聖夜に還る輝星

 ノクトの元へと駆け寄る勇者たちの表情には、彼女が見せた技の凄まじさに、驚きとおののきとがない交ぜになった感情が浮かんでいた。今、自分達が置かれている状況を、一瞬とは言え忘れさせるほどの衝撃を彼女は見せつけたのだった。


「まだ終わった訳ではない。寧ろ、ここからが難題だ」


 そんな彼等の心中に現れた機微をさとく感じ取ったノクトは、気を引き締めるが如くそう言い放った。ピリッとした空気が周囲を満たし、エリスを始めとした勇者たちは今一度、緊張感を露わにした。

 任務はまだ終わりを見せていない。

 そして、先の戦闘では犠牲者が出ている。

 それ等の事を忘れた者は誰一人いなかったのだが、強敵に圧倒的な力で勝利したノクトを前に、僅かばかり気が緩むのも仕方の無い事だった。

 それはエリスとて同様であった。

 エリスは、ヘラルドとカナーンが倒されるところを目撃しており、少なくない怒りと悲しみを感じていた筈であった。それにも拘らず、その事を一瞬棚上げにされてしまう程、ノクトの戦いぶりと、その時に見せた技はセンセーショナルなものだったのだ。


「魔属が―呪術を―実践している様ではありませんし―――……これは―まずですね―――……」


 そんなノクトに対して、メイファーが現状の確認を込めてそう告げる。ノクトも彼女の言葉に、苦い表情で重々しく頷いた。

 魔族が呪術を使い、「クリスマス」や「サンタクルス」の力を使って増幅しているだけなら、魔属を倒した時点で事は解決する。……いや、次の問題が発生するのだが、一先ず被害の拡大を防ぐ事は出来る筈だった。

 しかし、横たわる女性達に変化は見られない。それは取りも直さず、魔属が呪術を行い続けていた訳では無いと言う事。若しくは、既に魔属の手を離れ、手の出し様が無いと言う事を表している。

 そしてもう一つ。

 呪術には2通りの効果を与えるものがあり、1つは呪いを掛け続けている間のみ効果を及ぼすもの。この場合は、呪術を行う者、若しくはそのシンボルを破壊するなりして無力化すれば、しゅの対象者を救う事が出来る。

 だが、呪力が蓄積して行く場合はその限りでは無い。例え呪術を執り行っていた者やそのシンボルを破壊したとしても、それまでに蓄えられた呪術は被術者から消える事は無く、「解呪」と言う別の儀式を行わなければならない。


「呪術を発し続けているのは……あれか……」


 ノクトは、横たわる女性達の足元で佇む、巨大な石像を見上げてそう呟いた。それは、シモーヌから告げられた呪術の発生源と、特徴が酷似していたのだった。

 

 ―――チャッ……。


 ノクトは、持っていたアルケイロの銃口を石像へと向ける。それまでの流れで考えるならば、石像には強力な防御障壁が張られているのだが……。


 ―――キュンッ!


 ―――ドガッ! ガラガラガラ……。


 張られた結界を物ともしないノクトの一撃が、見事にサンタクルス像の眉間を撃ち抜き、直後に石像は上半身を吹き飛ばされていた。それと同時に、石像周囲の結界は消えてなくなり、エリス以下勇者たちが女性へと駆け寄った。


「……やはり……呪術は別の場所から放たれていたものだったか……」


 エリス達が見やる女性達に何ら変化が訪れないと確認したノクトが、苦々しそうにそう口にした。

 現状は一同の最悪を突いていた。

 魔族が居なくなっても、呪術が収まった様子はない。それは、石像を破壊しても同様だった。それに、彼女達から呪力が抜ける気配も無いのだ。


「じゃ……じゃあ、このサンタクルス像って一体……!? それに、呪術はどこから行使されてるんですか!?」


 焦りの色を濃くしたエリスが、悲鳴に近い声でそう問い質す。

 そう口にしたエリスだったが、彼女自身も明確な返答が返ってくると思っての発言では無い。異界異国の神であるサンタクルスの詳細を知る者がいるとは思えないし、呪術の発生源に至ってはシモーヌですらここを突き止めるに留まっているのだ。

