終章「魔の王」
第19話
16
クルトンが通話呪符を耳に当てると、ローレルの愚痴が止まらなかった。
『魔王様の言う事すら聞かないくせに、たまに聞いた時は本当に凄まじい実力を発揮するのです。それゆえ、本来ならとっくに魔王軍を放逐されているはずの命令無視を繰り返しているというのに、いまだに少佐の位を与えられている。特殊遊撃隊というのも、あまりに身勝手な彼女をなんとか軍内部で位置づけるために、仕方なく作った組織ですから』
ローレルは苦々しげだった。
クルトンも頷くより他はない。
ゼラチンが真面目に働いていれば、リエットは仕留められたのだ。
『クルトン、あなたは女勇者に信頼されている。この際、手段は選んでいられません。密偵である事が露見するリスクを取ってでも、もう少し大胆に動けばリエットを必ずや――』
「違うんです、違うんですよ、ローレル様!」
クルトンはローレルの言葉を遮った。
『何が違うのですか!?』
「もし私が密偵と露見すれば、あの人、絶対喜んで滅茶苦茶な力を発揮しますよ! 初めのダンジョンでも、フォン・ド・ボー先輩の時もそうでしたもん!!」
『な、何を意味不明な事を! 近頃のあなたは変ですよっ、クルトン!』
ローレル様の口調が強い。
いつもは包み込むような落ち着きがあるというのに、かなり追い込まれているようだ。なにせ、予言にある魔王を打ち倒す奇跡の勇者候補が、魔王城の目前に迫っているのだ。
『報告書でもそうです。イベリコ中佐が離婚裁判をマゾプレイだと考えている変態だとか、ノイト大佐がサドの女王様で深淵のメス豚がどうのこうので敗北したとか。偉大な軍人たちに対する侮辱です。伝書鳥の無駄使いと言わざるを得ません』
「い、いや……で、でも……!」
『なんです?』
「……だったら、ローレル様は、あの佐官軍人たちがどういう人物だとお考えで?」
『イベリコ中佐は人望の厚い素晴らしい軍人です。海兵隊を率いた陸戦で数々の功績をあげ、大佐への昇進を蹴ってでも部下を庇い、その手柄のほとんどを部下に譲って報いようとするほどの豪傑。その奥さんは、それはそれは恐ろしい人です。泥沼離婚裁判のストレスがたたって、すこし精神的に不安定になる事もあるでしょう。ノイト大佐は自他ともに厳しい方です。それもすべては魔王国と魔王様、そして民の安寧を想い、軍人としての職務に励むからこそ。その厳しさが周囲の人間にはまるでサディストのように見える事もあるかもしれません。……クルトン、何事も一側面から判断してはいけませんよ』
ローレル様はあくまでも魔王軍人への評価を変えないらしい。
(ほんっと真面目だなぁ、ローレル様……いや、そこが素敵なトコなんだけどっ)
解釈が真面目すぎて全然正しくない。ドM冷凍焼き豚はマゾでしかないし、メス豚女王様はサドでしかない。クルトンが見てきた限り、それが真実だ。
『とにかく、もう後がありません。中央情報局の中にはあなたがソタナフマに寝返っているのではと、そんな不埒な噂を流す者まで出てきている始末です。粉骨砕身、任務に邁進しなさい、クルトン。手に負えぬ場合は味方に引き込むなり、魔王討伐以外の生き甲斐を与えるなり、いくらでもやりようはあるでしょう!』
ローレルはそう言うなり、通話を切ってしまった。
魔王城はかなりドタバタとしているようだ。なにせ国家の一大事だ。尋常ならざる焦りと緊張が、通話呪符越しにひしひしと伝わってきた。
(ま、まずいぞ……そうとう不味い事態だ……でも――)
クルトンは半泣きだった。
(リエットみたいな空前絶後の変質者をどうやって味方につけろって言うんだ!?)
