第16話




「まったく、手間をかけさてくれたな……」


 冷たい声が空気を凍らせた。

 ノイト大佐の声だった。


(そう、そうだ。まだノイト大佐がいる!)


 手放しかけた希望を引き寄せて、クルトンはノイトの姿を見た。


 拘束され身動きの付かないリエットへと、ノイトは長い鞭をずるずると引きずりながら、ゆっくりと歩み寄る。そして躊躇なく、激しい鞭の連撃を浴びせかけた。


「さあ、鳴け、メス豚。己が父のように。そのおぞましい嬌声を聞かせろ!」


 ご褒美の嵐は圧巻だ。

 ノイトの鞭捌きはかつてないほど冴えわたり、猛威を振るっている。トゥールの地に生まれた変態に堪え切れる攻めではないはず。


 しかしリエットは、顔をうつむけて一言も声を上げなかった。

 ノイトのまなじりが、楽しくて仕方がないとばかりに、吊り上がっていく。


「ふふふっ。いいぞ、久しぶりだ。実に良い。まだ抗おうとは……なんという手応えのある豚だ。その体が四散しようとも、お前の魂を縛り付け、我が鞭をくれてやろう」

「……っと……すわ……」

「もっとはっきりしゃべれ。人の言葉ではなく、豚の言葉をな」

「……もっと……ですわっ……」


 リエットの言葉を聞き取り、さしものノイトも躊躇したらしい。


「――っ!?」

「さあ、もっと、もっとおやりなさい! 全然、これっぽっちも、まったくもって、足りませんわっ。もっと、もっと鞭を!! さあっ! さあ!!!」

「……ぶ、豚の分際で命令するなっ!」


 ノイトは焦っているようだった。

 なにせ、リエットは昇天する気配を一向に見せない。


 この事態、ノイトには理解不能らしいが、悲しいかな、クルトンには理解できた。

 ひどく単純な理屈だ。


 リエットの底なしの欲望に対して、ノイトの与える鞭が追い付いていない。圧倒的なマゾヒズムはサディストよりも冷酷に鞭を求め続けていたのだ。心を躍らせているとしか思えないリエットの「もっと」という声音が、どんどんと失意の色に染まっていく。


 そして、リエットは鞭を浴びながら冷静に語り始めた。


「わたくしの神の加護に追いつくその素早さと執念は認めましょう。意図せずこの身体にムチを受けたのは、五年ぶりです。ビクンビクンしました。ひょっとするとドSを極めし者と出会えたのかと、期待してしまいました。しかし、あなたはそれだけですわ……」

「ほざけっ、この×××がっ!」

「追いつめられればすぐ隠語に頼る。真正のSは文学にも似た、格調高く味わい深い表現で心をえぐるものですわよ。やはり……あなたの攻めは、脆い!!」


 リエットの体表を奇跡のオーラが包み、弾けた。

 鞭の拘束具を吹き飛ばしたのだ。衝撃で風車塔の胴回りがごっそり抉られていた。


 木屑と粉塵の幕を裂いて、リエットの影がゆらりと立ち上がる。刀剣を両手で構えなおし、切っ先をノイトへと向けるその双眸には、ありありと失望の色が見て取れた。

 光の泡がリエットの身体を包み、傷も服も鎧も、元通りになっていく。


 そして剣が白く眩い輝きを帯びた。

 剣身にうごめく神代の文字が、柄から泳ぎ出てリエットの体表を這い回っている。


「他の領国なら、あなた程度のサディスト力でも通じたでしょう。ゆえに勘違いしてしまったのでしょうね。我が領民やお父様を調教できたのも、しょせんはあなたの実力ではありませんことよ。御仕置道具を取り上げられ、長年に渡って飢餓状態となっていた彼らの心の隙に、たまたま付け込めただけのこと。そんな実力の伴わぬ偶然の産物で築き上げた女王の虚勢が、このわたくしに同じように通用するとでも思いましたかっ!?」

「……馬鹿な……そんなっ、そんなバカなっ。馬鹿なぁああああああ!!」


 ノイトの周囲に再びおびただしい数の鞭が集結する。


 鞭の白波に乗ってがむしゃらにノイトは突っ込んだが、リエットに触れる事すら叶わず、ノイトは無数の鞭ごと大きく弾き飛ばされた。リエットが剣を一薙ぎすると、前面に奇跡の力が放たれたのだ。イベリコを打ち負かしたあの奇跡だ。


