朝を乗せたバス
平方和
朝を乗せたバス
部屋を出て歩き出すまでは気づかなかった。日差しは、充分な光量だったし肌を刺す熱さえも持っていたのだから。けれど街角まで到達するうちには眼鏡の前面に幾つかの水滴が着いた。老いを始めた視力では、視線を上げても雨足は見て取れないのだが、経験からすればこれは充分な量の雨が降っているという事だった。
それにしてもたかだか小型の雨雲が、晴天の低空を横切ったに過ぎない事だろうと、見くびっていた。通りを渡れば向こう側はもう降っていないだろうと疑いもせず、雨を除ける目的として通りを渡った。思惑は外れてそこにも雨が降っていた。ぼくは従容として歩き続けた。
幹線道路からの抜け道になっているのだろうか。この路は幅も広く、見通し良くまっすぐに続いている。ここを通る定期路線のバスがありそうだ、と日頃から睨んではいたのだが、実際に通過する姿はついぞ見た事がなかった。
たまたま横断歩道でない処を渡ったからだろうか、そこに停留所を示す看板を見つけた。興味を持って時刻表を覗いて見たが、フェルトペンで書かれたらしい数字は半ばかすれていて、読みとり難かった。
しかしどう見ても数字は朝の六時の欄に二つあるだけだった。それ以外の欄にはかつて数字を書き込んだと推定できる程の痕跡すら見いだせなかった。早朝にここを経過し、何処へともなく行ったバスは終業時にはどうなるのだろう。いずれは何処かの車庫へと戻らなくてはならないのではないだろうか。しかし時刻表には夜のタイムテーブルは記されていなかった。
バスの姿を見た事がないというのもあり、これはとうに廃止された路線なのではないか、という推定も浮かんで来た。近くには廃止された自動車教習所もあり、かつてその生徒を運んだ名残か、とも思われたのだ。
停留所のプレートは歩道に穿った穴にコンクリートで固定されていた。だから廃線となっても取り除けなかったのではないか。誰かがバスを待っていてくれればまだしも、通りのこの辺りに人影は無かった。それがどうしてもこの場所を、過去の情景に見せてしまうのだ。
幹線道路に行き着けば、現在の時間を激流として見る事が出来る。巨大なトレーラーを引いたトラックが次々に通って行く。その荷台には大量に消費される、日常のあらゆる商品が詰まっているのだろう。
歩道橋の袂の停留所に行き着いた。雨はこの場所をとうに通過したらしく、陽光の下で足許が濡れているばかりだった。五つの路線のバスがこの停留所を共有していた。そのうちの三つならば、どれに乗っても良かった。各々の時刻表には数多くの数字が並んでいた。五分前に通り過ぎたもの。行ったばかりのもの。十七分後に来るもの。
時間に余裕があると知って、鞄から本を取り出した。鞄の上で緩く腕を組み、左手で本を開いて支えた。本への執着が薄れていた。自分を掻き立ててでも、本を読む日常へ回帰する必要があった。だからこそ、こんな時こそ敢えて本を開こうと思ったのだ。
自分が生まれた頃の文学は、人物の行動に意外性があった。リアリティが変動してしまったのかも知れない。だから活字を追い始めれば、興味は集中出来た。だがその貴重な集中力を放散させてしまうものがあった。
適度な湿度に唆られて飛来したものだろう。ページに小虫がとまっていた。吹き飛ばそうとしても、思うようには飛び去っては呉れなかった。組んでいた腕を放し、掌で脅かすしかない様だった。
そんな事をしているうちに、バスのフロントが思いの外近くに迫っていた。周章てて行く先の表示を確認した。待っていた路線ではなかった。車両の連なりの中を悠然と来て目前に迫った車両に、乗る意志のない事を知らせる必要を感じた。大きなスタンスで身を翻し、停留所を離れた。
バスは停車する事なく通過して行ったが、その時車体の何処かで圧力の変わる音が響いた。それはまるで人のたてる音に聴こえた。紛らわしい客だ、と苛立ってバスが舌打ちをし乍ら過ぎて行ったかの様だった。
新しく就いた仕事の場で、知り合ったばかりの歳若い同僚に「怒る事あるんですか」と問われた。微笑みや笑いは抑えずに表現し、意見をぶつける事は慎重に回避していた。だからこそそんな風に、人柄を捉えられたのだろう。