 ここから先を追うには、もう一度彼女に探って貰わなければならないが、今この場にシモーヌは不在であり、何よりも時間が残されていなかった。

 

「恐らくだが、呪術の特性を考えれば、この『サンタクルス像』は中継点、若しくは増幅装置としての役割を与えられていただけに過ぎないのだろう。呪術自体は別の場所……魔界のどこかでその儀式が執り行われていると考えられる」


 そんなエリスの疑問に、ノクトは淀みなくそう答えた。ただ、彼女にしては珍しく、最初に「恐らく」と付けているあたり、それは彼女が導き出した考えの一端であろうことが窺い知れた。

 その真偽は定かでなく、検討する時間も残されていないが、この場においては最も説得力があり、また理知的な答えだった。


「……それじゃあ……それじゃあ、彼女達は……?」


 震える声でエリスが問い返す。ノクトの言う事が正しければ……いや、今は正しいと信じるしかないのだが、それではエリスを始めとしたその場に集う勇者たちに打つ手がない事を意味している。


「……間もなく夜半となり、暦の上では日付も変わる。そうなれば彼奴(きゃつ)らの言う『クリスマス』となり、呪術が完成してしまうだろう。彼女達は魔属の母として、恐るべき呪われた『御子』を産み落とす事となる。その時、どの様な力を持った子供達が出現するのか、それは誰にも分からない」


 ノクトの言葉はエリスに答えている様であり、それでいてある決定を言う為の理由を連ねている様でもあった。そしてその声音は冷徹であり、エリスに理解して貰おうと言うのではなく、自身に言い訳をしているのでもない。この場にいる指揮官として、そして全軍司令官としての決定を告げようとしている事が、誰の目にも明らかだった。


「そうなる前に、我々の手で処断しなければならない。これ以上の悲劇を広げないために、最小限の被害で今回の事件に幕を引くのだ」


 エリスが一瞬、息を呑んで動きを止めてしまう。それは彼女だけでなく、その場にいる殆どの者がそうだっただろう。

 

「……ク……クリスマスは……」


 正しく絞り出す様に、喉の奥から言葉を引き出す事に成功したエリスが、足元に横たわる女性を見つめながら続きを紡ぎ出す。


「わた……私……聞きました……。クリスマスは……クリスマスは、『奇跡』を起こす事の出来る夜だって……。サ……サンタクルスが……奇跡を齎す、聖なる夜だって……」


 それは、エリスがユウキに聞いた異界で行われているクリスマスについての概要だった。

 初めてその話をユウキから耳にしたエリスは、クリスマスと言う夜に華やかで楽しく、幸せそうなイメージを抱いた。漠然とではあったが、その時に齎される「奇跡」も温かさに満ちているものであると想像したのだった。

 だが現実は……冷酷だった。


「それは、魔属にとっての『奇跡』に他ならない。我等にとっては『悪夢』となる可能性を秘めているのだ。この世界で信仰されていない『サンタクルス』なる神が、我等人族にとって恩恵を与えてくれる神だとは誰も言い切れない」


 ノクトの非情な決定と、余りにも皮肉な「聖夜」を呼ぶ「クリスマス」に、エリスの目には涙が溢れだしていた。この年この日に限っては、聖なる夜など何処にも無かった。

 魔属は暗躍し、知り合ったばかりだが気の良い二人の勇者が命を奪われ、女性達も救われる事は無い。

 あるのは、凄惨で狂った事実だけだったのだ。

 

「……う……あ……」


 その時、エリスの膝元で横たわっていた女性が声を発した。エリスが彼女を見ると、薄っすらと瞳を開け、意識を取り戻している事が窺い知れた。


「あっ……あの……っ! だい……大丈夫ですかっ!?」


 咄嗟に女性の手を取ったエリスが、何とか言葉をひねり出してそう尋ねた。誰がどう見ても、彼女が「大丈夫」等と言う訳はないのだが、エリスには他に掛けるべき言葉が浮かばなかったのだ。


