第15話




     13



 昼間だと言うのに、トゥールの町近くの村から人影が消えている。これから始まる何かを恐れ、皆が家屋の中へと引っ込んでしまったかのようだった。


「この季節とこの時刻なら、畑には民の姿があるはず。嫌な予感がしますわ……」


 馬車に揺られるリエットのつぶやきは、すぐさま現実のものとなる。

 呆気にとられる光景が、町の入り口に広がっていたのだ。


「な、なんだ……あれは?」


 歴戦のヴィアンドですら、その意味不明さに戦慄している。


「ま、町人たちが……一か所に集まって……四つん這いになっている……だと?」


 ヴィアンドのつぶやきに、クルトンはリエットへと振り返った。


「……く、組み立て体操でしょうか、リエット様?」

「え、ええ。そのようですわ、クルトン。皆、紅い服を着ているようですが……」


 リエットとクルトンはそう話し合ったが、近づくにつれて、紅い集団はそんな甘っちょろいものではない事が判明する。クルトンは顔を青ざめさせて、馬車を止めた。


 人間のレッドカーペットだ。


 赤い服を着た町人が四つん這いになり、人間の絨毯を作り上げ、さらにその先。絨毯の先には、人間の椅子が絨毯の上に作られ、軍服姿の女性がその椅子に座っていた。鋭い眼光に引き締まった体、そして頭部からティアラの如き角が生えた魔王軍人。


 クルトンは察した。

 あれこそが『昇天の流し素麺』の異名をもつ、ノイト大佐だと。


 察した途端、クルトンは馬車の異変に気付いた。


「……り、リエット様、馬車がっ!」

「なっ!? みなっ、下車を!」


 いつのまにやら、馬車の車輪へと木材が差し込まれ、身動きがつかなくなっている。道端の茂みに潜んでいた農民たちの仕業らしい。ノイトの指示によるものだろう。


 逃走手段を封じられたのだ。

 リエット一行は馬車から飛び降り、周囲を警戒した。


「お初にお目にかかる。私はノイト。魔王よりこの地の統治を任されている」


 人間の椅子から腰を浮かし、人間の絨毯の上をゆっくりと踏みしめて歩きながら、リエット達を見下ろしてノイトはそう自己紹介した。


「どうだろう、勇者? 歓迎の絨毯を敷いてみたのだが、歩いてはみないか?」

「結構ですわ」


 ノイトの申し出を、リエットは一蹴した。


「なんという無体なっ。町人を馬車馬のように……」

「馬のように?」


 ノイトは大仰に聞き返し、リエットの誤りを笑うかのように頬を緩めて続けた。


「ふふっ、これが……そんな上等な生き物に見えるのか? いかんな。見た目に騙されては本質を見誤る。この生き物が何か、教えてやろう!」


 そう言うなり、ノイトは片手を大きく掲げた。その手にはいつの間にか白色の長い鞭が握られている。そして、一切の躊躇いなくノイトは振り下ろした。


 ぱぁああああんっ、ぴしゃぁああああ!


「ぶひぃいいいいいぃいいいいいぃ!!」


 ノイトに背中を踏まれていた町人は、白い鞭の一撃を尻に浴びて鳴いた。そして、気絶してしまったらしく、四つん這いの姿勢から大の字になった。

 幸せそうな顔だった。


 さすがのリエットも気を飲まれたらしい。目を白黒させている。

 そこでやっと、ノイト大佐は赤い絨毯から地面へと降り立った。


「残念だ。趣向を凝らしてみたのだが、気に入ってもらえなかったようだ……」


 やれやれと首を振るノイト大佐へと、リエット一行の中から飛び出す者がいた。


「の、ノイト大佐!」

「おお、トゥール伯。ここまで手数をかけたな、ありがとう」


 駆け寄ったトゥール伯が、ノイトに歓迎されている。

 どうやら知り合いらしい。


 ノイト大佐へとトゥール伯は何かをねだるような声を出した。


「……そ、それだけなのですか? ノイト大佐」

「いいや、そんな訳がない。馳走も用意した。贈り物もある。あなたへの深い感謝を示す、音楽と舞いに満ちた宴も開く予定だ。ゆっくりしてくれ」

「そんなっ、そういう事では無く……ノイト大佐っ。こうしてあなたの言う通り、娘もこの町に連れてきたではありませんか!? なぜ町人にばかりっ」

「お、お父様!?」


 リエットが驚きの声を上げた。


(うわぁ……この人、最低だ……娘を売ってたのか………)


