第18話
「ふふっ、今さら気付いてももう遅いわ、愚かな勇者さん」
(な、なにぃ!?)
クルトンは目をひん剥いてゼラチンを見た。
生まれてこのかた、ここまで驚いたことがないほどクルトンは驚いた。
(リエットが勇者だと気付いていたのか!? 馬鹿でもアホでもなかった!? す、全て演技っ……!? あの青空マッサージ美肌サロンも、やはり、すべてはリエットの警戒心を解くためだった!? 魔王軍人の佐官クラスにも、ちゃんとした人がいるんだ!!)
クルトンは少しうるっときた。
ゼラチンの雄姿が輝いて見えて仕方ない。
ようやく、真面目に仕事をする佐官軍人が現れたのだ。
クルトンが戦う場面を直接見た事のある佐官クラスの人物といえば、今のところ、恐妻との離婚裁判を楽しむドM豚野郎と、命懸けで鞭をふるうサドの女王様くらいだった。
ぶっちゃけ、ろくな奴いねぇな佐官軍人って――
などとクルトンは思い始めていたのだ。
(やっと……この魔王城一歩手前という崖っぷちで、やっと……!)
本当に頼もしい助っ人がやってきてくれていたのだ。
自分の浅慮を恥じ、クルトンは決意した。『一生逆立ちで生活しますっ』と。そんなクルトンの期待に応えるように、ゼラチンは圧倒的な強者のオーラを放っている。そして、動揺しているリエットを、ゼラチンは圧倒的な強者の余裕を漂わせつつ手のひらで示した。
「油断したわね、リエットさん。変わり果てた自分の身体をよく見て御覧なさい!!」
「な!? そんなっ、こ、これは――!?」
自らの身体の異変を感じ取ったのか、リエットが愕然としている。
感動のあまり、クルトンは涙が出てきた。
(さすが魔王軍特殊遊撃隊、ゼラチン少佐っ。一体どのような罠を――)
「おーっほっほっほっ、あなたのお肌はすべすべよ!!」
「ふんっぬ!」
クルトンは自分の右太ももを力いっぱい叩いた。
数秒前に抱いた心からの尊敬と期待を返せ! 言葉に出来ないムシャクシャを、クルトンは自分の右太ももにぶつけるしかなかった。
「っ!? !?!?!?」
リエットですら困惑していた。
そもそもゼラチンに害意があればリエットの回避系奇跡が発動するはずで、ゼラチンにはそんなものが一切なかった事など一目瞭然であった。
期待したクルトンが馬鹿だったのだ。
「ところで、どうなさったのです? リエットさんに、クルトンさん。そんな身構えて」
ゼラチンはあっけらかんとしていた。
なんだか戦闘態勢を取りかけた自分の方が場違いなのかと、リエットが何とも言えない顔をしつつ、抜き放った剣を持て余し、ためらいながらも鞘に納めている。
クルトンは頬をぴくぴくさせながら、ゼラチンにたずねてみた。
「すいません、ちょっとお伺いしたいんですけども」
「なんでしょう?」
「……あなたは、その……リエット様を暗殺しようとしていたんじゃ……?」
「暗殺? どうして私が?」
心底不思議そうにゼラチンは首を傾げていた。
クルトンは頭痛を堪えながら、さらに踏み込んだ。
「いや、どうしてって……あなたは魔王軍人、な訳ですよね……?」
「ええ、そうですよ。大変ありがたい事に、私は軍からお給料を頂いている身です」
「だったら、その……勇者は敵なんじゃ、ないかなぁ、って……」
クルトンがそう言うと、ゼラチンは顎に指を当てた。
「そうですねぇ。仕事中ならそうかもしれませんけど、今、オフですから」
「で、でもっ……め、命令とか、出てるんじゃ……?」
仕事をする気のないゼラチンに仕事をさせるべく、クルトンは続けた。
「それで、ここに来たんじゃ?」
「……ああ、まあ……そういえばそんな命令も出ていましたね。でもまあ、それはそれ、これはこれですから。軍の命令より目前の者の美肌……当然の事です」
ゼラチンは言い切った。
(当然じゃねぇよ)
命令無視とか軍法会議で極刑ものだよ。
なにしれっとした顔で言ってんの、ほんと……とクルトンは思った。
その時、ひゅんひゅんっと音がした。
クルトンの真横で、鋭い衝突音が小気味良いリズムを打つ。
そこでやっと、それが横殴りの矢の雨であったことにクルトンは気付いた。リエットの回避系奇跡が発動していない。それも当然だろう。なにせ、リエット目掛けて飛び込んで来た矢の雨を、ゼラチンが土の盾で防ぎきったのだから。