「……して……」


「何っ!? どうしたのっ!?」


 目覚めたばかりの女性が、かすれた声で何かを話そうとする。力なく、今にも消え入りそうな声に、エリスは耳を近づけてもう一度問い返した。


「こ……ころ……して……ください……」


「……えっ……!?」


 本当に息も絶え絶えに、女性は耳を疑う台詞を口にしたのだ。余りに唐突であり、信じられない言葉を聞いて、エリスは絶句するより他になかった。


「お……願いです……私を……私達を……殺してください。私達はもう……人として……助かりません……。それに……お腹の子供は……もう、私の子ではありません……。何か得体のしれない物に変わった事が分かるのです。だから……だから、殺してください! 人として生を歩めないのなら、どうか今、この場で、私を、私達を殺してくださいっ! お願いしますっ!」


 弱々しかった女性の言葉は、最後には鬼のような形相で死力を尽くした哀願となっていた。全ての力を振り絞った彼女の言葉に、エリスだけでなくその場に居合わせる勇者たちですら言葉を無くしてしまっていた。

 沈黙が周囲を支配する中で、その女性はゆっくりと右手を大きなお腹へと這わせた。それは最後に、自分の子供であった物を確認するかのように、母が子を愛おしむ仕草に見て取れた。


 ―――ザンッ!


 しかし無情にも、その母性溢れる光景を、狂喜の幕開けを告げる現象が一転させてしまった! 突如、その女性の右手首が宙を舞い、エリスの側へと落ちたのだった!

 あまりに突然起こった、理解の埒外らちがいにある現象に、その場にいる者の思考が付いて行かない! ただ声を出す事も出来ず、その光景を目で追うだけが唯一出来る事だった!


「ううう……あああっ!」


 もっとも、沈黙していたのは勇者達だけであった。そしてそれも、それ程長い時間と言う訳では無い。エリスと会話した女性の腕が石床の上に落ちたと同時に、他の女性から苦痛にも似た呻き声が発せられだしたのだ!

 ただ不思議にも、エリスの前で横たわる女性は、にも関わらず、呻き声や悲鳴も……それどころか、声の一つも発する事無く、既に掌が無い腕を虚ろな瞳で見ていたのだった。その姿は、どこか他人事でもあり、何かを得心とくしんしている様でもあった。


「総員、戦闘準備っ! 救出対象を攻撃対象へと移行っ! 急げっ!」


 そんな中でただ一人、冷静に事の成り行きを追っていたノクトは、その事態を合図とするかの様に迷いのない声音でそう指令した!

 

「ノッ……ノクト様っ!? それはっ!?」


 反問も出来ず、さりとて命令に対して動き出せない勇者たちの中で、唯一人声を発したエリスが、悲痛な叫びでそう問い返した。その瞳から溢れた涙が、その頬に幾本もの筋を作り出している。


「エリス、お前の報告とその女性の言った事を考えれば、説明しなくとも分かっているのではないか?」


 激情に囚われているエリスを押し留めたのは、その声色通り冷え冷えとしたノクトの台詞だった。心さえも凍り付かせるのではないかと思わせる程冷気を纏ったその言葉は、正しく外の風景と同様に寒々しく、エリスに幾分かの冷静さが戻った。


「魔属はクリスマスを利用して、人属を魔属に作り替える儀式を推し進めていた。そしてそれは、今まさに成就しようとしている。今の我々に打つ手はなく、だからと言って手をこまねいている訳にはいかない。奴らの計画がどれ程の災いを引き起こすのか、誰も想像出来ないのだからな。我々に出来る事は、……違うか?」


 まるで心を持たない石像の様に、ノクトは反論の余地を許さない声音で言い切り、最後にエリスへと問うてきた。

 感情論だけで語れるならば、エリスはその言葉を否定し続けていただろう。

 当然、そんな子供じみた行為が許される様な状況では無く、ノクトの話に反論出来る者などエリスは勿論の事、ここにいる誰にも出来なかった。

 

(……嫌な役目ね)


(……言ってくれるな……)


 本音を吐露しないノクトに代わり、ベルナールがそう零した。感情の希薄なベルナールの言い様は、やはり心の籠っているとは言い難かったものの、それでもノクトには有難く、苦笑交じりにベルナールへと返答した。言うまでもなく今のやり取りは、ノクトの内側で交わされたもの。誰に聞かれる訳もなく、それだけにノクトも本音の一部だけでも晒す事が出来たのだが。


「……これが……勇者の役目なんですか……?」


 沈黙を破ったのは、ノクトの台詞に対して矢面に立っていたエリスだった。彼女の肩は、先程よりも激しく、小刻みに震えている。


「……そうだ」


 本当に嫌な役目だと、ノクトは思わずにはいられなかった。

 に、冷静に答えてやるのが……だとは言え、それも時と場合に依る。ノクトとて同じ女性、本来ならばこんな命令など、誰に命じられてもやりたくはないのが本音だった。

 それでも誰かがやらねば……告げねばならない。そしてその役目は、司令官たる彼女のものだったのだ。


「そんなっ……。違うっ……違うはずですっ! 勇者はっ……! 勇者だからっ……!」


「違わない」


 取り乱し出したエリスに、それでも構わずノクトは言葉を被せて続けた。彼女の右手が、すっと横たわる女性達を指差す。


「彼女達が身籠った子らは、今にも生まれ出ようとしている」


 見れば女性達に被せられた薄いシーツには、お腹の辺りから真っ赤な色が染み出しており、それはゆっくりと波紋の様に広がり続けていた。


「到底、自然の成り行きによる生誕とは言い難い。こんな禍々しい誕生など、決して許してはならない。これは我等の意志でもあるが、彼女達の願いでもある」


 彼女達の中で育った子供たちは、母である女性達の腹を突き破り生まれ出ようとしているらしかった。既に切れ込みの入った腹部からの出血がシーツを濡らしているのだ。

 声にならない声を出し、エリスは必至で言葉を探していた。

 彼女にも分かっている。ノクトを始め、この場にいる者は全員、エリスと同じ気持ちだろうと。ただ彼女には、その事を受け入れる事が出来ないだけだった。

 その時、エリスの着る鎧下の裾を、横たわる女性の左手が掴んだ。ハッとしたエリスが、涙で潤んだ瞳を彼女の方へと向ける。


「……良いの……良いのよ……。お願い……ね……?」


 激痛の最中に在り、最も苦痛と悲しみの渦中である筈の女性からは、優しい笑みと共に穏やかな言葉でそう告げられた。

 それを聞いたエリスの目からは、更に大粒の涙が零れ落ちる。ただ首を横に振り、現実を受け入れない様にするだけで精一杯だった。

 エリスの中で、絶望と悲しみが溢れだし、止め処なく湧き続ける。


「……ダメよ……こんなの……。勇者は……人々を救う存在……。勇者が……人を救えないなんて……。そんなの……それなら……何で私達は……父さん……母さん……ベイン兄さん……チェニー……エイビス!」


 その時、エリスの身体から、今までにない光が迸った! 強く眩いその光は、清浄で清らかな、それでいて哀しみを内包して周囲を隈なく照らし出す!


「これが! エリスの!」


 その光に驚きを隠せない勇者一同の中で、唯一人、ノクトだけは僅かも見落とすまいと、今や光源となり直視も難しいエリスの方へと目を凝らしていた。





(……エリス……『あれ』をやるのかい?)


(ええ……。お願いよ……ユウキ……)


 答えるエリスの声に覇気は無く、全ての事から脱力し、今にも自分の殻へと籠ってしまいそうな程陰鬱なものとなっていた。

 一方、エリスに問いかけたユウキの声も、何処か躊躇い気味であり、どうにも乗り気であるとは言い難かった。そしてその理由は明白であった。


(どんな結末に至ったって、きっと君は後悔する。あの女性達ひとたちがどれ程感謝しても、ノクトやメイファーがどれ程君を誉めそやしたって、君は決して自分を許せなくなる。立ち直れないかもしれない。それでも良いの?)


(……うん……)


 ユウキは真剣に、エリスの事を心配しているのだった。

 エリスは、ユウキの「隠されたしんの力」を使い、女性達を「救おう」としているのだ。それがどの様な「救い」となるのか……それは誰にも、エリスにもユウキにだって分からない。

 ただハッキリとしている事は、残された選択肢は少なく、如何にユウキの力を以てしても、奇跡と見紛う都合の良い「救い」等期待できないと言う事だけだった。

 ユウキの言葉に、エリスは然して考える事も無く頷いた。それは、とても考えての発言とは思えず、どちらかと言えば考える事を放棄した、反射による答えにしか聞こえなかった。


(……分かったよ。……じゃあ……やるよ?)


 エリスの返事を待つ事無く、そう言ったユウキの身体が強烈に発光する。目を覆いたくなるほどの光にも関わらず、その至近に居るエリスに反応は無い。彼女の心は、深い「負の感情」に囚われているのだ。


(……はぁ……あ……)


 直後、ユウキの身体は霞に消え、エリスが僅かに吐息を洩らした。ユウキが、エリスの「魂」と融合した合図だった。

 人の持つ「魂」と言う無限のエネルギーを依り代とし、天を裂き地を割る程の「感情」を切っ掛けとして、ユウキの「しんの能力」は発現する。それは、ユウキのみに与えられている能力に他ならなかった。

 

『……エリス……準備は済んだよ……。後は君の望むまま……想う通りにすれば良いよ』


 ユウキの言葉に、エリスは反応する事無く、その力を表へと向けて行使した……。





 光そのものであったエリスの身体が、ゆっくりと輪郭を取り戻し、それを見守っていたノクトにもその姿を捉える事が出来る様になっていた。


「……あれが……エリスなのか……?」


 余りの光景に、冷静沈着を旨とするノクトでさえ、言葉を詰まらせてそう呟くより他なかった。

 再び衆目に晒されたエリスの“身体”は、先程とは似ても似つかぬものへと様変わりしていたのだった。


 長く伸びた、美しく波打つ金色の髪……。


 一回り程成長を果たしたかのような身体は、未だ少女の面影を残していたエリスのものとは程遠い。美しくしなやかな肢体……女性らしさを強調させる胸元、細く括れた腰つき、スラリと伸びた手足。女神を思わせる、それでいて大人びた体つきとなっていた……。


 瞼を伏せて俯き加減の面立ちは、同じ女性であっても息を呑む程に美しい……。


 そして、変貌を遂げていたのは体つきだけでは無い。

 身に纏う衣装もまた、先程とは明らかに違っていたのだった。


 全体が赤を基調としており、身体に密着している様な、異国の衣装。


 まるで儀礼服を思わせる長い上着の裾は膝下まであり、エリスの巻き上げる魔力にたなびいていた。


 スラリと細いスラックスに、艶の入った綺麗な赤い靴。


 全身赤尽くめなのだが、裾や袖、衿と言った要所には白で縁取られている。


 見る者が見れば、それがどんな意味を持つ衣装なのか分かるだろう。


 ―――サンタクルスを模した衣装であると言う事を……。


 エリスは、「クリスマス」と「サンタクルス」に絶望するあまり、奇しくもそれを象徴するかの如き姿を取っていたのだった。

 それはまるで、奇跡と言う名の悪夢しか生まない異界の神「サンタクルス」に代わり、己が奇跡を代行する意思表示でもあるかのようであった。


「……今より、この力の及ぶ範囲の悪しき者どもを……浄化せしめます」


 未だ光を発する中、エリスの身体は徐々に中空へと昇ってゆく。まるで天へと帰還する神の御使いが如く、その姿は余りにも神々しい。

 エリスが呟いた言葉に、誰も、何も問い返す事はしなかった。……いや、出来なかった。

 その雰囲気に呑まれてしまっている勇者たちは勿論、彼女と親しいメイファーも、ただ昇り行くエリスを見つめるだけであった。ただノクトだけは事情が異なり、これから何が起こるのかを唯の少しも見逃すまいと見つめていたのだった。

 天井にまで達したエリスは、そこで留まるでは無く、障害を意に介さず上昇を続ける。彼女が天上へと接触すると思われた瞬間、彼女の上昇を妨げていた屋根の一部が、まるで泡の様に消え失せてしまったのだ。

 命を持たない石や木材ですら、エリスの手によって消されてしまったかのようであり、彼女の向かう先にはもう星を散りばめた漆黒の夜空しか浮かんでいなかった。

 更に夜空へと飛翔を続けるエリスは、周囲の闇を蹴散らしながら、唯一人天空に存在していた。そして、天をも突かんばかりにそびえ立つアビエスの樹、その天辺へと至った時、漸く彼女の飛翔は終わる。

 

(本当にやるのかい? 俺としては、立場的に止めないといけないんだけどな)


 止める気の無い声音で、それでもユウキがエリスに向けて最後通告を投げ掛ける。


(……良いの……。助ける事が出来ないなら、せめて最悪の悲劇となる前にこの手で……)


 それでもエリスの決心は揺るがない。もっとも、この姿となったエリスには、何を言っても意味が無い事をユウキも知っている。


(良いかい? 君が考えている規模の“奇跡”を行使すれば、君自身もただじゃあ済まないからね? 相応のリスクは覚悟するんだよ?)


 ユウキの説明に、エリスはゆっくりと頷いて精神集中を開始する。


(……エリス……。君が……君こそが“しんの勇者”だったら良かったのにね……)


 ユウキのこの呟きは、もうエリスには届かなかった……。





「エ……エリスの身体が―更に光り輝いて―――……」


 遥か下方からエリスを見上げていたメイファーが、突如起こったエリスの異変に声を上げた。彼女の身体からは、再び眩い光が発し始め、周囲の闇を追い払っている。

 そして次の瞬間! 光は一気に拡大し、ノクトやメイファー達の視界を白一色の世界へと染め上げる! いや、彼女達だけでは無かった!

 エリスの発した光は、周囲一帯……「カドカワ村」だけに留まらず、視界の効く範囲全てに及んでいた! それはあたかも、夜を昼へと変えてしまったかのような、正しく奇跡としか言いようのない現象であった!


「……ああ……」


 純白の世界は、ノクト達に驚きを与えたものの、恐怖や畏怖は与えなかった。それどころか寧ろ、温かささえ感じさせる清浄な光だった。

 その聖白な世界の中で、横たわっていた女性達が声を洩らす。その声は苦痛や悲しみでは無く、安堵を含んだ溜息にも聞こえたのだった。


「……これは……彼女達が……浄化されてゆく……?」


 白い光の中で、魔に侵された彼女達の身体が、徐々に透けて行くのをノクトは見た。消えゆく彼女達の表情は皆穏やかであり、まるで眠りにつく様な、僅かに微笑みさえ浮かべてその姿を消滅させていった。


「これが……エリスの出した答えか……」


 奇跡と言うならば、これ以上の奇跡は無い。死の苦しみさえ覚悟していた彼女達に、安堵と共に昇天する機会を与えたのだ。そんな事が出来るのは、正しく聖夜に舞い降りた天使以外には出来ないのではないかと、ノクトでさえ思ったほどであった。


 



(……お疲れ様、エリス……。もう、限界だよ……。君の力で、少なくとも今夜だけは、王城南部から異界門にかけての『魔に属する者』は一掃されたと思う……)