 クルトンは呆れ眼でトゥール伯を見た。


 リエットは困惑している。

 ヴィアンドは、想定内の事だったらしい。


 ノイト大佐は平然としながら、トゥール伯へと微笑みかけた。


「何を言う。だからこそではないか、トゥール伯よ。私の為に手を尽くしてくれて、ほんとうに感謝している。そんな貴方に、酷い事など出来るはずがない」


 ノイトは優しく、何かをねだるトゥール伯の手を取った。

 トゥール伯は悲しみに顔を歪め、ふるふると首を振った。


「ど、どうして!? どうしてなのですか!? 二か月以上も通い詰めているというのにっ、あなたはっ、あなたはなぜ、唾一つ吐きかけてくれないのです!? 娘を売るような薄汚い豚めとっ、領主はおろか父親の風上にも置けぬ、人倫にもとる卑しい豚めっ、と! いくらでもあるではありませんかっ、この身体を辱める理由など!」

「そう言われてもな。……残念だが、知性ある者と、そうでないものの分別を私はしっかりしたいのだ。元とはいえ、領主だったあなたを辱めるような真似などできん」


 つれない態度をとるノイトの足元へと、トゥール伯は子犬のようにすがりついた。


「……むっ、鞭を……鞭をください! どうか鞭を!! ノイト大佐!!」

「言ったろう? 私は人に鞭はふるえない。元貴族のような高貴な方々にはなおさらに」


 慈愛に満ちた目でノイトが労うと、縋りついていたトゥール伯は膝から崩れ落ちた。

 絶望したからではない。むしろ、その逆。


 ノイトの求めている事が、ようやく分かったからだった。


「……っ!! ……っ、ぶっ……ぃ……」

「聞こえんぞ、はっきり鳴け」

「ぶぅうううぅっひぃいいいいぃいいいいいいいいいいいぃ!!」

「ふはははっ、良くできたな! 人の皮を自ら捨てるとは、物分かりの良い豚だ!!」


 ぱぁぁん! ぱぁあん! ぴしゃぁ! ぴしゃぁ!!

 と、トゥール伯はノイトに鞭うたれていた。


 突如として繰り広げられる、サディストとマゾヒストによる、意味の分からない宴。

 クルトンは口を半開きにし、ただただ面食らった。


 そしてクルトンは気を取り直し、実の父親のあんな姿を見たらその子供としてはさすがに耐えられないものがあるのではないか、とリエットを見やった。


「じゅ、じゅるり……」


 リエットはよだれを拭いていた。

 親が親なら子も子らしい。

 ノイトとトゥール伯の催しに、混ざりたそうな目をしている。


 ほんとどうしようもねぇなコイツら、とクルトンは思った。


「おやめなさい! ノイト!!」

「ふんっ!!」


 リエットの制止の言葉を受け、ノイトは大きく鞭を翻し、一段と強かな鞭の一撃を足元へと見舞う。トゥール伯は力尽きたように地に伏した。


 二か月に及ぶ放置プレイを経ての一撃。

 待ちに待ったご褒美。


 とても幸せそうな顔をして、トゥール伯はどうやら気絶しているようだった。


 クルトンとヴィアンドがずっとドン引きしていたのは、言うまでもない。そんな常識人の事など眼中にないとばかりに、ノイトはリエットへと向き直った。


「トゥール伯の娘だそうだな、勇者」

「それがなにか?」

「この位置だぞ」


 まるで子供の背丈でも図るように、ノイトは自身の腰辺りに手のひらを持っていった。


「……? な、なにがですの?」

「なにがじゃない。何をしている、メス豚。高貴な身分の分際で、察しが悪いな。お前の頭の位置はこの位置だと言っているんだ。さっさと跪いて頭を下げろ」


 ノイトの声は鉄のように頑としている。

 しかし、そんな無茶苦茶な命令には、さすがのリエットも一笑に付した。


「ふっ、何を馬鹿な。わたくしがそんな戯言に従うとでも――」

「リエット様!?」


 思わずクルトンは呼びかけた。


「……――っ!?」


 リエットは自分でも信じられない、といった顔つきでクルトンを見た。口の端からよだれを垂らしつつ、四つん這いになりかけていたのだ。


 リエットは慌てて口元を拭き、髪紐で後ろ髪を束ねた。


「くっ、おのれノイト。怪しげな術を使い、わたくしの身体を操ろうとするとは!」

(今のはあんたの素が出ただけだろう……)


