第五章「骨折の美魔女」

第17話




     15



 結果から言ってしまうと、居なかった。


 西の鉄壁要塞に、リエットを打ち払えるほどの人材……というか化け物、というよりヘンタイは居なかった。へんたい残念である。


「至急人材を鉄壁要塞に集結させてください!」


 クルトンはローレルにそう報告しておいたが、間に合わなかったらしい。

 リエットはあっさりと突破してしまった。


 ヴィアンドの裏切りを受け、さらにノイトとの一戦を経て、リエットの奇跡の力は格段に強くなっているようであった。悲惨な状況になればなるほど、強くなる。


 悪夢のような女勇者、それがリエットだったのだ。


 西の鉄壁要塞の守備は蹴散らされてしまった。大きな鉄門のど真ん中には大穴が空き、蝶番が吹っ飛んで門が取れかけていた。まるで竜が蟻の砦を踏みつぶしたような、「ん? あ、それ君たちの防壁だったんだ。ごめんごめん」という有様であった。


 クルトンは頭を抱えた。

 今までクルトンが懸命にやってきた、養成学校で教わった勇者撲滅の基本戦術がすべて裏目に出てしまっている。基本に忠実であればあるほど、リエットを利するばかり。


 そんな馬鹿なとしか言いようがない。

 クルトンの頭が固いのか、リエットが規格外なのか。

 あるいはその両方か。


(とうとう、ここまで来てしまった……)


 目の前の雄大な景色に、クルトンの胃はきりきりと痛む。


 西の鉄壁要塞を抜けると、そこは草原だった。

 クルトンの目の前には牧草の地と、遠くには麦やじゃがいもの畑が広がっている。刈り取られた牧草が巨大な丸太の様にくるりと巻かれていた。


 飼料用に発酵させているのだろう。牧草の独特の香りがそよ風に乗り、クルトンの鼻をくすぐる。見上げれば、青く澄んだ空の端っこに、羊雲がゆったりと流れていた。


「地面に羊の姿が見えないのは、気持ちの良い空へと登ってしまったからかなぁ」なんて他愛もない考えがクルトンにも浮かんでくるほど、のんびりとした場所だった。

(……さて、どうしよう……?)


 現実逃避を止めて、クルトンは息を大きく吸った。


 まだ距離はあるものの、魔王城が見えるのだ。ソタナフマ側からでは豆粒ほどにしか見えなかったその城が、輪郭がくっきりと見える程度になっている。


 奇跡の勇者としか思えないリエットが、魔王城を目前としているのだ。通話呪符越しではあったが、ローレルのてんやわんやっぷりも尋常ではなかった。


(のんびりしている場合じゃない……)


 すこしでも時間を稼ごうと、クルトンは何かと理由をつけて、リエットに多く休憩をはさませていた。タルタルに牧草を食ませる、そんな昼の休憩時だった。


 リエットの金色の髪を結わい直す手伝いをクルトンがしていると、リエットが首を傾げたのだ。どうしたのかとクルトンが様子をうかがうと、リエットは明後日の方向を見ていた。


「クルトン、あれは、なんでしょう?」


 リエットが遠方を指さした。


 豆粒のような人影が、徐々に大きくなっている。クルトンたちの馬車のほうへとやってきているらしい。ずいぶん大きな人影で、何かをけん引している。


 かなりの早さだ。

 人の脚力で出せるような速度ではない。


 そう見て取って、クルトンはピンときた。


「あれは、おそらくゴーレムですね。土人形です。何かを引いているようですが……」

「荷車かしら? いいえ、違うようですわね」


 リエットが綺麗な眉をくねらせている。

 リエットの髪を結わい直した頃合いに、クルトンはそれが何かやっと分かった。


「人力車ですよ、リエット様。ゴーレムが人力車を引いてるんです」


 クルトンがそう言うと、リエットが驚いた顔をしている。

 土魔法の中でもゴーレムを操るのは上級者のみ。

 リエットは初めて見たと、興味深そうに目を輝かせている。


(あのゴーレムを操っている者は、いったい……?)


