4-5 桃の花

 魔法使いだと名乗る奇妙な少年に出会ってからも俺は変わらず壁にもたれ、少年は人1人分の間を空け座り、定位置となっていた。少年は、俺が返事をしなくても、日中ベラベラと話しかけてきた。他にも子供はいるのに、こいつはずっと俺にだけに話し続けた。言い方を変えれば、他の子を避けているようにもみえたが。


 こいつからは桃の香りがした。この国では、魔除けのために匂袋を皆持ち歩く匂袋には、乾燥させた花を入れる。。俺は特に入れたい花がなかったので、レグルスからもらった石を入れていた。兵士もそれだけは取り上げなかった。ここにいる者も、皆持っている。少年が何を話していたのか、そのほとんどが思い出せないが、少年から香るその桃の匂いだけは鮮明に残っていた。

 皆が眠りにつく静寂が包む夜、少年のその香りだけが色を含んでいた。


 ここにきてから寝ようとしてもまともに寝付くことができていなかった。少年が来て初めて、その桃の香りがなんだか懐かしくて、俺は初めてここで深い眠りについた。



 そして幾つかの月日が流れ、ついに無視し続けることに限界がきた。

「あんた本当は何者なんだ?」

 もう一度、あの時と同じ質問をする。

「だから魔法使いさ。」

 少年はやはり自慢げに、ニヤッと笑い答える。

(心の底から自分が魔法使いだって信じてるんだな・・・)

なんだか呆れを通り越してかわいそうになってきた。


 それからは度々、彼と話すようになったが、それは他愛もないことであった。俺は懸命に距離を置こうとした。彼に尋ねられても、自分自身に関することは無視をした。昔から口下手だったため、はぐらかすことが苦手であった。ぐいぐい距離を迫ってくる少年に、戸惑いを隠すことで精一杯であった。



 ふとこの少年が〈魔法をかけてあげる!〉と言っていたことを思い出し、この日は珍しく、というか初めて自分から話しかけた。

「なぁ魔法とやらはいつかけてくれるんだ?」

「もうずっとかけてるよ?」

 少年は〈何言ってるの?〉と首を傾げた。。

「何にも起きてないけど?」

 今度は俺が首を傾げた。

「君が気づいてないだけだよ。」

 この少年は、魔法の話になると必ず瞳にたくさんの星を吸い込むのであった。

「本当は魔法使えないんじゃないのか?」

 少年が言っていることがやはり理解できなかった。俺にとっては魔法だの魔法使いだのというものは、おとぎ話の中での存在だ。そんなものが現実に存在するわけがない。幼い頃は信じていた時期もあったが、そういったものは物語の中だけである。おかしいのはこの少年の方であった。この少年が時折不意に覗かせる不可思議な雰囲気を感じる度、〈もしや?〉と期待する自分をいつものようにかき消そうとした。

「魔法にかかるかどうかは君次第だよ。でも、今の君には無理だろうね。」

「無理なんじゃん。」

「魔法っていうのは、物語のように呪文を唱えればなんでもできるってものじゃないんだよ。必要なものがあるんだ。今の君はそれをまだ持っていない。」

(きっとこいつはおとぎ話を現実だと信じているのだろうな)

「何がいるんだ?」

「秘密!」

少年は人差し指を指に当て、嬉しそうに、にっこりと笑った。

「何だそれ。」

(一瞬でも期待した俺が阿呆だった・・・)

はぁ、と呆れた声でそう返すと。少年が近づいてきた。

「大丈夫だよ!いつか気づくから!まぁでもこれからの君次第だけどね!」

 そう言って背中をバシッと叩き、楽しそうに元の場所へ戻っていった。

(こいつ、どこにこんな馬鹿力を蓄えてるんだよ・・・)

 以前ぶつけた額の痛みを思い出しながら、ジンジンする背中をさすった。

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彼と彼女の手記 0章よるのばけもの @ex1023change

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