矢を放った兵士の小隊が、少し離れた場所に見える。
兵士たちは背丈の高い草に身を隠し、こっそりと近づいて来ていたらしい。矢で仕損じたと見るや武器を持ち替え、隊列を組んで突撃してきた。
先ほどの矢の雨で、美肌を取り戻したリエットの肌にうっすらと切り傷ができている。血すらにじまない、ひっかき傷のような物だ。矢じりに毒が仕込まれている事もない。リエットの回避系奇跡が反応しなかった事から分かる。
しかしゼラチンの反応は違った。
「り、リエットさん!? だ、大丈夫ですか!?」
兵士たちに背を向け、過保護な親のようにリエットの顔を覗きこんでいる。
「ゼラチン少佐殿、お下がりください!」
「ここは我らが!」
「勇者っ、お命頂戴!」
リエットに襲い掛かろうと駆けていた兵士数名が、一斉にすっ転んだ。
「ぐぁあああ!?」
「ぎぃやぁ!?」
「がっ、くっ、うぅ……!!」
転んだ兵士たちは足首の部分を押さえ、もだえ苦しんでいる。
何が起こったのか、クルトンにはすぐ分からなかった。だが、兵士たちの激痛がゼラチンによって引き起こされたものだという事は辛うじて分かる。
兵士たちの服装は一般兵のそれでも、使用する武器が全くバラバラである事から、凡百の兵士でないのは明らかだ。鎧も使い込まれている。おそらく相当の戦闘経験を積んだ暗殺部隊。どうやらゼラチンとは別の部隊のようだが、戦闘のエキスパートたちだろう。
連携行動で流れるような挟撃をしかけようとしてきたが、ゼラチンはより上を行っていた。そんなエキスパート兵たちの不意打ちを、軽くひねり潰してしまったのだ。
クルトンはピンときた。
(こ、これが……これが噂に聞く、ゼラチンの魔法っ。骨のコラーゲンを一瞬で分解し、走るだけで骨折するほど骨をスカスカにしてしまったのか……)
元々はゴーレムの関節部分の動きを滑らかにするための補助魔法だったのだが、ゼラチンが改良に改良を重ね美肌魔法とし、さらにそれを攻撃に転用したのだ。
ゆえに、土系魔法の使い手であるゼラチンはこう呼ばれる。
(『骨折の美魔女』……その名は伊達では無いということか……えげつない……)
転がる兵士たちの苦悶の表情に、クルトンは背筋を凍らせた。
そんなクルトンの寒気を掻き立てるように、ゼラチンがぎろりと兵士たちを睨んだ。
「…………まったく……どこの部隊の者か知りませんが、行儀作法のなっていない犬どもですね。よりにもよって、美肌の時間を邪魔するとは。どうやらあなた方は、真夏の直射日光にすら劣る連中のようです。お肌の敵は、私の敵…………」
なんだか恐ろしい事を口走りつつ、ゼラチンは兵士たちと対峙した。
「ま、待ってください少佐殿!」
リーダー格らしき兵士が、慌てて声を上げて続けた。
「なぜ我々と敵対なさるのですか!? 味方同士ではありませんかっ。我らの敵はそちらの勇者です! 西の鉄壁要塞が抜かれるかもしれない聞きつけ、魔王様の窮地を何とかするために、我々は不眠不休でここまで駆けつけて――」
「……なん……ですって?」
「ですから、魔王様の窮地に不眠不休で一日も早くと」
「不眠……不休……?」
「そうです! そこまで頑張って我々はここまで――……しょ、少佐、どの……?」
駆けつけた兵士たちは、ゼラチンの雰囲気にたじろいだ。
兵士たちが困惑して当然だろう。ゼラチンの両の眼は憤怒に染まり、その憤怒は、味方であるはずの兵士たちに向けられていたのだ。
「ぬっ、抜かしたなぁ……!!」
怒髪天を衝く、とはこの事か。
ゼラチンは土色のオーラを全身から放ち、地面がびりびりと震えていた。
「お肌に一番やってはいけない事を、よくもぬけぬけとっ、ぬかしたなぁ!? 繊維芽細胞への度重なる冒涜!! 許さんっ、許さんぞ貴様らぁ!! 自分の罪を数えろぉ!」
「へ? いや、ちょっと!?」
兵士たちの困惑は、クルトンには見ていられないほど哀れだった。
「お肌への大逆無道! もはや死すら生ぬるい! 虐げられしコラーゲンとエラスチン、ヒアルロン酸の名の下に、裁きの鉄槌を下してやろう!!」
「少佐殿!? 我々はっ、味方っ! 味方です!」
聴く耳持たぬと、ゼラチンが天空へと両手を掲げると、地響きが始まった。ゼラチンの背後から巨大な土柱が青空へと伸びあがっている。