 誰なのかと、クルトンは慮った。


 ローレルにはリエットを倒す刺客を派遣するよう、要請してある。あるいはその刺客の一人がやってきたのかもしれない。ゴーレムがやってきたのは、魔王城がある方向からだ。その可能性は十分にあると、クルトンは期待感が膨らんだ。


(すごく滑らかな動きのゴーレムだ……よほどの使い手に違いない)


 クルトンはそう確信した。

 人間四人分はありそうな大きな土人形が、滑らかな動きで人力車を引いていた。まっすぐリエット達へと近づいて来て、ゆっくりと減速して止まる。


 そして、日傘を差した人物が人力車から降りて来た。

 人力車には大きなトランクケースが積んである。おそらく、旅の人だろう。ただ、日傘の女性は、旅装に相応しいとは言い難いドレス姿であった。


 若くはないが、見目好い人だ。


 とんがり耳に高い背丈、近寄るだけで漂ってくる森の香り。森の妖精族のようだが、加齢が顔立ちに現れていると言う事は、混血なのだろう。緑の眼は自信と落ち着きに満ちている。年を重ねるならこういう風に重ねたいと、憧れを抱いてしまう人だった。


(……ん? あれ、この人、どこかで……)


 とクルトンが思い返していると、女性の方から声をかけてきた。


「ごきげんよう。もしかして、お二人は旅の方かしら?」


 とても上品な響きだった。

 リエットと同じく上流階級の出身なのだろう。


「はい、そうですわ」


 リエットが丁寧に礼をすると、森の妖精族の女性も返礼した。


「私はゼラチンと申します、はじめまして」

「はじめまして。わたくしはリエットと申します」


 たおやかに名乗りを終えるなり、ゼラチンはぽんっと両手を合わせて微笑んだ。


「そう、リエットさんと言うのね。……あなた、なかなか良いお肌をしています。しかし、大変もったいない。もっと美しくなれますわ」


 ゼラチンはそう言いながら、リエットの身体をしげしげと眺めている。

 リエットにとても興味があるようだった。


 そのゼラチンの様子に、クルトンはさらに引っかかった。


(……まてよ……ゼラチン?)


 クルトンはその名に聞き覚えがあった。


(……そうだっ! この人は……特殊遊撃隊隊長・ゼラチン少佐だ!)


 クルトンは喜びのあまり叫びそうになるのを堪えた。

 魔王城で一度、見かけた事がある。


 ローレルが言うには、その戦闘能力は魔王軍の中でも最上位とのことだった。


(人力車のやって来た方角があちらということは、向かっていた先は……そうっ、西の鉄壁要塞だ。という事は、この方がローレル様の遣わした人材に違いないっ)


 要塞には間に合わなかったが、こうして出会えた事は幸運だ。

 ローレル様の手配によって、急いで接触してきたのだろう。


(そうか、こうして取り入って、勇者を奈落の底に叩き落とすつもりだな……ふふふっ)


 明るい展望がみえ、クルトンはぐっと手を握った。


 ゼラチンの階級は少佐であるが、戦闘能力は大佐クラスを凌ぐと呼ばれる人だ。なにせ魔王軍において特殊部隊は、階級が実力よりも低くなる傾向にある。


 クルトンが目を輝かせていると、ゼラチンと目が合った。


「あら、あなたは、ええっと……」

「クルトンです。はじめまして」


 クルトンは背筋を伸ばして答えた。

 ゼラチンがどんな手並みでリエットを陥れるのか。クルトンも隙あらばゼラチンの補助に回る算段だった。クルトンはゼラチンへと目で「協力します」とアイコンタクトを送った。