教えてほしいとクルトンは思ったが、それを考えるのが自分の仕事なのだ。
もう事態は予断を許さない。
魔王城は目と鼻の先だ。
(リエットに寝返りを促す? そうすれば人族連合から恨まれてハッピーになれるから、別に魔王を倒す必要なんて……という感じで? いや、無駄だ。魔王を倒す事をマゾ・プレイの延長として考えているような、ド変態勇者だぞ……)
クルトンには簡単に想像がついた。
リエットなら、きっとこう返してくる。
「ソタナフマ連合など裏切っても、その民がちゃんと恨んでくれるのか微妙です。なにせ治世能力が欠如していますから。魔王国の民の方が魔王への思い入れは遥かに強い。善政を敷いていますからね。より多くの蔑みを得られるのは間違いありませんわ。民の質が違います。ソタナフマ連合の地では野盗に何度か襲われましたが、魔王国側に入ってからは、魔王軍の手の者などに襲われる事はあっても、野盗の類は一切見かけませんでしたもの」
言う。
まちがいなく、そう言う。
リエットなら、それくらいの事は涼しい顔で言ってのける。
(なにより、寝返りを示唆するためには、俺が魔王国の手のものである事を、リエットにばらしてしまう事になる……それはまずい)
下手な事は出来ない。
勇者潰しのフォン・ド・ボーの一件を、クルトンは思い出した。
(もしリエットに自分が密偵だと知られたら……)
リエットは超絶なパワーアップを成し遂げるだろう。
魔術と奇跡は精神に強く影響される。自動魔法でも同じことだ。凄まじい力を発揮する事もあれば、その逆もまたしかり。魔術師たちが戦いの最中であろうがしゃべり、舌戦によって精神攻撃を仕掛けるのは、相手の心を乱してパワーダウンさせるためだ。
文明レベルの低いソタナフマ連合側では、そう言った初歩的な事も教えられてはいないようだが、まったく油断はならない。リエットクラスの『神の奇跡』の使い手ともなると、本能的にそれを察知しているきらいがあるのだ。
(イベリコ様のときも、ノイト様の時も、リエットは舌戦によって必ず相手を精神的に追い込んでいた。そうする事が有利だと嗅ぎ取っていたんだ……勇者リエットは、予言にある奇跡の勇者である可能性が現時点でもかなり高い)
そんな天賦の化け物を、さらに成長させてしまったら……
考えだだけでクルトンは蒼くなった。
(もう絶対に……絶対に俺が密偵だと、バレてはいけない……)
ではどうする?
リエットの魔王を倒すという意志は実に強固だ。
べつの目的や動機を与えて目を逸らす、などという事は通じない。なにせもう、目の前に魔王城があるのだ。西の要塞もぶち抜いて、魔王討伐への自信もつけてしまった。この流れを変えるほどの別の餌など、他の勇者なら露知らず、リエット相手にはない。
リエットをすぐ傍で見て来たからこそ、クルトンにはその事が良く分かる。
(……あ、あれ……? こ、これ……詰んでない?)
クルトンは足の感覚がおぼつかなくなった。
魔王城の守備を高めるなど、ごく当たり前の事しか浮かんでこない。
そんなことはローレルがとっくに手配しているだろう。なにより、そんな当たり前で、当たり前から最も遠い所で生きているリエットに対処ができるか?
極めて不安と言わざるを得ない。
事態を良い方向へ持って行けるビジョンが、クルトンには何一つ浮かんでこない。重い空気がギリギリと大蛇の様にクルトンの首元を締め上げていく。
(つ、詰んでないよね? まだ魔王城には四天王とか居るんだし。まだ、まだ希望はあるよね? ……ぎりぎり、そうっ、ぎりぎり詰んでないよね? で、でも……あ、あれ? どっちなんだ? 見えてる希望に縋っていいのか? ど、どどっ、どうしよう……?)
クルトンは頭を抱えた。
ともかく自分が魔王国の工作員である事はリエットに露見してはいけない。ローレル様にもそう伝えておこう。魔王様の生死に直結しかねないほどの、重要事項として。
「どうしたのです、クルトン? 顔が青いですわよ?」
リエットに呼びかけられ、クルトンははっとして顔を上げた。
タルタルの手綱を持ちながら、意識が遠くに飛んでしまっていたらしい。
「ははっ、さすがにその、魔王城が目の前ですから……」
クルトンがそう言い訳をすると、リエットが微笑んだ。
「もうすぐ魔王との決戦。不安は分かりますが、大丈夫。あなたと二人なら、必ずや、奇跡の勇者として魔王を討ち滅ぼす事ができますわ……ああ、ごめんなさい、タルタル。もちろん、あなたも含めてですわ。二人と一頭なら、必ずや」
ぶるふふっ、とタルタルが鼻を鳴らして首を振ったので、リエットはそう言葉を訂正して笑っていた。戦神すら篭絡してしまうであろう、女神のような笑い声だった。
恐ろしいほど信頼されている。
いや、恐ろしい。
こんな意味で信頼が恐ろしく感じるとは、クルトンは思いもよらなかった。
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