第14話
12
トゥールの地に近づくと、リエット一行に出会いがあった。
「ああ、まさか。あの人は……!」
宿屋の軒先に見えた人影へと、馬車を飛び降りてリエットが走り寄ったのだ。
「お父様!!」
リエットが抱き付いたその人物は、リエットと同じ瞳の色と髪の色をした紳士だった。上品で雅な生まれを感じさせる整った顔立ちに、綺麗な髭が華を添えている。
トゥール伯だと、クルトンは理解した。
「おお、リエット!」
トゥール伯は笑顔でリエットを受け止め、抱擁している。
久しぶりの再会なのだろう。リエットもとても嬉しそうだった。
「魔王国側で商談があると手紙に書いてありましたが、まさかお父様がトゥールの地にいらっしゃるなんて! なんという偶然でしょう!」
「まったくだ。きっと神が引き合わせてくれたのだね」
「ええ、そうに違いありませんわ」
そう言って、トゥール伯とリエットは手を取り合っていた。
父と娘は近況などを手短に話し合っているらしい。
(これが、リエットの父。元トゥール領主……いや、彼らは確か、現在もトゥールの地の正当な所有者と言い張っている以上、トゥール伯でよいのか……)
リエットの紹介でトゥール伯との挨拶を済ませつつ、クルトンは身構えた。
『思えばそう、あれは七歳の時かしら。ひそかに想いを寄せていた庭師の殿方。その淡い初恋の相手を父に寝取られてから後、私は目覚めてしまったのでしょう……』
というのが、リエットから聞いていたトゥール伯に関する情報だったのだ。
警戒するクルトンとは対照的に、ヴィアンドは親しそうに手を差し出している。
「お久しぶりです、トゥール伯」
「おお、これはヴィアンド殿っ。まさか、あなたが娘の旅にご同行していらっしゃるとは。いやはや、心強い。あなたに紹介して頂いたブドウ農園、あれは実に良い物件でした。あれほど上質なワインを産出する地だとは、誰も思いますまい。各国の宮廷にも品質を認められ、今着々とブランド化を進めておりますゆえ、もう少しお待ちください。出資者の方々も、貴女に会いたがっておりました。旅が終わりましたら、ぜひ」
「ええ、またいずれ。そういえば、近頃ナゼカの商人たちがまた面白い商いを――」
といって、ヴィアンドはトゥール伯と談笑していた。本当に魔王国の密偵なのかと疑いたくなる。偉大過ぎる先輩に、クルトンは憧れの目を向けずにはいられなかった。
話がとめどなく盛り上がる気配を見せている。
だが、そこに水を差すように、リエットがトゥール伯の小袖を引いた。
「ところでお父様、我々の町は……?」
リエットが心配そうに尋ねると、トゥール伯は残念そうに首を横に振った。
「酷いモノだったよ。青も緑も、丘の向こうに連なる美しい三角も、水車小屋も、風車も。あれほど盛んだった民の声すら……はじめから存在しなかったかのような有様だった」
「……そうでしたか……うすうすは覚悟していましたけれど、こうしてお父様のご覧になった事を聞くと、辛さもひとしおですわ……」
そう言葉を交わし、リエットとトゥール伯は顔を曇らせていた。
クルトンは心苦しくなる。
と、同時に、少し疑問もわいてきた。
(魔王軍がそんな酷い事をするだろうか? 今は内治に力を注いでいるはずなのに、むやみに恨みを買う様な愚かな行為、とても魔王様の指示とは……)
統制は取れているはずだが、さりとて、物事に完璧は無い。
魔王軍の一部にはそう言った乱暴狼藉を働くものもいるのかもしれない。忠誠を誓った国の暗部を突き付けられたような気がして、クルトンは暗い気持ちになった。
トゥール伯は沈痛な表情で、空を見上げて嘆いている。
「青も緑も、丘の三角も、すべて……私の曽祖父の代から、各地から選りすぐりの逸品を集めたものだったのに……魔王軍め。その価値に気付きもせず、破壊の限りを……」
「…………ん? 集めた……?」
おかしな言葉が聞こえたので、クルトンは聞き返した。
「……えっと、ちょっとすいません……魔王軍が攻め込んできて……お二人のかつての領土の自然や、民の生活場所を……えー、破壊したんですよね?」
クルトンが問いをぶつけるも、トゥール伯はまさかと目を見開いた。
「いや、魔王軍がそんな事をする訳ないだろう。ソタナフマ連合みたいな野蛮で時代遅れな連中じゃあるまいし。魔王国はそう言った力加減は非常に巧みだ」
トゥール伯は冷静な声で続けた。
「確かに力によって版図を切り拓いた一面もあるが、自らの領土として民の生活をよく考えた政治をしっかり行わねば、その領土を維持する事などできんよ。武力で出来ることなど、ごくわずかだ。元々領主だった私がそう言うのだから、間違いない」
領土を奪われたはずの領主が、奪った相手を褒めている。
なんだかわけが分からず、クルトンはきょとんとしてしまった。
「そう、なんですか……?」
「うむ」
と頷いて、トゥール伯はさらに続けた。
「領土は取るよりも維持して育てる事の方が遥かに難しい。ソタナフマ連合が叩き潰されないのも、今現在の魔王がそうやって内治を重視し、善政を敷いて国力を高めているからだ。神の御意志によってどうたらと、意味不明な妄言を繰り出すしか能の無いソタナフマ連合国側とは、頭の出来が違う。一緒にしてやっては可哀想というものだ」
トゥール伯のその言葉に、横手で聞いていたリエットも頷いた。
「ええ。クルトンは、すこしソタナフマ連合の誇張宣伝に踊らされすぎですわ」
「……えっと……そう、なんですか……?」
クルトンは顔を引きつらせて、そう声を絞り出した。
するとトゥール伯が当然だとばかりに、人差し指をぴんと立てる。
「だいたい考えてもみたまえ。魔王国は魔王自身が、ソタナフマ連合との国境付近に魔王城を築き上げて居留している。いわば総大将が最前線に立って、後ろに民を庇うという心意気を今も示し続けている。一方、ソタナフマ連合の王たちなど、魔王国との国境付近からなるべく遠ざかろうとして、自国から抜け出す者が後を絶たぬ始末だ。子供の留学だとか親戚の縁談だとか、大切な遊説だとか、ぐちゃぐちゃ理由はつけてこそいるが。いわば民を盾にして自らの身や一族だけは守ろうという、卑しい魂胆が透けて見えるではないか」
「…………」
「いかに神の名を引き合いにだして巧言令色を重ねようと、仁の心がまるでない。王や教会の言葉ではなく、行動を見なければいかんぞ、クルトン君」
「は、はい。すみません……」
なぜ自分が謝っているのか良く分からなかったが、クルトンは頭を小さく下げていた。
トゥール伯の言葉を補うように、今度はリエットが半歩進み出る。
「そもそも、クルトン。勇者が魔王を倒したとしましょう。その後はどうするのです?」
「……え?」
「治世能力は完全に魔王国の一人勝ちですのよ?」
魔王討伐を目指しているはずのリエットが、しれっとそう言った。
どう答えてよいものやら。
と、クルトンは玉虫色のうめき声をあげるしかない。
「で、すか……ねぇ?」
辛うじてそう答えたクルトンへと、リエットは「そうですわ」と頷いた。
「魔王を倒して魔王国内に騒乱の火種がまき散り、ソタナフマ連合がその隙をついて魔王国の領土を奪えたとしても、民にとってはそちらの方が地獄でしょう。魔王軍の様に兵站を重視した軍事行動ではなく、ソタナフマ連合はほとんど戦地略奪に頼った兵站軽視。ソタナフマ連合の王たちは、取った領土をどうするかという具体的なビジョンすら、まったく示して居ませんわ。ただ魔王国を批判し、ただ神の威光を借りようとするのみ。ようするに、『勇者が現れて魔王を倒す』という予言を信じているのかすら、怪しい始末ですのよ」
リエットが当然のようにスラスラとそう答えると、トゥール伯がうんうんと頷いた。
「娘の言う通りだ。魔王国は魔王軍人や配下の者をしっかりと厚遇したり、サポート体制もちゃんとしている。故にこそ結束も強く士気も高い。一方ソタナフマ連合と教会は、良くて通行許可や通行税の免除、提供したとしても粗末な教会宿くらいなものだ。頼みの綱であるはずの勇者にすら、ろくなサポートを施してはおらん。これでは、奇跡を宿した勇者たちも魔王討伐などバカバカしくなって各地で悪さをしようというものだよ」
(なんだこいつら……)
やだ怖い。
変態のくせにめちゃくちゃ現実的な観点を持っていやがる。
(……そこまで魔王国を買ってるんなら、大人しく軍門に下ればいいだろう……)
