ダグ番外編
※4に出てきたズギダと居た時のダグのお話です。
小さいながらもその町は賑やかであった。
旅の商人達が自慢の商品を広げ見せ、道行く人に薦めている。
その中のとある宝石商の男が色とりどりのアクセサリーを並べ、一人の女性を呼び止める。今ならお買い得だと話す宝石商と女性が値段交渉に夢中になっている後ろで、一人の少女が立ち止まった。金も持たないような小汚い子供のことなど眼中に無いようで、宝石商はその少女に目もくれず女性と話し続ける。
すると、少女は商品にそっと手を伸ばした。幼く小さな手が、光を反射し輝く首飾りを掴み、素早く懐に忍ばせようとする、が。
「何をしてやがる!」
宝石商の怒号が響いた。
少女は構わず、首飾りを握りしめ走り出そうとするも、宝石商の手が素早く少女の首に巻かれたマフラーを引っ掴む。
「てめぇ! 商品を盗むなんて、ガキだからってただじゃおかねぇぞ!」
女性客相手にニヤニヤしていた顔とは思えないほど目じりを吊り上げながら、宝石商は逃がさないというように少女の首に腕を回す。
少女はとっさに、その回された腕に思い切り噛みついた。
ぎええ、と痛みで情けない声をあげて宝石商は腕の力を緩める。その隙に少女は宝石商の腕から抜け出し、人込みの中に紛れて逃げて行った。
「騒ぎを起こすなって言っただろうがダグ!」
ダグと呼ばれた少女は、ここでも怒号を浴びていた。
町から少し外れた森の中に、彼らの拠点があった。風避けの布が張られた少し大きなテントのような物が二つ並び、さらに一つ小さなテントがある。首飾りを盗んだダグは、宝石商が追ってくるかもしれないと思い、遠回りしてここに帰ってきたのであった。しかしその一件についてはすでに、ダグを怒鳴りつけているこの男の耳に入っていた。
「いいかダグ、今日のお前の取り分は無しだ、失敗しやがったからなぁ?」
ダグはそれを聞くと、納得がいかないというように声を上げる。
「何でだよズギダ! 見つかったけどよ、ちゃんと金になるもんは持ってきたじゃないか!」
ズギダと呼ばれたその男は、ダグを見下すようにニヤニヤと笑いながら、手入れしていないような縮れた髭を撫でて言った。ズギダは定期的に拠点を変える運び屋のリーダーである。体格もよく、ダグと並ぶとズギダは熊のようにも見えた。
「盗みっつうもんは見つからねぇようにやるもんなんだよ。なのに見つかりやがってよぉ。下手したら俺たちにも面倒事が回ってくるんだぜ?」
それにな、と言いながら、ズギダはダグが手に持っていた首飾りをふんだくり、それを一瞥する。
「こいつぁ宝石じゃねぇ、ただのガラス玉だ。ここら辺の貧乏人は騙せるかもしれねぇが俺は騙されねぇ。まがいもんなんか持ってくるんじゃあねーぜ」
ダグは目を疑った。光の反射を多くする加工をされ、きらきらと輝くこの首飾りが宝石じゃなく偽物だなんて。ダグは落ち込むというよりも、ガラスがこんなにも光を放ち輝くことに感動していた。
しかし、そのままその首飾りをポケットに入れようとするズギダの腕を、ダグはハッとして掴む。
「にせ物なんだろ! いらないんだろ! だったら返せよ!」
ダグが力いっぱい腕を引っ張るも、体格がよく力も強いズギダに敵うはずもなく、勢いよく振りほどかれた。その拍子にズギダの腕が顔にも強く当たり、ダグは尻もちをついて倒れる。
「うっとおしいんだよこのクソガキが!次やらかしたらもっとひでぇ仕置きをしてやるからな!」
そう言い捨て、ズギダは外に出て行った。
腕が当たった頬がずきずき痛み出してきたのと同時に、ダグの口の中で血の味が広がった。
「ふふっ、やぁねぇ、顔、殴られたみたいな跡があるよ? また何かした?」
「盗めって言われたから盗んだのに怒られた。今日の夜飯も駄賃も無しだってさ!」
小さなテントから淡い明かりが漏れる。その中でダグは溜まっていた気持ちを吐き出すように、毛布を被る女に愚痴を零していた。
「まぁまぁかわいそうに。しょうがないねぇ、子どもはたくさん食べて大きくならなくちゃね。私の分をあげる」
「いいよおれは!アミナはちゃんと食べろよ!そっちこそ、病気治んねーぞ?」
アミナと呼ばれた女は、見るからに痩せ、ブロンドの髪もぼさぼさで痛み、弱弱しい姿をしていた。ダグを気遣い、優しく微笑みながらスープとパンを差し出す。
「今日はあまり食欲がないの、残すと勿体無いから、ダグが食べな」
食べないなら捨てるよ、というアミナの言葉を聞いた途端、ダグのお腹が鳴いた。
「……わかった。それもらうからな。食べちゃったもんは返さねーからな!?」
そう言ってむしゃむしゃと食べ始めたダグを、アミナは安心したように眺める。
ふと、アミナがゴホゴホとせき込んだ。
「アミナ、大丈夫か?」
ダグは心配そうに、小さな手でアミナの背中を撫でる。
「ちょっとむせただけだよ。ふふっ、そんな顔するんじゃないよ……」
アミナは苦しそうに顔を歪めながらも、心配かけまいと微笑み続けた。
「……ズギダ、呼んでくるか?」