そんな風に見て呉れるなら目論見の通りだった。中年に至って新しく就く仕事では、もう自分がリードして行こうなどという積極性は無用だった。積極的な現場の担当者に、手綱を預けるべきだと思った。だからこそ扱い易い人になろうと思ったのだ。
ここ数年怒った事は無いですね、と笑顔で答えていた。僅かな時間だけ回想が過ぎった。怒らなかったからこその、この生活なのだろうか、と思った。
昼下がりの公園を通り掛かった。ここには雨の痕跡は見当たらない。風雪の傷みを刻んだベンチが、園内の処々に配置されていた。どのベンチも塞がっていた。ひとつひとつを各々一人が占めていた。男性も女性もいたが、誰もがコンビニエンスストアで購ったらしい昼食を手にしていた。
スチロールの弁当トレイ。あるいは白い手提袋に入った幾つかの調理パン。各々がそれを食べる為だけにここにいた。誰に出会うでもなく、会話を楽しむ期待さえも放棄して、ひとりで座るには幅広過ぎる座席を占めているのだ。あたかもベンチの配置の、その独立性に頼るかの様だった。
日差しの下を駆け回る子供も少なく、まして散歩の犬さえ見あたらなかった。座る人々の視線は公園の奥行きに注がれる事もなく、表情は動きを止めていた。昼食を楽しむ事さえもうまく出来ない様な人々なのか、とそこまで思いを馳せた時、それは自分に似た人達なのだ、と判った。ぼくらは一様に、不器用な生き方をしているのだ。
早くも召された友人も幾人かはいて、彼等と比べればこれは残りの人生だった。一線に立つにはもう体力が足りなかった。かと言って働かなくては家賃も食費も賄えない。終わりの時がまだ訪れないからこそ、前線を退いてもまだこうして衰えた身体を酷使して、戦場には立たなければならないのだ。
公園を過ぎて、珈琲スタンドなどが軒を連ねる一角に立った。待ち合わせには当たり前過ぎる場所だった。気の利いた場所を思いつかないぼく達の不器用さを、苦く笑った。
待つ程もなく、彼女は時間通りに現れた。やぁ、と言う声を聞いたときには彼女は傍らに居た。何処へ行きましょうか、と口をついたのは敬語だった。離れて暮し始めてまだ一月程だった。まだ馴れの名残りがあって、心情的にはそれ程の謙譲の意志を込めてはいない。けれど言葉は他ならない敬語の表現を取った。夫婦という男女の関係の接続が絶たれた時、それに見あう表現は実はそれ程には多様ではなかったのだ。
久し振りでターミナル駅に出たから、と彼女は少しはしゃいでいた。馴染みのブティックや文房具屋へ行きたい、と言われそれらのテナントのあるデパートへ向った。ひと通りを見て回った後、珈琲スタンドで休んだ。
靴も見たかったな、と呟く言葉を捉えてぼくは、そこへも足を向けようと促した。彼女が見せる遠慮を、笑顔を向けて排除した。付き合いの良さは他人には見せて来た。それがこうして自然に、発動されようとしていた。
仕事の場を妻が去った後、妻の同僚の幾人かとは、その後も仕事の場で付き合って来た。その誰もが、優しい奴とぼくを評価してくれていた。その評判は、家庭に入った妻にも届いていたのだろう。
けれど家に帰ってまでその優しさを発動する事は無かった。家庭という場で気遣いを見せられる事を、他ならない妻自身が煩雑に思ったらしい。いつか家庭では、過分な配慮を廃した付き合いが定着していた。それを馴れと言うべきだろうか。
優しさを発動し、それがここで煩雑にあしらわれないのは、彼女の側にもまた別な距離感が生まれたという事なのだろうか。かつて彼女が理想として語った生活の形態は、隣同士に別居したい、という事だった。生活の中には、場を同じくしたくはない部分が幾つもあったらしい。
ぼく達は、駅裏のディスカウントの靴屋を目指した。
結婚後の妻はやがてフリーランスの仕事を得た。月に幾度かは地方へ出張する仕事だったから、自然とぼくはひとりであらゆる家事をこなす様になって行った。それが今に活きている。
たったひとりで始めた暮しの、家事のどの局面でも困る事はなかった。夜分に至って部屋へと帰り着き、夜のニュースを横目に飯を炊く。野菜を刻む。お菜を温める。そんな手先の行動が心を安らがせて呉れる。その実、寂しさが心の何処かに潜んでいる筈なのに、それは全く心の表面に浮かんでは来ないのだ。
