銀色のロケット

平方和

銀色のロケット

 そこは幼い頃に住んでいたアパートだった。さすがに今とは違い、幼いぼくは早朝に苦もなく目覚めて、朝食の時間さえもどかしんでいた。ごちそうさま、と立ち上がり、母の脇をすり抜けて、ぼくは部屋を飛び出した。

 隣は空地だった。青空を突き上げる様に、雑草が奔放に生い茂っていた。ぼくはそこへ分け入った。行く手を遮る程の草をかき分けると、空地は遥かに続いていた。草原は斜面となってなだらかに下っている。その先に鉄骨の建造物が見えた。

 転げる様に斜面を進み、遠い建造物を目指した。ぼくは、急がなければならなかった。近づくうちに建造物は、見上げる程の高さになった。銀色に輝く巨大な筒が見えた。鉄骨はそれを支えていた。やがてエコーの深く掛かった声が聞こえて来た。

 カウントダウンだった。既に三十秒を切っていた。銀色の筒の下部から炎が吹き出し始めていた。周囲には警戒を促すサイレンも響き始めた。銀色の筒は激しく身震いし、鉄骨が急速に移動した。

 ぼくは草原に伏せた。顔だけを建造物に向けていた。爆発的な炎の音と機械のきしむ音と警告音の中で、カウントダウンはひと桁になり、その数を減らしていた。ゼロと告げられた時には、まだ大きな変化はない様だった。カウントは、今度は数を増し始めた。

 五、六、と数が進む程に銀色の筒は速度を増して、垂直に上がっていた。ぼくは身体を起こし、やがては上体を起こし、宙に舞い上がって行く銀色の筒を目で追った。巨大な炎とそれにも増す膨大な煙を吐いて、銀色の筒は空を昇って行った。

 夢から醒めたのは、自分の住んでいたアパートの隣の空地が、アパートと同じ程の広さしかなかった筈だ、と気づいてしまった辺りからだった。草が深かったのもひと夏の事で、やがては資材置場になった筈だ。次の春にはぼくはその土地を離れた。その後アパートも取り壊された筈で、後にどんな家が建ったか迄は知る筈もなかった。


 缶珈琲の自動販売機に百円硬貨を入れ、それから十円硬貨を二枚入れた。最後の十円が、からころと転がり落ちて来た。小さな返却口を探って、その十円硬貨を摘み出し、再び投入口に入れた。十円硬貨は再び転がり落ちた。

 それを認識して貰えないとなると、面倒だった。他に十円硬貨はない。もう一度だけ十円硬貨を投入してみた。販売機は受取りを拒んだ。仕方なくぼくはもう一枚の百円硬貨を、財布から探り出した。

 機械はこれを認識し、二百十円とLEDに表示した。微糖ブラックという種類を選んで、釦を押した。商品が転がり落ち、その後で十円硬貨が丁寧に九枚返却された。掌にある認識されなかった硬貨と合わせて十枚。意味のない両替になってしまった。

 返却口から取り出した持ち重りのする硬貨と合わせて見ると、認識されない硬貨は側面がすり減り、模様の凹凸も薄かった。製造年月日を見ると、ぼくの生まれた年だった。そんな事をきっかけにして、今朝の夢を思い出したのだ。

 缶のプルタブを起こし、捻じ切った。昼間飲む物に選択の余地はない。喉が渇けば必ず珈琲を飲むのだ。珈琲は体液と同じ物だとさえ思っていた。だからこそ違う液体は飲みたくない。

 傍らを散歩の犬が通った。犬と目が合い、それを連れる飼い主とは目は合わない。ミルクティを好むインコの話題をテレビで見た。犬もカフェオレなどを好むだろうか。甘ければどんな動物も好むのではないか、と思った。そうだとすれば、植物は全ての動物を魅了する麻薬を持っている事になる。

「どーなのかな、ぼくは」

 と昨夜口にした言葉が浮かんだ。深夜の電話でぼくは言った。どーなのかな、ぼくは自分の生活を安定させる志向を持ってるんだろうか。昨年末で仕事を辞め、未だに新しい仕事には就けないままだ。三十を幾つも過ぎて、断られる確率が増えている。

 財布に仕舞っても同じ硬貨の中で浮いた存在になっている、十円玉を思い出した。こいつはおそらく、行く先々の自動販売機にはじかれ続けるのだろう。気づけばいつまでも財布の中に居続けるに違いない。機械さえも相手にして呉れない、それがぼくの年齢なのか。

 この街角の一台の販売機から、急速にイメージは拡大した。この街の、この地区の、この東京の誰からも相手にされない存在。そんな立場に置かれ、それでも自分を試そうとし続ける。センサーに認識して貰えず、ビルの間の狭い通路を走り抜ける自分を思っていた。消え去る事もまた許されないのだ。