 クルトンの声にならないツッコミは、むなしく空をきるばかり。

 いそいそと剣を抜き放ち、リエットは堂々と構えた。


「神に見初められた勇者として、あなたの所業は許しませんわ。覚悟なさい、ノイト!」

「まったく反抗的な豚だ。剣を手で使うな、口で持て。二足歩行など百年早い」


 白く長い鞭を両手でぴんっと張り、ノイトが冷たく微笑んだ。

 それが開戦の合図だった。


 ノイトに背を向けてリエットは真っ先に駆け出す。

 この場所で戦えば、タルタルや町人や気絶したトゥール伯を巻き込んでしまう、とリエットは考えたのだろう。

 リエットは裏路地を抜け、噴水のある広場まで走った。


 ヴィアンドとクルトンもその後を追った。

 すると背後のほうから町人らしき声がする。


「ノイト様っ、こちらです! リエット様はあちらへ逃げました!!」

「人の言葉を使うなと何度言ったら分かるんだ貴様は!!」


 ぱぁああん! ピシャぁああああ!


「ぶひぃいいいぃいいいい!!」


 凄まじいやり取りが背後から次々と聞こえてくる。

 ノイトが追ってきているのだ。


 まったく滅茶苦茶だが、どうやらご褒美のようだった。

 クルトンは頭痛がしてくるようで、頭を抱えながら走った。


(この領国、ほんっと終わってる……さすがカオス・ワンダーランド……)


 クルトンがそう思っていると、前方を走っていたリエットが、広場に出て周囲を警戒している。そしてクルトンへと「待て、来てはいけない」と手で制した。


 その瞬間、リエットの姿が土煙に隠れた。


 音は一拍遅れで聞こえてくる。

 何かが地面を砕いたのだ。三度、四度と。


 おそらくノイトの鞭だろう。早すぎて、クルトンには良く見えない。分かる事といえば、風切り音と破裂音、石畳を破壊する音がひっきりなしに聞こえる事だけ。

 建物を飛び越えて、ノイトが襲い掛かってきたらしい。


「――ぐっ!!」


 リエットですら打ち逸らすので手一杯のようだ。


 ノイトの操る長い白鞭は、それ自体が遺志を持っている。そうとしか思えない不可解な動きを何度もしていた。ノイトが右に大きく振りかぶったかと思うと、鞭の一撃がリエットの左をつくのだ。身体の動きと鞭の動きがまったく合致していない。


 リエットは表情こそ変えないが、立ち回りに戸惑いが見て取れた。なにせノイトの間合いは非常に広く、リエットを寄せ付けない。一方的だ。


 リエットは鞭に足を取られ、上空へと跳ね上げられた。かと思うと噴水目掛けて叩き落とされる。広場一面に水が飛び散り、噴水の像が跡形もなく打ち砕かれていた。


(やったか……?)


 クルトンの見立てはすぐに外れた。

 足の脛まで水につけ、噴水の中央にリエットは立っていた。剣を大上段に振り上げ、奇跡のオーラを身にまとっている。なにより、目をつむっていた。


 精神を統一しているらしい。


 リエットのその姿をノイトは鼻で笑い、頭上で白の長鞭をぐるりとぐるりと回転させている。そして、風切り音と破裂音がリエット目掛けて襲いかかった。


 半球状に放たれた奇跡の衝撃が、ノイトの鞭を迎え撃つ。リエットが剣の一撃を足元へと見舞ったのだ。水が爆発四散し、土砂降りが視界を塞いだ。


 刹那の土砂降りだ。

 その刹那にリエットはノイトの懐に飛び込んでいた。


 胴の両断を狙ったリエットの一太刀に、ノイトが初めて大きく跳びさがった。そこはノイトもさるもので、空振りしたリエットへ、飛び退きながら鞭を浴びせかけた。

 鞭と剣がかち合う音とは思えない、激しい衝突音がした。


 ノイトの手元にあった長い鞭が半分以上無くなっている。

 ノイトが放った白色の鞭へと、リエットは渾身の二の太刀を被せていたらしい。


「勝負ありましたわね。……降参なさい、ノイト」


 剣の切っ先を向け、リエットは静かにそう促した。

 いかなノイトとはいえ、武器を失ってはリエットに抗う術はない。


 しかし――


「なんだ、やればできるじゃないかメス豚。手応えの無さに、もう少しで失望するところだったぞ。……喜べ。とびきり上等なご褒美をくれてやろう!」


 ノイトはそう言うなり、全身に魔のオーラを漂わせた。


 民家から、馬屋から、店や広場の池から、地面から、次々と白色の鞭が躍り出て来る。ノイトは自分の武器をあらかじめこの町の至るところに仕込んでおいたのだろう。

 おそらく、いついかなる時も鞭を豚どもに見舞うために。


 準備を怠らないのは、優秀な軍人もサドの女王も同じ。


 ノイトの魔法で操られたそれらは、もはや無数の白蛇だった。蛇の濁流だ。濁流を避けたリエットの身代わりに、大木が瞬く間に飲み込まれ、小枝のように根元からへし折れた。葉っぱを散らし、大木は微塵に砕かれながら押し流されていく。