夜更しの習性は、街のあらゆる場所に蔓延している。仕事が夜分に至ろうと、商店が閉ざされて困る事はなくなっていた。主婦が夕方に買い物に行く店は、終電車に急かされて降り立った帰途にもまだ開いていては呉れるのだ。ただし商品の棚がかなり空いているのは否めない。
夏の夜風に誘われてふらつく学生の姿は、何処にも見受けられた。あの年頃には、こんな夜更けの風に独特の旨味があった。当たり前の様に、この時間を帰途に使う様になって、そんな感覚を失ってしまった事を思い知った。
仕方のない事かも知れない。長い社会人生活の間には二十一時に出勤して朝六時に終業する仕事さえして来てしまっている。日付の変わる時間をまたいで作業を続ける事の異常さ。それに慣れてしまうなどとは。
夜の仕事に分類され得る今の勤めなどは、けれどまだぼくの感覚としては健康なものだった。五時間ほど後ろにズレた食事を摂り、辺りの寝静まった時間に風呂に入る。それを終えてもまだかろうじて、日付は変わってはいないのだ。
敢えて選んだ単純労働だった。力仕事に足も腰も使って充分な疲労を得る。浴槽でため息をつく事など、久しくして来なかった。けれどここで漏らすのは安堵の迸りなのだ。
この充分な疲労を得られる生活では、むしろ疲れて眠れないという捻れがあった。身体を横たえ続ける余力が肉体に残っていないかの様だった。かつても不眠に苦しんだ時期があった。だがあの頃には精神の疲労の重さに比して肉体が余力を残していたからこそ、苦しみを深めていたのだ。
妻はいつも、そんなぼくを現実世界に残して、夢の世界へと悠々と入り込んでいた。妻は早く就寝し早くに目覚めて、眠れずにいて遅く起きるぼくを詰った。家庭での弛緩の時間を、妻は許して呉れなかったかの様だ。
自分の弛緩を見せず、従って相手の弛緩を目にするのを嫌う。妻というひとはどんな家庭に育って来たというのだろうか。時折交わす電話で、今ぼく達が対等の立場で語り合えるのは、そんな弱点を相手に見せずに済むからかも知れなかった。
眼鏡を外した時に良く見える物がある。二十代から掛けて来た眼鏡の、焦点の合う位置の幅が、この頃狭まったかの様に思える。近視でも老眼になるのだという。離れた位置に落とし処があるというのは、老いた視力の状態に何処か似てはいないだろうか。
日付も変わる時間になって、妙に甘いものが欲しくなった。昼の気温が身体の何処かに残ってもいて、アイスクリームを食べたい、と欲求が募った。生活の手順としては、後は寝るばかりと言う時間なのだが、ぼくはまた外出用の服に着替えた。近くのコンビニエンスストアまで、という気軽さから眼鏡は掛けずに置いた。
明日が「燃えないごみ」の日と思い付いて、部屋のごみを纏め、その中に先週まで履いていたスニーカーを入れた。新しい住処を探し、仕事を探して歩いた春先からの日々にさんざん付き合わせた物だった。すっかり傷み、踵には穴が空いてしまっていた。
休ませてやろう、と思って、袋に落とし込んだのだ。住処を見つけ、続けて仕事も見つける事が出来た。給料日を過ごして漸く新しい靴を買う余裕も出来た。今日明日に困る程ではなかったが、懐の心細さが新しい靴を買う事すら躊躇させていたのだ。一足先に行ってくれ、と靴に別れを告げた。
梅雨明けはまだ宣言されていなかった。昼に乾ききって呉れなかった湿度は、この時間になって靄に変質したらしい。街路には蛍光灯の光が瀰漫していた。街路樹は匂いを発していた。それは植物に由来されるとしか言い様のない香りだった。植物の世界では芳香なのかも知れない。
少なくともそれを吸って、人が呼吸困難に陥る事はなさそうだった。つまりは酸素であるらしい。不思議な香りのある辺りは、涼感さえもあった。樹木はどうして酸素を、更には涼さえも、ぼくらに与えて呉れるのだろうか。
緩やかにうねる、緑のある道筋はかつての川の名残だったらしい。水は地の下を流れているのだろう。この流れに並行に身を横たえれば眠れるのだと、何処かで聞いた気がする。方向を見定めて今夜は試してみようと思った。地の、あるいは水の、脈に身を任せて生きてみようか。それは成り行き任せの生き方を是認する発想かも知れなかった。
通り沿いの窓にまだあかりを灯した部屋があった。下から見える範囲では一間のアパートらしい。暑さに負けたかの様に椅子に身体を投げ出した男性が見えた。建物の脇には「個人タクシー」と書かれた自動車がある。この時間に仕事を終え帰り着いたらしい。
あの年齢にしてこの狭いアパート。その先細りの選択が理解出来る様な気がしていた。男は、出来るなら先行きを身軽にして行きたいと考えるのだ。
広い通りに出ると、この時間には自動車の行き来も無く、人影すら皆無だった。通りは緩やかに上りになっていた。うねりと上りが街灯を、不規則に並べて見せていた。靄の中で眼鏡すらない視野では、街の灯りに遠近感さえ持てなかった。灯火の連なりは異形の建物に見えていた。
ウインドウショッピングの末には彼女の部屋に行き着いてしまった。珈琲一杯呑んで行きなよ、と誘われたのだ。かつて二人で使っていた珈琲メイカーは、一度に八杯分もの量が作れるものだった。互いがプレッシャーを掛け、重圧を抱えていた生活には、それ程の量の苦みが必要だった。
けれどこの短い休息の為の珈琲は、過分な量を必要としなかった。どちらが言うともなく、手で入れよう、と決まった。プラスチックのサーバーは棚の隅にあった。珈琲メイカーの為の大きなフィルターを差し込み、湯を溢れさせない様に気遣い乍ら、ぼくは珈琲の粉に湯を足して行った。
「何かひと仕事するたびに傷ついてるのは、やっぱりぼくが悪いんだろうね」
この年齢で仕事を失うのは、いつも仕事の相手との折り合いに失敗するからだった。それは喧嘩などではなかった。ぼくはいつでもその場を丸く収め、そして仕事の継続だけを断つのだ。だれもが優しい人と言う、ぼくの人づきあいは、結局はそんな風にいつでも破綻して来た。
「若いという事はどうしても、出任せを言ったりしなくてはならないのよ。そう先に理解をしておかなくちゃ。それに対するあなたに、誠実であれ、とまでは言わないけれど、どうにか嘘つかないやり過ごし方を探して生きてね」
彼女は理解の深い言葉を口にした。それもまた一緒に暮して来た日々には無かった事だった。互いの地理上の位置関係を無視すれば、今は最もぼく達が近接している時かも知れなかった。中年男女は別れてしまう活力すらも、もうなくなっているのかも知れない。羽ばたきの様な音がして、窓に水滴の破線が散った。
夏近い時期であるのは、夜明けの早さが物語っていた。取り留めのない会話が夜更けまで続いたのは、たった一杯の珈琲がもたらしたものでなかった筈だ。けれど彼女の部屋で眠る事はもう許されなかった。ぼくは早朝に、帰途に就いた。
乗り慣れない路線の停留所を、見つけて待った。犬の甘える声を聞いた気がして振り向くと、段ボール箱を満載した台車がきしんでいた。早朝の街路ではコンビニエンスストアに商品を運ぶ業者の姿が目立った。
朝靄の中を次第に輪郭を濃くし乍らバスが来た。乗客も疎らなバスに乗り込んだ。バスは思いも寄らない方向からぼくの住む街へ侵入して行った。漸く馴染んだ街がまた違ったものに見えていたのは、バスの窓からの視点が高かったからかも知れない。
ぼくの街の名を持つ停留所で降り立った。降りて辺りを見回して、漸く自分の居る場所の位置を把握した。その間にバスは靄の中へと消えて行った。遠ざかる影に尻尾がある様な錯覚をした。そんな筈はない。時計を見ると七時に近かった。やはりこのバス停にバスは通っているのだ、と今更驚いていた。
町内の畑にある妙に大きな葉物野菜はやはりキャベツだった様だ。通りの向こうには潅木の並ぶ敷地もあった。それらを撫でて来る微風はどこか涼しく、これから来る夏を感じさせて呉れた。
出掛けには冷蔵庫で冷やしたミントティを呑んだ。アイスで呑むならば珈琲の方が数段好きなのだが、今年はまだ作らずにいた。冷やした珈琲の放つ刺激的な香りは、夏の印象に強く結び着いてしまう。もう少し夏にならずにいて欲しかったのだ。
携帯の電話機に生活を支配されていた。こんな無線機が、他人との唯一の接点であると感じ始めていた。だから持って出るのを忘れる事が、怖くさえあった。そうしていつもスイッチを入れたままにしておいた電話機は、この朝、完全に放電してしまっていた。
充電器に置いた時、パワーをオフにした。そしてこの朝、初めて電話機を持たずに部屋を出たのだ。 (了)
朝を乗せたバス 平方和 @Horas21presents
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