 酒宴の帰途で反芻しているのは、友人の不用意な言葉だった。友のひとりが例え褒められない生き方をしているとしても、あんな風に言い込めてしまうのは良くないんじゃないか。何処かに逃げ道を残してやらなければ、立つ瀬もないだろう。

 酒はこの頃こんな風に、後味の悪い残り方をする。誰かの言葉を丸ごとくるんで、いつまでも消える事なく、頭の中を廻り続ける。それはいつまでも薄まる事のない苦味の様だ。だからこそ、この頃では最初から非難めいた言葉を耳にしたくない。

 深夜でもあり帰宅を急ぐというのに、地下鉄は時に乗換の為に、道筋とは逆の方向を選ばなければならない。東西に走る路線は多いのに、南北に走る路線が少なくて、その乗り継ぎに、奇妙な阿弥陀くじを引かなくてはならないのだ。

 そろそろ立ち上がるのも億劫になって来ているというのに、ぼくは車両を降りなければならなかった。ポケットには缶珈琲がある。蓋を空ける時を逸して以来ポケットの中にあって、熱を失っている。だがこれはいったい何処まで冷めるのだろうか。温かさはこうして、やがてなくなってしまったのだが、では温度はまだ下がり続けるのか。それともやがて何処かで止まるのだろうか。珈琲の本来の温度とは一体、何度なのだろか。

「続けてはいけない」

 とぼくは言ってしまった。あの人との付き合いは、それこそぼくの生活の唯一の彩りだろう。けれど、それを無軌道に続けてはいけないのだ、と制止する裡からの声がある。

 あの人には迷いがない。ぼくを呼び出し、止め度なくお喋りをする。食事を味わって楽しむ。自分のツキがぼくにも影響すると信じている。だからこれからも永くつき合えれば、と希望を持つ。

 けれどそれは出来ない、とぼくは言ったのだ。ぼくの運命は、ぼく自身が転がして行くものだ。あなたと並んで歩いても、ぼくには定められた成り行きがある。自動販売機の中で温められた缶も、やがては冷める。本来あるべき状態に戻ってしまうのだ。

 だから、例え不慮の事故が無くても、やがては去り行くあなたを見送る事になるだろう。男の平均寿命は八年も短いのだしね、とぼくは言った。同じ歳だからこそ、あの人は苦い笑いを浮かべた。

 乗換のホームは遥かな地下にあって、長い階段をぼくは、踏み締め乍ら歩いた。そうでもしなければ、転がり落ちそうな程に、今夜のぼくは心が不安定だった。


 残暑がいつまでも残る気候帯になってしまったらしく、今年もまた十月になってもまだ暑かった。それでも厚く塗った壁が剥がれて落ちてしまう様に突然、寒い朝があった。纏い忘れた厚手の衣類を羽織る様に、そんな日は昼に向けて急激に気温が上がるのだ。温度の変化の激しい時期を過ごして、ようやく気温が平熱に戻ったのは、ほんのここ数日だった。

 僅かに昼を回っただけで、日差しは傾き始めていた。ぼくはまた宛てのない散歩に出て来た。寒い程の朝の気温を思った。あの人は、あの時間に勤めに出て行く。あの人の健康を気遣いつつ、その時間をぬくぬくと部屋で過ごせる自分に嫌悪感を持った。

 こんな時期に出逢ってしまった事が、まずかったのだと思う。職を失ったぼくは自分に自信が持てずにいた。一方であの人はやり甲斐のある仕事に、意欲を持っていた。

 こんな対照的な二人の、どちらとも付き合いのある友人がいた。彼の招きで小さな酒宴を持った。かつて同じ仕事の為に集まった仲間だった。それ以来ことがある度に、彼の部屋へ召集が掛かった。その席では、各々が自分の最近の仕事を自慢気に話していて、ぼくは肩身が狭かった。

 思えばあの人はそんなぼくを気遣って呉れたのだと思う。話の輪からぼくを連れ出して、オーディオの脇へ行った。この頃ジャズを聴いてみようかなって思うのよ、とあの人は言って、彼のCDの棚へ目を遣った。このへんはどーなのかな、と指さされたテレンス・ブランチャードについて、ぼくはコメントを返した。その辺りからぼくは少し能弁になっていた。

 酒宴の後、あの人はぼくの携帯電話の番号を尋ねた。それから、あの人と逢う様になったのだ。幾らか後ろめたい想いでぼくは、あの人の招きに応じた。逢えばあの人は、そんな想いを抱かせる事なく、過ごさせて呉れた。

 けれどぼくはやはり、時期が悪いと思い続けていたのだ。誇れる仕事の無い事で、どうにも気弱にさせられる。けれどそれならば、どういう形で再会するのが、良かったのだろうか。