 白蛇の濁流はリエットを執拗に追いまわしている。

 リエットは剣で打ち払おうとするが、あまりの数の多さに意味を成していない。逃げる事で手一杯のようだ。街路樹が傾き、家屋が削られ、石畳が剥ぎ取られていく。


 クルトンは惚れ惚れすると、ノイトの雄姿を見た。


(さすがだ!)


 さすが、魔王軍人ノイト大佐。


 かつて、天災と恐れられた極北大地竜を従順な下僕へと変える時に編み出したと言われる、我流の念動系魔法だ。無数の細長い鞭を自在に操り、剣すら弾くほど強化し、自然の猛威や神獣の如き力を宿し、サディストすらドMに変えてしまう圧倒的ドS力。


 たった一本の鞭ですら、リエットと互角に討ち合ったというのに。


(『昇天の流し素麺』の異名は、伊達じゃない……)


 クルトンは震えた。ノイトの勝利は疑いようが無い。

 かつてないほどリエットを追い込んでいる。


(いける。これはいける!)


 リエットを調教し尽し、快楽の奴隷として魔王国への反抗心を砕けるかも知れない。

 クルトンは両手をぐっと握ったが、リエットの反応は歪みなかった。


「うふふっ、すばらしい。すばらしいですわよ、あなた。小手試しはもう不要です。わたくしは全力でマゾりましょう。あなたも全力でサドりなさい!!」


 分かりたくもないけれど何故か良く分かる造語を駆使しつつ、リエットはノイト目掛けて跳躍した。しかしリエットは跳ね飛ばされ、石造りの家屋に大穴を開けて転がった。

 リエットは転がり起きたが、鞭の追撃はもう一度リエットを壁に叩きつける。


 鞭の濁流は強力にして繊細、何より素早い。白波のように迫ったかと思えば、多頭の大蛇のように枝分かれさせ、迎え撃つリエットの奇跡の一撃を掻い潜る。


 ある時は白波、ある時は八頭の大蛇、ある時は野太き神槍、ある時は地を穿つ巨剣。

 まさしく変幻自在な鞭捌きだった。


「クルトン! ヴィアンド様っ、町の反対側へ引きますわ!」


 防戦一方のリエットは撤退を指示し、素早く町の中へと紛れ込んだ。

 リエットの直感力にクルトンは感心した。


 町並みを利用して、リエットはノイトの視界を遮ったのだ。いかに無数の鞭を手先の如く操ろうと、獲物が見えなければ手探りとなってしまう。リエットは人間の持つ弱みを巧みに突き、乱れた呼吸と勢いを整えようとしているのだろう。


 だがリエットの予想に反し、鞭の濁流は正確にリエットへと襲い掛かって来た。

 クルトンも巻き込まれかけ、塀の上へと危うく逃れた。


 自らの位置がノイトに正確につかまれていると、リエットが驚いている。


「これは……いったい!? ヴィアンド様!?」


 屋根の上を跳躍しつつ追ってきていたヴィアンドに、リエットは戸惑いの目を向けた。ヴィアンドは煙矢を空に放ち、ノイトの鞭の波を誘導していたのだ。


「そんな、ヴィアンド様!? どうしてそんな事を?」

「ふふふっ……分からぬか、リエット」


 ヴィアンドは屋根の上から、必殺の意志を滾らせて言った。

 その気配に、リエットの困惑を深まるばかりらしい。


「……ヴィアンド、様? な、なにを、いきなり?」

「グラス・ド・ヴィアンドとは仮の名。我が名は勇者潰しのフォン・ド・ボー! はなから貴様の味方ではない! 観念しろリエット!」


 ヴィアンドの一声に、リエットはかつてない衝撃を受けたようだった。リエットは剣の切っ先を地面にかたんっとつけ、両腕をだらりと下げ、茫然とヴィアンドを見つめている。


「そんな……そんな事って……わたくし、あなたの事を信頼して……」

「馬鹿なひよっこ勇者がっ。世の中の恐ろしさを知るがいい!!」


 そう言い放つなり、ヴィアンドはリエットへと矢を放った。リエットは剣を一閃させて矢を撃ち落としたが、ヴィアンドは一枚上手だった。矢の先端に爆発物が括り付けられていたのだろう、凄まじい爆音と煙の繭がリエットを包み込んだのだ。


 さらにそこへ、白鞭の濁流が追撃を食らわせた。


 リエットは白の濁流にのみ込まれ、押し流され、崩れ落ちる家屋の下敷きになった。かのように思われたが、違った。白鞭の濁流が覆う道の真ん中に、中洲が出来ている。


(な、なに……?)