突然のダグのその言葉に、アミナは一瞬あっけにとられた。苦しいながらも思わず笑いが零れる。
「あははっ、ズギダは医者じゃないんだ、呼んだって何もならないさ」
どうして呼ぼうと思ったんだい?と問えば、ダグも腑に落ちないような顔をし返した。
「だってあんたらふーふだろ?ふーふはいつでも一緒にいるもんだって前にアミナ、言ってたじゃねーか」
夫婦はいつでも一緒にいるもんだ。そして相手を愛し、助け合うもんだ。
夫婦とは何かとダグに聞かれた時、そういえばそんなことを言ったなと、随分と遠く懐かしいもののようにアミナは思い出した。
アミナは儚いような憂いた目をダグに向ける。
「あんたは優しい子だね、ダグ」
眠りについたアミナの横に、ダグも寝転がる。ダグはアミナのことが心配でならなかった。ここに来てすぐ優しくしてくれたアミナ。その時からすでに体調を崩していたらしく、みるみる内に痩せていった。踊り子の仕事も辞め、今ではすっかり寝たきり状態である。自分なんかよりもっと食べて、元気になってほしいのに。ダグは数回、踊り子の衣装を着てベールを泳がせ、華やかに踊るアミナを見たことがある。とても美しく綺麗だと思ったことを、ダグは思い出していた。
翌朝、ダグは自分の分とアミナの分の朝の食糧を貰いにズギダのいるテントに向かう。ズギダの傍で食糧係がパンやスープ等を仲間に分けていた。ダグは二人分くれと言ったが、一人分しか回って来ない。ダグが抗議しようと口を開けると、それを遮るようにズギダが言った。
「お前今日からアミナに飯はやらなくていい。……あいつはもうほうっとけ」
「え?」
ダグはズギダが何を言っているのか一瞬理解できず、聞き返す。
「だからよぉ、あいつはもうダメだろ? すぐ死ぬやつには飯はやらなくていいんだよ、勿体ねぇからな」
ダグは絶句した。この男は何を言っているんだ?
「すぐ死ぬって、まだアミナ、生きてるじゃねーか‼」
ダグはズギダの発した言葉に、驚きや怒りや恐怖までもがぐるぐると頭の中を駆け回る感覚を覚える。嫌な汗が出た。
「アミナに飼いならされてやがったか。めんどくせぇなぁ。……お前もその飯が欲しいならもうアミナにかまうんじゃねぇぞ」
ダグは俯き、一人分の食糧を持ったままその場を離れた。
「アミナッ!」
焦った様子のダグが寝ていたアミナの肩を揺らした。
「なんだい、ダグ…騒々しいねぇ」
力なく返事をするアミナに構わず、ダグは貰ってきた食糧を押し付ける。
「なあ! これ早く食べろよ! これ食って早く元気になって……アミナ!」
アミナは首を振り、起き上がることもしようとしない。
「あのな、ズギダが……! アミナはもうダメだって、死ぬって、……だから飯もやらなくていいなんて言うんだ!」
必死なダグを他人事かのようにアミナは見つめる。
「そうかい、ズギダがそんなことを……」
「そうだぞ! だから早くこれ食えよぅ!!」
こんなに弱弱しく、今にも消えてしまいそうなアミナを初めて見た。何か食べないと本当に死んでしまいそうな、そんな気がして、ダグは怖くなる。
「いいんだよ、ダグ。私のことはほっときな……。あんたはちゃんと飯を食べるんだよ……。ガキはちゃんと食わなきゃね……」
それでもアミナは、ダグの身を気にかけていた。
「おれのことなんかどうでもいいだろ! なんでそんな何にもないようにしてるんだよ! 死ぬって言ってたんだぞ……? ズギダが、アミナは死ぬって、ズギダが……」
「そうだねぇ、死ぬかもねぇ……」
消え入りそうな声で、アミナが言った。
「……アミナ?」
「なんだかとても、眠いんだ……、寝かせてくれないかい?」
起こそうとしてアミナの身体を揺らすダグの手が震えだす。
「アミナ、だめだよ、寝ちゃだめだ、おきて、おきてアミナ……!」
ダグが必死にアミナを呼び掛けていると、テントの入り口に男の影が映った。
「ぎゃーぎゃー騒ぐなよぉダグ! お前の声は耳に来るんだクソガキが」
ズギダが手にナイフを持って横たわるアミナと、アミナを起こそうとするダグの横に立つ。
「どけ、ダグ。こいつはもう殺す。飯もくわねぇ回復もしねぇ。お荷物の女なんざ邪魔なだけだ」
ダグはアミナを小さな身体の全体を使って隠すように抱きしめる。
「なっ、何言ってんだよ! ふ、ふーふじゃねぇのか!? ふーふは一緒にいるもんなんだろ、ふーふは一緒に……」
そう言うダグに、ズギダはぶはっと吹き出した。
「なんだぁそりゃ! アミナから聞いたのか? 夫婦だと? 笑わせんなよなぁ!愛だの恋だの、んなもん知るわけがねぇだろうが! 女は抱いて捨てるもんなんだよ! のこのこついてきやがってよぉ、少しは役に立つかと思っていたがすぐに病気になりやがって! だからもう用済みだっつってんだよ」
ダグは唖然とした。
そんな言葉、アミナの前でだけは言ってほしくなかった。
すると、アミナが涙を流しながら小さく笑いだした。
「アミナなんで笑ってんだよ! なんだよ! いみわかんねぇよ!」
ダグが顔を歪ませアミナに迫る。何で、こんな時に、笑っているんだ?