クルトンは思った。
なぜ魔王国を滅ぼそうと躍起になっているのだろうか。なぜボロカスにけなしたソタナフマ連合のために勇者として戦おうとするのか。
混迷を深める謎を整理しようと、クルトンは言葉を選んだ。
「い、いやでも、リエット様が以前、領土の緑と青が魔王軍の手で破壊し尽されたって。さっきだって、トゥール伯がたしか、そう言って……」
「緑と青の拷問椅子ですわ。素晴らしい彩りと造形美でしたのよ」
「……丘の向こうに連なる美しい三角の山々が――」
「美しい三角木馬の数々に決まっているでしょう。それ以外に何があるのです?」
「水車小屋からパシャパシャと水の音がしていたって以前――」
「水車と言えば水責めの道具ですわ。もう、民に大人気で。常に順番待ちでしたのよ」
淑やかに答えるリエットに、クルトンは絶句した。
領主が選りすぐりのド変態なら、民草も磨き抜かれたド変態だったらしい。
盛んだった民の声、というのは、きっと盛んであるべきではない事だったのだろう。トゥール伯の元領土は、間違いなくカオス・ワンダーランドだ。
おそらく、魔王国はトゥールの地をまともにしようとしたのだろう。
「おのれ魔王国め……我が領土を、よくもっ。なんと残虐な!」
「ええ、お父様。許せませんわ!」
トゥール伯とリエットは、互いにそう言って肩を怒らせていた。
冷静な観点を持っていても、ド変態はド変態として、動かしがたいものがあるらしい。
「それ……が、リエット様が魔王を討伐しようとする、理由なんですか?」
「まさか。わたくしの大願は領土の奪還ではありませんわ」
「そのとおり。それなら、魔王国の軍門に下った方が手っ取り早い」
リエットの言葉をトゥール伯が補った。
クルトンは傾げていた首をさらに傾げる羽目になる。
「……では、どうして?」
クルトンの問いかけに、トゥール伯は自らの髭をゆっくりと撫でた。
「考えてもみたまえ、クルトン君。魔王国はすばらしい善政を敷き、多くの民を飢えと病から救った。人族など未だに国家を乱立させ、ソタナフマ連合などという名ばかりの同盟しか結べず、欲得にまみれて互いにいがみ合っておるというのに、かの魔王国では通行税さえ撤廃され、整備された街道を商人達が自由に歩いている」
「そ、そうなんですか……」
「そうなんだよ、クルトン君。その魔王を神の名を借り、勇者となって打ち倒せばどうなる? 今や世界の半分を統べる魔王国中の者たちから、忌み嫌われ、侮蔑され、憎悪され、軽蔑されるだろう。……想像してみたまえ、最高のプレイだとは思わんかね?」
思わない。
全く思わない。だがそれはクルトンおよび一般論であり、リエットは違った。
「さすが、お父様。ご名答ですわ」
「娘の事なら何でもわかるさ、ふふ」
リエットとトゥール伯は仲睦まじく微笑みあっていた。
(だめだこいつら、絶対に何とかしないと……)
クルトンは魂の奥底からそう思った。
さすがのヴィアンドですらドン引きしている。
クルトンは声を喉から絞り出した。
「……そ、そんな邪な思いで、魔王討伐を……?」
呆気にとられつつクルトンが言うと、トゥール伯は眉をひそめた。眉を顰めたいのはこっちのほうだとクルトンはイラっとしたものの、トゥール伯はやれやれと肩をすくめている。
「邪とは、クルトン君。聞き捨てならないな。娘はただ、みんなから罵られたい。ハアハァしたい。そういう一途な気持ちで魔王を倒そうとしているだけなんだぞ!」
「そんな傍迷惑な一途さで倒されちゃ、魔王もたまったもんじゃありませんよっ!」
クルトンは思わず盛大にツッコミを食らわせてしまった。
反射的だった。あまりに変態かつアホな連中に、自制心が刹那、消えてしまった。
そのクルトンの隙を、トゥール伯は見逃してはくれなかったらしい。
「……ほぅ、君は随分と魔王国に肩入れするのだねぇ」
「…………」
まずい。
クルトンは背筋がひやりとした。トゥール伯が猜疑の眼差しで見て来るのだ。完全に変態ではあるが、それでも元は領主だった人物。先ほど披露した魔王国に対する冷静な観察眼などからするに、教養も深く、頭の回転はかなり良いはずだ。