 終了を告げるユウキの声は穏やかで、心底エリスを労った物だった。それを聞いたエリスは、額から流れ落ちる玉の様な汗をぬぐう事無く、薄っすらと微笑んで答える。


「……そう……良かった……」


 エリスの放っていた光は急速に薄れ、再び静闇とした夜が戻って来た。可能な限り、文字通り精魂を振り絞ったエリスの“奇跡”は、漸くの終わりを見せていた。


 ―――もっとも、それで終わり……と言う訳では無かった。


 エリスの足元から、幾つもの光の玉が舞い上がって来る。ゆっくりと、それでも確実に天へと向かうその光球は、浄化されし女性とその子供達の霊魂なのだろうか。

 そしてその光は、エリスの足元だけではなく、遥か北からも、そして西、東と、各所から飛来して来ていた。


「……これは……?」


 エリスが、驚きを以てそう呟いた。

 エリスの元へと集った幾つもの光は、フワフワと、まるで踊る様に……遊ぶ様な動きを見せて飛び回る。

 そしてエリスの見ている前でその輝きたちは、この世に名残を見せるかのように、アビエスの樹へと寄り添い出した。


『……がとう……』


 その時、エリスの耳に何かが聞こえた。エリスが目を凝らすと、樹に寄り添う光の一つが人型を取っている。それは、最後にエリスと会話を交わした女性の姿であった。そしてその傍らには、幼児の姿をした光が……。


『ありがとう』


 声……では無いのだろう。光の女性は、口を動かしておらず、ただ微笑を浮かべているだけだ。それでもその“声”は、エリスの耳に、心にハッキリと届いていた。


「う……うん……ううんっ! お礼なんて言わないでっ! 私は……私達は何も出来ないで……結局……」


 再び、エリスの瞳から涙が溢れだす。


『ありがとう』


 微笑を絶やす事無く、光の女性からはその言葉だけが告げられる。気付けば、多くの光球が女性の姿を取っており、その全てがエリスに向けて笑顔を向けていた。


「ううん……ゴメン……ゴメンね……ごめんなさい。こんな事しかしてあげ……られなかっ……た……」


 ―――フッ……。


 そう彼女が呟いた瞬間、エリスの纏っていた光が掻き消え、その場に留まる事の出来なくなったエリスが急落下する。脱力し、殆ど気を失っているエリスに、その行為を留める力は残っていない。……いや、今のエリスならば、例え力が残っていたとしても、それを行使したかどうかは疑問であるが。

 しかし、エリスが地面に叩きつけられて絶命する……等と言うオチは有り得なかった。エリスとの融合を解いたユウキが彼女の傍らに付き、魔法と思しき力でその落下スピードを抑制したからだった。

 ほとんど意識の無いエリスを、まるで小さな聖霊が抱きかかえる様にして地面へと降りて行く。


「……クリスマスツリーみたいだな―――……」


 見上げたユウキの目には、アビエスの樹に群がり遊ぶ光の玉たちが、まるでその大樹を飾り付けているかのように見えていた。

 そしてユウキの呟いた「クリスマスツリー」を知る者ならば、やはり同じ感想を溢していた事に間違いはなかったのだった。




 周囲をふたたび闇が支配しようとしていた。

 押し寄せる暗闇の中、唯一光を保っていたのは一本の大樹。

 大小様々な光を放つ光球が、その大樹を装飾するかのように飛び回り、それを見ている者の目に幻想的な光景を映し出していた。

 やがて一つ……二つと、光球は空へと舞い上がり……ついには全ての光球が、澄み渡った星の煌めく夜空へと溶けて消えて行ったのだった……。



※あなたの望むエピローグは……?

現実とは酷なもの……そこに救いや奇跡など……ない。

「エピローグ ―星に願いを―」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884519033


聖夜には奇跡がつきもの! クリスマスだからこそ望める奇跡をここに!

「エピローグ ―聖し、この夜―」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884519060

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聖夜に還る輝星 綾部 響 @Kyousan

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