クルトンの心の叫びを、しかし現実に放った者が居た。


「四天王たち、魔王様の命です。四人がかりで行きなさい!!」


 それは誰あろう、ローレルであった。

 軽装鎧の上に青の羽織を身に付け、鉄棒を構える鉢巻き姿は颯爽としている。兎耳族特有の立派な耳はぴんと張り、その表情は髪を逆立てる勢いだった。


 さらに、ローレルの背後には人影があった。四天王やローレルの身に付ける実戦的な鎧とは違う、目を惹く金銀装飾と鮮やかな彩りの鎧を身に付けた、その姿。


 戦場で核となるための、魔王国の象徴にして命ともいえる、いくさのこしらえ。その風貌をみて、クルトンはぶったまげてしまい、四天王は目を見張った。


「ま、魔王様でありますか!?」

「……なんで……ここに……?」

「ここは危険でごわす!」

「お、お下がりください魔王様! 御自ら勇者の目前に足を運ばれるなど、前例がありません! ローレル殿っ、いったいあなたは何を考えて――」


 四天王は口々に魔王を気遣ったが、ローレルは息を大きく吸い込んだ。


「魔王様の御覚悟を心得なさい、四天王!!」


 動揺する四天王を、ローレルが強い剣幕で一喝した。普段は地味な顔立ちで理知的に話し、声を荒げる事などめったにない分、ローレルの迫力は尋常ではない。


 頼もしすぎる上司だ。


(一生ついていきますローレル様っ!!)


 心の中でそう叫び、クルトンは誓いを立てた。

 だが四天王たちは、未だに困惑している。


「……む? ローレル殿、し、しかし。我ら四天王の伝統として――」

「伝統など忘れなさいっ! 今一時だけで良いですから!」


 ローレルは言い放ったが、パスタは退かなかった。


「たとえ一時といえど、それでは先代の四天王に面目が……」

「それほどの強敵だと言っているのです! こうして勇者の眼前に御出でになったのですよ! 魔王様御自ら伝統を曲げてでも、国家存亡の大事に挑もうとなさっているのですっ。四天王たるあなた方が、魔王様のその心意気に背くのですか!?」


 ローレルに押し切られる形で、パスタは他の四天王たちの顔を見た。


「うむむ……わ、わかりました! みな、よいな!?」

「了解であります!」

「パスタさぁがそげん言うなら、おいは分かりもした」

「…………ローレル……正論……フジッリ、従う……」


 四天王も納得してくれたらしい。

 クルトンは心の中で盛大に拍手し続けた。


(ナイスです!! さすがローレル様!!)


 中央情報局の長だけあって、情け容赦のない合理性だった。

 あらかじめ魔王を説得し、わざわざ四天王のいる階層まで連れて来て、組織のしがらみや伝統をぶち抜き、戦力の集中かつ士気を高めるという徹底ぶり。


 魔王様を動かしてしまうなんて、奇策中の奇策だ。

 だが、四天王を動かせた。


 戦力の集中は基本。火力を一点集中させて、強敵を撃破する。ローレルの目論見は完全に成功した。これでリエットを複数でタコ殴りにできるのだ。


(惚れ直しますよ、その手並み!)


 ローレルの勇姿にクルトンは感嘆した。

 リエットは平然と身構えているが、戦いの趨勢はローレルに傾いている。


 勝利は間違いないとクルトンが両手を握り締めると、ローレルが虚空を手で薙ぎ払った。


「行きますよ、四天王! 魔王様と魔王国のために!!」


 士気を鼓舞するローレルの美声が、魔王城に轟く。

 先陣を切ってローレルがリエットへ襲い掛かり、四天王もそれに続いた。


 ローレルも四天王も自動魔法の使い手だ。それぞれ一騎当千の力を持ちつつも、たった一人のリエット相手に油断せず、連携を重視して攻撃を加えていく。


「――ぐっ!? くう!?」


 さしものリエットも、瞬く間に劣勢に追い込まれた。


 四天王たちの猛攻をしのごうとするも、剣は刃こぼれでひん曲がり、軽装鎧は捻じ曲げられて剥がれ落ち、服は焼かれ溶け落ちボロと化し、美しい髪が切り裂かれていく。


 マカロニの溶解液やペンネの白炎、フジッリの螺旋念動と言った魔法が次々とリエットを襲うのだ。魔法に気を取られれば、パスタの鋼鉄の拳と、ローレルの凄まじい棒術が挟撃してくる。魔王軍が誇る精鋭戦士五人による、見事すぎる連携攻撃。


 いかなリエットでも、猛者五人相手では太刀打ちできないようであった。


 後ろから不意をついたローレルの鉄棒によって、リエットは致命の一撃を浴びた。壁へと叩きつけられたリエットは、ついに立ち上がる事もままならず四つん這いとなる。


 もはや剣を握る力すらなくなっているようだった。

 勝負あったと、ローレルが棒を構えなおしながら、高らかに胸を反らした。


「ふふふっ。随分手こずらせてくれましたね、勇者リエット。ですが、これで終わりです。我が手塩にかけた弟子を、危うく国家滅亡の大罪人にするところでした」

「……で、弟子? 手塩にかけた……?」


 リエットが困惑している。

 クルトンも困惑した。


(ちょっとローレルさま、一体何を!? 報告書であれほど――)


 クルトンは押し止めようとしたが、勝利を確信したローレルは止まらなかった。


 なにせ、リエットによって一番辛酸を舐めさせられていたのはローレルなのだ。クルトンの各種要請に応えるべく、関係各所への様々な根回しなどで寝る間もなかったのだろう。


 通常業務でさえ局長としてローレルの仕事量は多い。

 多忙を極めたはずだ。


 縦割り組織の壁を崩して力を引き出すのは、尋常ならざるエネルギーが必要だ。愚痴や不満をなだめすかし、気配りをしつつ、時に理不尽で無理解な叱責や悪口を浴びせられる事もあったろう。ローレルの目の下のクマがその証だ。


 無茶な仕事でも手を抜かない。ローレルは非常に真面目な性格なのだ。

 ストレスの元凶であった女勇者が目の前で瀕死の状態なら、トドメの一言として、嫌みや憎まれ口の一つでも叩きたくなるのが情というものだろう。


 ローレルは悪女の如き微笑みを浮かべて、リエットを見下ろしていた。


「この状況でもまだ気づいて居なかったとは。我が愛しの弟子、クルトンを信じているとは。おぼこいこと、勇者さん。いえ、クルトンの手並みが見事だったと言うべきですね」

「う、うそ、ですわ……汚らわしい、嘘を……!」


 リエットは手を薙ぎ払って否定したが、ローレルは止まらない。


「考えてもみなさい。刺客が正確にあなたの元まで辿りつき、行き先に強力な魔王軍人が待ち構えていたでしょう? すぐそばに内通者が居なければ不可能です。それに、この手配書の似顔絵……どうです? あなたの顔が良く描けているでしょう?」


 そう言ってローレルは懐から手配書を出し、リエットへと投げてよこした。


「……そ、それは……その絵はっ……!」


 リエットが目を見開いた。


 ローレルの見せた手配書の似顔絵、それと酷似した絵をリエットも持っている。まぎれもなく、フシギトの地でクルトンが描いてくれたものだ。


 クルトンとしても言い逃れのしようがない。

 これは動かざる裏切りの証拠以外の、何物でもなかった。


「……そ、そんな、……く、くる……とん……が?」


 信じがたい、という眼差しでリエットがクルトンを見つめている。

 クルトンは目をそらしてしまい、リエットの気づきに輪をかけてしまった。


「り、リエットさま……いや、その……」

「あ、あなたがまさか……そんな。わたしくを、裏切って……今までの旅も、私を安心させるため? 全ては演技? ま、まさか、フォンデュの寝取られも、あなたの策略? そうして出来た私の心の隙につけ込むため? 最初からわたくし、を、陥れるため……の?」

「…………あ…………」


 魔王国、詰んだ。

 ごく当たり前のようにクルトンはそう思った。




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