 白色の鞭がばらばらと力なく地面に落ち、ノイトはひざまずいている。石畳が綺麗に引っぺがされてしまい、むき出しの地面が耕されたかのように掘り返されていた。


 巻き込まれた民家は数多く、町の形すら変えてしまう一薙ぎだった。

 イベリコを倒した時の比では無い。


 強烈な一撃を放ったにも関わらず、剣の輝きも、神代の文字も消えていない。リエットは構えを崩さず、いつでも二の太刀、三の太刀を放てるようだった。


「なんと浅はかな攻め。魂に響かないムチ。ただ力を込めるだけ、ただ言葉を強くするだけ、ただ技巧を凝らすだけ。 ……それだけのポテンシャルを秘めながら、どうして、たったこの程度なのか。あなた、ご理解なさっていませんわね?」

「くっ!?」


 歩み寄るリエットに憐れみの目を向けられ、ノイトは困惑に顔を歪ませた。

 メス豚に憐れまれる女王など、あってはならないのだ。


「なぜ、だ……なぜ、ドMごときにっ! 汚らわしいメスブタ風情にっ、勝てないのだっ。サドの女王であるこの私がっ……どうして!!」

「あなた……ほんとうに何も分かっていませんのね」

「なにっ!?」

「サドとは心の内にマゾを抱え、マゾとは心の内にサドを抱えるものですわ。それはコインの表と裏の様に、一見単純で明確に区別されているように見えながら、しかし常識を少しめくれば、その本質などほんのわずかな違いさえもない。……あなたは内なるマゾを消し続ける事こそが、サドとして完成されてゆく道であると考えているのでしょう? だとしたら、あなたはサドのなんたるかを理解していませんわ。なぜならそれは、あなたはマゾのなんたるかを理解していないからです。コインの裏を知らずして、コインの表を知る事は無い。内なるマゾを否定したものに、サドを完成させるコトなど出来ない! つまりあなたの不完全な攻め如きで、この私を倒せるはずが無いのです!!」

「――っ!? なん……だと……?」

「サドあってこそのマゾ。マゾあってこそのサド。互いを高め合うには互いの存在は必要不可欠。そんな簡単な事すら忘れてしまうとは、なんたる愚かさ……さあ、哀れで惨めで浅はかな、女王様気取りのメスブタさん。なにか、言い返す言葉はありますの?」


 リエットの質問に、ノイトの手から鞭が滑り落ちた。

 その白い鞭は、サディストとしての最後の証でもあった。


 ノイトはがくりと首を垂れている。


「…………ま、負けだ……私の、完全なる敗北だ……」


 その業界ではそれが敗北という事になるらしい。

 まったくもって意味不明である。


「もう、私に生きる意味はない。殺せ…………」

(そこまでのモノを賭けてサドの女王様やってたんだ……この人も相当アレだな……)


 クルトンは額の汗をぬぐってノイトの様子をうかがった。


 もはや抵抗する気力すら失ったらしく、ノイトは力なく膝をついてうなだれている。

 出会った人物がたまたまそうであっただけだとクルトンは信じたいが、今のところ魔王軍の佐官クラスにまともな人間性の者が一人も見受けられない。


「良い覚悟です、ノイトさん」


 ノイトの横に立ち、リエットは高く剣を振り上げた。

 そして、ためらいなくリエットは剣を打ち下ろした。風切りの音を瞑目して受け入れたノイトは――しかし、自分の首が落とされていない事に気付いて顔を上げた。


 リエットの切っ先はノイトの首を掠め、地面をわずかに裂いたのみ。リエットは剣を鞘へと納め、戦いの為に結っていた自らの髪紐をほどいた。


 ノイトははっとして顔を上げ、リエットを見た。


「まて、リエット! なぜ殺さない!?」

「もう落としましたわ。哀れな女王でしかなかった、過去のあなたの首は」

「…………」

「誰もが心の深淵にメスブタを飼っています。内なるメスブタを見つめれば、メスブタもまたあなたを見つめ返す……多くの者は帰ってこられなくなるものですわ。けれどあなたは、サディストの女王と名乗りながら私に命を委ねた。内なるメスブタの、さらにその先を見た。……道は険しいけれど、その先にこそ、あらたな境地が待っていますわ」