間欠泉が噴き出すように勢いよく、土砂が空へと形をなしていく。
それは彫刻を思わせるほど美しく、ひたすら大きい、滑らかな土の剛腕だった。
陽の光すら遮り、草原を暗く染めていた。
(……な、なんだ、この土魔法……す、すごすぎる……)
多少魔法の心得があるクルトンだからこそ、あんぐりと口を開けてしまう。
魔法の規模がおかしい。
おそらく、城一つでもゼラチンなら一分とかからずに埋葬してしまう事だろう。
土木建築の能力が戦いの優劣を決定すると言っても過言ではなく、ゼラチンはたった一人で戦局すら変えてしまえるはずだ。実力だけなら大佐クラスさえ凌駕していると断言できる、とんでもない上位魔法だった。リエットすら倒せるかもしれない。
兵士たちは逃げる事すら許されなかった。
足元が瞬く間に液状化し、沼のように膝までぐっぽりとはまっていたのだ。もがけどももがけども、抜け出る事ができないでいる。ゼラチンは抜け目がない。
真下には底なし沼、真上には大地の剛腕。
その間には絶望しかなかった。
「――ちょっ、ま、待って! お願いですっ、待ってください少佐殿! わ、我々はみか、味方っ、味方なのにぃいいいいいいいいいいいぃ!!」
正論過ぎる兵士たちの魂の叫びが、切なすぎて涙を誘う。
エリート暗殺部隊に、抵抗する術などなかった。リエットの手を煩わすまでもなく、ゼラチンによって一掃されてしまったのだ。
「美肌の存在を汚した者に、慈悲は必要ありません……」
一仕事を終えたゼラチンは、手をぱんぱんとはたいていた。
魔王国のために不眠不休で駆けつけて来てくれた、涙失くしては語れないほどの救国の志士たちは哀れ、ことごとく気絶して液状化した地面に沈んでいた。
気絶した兵士一人ひとりが泥まみれで、まるで集団で半身浴でもしているかのように、泥の浴槽にぷかぷかと綺麗に並んで浮いていた。おそらく溺れない様にゼラチンが配慮しているのだろう、土の台か何かで兵士たちの体は支えられているらしい。
あれほど大規模な魔法を行使していながら、クルトンが見るかぎり、一人の死者も出していないらしい。それほど繊細に魔法を操っていたのだ。
間違いない。ゼラチンはリエットを凌駕する力を持っている。
持っているのにもかかわらず――
(なんでこうなった……?)
クルトンは訳が分からなかった。
どうしてこうなった?
なにをどうしたらこうなるんだ?
百歩譲ってリエットと戦わない事は分かるとしよう。なぜにっ、真面目に仕事をしようとした兵士さんたちを、なぜに、ぶちのめしてしまうんだ?
何万歩譲ってもわからない。
クルトンにはまったく意味が分からない結末だが、ゼラチンは大変ご満悦のようだ。
「干拓地の恵みが与えしその泥パックの中で過ごし、自らの無知と大罪を存分に恥じ、その果てに美肌の尊さを思い知りなさい」
ゼラチンはせめてもの情けだとばかりに、静かにそう告げた。
地面を液状化させたのはそういう目的だったらしい。
クルトンは思った。
(もうやだぁ……もうヤダぁ、魔王軍の佐官軍人……能力はぴか一なのに、なんで、性格がことごとくアレなの……? ほんとなんなの……なんなのこの人……?)
クルトンの嘆きなど露程も知らず、ゼラチンは一礼して手を振った。
「では、リエットさん、クルトンさん。お二人とも、ごきげんよう。またどこかでお会いしましょう。今より美しくなったお肌のあなた方に出会えるよう、精進してくださいね」
「ええ、必ず。ゼラチン様は、どちらへ?」
「美肌を求める者たちが居るかぎり、日傘片手にあらゆる地を巡るのみです」
「すばらしいお志ですわ。応援します」
「あなたも、がんばってくださいね。リエットさん」
いや、勇者ががんばったら魔王倒しちゃうでしょうが。
(あんた仮にも魔王国の軍人なのにそれでいいの!?)
クルトンの心のツッコミなど当然聞こえるはずもなく、骨折の美魔女はゴーレムを作り出して人力車を引かせ、出会った時と同じように去って行った。
こうしてリエット一行はまた一歩近づき、もはや魔王城は目前となってしまった。
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