真実を見抜く目と心は持っている。
どう言い逃れるべきかと、クルトンには考える暇すらなかった。
トゥール伯が何かに気づいたとばかりに、クルトンを見て大きく目を見開いたのだ。
「――っ!? もしや、もしや君は!!」
(っ!? し、しまった……)
クルトンはほぞをかんだ。
この親子があんまりにもアホすぎるものだから油断した。
ついつい、地が出てしまったのだ。密偵としてあるまじき失態だった。
「そうか、君は、なるほど! ……そうする事で周りから白い目でみられ、内心、ビクンビクンしようとしているのだね……わかるよ。わかる、君のその気持ちは」
(わかってねぇよ……)
おまえら親子はほんと、奇跡的なまでに人の気持ち全然わかってねぇよ。
クルトンは心のハリセンをフルスイングした。
「だがね、クルトンくん。先走る心のあまり、露骨すぎてはいけないよ。それは最初こそ刺激的にビクンビクンできるが、上質なビクンビクンはもっと静かで奥ゆかしいものなんだ」
トゥール伯はそう言って、クルトンをなだめるように肩をぽんぽんと撫でた。
リエットの父は、包み込むような眼差しで微笑んでいる。リエットのたおやかさは、父親譲りのものなのだろう。雅な声音でも、肩肘を張らせない柔らかさがある。
右ストレートをこめかみに叩き込みたくなる優しさだった。
クルトンは気を取り直し、リエットへと向き直る。
「……ところで、リエット様。旅路の方はどうしましょう?」
「リエット殿、トゥールの町へと向かわれてみては? いかに魔王討伐への旅路とはいえ、生まれ故郷が目前にあるのですから」
ヴィアンドがそう言いながら、クルトンに素早く目配せした。クルトンもその意味は分かった。援護してノイト大佐の元へと導くぞ、というアイコンタクトではない。
どちらかが疑われても、どちらかが任務を続行する。
抜け目のないヴィアンドの意図は、おそらくそういう事だ。
「お待ちください、ヴィアンド様」
クルトンは待ったをかけると、ヴィアンドが首を傾げた。
「なんだ、クルトン?」
「旅の目的は魔王城のはず。いかにリエット様の生国とはいえ、長居するのはいかがなものでしょう? ここはあくまで魔王領です。敵の地である以上、警戒するに越したことはありません。なるべく人目につかぬよう、急いで通り過ぎるべきなのでは?」
クルトンがそう言うと、ヴィアンドが静かに頷いた。
「なるほど、その通りだ。しかし、クルトン。魔王城へ向かう旅路は過酷だ。もう二度と故郷の地を踏むことが無いかもしれない。ゆっくりと過ごす訳にはいかずとも、せめて生家を一目見ておくくらいの情はあっても良いのではないか?」
「それは、そうですが……しかし――」
「いや、二人して争ってもせんなきこと。リエット殿、お決めください」
ヴィアンドが促すと、リエットが頷いた。
「わかりましたわ。ヴィアンド様のいう事も、クルトンのいう事も良く分かります。……ところで、お父様はこの後、どちらへ?」
リエットが尋ねると、トゥール伯は彼方の空を指さした。
「うむ、トゥールの町へと向かう。町の者たちに顔を見せてやりたいのでな。できればリエットにもついて来てほしいのだが……」
トゥール伯が遠慮がちにそう言うと、リエットは頷いた。
「では、わたくしもお供いたしますわ。ヴィアンド様、クルトン、良いですか?」
リエットに同意を求められ、ヴィアンドは静かに首肯した。
「はい、リエット殿」
「リエット様がそうおっしゃるなら」
クルトンもしぶしぶと言った雰囲気を少しだけ漂わせつつ、同意する。
これにて、タルタルの鼻先がどちらへ向くか決まった。
すべてはクルトンとヴィアンド、そしてローレルの目論見通りの展開だ。
リエットのような空前絶後のはた迷惑なド変態マゾ勇者に、魔王国の安寧をこれ以上脅かされるわけにはいかない。かつてないほど、クルトンにとって有利な状況だ。
トゥールの町には、魔王軍人であるノイト大佐が居る。
そこでリエットを撃滅するのだ。
そうクルトンは腹の底にぐっと力を籠め、決意を新たにした。
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