 だが、ゼラチンはリエットに対して同様、クルトンへも一礼した。


「初めまして。あなた、それではいけませんね」


 いきなりダメ出しをくらい、クルトンはぎょっとなった。ここ最近いけないことだらけで、なにが正しくて、なにが正しくないのかなど、色々とわからなくなってきている。


「……な、なにか、いけませんか?」


 クルトンがおずおずと尋ねると、ゼラチンは深く頷いた。


「かなりストレスを抱えているでしょう? 心労が祟っていますね」

「わかりますか?」

「ええ、お肌に出ています。お肌は心を写す鏡ですから。さあ、お座りになって」


 と言うなり、ゼラチンは土の椅子を魔法で作り出した。そして土の椅子に敷物をかけてクルトンを座らせると、ゼラチンは手をかざしてクルトンに魔法をかけ始めた。


 クルトンは困惑した。


(な、なんだ……? ゼラチン少佐は、なぜ自分にこんなことを……?)


 標的はリエットであるはずだ。

 なぜこんなマッサージサロン的なことを、されてしまっているのか。


 だがクルトンがゼラチンのなすがままになっていると、身体がぽかぽかとしてとても気分が良くなってきた。

 癒しの奇跡で傷や痛みを癒す時の感覚に、とても良く似ている。


(き、気持ちがいい……)


 クルトンは状況も忘れて身体が弛緩した。

 なんだか体の芯から疲れが溶けていくかのようでもある。


「まあ、こんなところでしょうかね、クルトンさん」


 ゼラチンが魔法を止め、クルトンを促した。


 ふとクルトンは自分の頬に手を当て、驚いた。旅の心労で荒れ気味だったお肌が、瑞々しさを取り戻し、艶々のお肌へと生まれ変わっていたのだ。


「こ、これは、いったい!? ゼラチンさん!?」


 クルトンが目を見開くと、ゼラチンは満足そうに頷いた。


「うふふ。素晴らしいでしょう? 長年の研究により編み出した、私の秘術・美肌魔法です。……さあ、お次はあなたの番です。お座りになって、リエットさん」

「わ、わたくしですか?」

「ええ。ぜひ、どうぞ」


 ゼラチンはリエットの手を取り、土魔法で作った椅子に座らせた。


 牧草地のど真ん中で行われる、青空マッサージ美肌魔法サロン。

 不自然極まりないサロンだが、リエットを誘うゼラチンの声や表情、その仕草はとても自然な流れだった。クルトンへの施術でリエットの警戒心を解いてしまっている。


(なるほど、こうやって勇者の警戒心を解き、不意打ちをしかけるのか)


 とクルトンは感心した。


 ゼラチン少佐の手並みは見事なものだ。

 ここまで不自然なサロンに対して、まったくリエットを警戒させていない。


 だが――


(……ん? んん? あ、あれ……?)


 クルトンの希望船楽観号はすぐに暗雲に突っ込むことになった。


 ゼラチンは美肌魔法とやらをリエットにかけている。だがクルトンに対して施術したのと同じように、ただただ丁寧に魔法をかけているようだった。


「まあ、素敵な金色の髪。すばらしいキューティクルだわ、リエットさん。本当に美しい」

「旅の最中でも、お手入れは欠かしていませんの」

「そうでしょうね。本当に素敵。けれど、もうすこし体を労わるべきです。お肌が少々、あなた本来の艶やかさを鈍らせてしまっています」

「そ、そうですの?」

「なんとか手入れはなさってきたようですが、いけませんね、これでは。身体を誤魔化すような方法を使っていては、根本的な手入れとは言えませんわ」

「やはり、おわかりになりますか?」

「ええ。一目見ただけで分かります。お肌は宝石。その輝きが落ちれば、否応なく気付きます。お肌の宝石商とも言えるこの私の目にかかれば、誤魔化す事はできません」


 ゼラチンとリエットは、平和な会話が途切れていない。

 傍から見ているかぎり、美容師とそのお客さんとしか思えない。


 フォン・ド・ボーの教えや旅の経験によって、ある程度、クルトンにも観察眼というのか、ある種の勘のような物が働く様になってきた。


 どうにもゼラチンには敵意らしい敵意が感じられないのだ。真正のホスピタリティによってリエットをもてなしているような……ふと、そんな気がしてしまったのだ。


 これは一体どういう事なのかと、クルトンは訝しんだ。

 そしてすぐ、一つの疑問にたどり着く。


(……ゼラチン少佐……もしかして、え? き、気付いてない?)