するとズギダが力任せにアミナからダグを引きはがし、その勢いでダグは後ろに転んだ。アミナの胸ぐらをつかみ、ズギダはナイフを振り上げる。
ダグは転ばされた痛みも忘れ、ナイフを持っているズギダの右腕に飛びついた。
「てめぇ!」
ズギダはダグを殴って振り払おうとするが、ダグはズギダから離れない。
そして渾身の力でズギダの腕に噛みついた。
肉がえぐられるような激痛が一瞬、ズギダの腕を走る。ズギダは驚いてナイフを落とした。
「こいつ!」
頭に血が上ったズギダは、ダグを殴り飛ばした。
その拍子に、何かがズギダのポケットから零れるようにして顔を出す。ダグが盗んだあの首飾りだった。首飾りは空で紐がほどけたようで、ばらばらキラキラとガラス玉が落ちていく。
ダグは頭がくらくらし、息もしにくくなりながら、地面に這いつくばっていた。
「チビのくせに舐めやがって……! こいつが死ぬところをそこで見てろクソガキがァ……!」
ダグの意識は朦朧としていた。霞む目の向こうで、ズギダがナイフを拾うのが見える。
アミナを殺さないで
そう言いたかったのに、口からはヒューヒューと音が出るだけだった。
ズギダはダグも殺そうと、アミナの血が付いたナイフを向けた。
ダグは頭がぼーっとしていた。アミナはもう動かないものになってしまった。
アミナはどうしてズギダと共に居たのだろう?こんな最低最悪の毛むくじゃら男なのに。この答えはもう二度と聞けないんだなぁとダグはぼんやり思った。
ズギダがダグの頭を掴もうと手を伸ばす。
ふと、ダグの頭にアミナの顔が浮かんだ。アミナはダグを気にかけ、自分の分の食べ物を分けてくれた。ダグ自身も、アミナに生きてほしいと思って、食べ物をあげようとした。
―おれは、生きていてほしいと、アミナに思われていたんだ―
その時、ダグはズギダに頭を掴まれた。ハッとしたダグは、無意識に自分をかばうようにして力いっぱい左腕を持ち上げた。
すると、巻かれていた包帯がするりとほどけ、刃物の奇形となっているダグの左手がズギダの腹をえぐった。
「ぎゃぅっ、ああっ、このやろぉおお……‼‼」
ズギダが腹をかかえ膝をつく。その隙に、ダグは重い身体を必死に持ち上げて立ち上がった。
逃げて、生きなきゃ。
ダグはちらりと、白く動かなくなり目から光を失ったはずのアミナを見た。しかしアミナの周りにはテントの隙間から入る日の光を浴びてキラキラと光るガラス玉が落ちていて、アミナの瞳もその光を反射し、輝いていた。
ダグは少しだけその綺麗なアミナの瞳を見つめたあと、逃げるためにその場を去った。
重い身体を引きずるようにして、ダグはとぼとぼと歩いていた。
空の赤色が木の間から見え隠れしていて、これから夜が来るのだと思うとダグは何故か寂しい気持ちになった。
良き姉のような存在だった大事な人の死、人の腹をえぐった感触。逃げるために長い時間必死に走り続けたこともあり疲れ切っているダグは、それらを思い出し涙が出た。しかし泣いたら強くなれないと思い、手の甲でこすって何度も拭った。
ぐぅ。泣いて少しだけ頭が落ち着いたのか、腹が鳴った。
食料を得るためには盗むか働くか。働くを選ぶ場合は金を貰うための居場所をまた探さなければいけない。
そうやってダグは生きるためにまた、流れていくのだった。
灰を追う風 うるう星 @tokiuru
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。灰を追う風の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます