第13話
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伝令は馬を速く走らせ、トゥールの地を進んでいた。
快晴の空は見ているだけ心地よいが、伝令の気分は重い。
正直、トゥールの地には長居したくなかった。
この地の不穏な噂は、近辺に居る伝令仲間なら誰でも知っている。元領主であったトゥール伯とその一人娘に対する民衆の忠誠心が、尋常のものではなかったのだ。
十年ほど前に中央情報局はそういう分析結果を出しており、魔王国は最大限譲歩した条件を出し、トゥール伯の所領安堵を約束しようとした。が、「そんな条件がのめるか」とトゥール伯は突っぱね、結果的にトゥール伯はソタナフマ側へと亡命した。
そして、中央情報局の予測通りになる。
魔王国によるトゥール統治は上手く行かなかったのだ。
八方手を尽くしてもこの地の民心を掌握する事が出来ず、魔王国側は困り果て、最後の手段としてノイト大佐が送られる事になったという経緯を持つ。
そのノイト大佐自身、聞こえて来る噂はロクなものがない人物なのだ。
だが、腕は超一流だ。
嘘か真か、瞬く間にトゥールの民心を鷲掴みにしてしまったらしい。
(はぁ、とっとと用事を済ませて、自分の部隊に帰ろう……)
伝令はそう思いながら、馬の手綱を握っていた。
ノイト大佐が駐留する町が見える。
我の強い人物が多い〈二つ名付きの佐官〉の中でも、ノイト大佐は別格だ。部隊を指揮させれば新兵すら死兵へと変え、小隊で要塞を真正面から突き崩す。自らの部下や仲間に対する扱いはもちろん、白旗を上げた敵兵や民衆に対しても容赦をしない人だ。
ノイト大佐の所業を聞く者は、敵味方問わず必ず畏怖する。
「……な、なんだ、あれは……?」
町に入るまでもなく、伝令の目に変な光景が飛び込んできた。
農夫らしき二人連れが、道を歩いていたのだ。……四足歩行で。
伝令は戸惑いながら農夫へと近づいた。
「ど、どうなされたのだ? そこの道行くお二人、そんな恰好で?」
「ぶひ? ぶひぶひっ!」
「…………」
農夫の二人組に声をかけた伝令は、その返答に面食らった。トゥールの国言葉か、あるいは、訛りが酷すぎてこんな風に聞こえてしまっているのか?
「……そ、その、ノイト大佐の屋敷をお教え願おうかと、声をかけたのだが……?」
「ぶ、ぶひぃ! ぶひ、ぶひぃ!」
「っ!? え、いや、えっ!? !?!?!?」
伝令は困惑した。
そして恐怖した。
どう見ても人の形をした農民が、豚の鳴きまねをしているのだ。伝令の言葉は伝わっているらしく、あっちにありますよと指示してくれているが、返事は言葉ではない。
農夫たちは、ふざけている様子でもない。
魔境に迷い込みでもしたような感覚に身体を震わせ、伝令は馬を進めた。進めば進むほど、魔境の香りが強くなる。町の住人は……ことごとく四足歩行だった。
会話も豚の鳴き真似だ。
ぶひぶひぶひぶひと、町のいたるところから聞こえてくる。
人間の、鳴き声が。
伝令は背筋が寒くなり、身を縮めて自らの肩をさすった。
(……な、なんなんだ、この町は……? か、帰りたいよぅ……)
町の中でも一番大きな屋敷へと着き、伝令は馬を降りた。トゥール伯が住居として、かつて使っていた屋敷だ。今はノイト大佐の拠点となっている。
伝令がノックをすると、家政婦が素早く顔を出した。
(よ、よかった……)
伝令はほっとした。
家政婦は二足歩行だったのだ。なぜ自分はそんな事でほっとしなければならないのか、伝令は戸惑いつつも、エントランスへと招き入れられた。
先客が居る。
町人らしき老人と軍服姿の女性が対面していた。
町の父老と話しをしているらしい、軍服姿の女性はノイト大佐だ。上級将校特有の意匠をこらした軍服だ。すらりとした身体と凛とした佇まいに、良く似合っている。鬼神族の特徴でもある角は、きりりと結い上げられた真紅の髪に栄え、ティアラの如く美しい。
知性をその容姿から強く感じさせる、妙齢の女性だ。
ノイト大佐は穏やかな顔で微笑んでいる。伝令の姿をみとめると、ノイト大佐は片手を軽く上げて「少し待っていてくれ」と合図したので、伝令は扉の前で背筋を伸ばした。
「ぶひっ、ぶひぶひっ、ぶひぃ!」
町の父老は豚の鳴きまねをすると、踵をビシッと揃えた。
「おい、豚野郎。トゥール山の香木と銘木の生育状況を教えろと、私は言ったのだ。この町の主要産業の一つだろう? 豚の鳴きまねで伝わると思うのか?」
ノイト大佐が父老へとそう告げた。
ノイト大佐は穏やかな顔を崩さず、しかし雰囲気だけは凍り付いている。
その視線と声の冷たさは群を抜いていた。
「は、はい、ノイト様。申し訳ありません」
町の父老は意外だと言わんばかりの表情をしつつ、そう言って人の声を出して続けた。
「さきほど豚の言葉でお伝えしたかったことでありますが、香木は現在、取り決め通りの年間伐採数で、山での生育状況は大変良いです。銘木に関しては、年間伐採本数を縮小することを検討しておりまして、それと同時に町の者で植林をしているところで――」