 クルトンの抱いた疑問をより深める様に、ゼラチンはリエットと会話を続けている。健康法や運動法から、最近起きた何気ない出来事、それに恋の話まで様々だった。

 出会ってすぐさま、旧知の間柄の様に打ち解けてしまっている。


「まぁ、婚約者に……なんと酷い。愛と美は一心同体。あなたの美しい肌を傷つけたその男、もし私がその場に居れば、遥か地の底に埋葬していた事でしょう」

「いえいえ。それはそれで、また善き事でもありました。クルトンとの絆も深まり、こうして旅を続けられているのも、その時の経験があったからこそですもの」

「……すばらしい心構えです。愛は美と、美は心と、心は愛と切り離せぬもの。精神の気高さがある限り、貴女のお肌の未来は約束されています」


 ゼラチンはリエットを褒め称えている。

 リエットも、まんざらでもない顔だった。


 ゼラチンがリエットを襲おうとする気配など、一かけらも無い。

 クルトンは確信した。


(……ちょっと、うそでしょ? リエットが勇者だって、気付いてないっぽいぞ……)


 どうにかしてゼラチンに、リエットが宿敵の勇者であると気付かせないと。

 クルトンはとっさに頭脳に鞭を入れた。


「ええ、そうなんですよ、ゼラチンさん。それに西の要塞を突破しましたし、もうすぐ我々の旅も終わります。あと少しで役目は果たせますから」


 そう言いつつ、クルトンは「気付け!」とゼラチンにアイコンタクトを送った。するとゼラチンはクルトンの強い視線に気づいたらしく、しっかりと頷いてくれた。


(よかった。なんとか通じたみたい――)

「まあ、そうなの。なら、リエットさんのお肌は安泰ですね」

(――かと思ったがそんな事は無かった!)


 間違いない。

 ゼラチンは随一のアホだ。クルトンは気付いた。


 ほっと胸をなでおろして勇者のお肌の心配をしている魔王軍人が、もし馬鹿以外の何かであったとしたら、クルトンは一生逆立ちで生活しても良いとすら思った。


 クルトンの失望に輪をかけるように、ゼラチンが微笑みを深くしている。ゼラチンは閃いたと言わんばかりに両手をポンと叩き、人力車のトランクケースに手をかけた。


「ああ、ちょっと待っていてくださいね、リエットさん。あなたのお肌にぴったりの素晴らしい化粧水が、確かトランクにあったはず。それさえあれば、私が居なくともあなたのお肌はより一層……あら、すこし奥に仕舞いすぎたからしら?」


 そう言って土の机を作り出し、ゼラチンはトランクケースの中身を取り出し始めた。様々な化粧品や美容グッズに紛れて、手帳が机へとぽんっと置かれた。


「……ん、これは?」


 リエットがその手帳を見て眉を寄せ、クルトンはぎょっとした。それは軍人手帳であり、まぎれもなくゼラチンが魔王国の手の者である事を証明するものだったのだ。


「あ、あなたは――まさか魔王軍人!?」


 リエットは飛び退いて距離をとったが、ゼラチンは妖しげに微笑んだ。


「ふふっ、今さら気付いてももう遅いわ、愚かな勇者さん」

(な、なにぃ!?)


 クルトンは目をひん剥いてゼラチンを見た。

 生まれてこのかた、ここまで驚いたことがないほどクルトンは驚いた。



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