赤緑柱石

韮崎旭

赤緑柱石

 肺を掻き出していたら緑柱石みたいなものがまるで果肉のようにばらばらと零れ落ちてきたのでそれが緑膿菌感染などの感染症の結果ではなさそうなことに安堵しながら私は緑膿菌や薬剤耐性緑膿菌、黄色ブドウ球菌、肺炎球菌、急性感染性呼吸器症候群、等々が何たるかをまるで知らないまま夜道を歩いていたところ、見知らぬ人間に「僕の愛を受け取ってください」と、は? 愛? 愛だと? 今愛って言ったか? 間違いなく? 夕立が来るように唐突に? 君の眼を覆う積乱雲の萌芽のように示唆的に? あるいは古びてあらかた天井が落ちた朽ちた建物のように無造作に? 所有者のわからない土地の権利関係とその収拾のつけ方のように煩雑に? ガラスでできた血管網のように麗しく? 真夏のパトリアルシエのように異常に暑く? 煩雑な手続きのように迂遠に? 愛と、そういったのか? 死ではなく? 薬剤でもない? モルヒネでもなく?

 そうだ私は薬剤を求めていた。時には中枢神経を抑制したいものだ。私の中枢神経はひどくわたしをいらだたせたために、私はそれを無理に眠らせる必要を感じていた。

 今愛って言ったのか? 正気か? どこからそんな語彙を引っ張り出してきた? ヨハネスブルグでももはや死語なのに? マールブルクでももはや廃れたというのに? マインツでは語られなくなって久しいというのに? 選帝侯領内ではそもそも書物に見かけることが、かなり古いものですらまれだというのに?

そう、死ならわかる。死のような眠りをもたらす中枢神経抑制剤を私は求めていた。幻想的な光の音楽やステンドグラス越しの光に似たソプラノの叫びではないそれは沈み込むような暗色であり、皆無であり絶無。

 だから異状死体を夢見るのだといった日は遠くあった。それを拾い集めに行くのは私にとって能力という面で困難だった。ただ、麻酔の夢の中でまどろんでいたいそれだけなのに、許されない……。

 それで君は愛を語るわけですか。愛を語ろうとするわけですか。愛というのは定規です。平衡感覚です。見失ったゲルマント侯爵夫人の肖像を再び現像しようとする試みに似てその実その人物が始めからどこにもいないから君は惨めったらしく干からびた干しブドウを眺めているがいいさ。君は惨めったらしく自分自身の墓を不法投棄されたごみの山から掘り返すがいいさ。廃物こそがふさわしい墓標だとは、ちょっと気取りすぎるきらいがあり、君の衒奇的な日ごろのふるまいを存分に反映している。

 愛、だと? それは例えば長期間の命の危険がある絶食であり、長期間の命の危険がある瞑想であり、長期間にわたる青への傾倒であり、消失しつつある明白な意識の残骸を留めるための、または徹底的に損壊しつくすためのわかりやすい手段でありうる。

 私はいらだっていて、それはひどくいらだっていて、それは私をむしばんでダメにする。だから私は大嫌いなジンを無理に飲み込んだはいいが、気分が悪くなった。それから何度目かの朝焼けで床に新聞紙とビニールシートを敷いて首を括ろうと考えたがその前に気分の悪さが抜けきらずごく普通に吐いていたから、その場で首を括ろうとする気が失せた。

 何だってこちらが疲れているときに愛などとほざくのか? いい迷惑だ。気分が悪いと再三再四申し上げたはずだが節穴か飾りなのか?

愛は気分が悪い。愛は滑稽だ。愛は役立たずで木偶の棒で、連続殺人犯にもなれなかった犯罪者の出来損ないだ。私が語彙の理解に苦しんでいると、君はまた、僕の愛を受け取っていただきたいと。

 この夜道でよくもまあそのようなことが言えたもので、辺りには冷え切ったアスファルト。看板。信号機。道路標識。標示。30キロメートル毎時が最高速度。停止線。愛を、どうか?

 この夜道でよくもまあそんなことが言えたもので、君は不当なことでそれがあるとは思わないのかね。私は君と面識がないし、よしんば面識があったとしても、お断り。

 そもそも愛という奴を毛嫌いしているのはそれが人間を結ぶから。人間は離散して全滅しろと基本的に思うわけだ。

 夜中にバウムクーヘンを一人で食べていると明らかに正気になってゆき、それと同時に厭世が自己嫌悪が強まっていくのを、顕在化してゆくのを感じる。なぜまた私は生物をしていて、ものを、バウムクーヘンなどをこんな時間に齧らないといけないのか。食事などという不快極まる行為を規則的に行う強迫観念を教育されるのか。それがいま私を緩慢に苛烈にさいなむというのに、私は何の罰として生き者であるのか?

 指先から冷気が停滞または沈殿してゆき、緩速濾過地にエメラルドの雪が、日がな一日降り続ける。そうして7月と呼ばれる誰かは日がな一日眠り続ける。怖いという前に、意識を手放しているので、手放された意識は軌道敷内の向こう側に飛散して、切り落とした生肉のように詩的で、生煮えの水道管のように生物じみている。

 私は寂しく架空の構造物と会話劇を行おうと努める。でもそれって実は大変無駄な努力。でも私、努力始めからしてない。

 人間が、いかにも生物な様子でもったりとした感じの動き方をするからあらゆる人類と静物がまるでトラウマのように、気色悪く私の皮膚や神経を、私の外胚葉を抉ってゆく。だから皮膚が乾燥していたみたいに剥がれ落ちて、どこかで女の子が歌う歌を聴き続けているのは、それ以外が聴けないからで、剥がれ落ちる皮膚の断片にたぶん、書き留めておくべきことが記されていたように思う。しかしそれを私は山林か準用河川にまとめて破棄してしまった(空気に融けて消える類の不要物、生物由来の素材から製造した生分解性・自然に優しい素材)から、どこにももう探しようがない。虚偽の罪悪感。虚偽の生存。虚偽の感想。ここにいるふりだけを、続けておきますね、架空の名で。さて、迷子の羊を探す路線で、いくつものカンテラが冷気のようなガラス玉を演じていた。

 眼を開けると人間が視界に飛び込んできたのが思い切り辟易した。

 私はそう、どうにかするために、視界を分割し始めた。しかしそれは気味の悪さをみじんも低減させず。僕らはみんなわけもなく醜悪に生きていて、死なないならさっさと消え去って。個々のバスは黄泉にしか向かわないと聞いたよ。ああでも私はたびたび、自分がその実死人か、長い夢を見るための機関ではないかと感じるんだ。君はどう思う?

 君も、死人なのか?

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赤緑柱石 韮崎旭 @nakaimaizumi

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