父老の言葉はどんっという靴音に遮られた、
ノイト大佐が鋭い目で、不愉快そうにしている。
「おい豚。この町に来て、私はまず命令したはずだ。豚が人の言葉を使うな、と」
ノイト大佐にそう言われ、父老の困惑は尋常ではなかった。
「…………は、は? し、しかし、いま、ノイト様が豚の鳴き真似では、と――」
「知るか。私は豚の言葉など知らん。しかし私に説明するのがお前の役目だ。私に分かる言葉で説明せぬなら鞭で罰を与えるし、人の言葉を使うのなら、私の命令を無視した事に違いは無い。つまり、お前には鞭をくれてやらねばならん。それだけの事だ」
ノイト大佐は断言した。
どっちにしろお仕置きが待っている。常軌を逸した物言いだった。
「……ひっ……」
小さく悲鳴を上げ、老人は腰が抜けたように尻もちをついた。
ノイト大佐の手にはいつの間にか、細長いものが握られている。家畜を追うための鞭だ。純白の鞭だった。冷たい眼差しで、ノイト大佐は老人へと近づいていく。
滅茶苦茶な理屈だが、ノイトは実行するつもりらしい。
大理石の床の上を滑り、細長い鞭がしゅるしゅると不気味な音を立てている。
その時、メイド服姿の少女が飛び出し、老人に覆いかぶさった。ぎゅっと目をつぶり、ノイト大佐の振り上げる鞭から、老人を庇おうとしているようであった。
屋敷の家政婦のようだが、老人の縁者でもあるらしい。
ノイト大佐は鼻で笑った。
「ほぅ。身を挺して鞭をその身に浴びようとは……泣かせるじゃないか、反吐が出る」
「お、おやめください、ノイト様っ。孫娘は、せめて孫娘だけはどうか!」
必死にそう懇願する父老を、ノイト大佐はぎろりと睨みつけた。
「……おい。誰の許しを得て、人の言葉を使っている?」
「ぶ、ぶひぃ!」
「この敷地内では二足歩行を許してやっているからか、どうにも増長しているらしいな。何度も何度も……やはり言葉では理解できんようだな!」
ぱぁん! ぱぁん! ぴしゃあ! ぴしゃぁああ! とノイト大佐は鞭をふるった。とてつもない音だ。鞭の先端が音速を超える衝撃波が、鼓膜を打つ。鞭の連撃を浴び、哀れ、父老とその孫娘はがくりと気を失ってしまった。
唾を飲んで見ていた屋敷の家政婦たちへと、ノイト大佐は顎をしゃくり合図した。そこでやっと、他の家政婦たちは老人と孫娘へと駆け寄り、介抱してやれたようだった。
まったく無茶苦茶である。
ノイト大佐は細長い鞭をぽいと手放し、伝令に向き直った。
「すまんな、来てくれたと言うのに、見苦しいものを見せてしまった。まったく、しつけてもしつけても、しようの無い豚どもでな……」
「……の、ノイト大佐。すこしその、やりすぎでは……?」
伝令が震える声で進言するも、ノイト大佐は柔らかい微笑みで答えた。
「豚である自覚を植え付けるのに言葉など要らない。汚らわしい豚どもには、ムチさえあればそれで良い。ムチを食らう喜びこそ、ヤツらを満たすのだ」
圧倒的であった。
ノイト大佐は圧倒的なサディストであった。
ドン引きしながらも伝令は額の汗を拭き、手配書を懐から取り出した。さっさと要件を済ませて一刻も早く帰りたい、と伝令は心底思ったのだ。
「ノイト大佐、これが中央情報局より届きました。奇跡の勇者候補で、イベリコ中佐や封鎖艦隊を破ったとの事です。名はリエット。元トゥール伯の娘だそうで。この地へと向かっているそうです。至急、ノイト大佐に対処をお願いしたいとのことで……」
「見せろ」
「はい」
「ふんっ!!」
伝令がうやうやしく手配書を見せたその瞬間、目にもとまらぬ素早さで何かが翻った。肩をびくりと震わせるような破裂音と共に、手配書が真っ二つに引き裂かれた。
そこでやっと、伝令は気付いた。
手配書を鋭く引き裂いたのは、ノイト大佐の手中にあった白色の鞭であった、と。
伝令は自分の目が信じられなかった。
ノイト大佐が腕を動かした事すら、伝令の目には分からなかったのだ。そもそも手ぶらだったはず。どこから鞭を取り出したのかも、分からない。
伝令役とはいえ、武門に生まれ幼少の頃よりある程度の武芸は積んで来たつもりだ。
にもかかわらず、まったく動きが見えなかった。
魔王軍人の佐官クラス、それも大佐となれば、もはや格が違うらしい。
「……か、勝てそうですか?」
「愚問だな、伝令。その似顔絵を良く見ろ」
あなたが引き裂いたせいで良く見られなくなったのですが。
とツッコみかけて伝令は言葉を飲み込み、綺麗に二つになった手配書を震える手で組み合わせて、そこに描かれたリエットの似顔絵を見た。おそらく、リエットに張り付いている中央情報局の密偵が描いた似顔絵なのだろう。
かなり精巧な絵だった。
「大変、見目麗しい、清らかな心を持った乙女のように見えますが?」
「違うな」
「……は、はあ。では、どのような?」
「よく覚えておけ。それは貞淑を装ったド変態マゾの顔だ。私の敵ではない」
ノイト大佐は断言した。
凄まじいまでの観察眼にして、サディストの女王様だった。
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