 塀の上へと避難していたクルトンは驚愕した。

 リエットだ。奇跡のオーラを周囲に放ち、白の濁流をかき分けていたのだ。


「ふっ、ふひひっ……ふひゃっ、むはっ――」


 リエットから、奇妙な声が聞こえてくる。

 否応なく、クルトンには思い当たる節があった。


(あ、あれ? この展開、前にもどこかで見た事があるような……)


 クルトンを襲った言い知れぬ不安が、鮮明な記憶によって否応なく掻き立てられる。クルトンが記憶の糸を辿ったのと、リエットの叫び声は同時だった。


「むぅうううううぅううううううっ、ひょっおおおおおおぉおおおおおぅい!!」


 リエットの叫びと同時に、奇跡の力が爆発した。

 ヴィアンドの矢の連撃はもちろん、ノイトの鞭の濁流すら消し飛ばしてしまっている。


(……そうか、この人、これで急激に力を増すんだ……!!)


 クルトンは目を見開き、リエットの特殊性癖に恐怖を覚えた。

 ヴィアンドのダメ押しは、むしろ逆効果。


 致し方あるまい。ヴィアンドの裏切るタイミングはベストだった。クルトンもリエットを見誤っていた。これはもう、相手が悪かったとしか言いようがない。


「し、信頼していた仲間に裏切られたのですわね。貴族の生まれにして、教会から認定を受けた、神に見初められた奇跡の勇者かもしれぬ、このわたくしがっ。みじめにも、ぶざまにも、まるで地を這うシデムシのごとく! このっ、この感覚!! なんという屈辱っ、なんという虚無感っ! た、たたっ、たまりませんわぁああぁぁああああ!!」

「ふぁあっ!?」


 ヴィアンドが口をあんぐりと開いている。

 ヴィアンドの二の矢三の矢をいとも容易く撃ち落とし、その矢がまき散らした毒霧や爆炎、さらには白鞭の濁流をリエットは耐えきったのだ。


 そして、リエットは大上段に剣を構えた。

 リエットの身体を、ひときわ強い奇跡のオーラが包んでいる。


 チコウユ戦で見せたあの一撃だ。


 屋根の上からヴィアンドはとっさに逃げようとしたが、手遅れだったらしい。リエットの放った衝撃がヴィアンドを包み込み、引き寄せたのだ。竜巻に吸い込まれる木の葉よりも軽々とヴィアンドの身体は宙を舞い、リエットの眼前に叩きつけられた。


 チコウユ戦で見せた一撃より、さらに威力と精度が増しているようだ。

 弓は折れ矢を失い、帯剣ベルトすら千切れて無くなっている。一瞬前まで無傷だったとは思えないほどボロボロの有様で、ヴィアンドは立ち上がる力すら失っていた。


 ヴィアンドはもがきながら、リエットを驚きの目で見上げている。


「ぐっ……そんな、ありえぬ……この私が……血反吐を吐く試練を幾度もくぐり抜けてきた、この私が……こんな、小娘風情に……!」


 ヴィアンドが声を絞り出すも、リエットは快楽の余韻に鼻を膨らませて答えた。


「血反吐を吐く様な試練を経た……? あなた、それは単なるご褒美ですわよ? わたくしもその程度の試練など、幼き頃より何度もくぐり抜けてきましたわ」

「……わ、私の艱難辛苦の全てが……ご褒美、だと……? む、無念……」


 驚愕に目を見開き、がくっとヴィアンドは崩れ落ちた。


 赤毛の守り神にして、勇者潰しの異名をとる最高峰の密偵ですら、リエットのような規格外の変態相手ではまったく及ばなかったのだ。


 だが、ヴィアンドとのやり取りに気を取られ、リエットにわずかな隙が生まれていた。


「――ぐっ!?」


 リエットは横跳びに路地裏へと飛び込もうとしたが、かわしきれない。

 戻って来た鞭の濁流につかまり、押し流され、町の中央にある風車塔にリエットは叩きつけられた。風車塔が大きく傾いてしまったほどの衝撃だ。しかしリエットは原型を留めていた。無数の鞭が編み合わさり、リエットは風車塔に縛りつけられている。


 それは磔刑に処されんとする聖女のようにも見えた。




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