「り、リエット……」

「あなたは、死なせるには惜しいメスブタです」


 友情的な何かが芽生えたのか、二人は手を握り合った。

 そこには戦場の血生臭さも狂気もなく、魔王軍人と勇者という因縁もなく、互いの健闘を称えあうスポーツマンの如き爽やかさがあると言えばあり、無いと言えば無かった。


 どちらにしろ、歴史上一二を争うくらいどうでもよかった。


「………………で、結局これ、なんの戦いだったんですかね……? ……どう考えても、互いに性癖をぶつけ合っただけなんじゃ……」


 クルトンのつぶやきは、女同士の友情の前に、はかなくも消えていった。




     14



「思えば、サディストとは孤独で儚いモノですわ。王失くして民はあれども、民失くして王は在れない。……そういうことなのでしょう」


 トゥールの地を後にし、リエットはしみじみとしてそう語った。


「…………そう……いう事、なん……ですか……ねぇ……?」


 どういう事なのかクルトンには全く分からなかった。

 彼女たちには彼女たちなりの流儀があるらしい。


「ノイトとの一戦を経て、自信がつきましたわ、クルトン。旅の行程を短くしましょう」


 リエットが突如そう言いだし、クルトンは手綱を放り出して焦った。


「でもほら、リエット様。このルートの方が遠回りでも安全にいけるはずで」

「それはヴィアンドも知っている事。彼女が裏切り者であると分かった以上、そのルートの通り進んでいれば、待ち伏せにあうかもしれませんわ」


 リエットの思考は冷静だ。

 とんでもないド変態のくせに、思考力は無駄に良い。


 クルトンは頷くしかなかった。


「で、ですねぇ」

「ノイトは魔王軍でも上位階級のはず。それをヴィアンドとまとめて倒した以上、魔王国側もわたくしに対する警戒を強める事は必定です」


 リエットは考える仕草をしつつ、そう言い切った。

 鋭い。

 まったく正鵠を射た読みだ。


(なんでこんなに頭が良くて美人で強いのに性癖だけがアレなんだ、この人は……)


 クルトンはそう思えて仕方なかった。


 残念過ぎる。

 神から与えられた素晴らしいギフトをすべて無駄にしているといっても過言ではない。


 だがそんなクルトンの思考など、リエットはまるで知らない。

 リエットはポンと手を叩いて、クルトンへと提案してくる。


「むしろ予定していたルートを通らない事で、動きをかく乱できるはず。魔王城までは渦巻き貝のようなルートで迫るつもりでしたが、殻を打ち抜けばもっと手早く到達できますわ」

「殻を撃ち抜く? リエット様、つ、つまりそれって――」

「ええ。魔王城西側の地にある要塞に斬り込んで、突破してしまいましょう」


 とんでもない事を言っているが、クルトンは喜ぶべきかどうか迷った。


 魔王城の西側要塞は難攻不落だ。

 かつて魔王国がソタナフマ連合に攻め込んだ時も、無理押しでは屍が積みあがるだけだと歴戦の将軍たちが口を揃えて当時の魔王に進言し、聞き入れられた。そうして凄まじい調略を駆使し、なんとか手に入れたという逸話が残る鉄壁要塞だ。


 しかし問題もある。

 まさかリエットがそんな事を言い出すとは、クルトンは予想していなかった。


 鉄壁要塞といえど調略に屈したように、防御力はそこに駐留する人材次第だ。


(並大抵の勇者なら容易く撃退できるだろうが、リエットクラスの変態……ではなく、勇者を防ぎきれる者が、今そこに居るのかどうか……)


 クルトンは思案した。


 もし存在しなければ、かなりまずい。

 容易く要塞を抜かれて魔王城までショートカットされてしまう。


(それが判明するまで、とにかく時間を稼ごう)


 クルトンの判断は素早かった。


「しゅ、修行しましょうよ! あの要塞にたった二人で突っ込んで切り抜けるなんて、さすがに無謀すぎます。リエット様なら可能かもしれませんが、私の方がっ」

「あなたは私が守ります。神の奇跡にかけて」

「いや、でもっ、せめて、なにか、下準備的なもの――」


 クルトンは必死だった。


「あるいはシミュレーションとか、ね? ね? ほら、ダンジョンに潜って強力なモンスターと戦ったり、仙人的な感じの人に師事して強くなったり、幾多のライバルと出会ったり、天下一を決める大会的なモノに参加しないと――」

「実戦に勝る修行はありませんわ。他の勇者の動向も気になります。先を越されては我が大願を成就できません。時間が無いのです」

「で、ですよねぇ」


 尺稼ぎが全く通用しない。

 非常にまずい。


 リエットの行動力がすごすぎて、上司へのホウレンソウが間に合わない。


(……いるよね……? だ、誰かいるよね? 西側要塞には、居てくれるよね……? 居ないわけがないよね? 仮にも鉄壁要塞ってすごい名前がついてるんだから……)


 希望的観測以外の何物でもない事を重々承知しつつも、クルトンはそう思った。


(倒さなくてもいい。せめて、追い払える人。このド変態マゾ勇者を追い払える人材が、せめて一人くらい、きっと、居てくれるよね……?)


 タルタルの引く馬車の進路を変えつつ、クルトンは震えながら願った。

 こうしてリエットは、魔王城へと大きな一歩を踏み出そうとしていた。





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