 リードをフェンスに括られて散歩の犬が座っていた。飼い主は、通りの向こうのコンビニエンスストアに行っているのだろう。ぼくは屈み込んで、犬に声を掛けた。犬の視線は本来、人とは合わない。だから時折、犬の目の高さまで下りて来る人がいると、孤独の理解者を見つけた様に、寄って来るのだ。

 犬は話し掛ける様に声を発した。ぼくはその顔を撫でてやった。どーしたのそんなに何か負ってるよーに背を曲げて。さぁここで下ろしていいんだよ、と言われた。あの人の言葉を思い出したのだが、あまりにタイミングが良くて、まるでこの犬に言われたかの様だった。

 ゆっくり歩くからこそ同調出来るタイミングがあるのだと思った。半ば駆け足で過ごした二十代の会社員時代には、判らなかっただろう事だ。日差しは更に傾きを増して、通りの風景に陰影を増していた。


 部屋の床に転がっていた。視線が窓を通して遥かな上空の、飛行機雲を捉らえた。自分が平面にいる為に、飛行機雲の角度が判らない。だがどうしても急激に上昇しているかの様に見えた。

 昼休みの小学校の校庭で、飛行機雲を見つけた事があった。花壇の縁に腰掛けていた。普段ならば行動を共にする友人達が、皆各々の用事でつかまらなくて、ぼくは給食の後の時間を、ひとりで潰していたのだ。

 輝く直線は、青空に伸びていた。教師が大きな木製の三角定規を使って、黒板に線を描くのに似ていた。青空の彼方にある筈のチョークは見えなかった。線だけが同じペースで伸び続けるのだ。

 あの頃すでに父はいなかった。それからの長い人生を、父親という部品を持たないまま過ごして来た。直線は二つの点が無ければ存在出来ない。母の向こう側にあるべき存在が無くて、ぼくの育った場所には家族というものは成立し得なかった。だからぼくは生活に家族が必要であるとは、思った事がなかった。この年齢になってようやく、それは実は普通ではないのだ、と判った。

 あの人との生活という可能性を想像し、即座に否定した。傍らに他人のいる生活など続けられる筈がなかった。それが例え、心遣いの細やかなあの人と築くものであっても、駄目だった。そんな生活の形態をぼくは知らないのだから。

 飛行機雲はいつか窓のフレームを抜けていた。長い白線は、風に煽られ末端から揺らぎ始めていた。それでもぼくは、身体を起こそうとはしなかった。

 飛び去って行くのは、流線型をした飛行物体なのだと、小学生のぼくは花壇の縁で夢想していた。近郊の山中で何か切迫した事態が起こり、飛行物体は任務を帯びて出動して行くのだ、と。大きなゴーグルのついたヘルメットを被って、操縦桿を握っている自分の姿を想っていた。眼下に拡がるあの街を、ぼくは見下ろしていた。


 最も幼い時期を過ごしたアパートはもうない。遠い記憶を探る時、あの板壁の建物が傾いた日差しの中にあるのは、どうしてなのだろうか。小学校から帰ると鞄を放り出し、部屋を飛び出して友の待つ場所へ急いだ。視線にあるのは解放的な空ばかりだった。

 けれど午後も遅い時間になると、遊び疲れた友はひとりまた一人と隊列を離れ、心細さが増した。夜という不安な時間を過ごすのは、暖かい親の懐であるべきだ、と子供ごころにも気づき、親の気遣いをないがしろにした様な僅かな後ろめたさも抱えて、ぼくもまた家路を急いだのだ。視線には夕映えの中にそびえるアパートの建物があった。

 ぼくは街角の珈琲スタンドにいた。外を歩き続けて身体の熱を奪われていた。寒さの時期はいつの間にか来ていたのだ。店の奥まった場所では、川に面して窓が開けている。音を奪われた川は、寒々しさを増している気がした。

 記憶は短い文書の様で、読み終えると文末に次の文書への連続を示す矢印がある。矢印に従って次の文書を読み始める。その先にもまた矢印が仕込んである。記憶の文書は実は出来事だけを記すものではなく、対象物を捉えるものもあるのではないか。

 テーブルの珈琲を記述する文書をぼくは、読んで居るのだ。焙煎のきつい珈琲の苦み。程良い砂糖の量。矢印はテーブルを記述した文書に繋がり、それはこの珈琲ショップを記した文書へと繋がる。あの人もまたぼくの記憶の中のひとつの文書に過ぎないのではないか。無数の矢印が互いを引き合う記憶が、人間そのものなのではないか。

 川面に送った視線が、水準の情報をもたらすらしく、ぼくは自分が傾いている様な気がして仕方がない。椅子の上で姿勢を正そうとすれば、却って身体は傾いてしまう。それを続けていると腰に疲労が溜まるのだ。

 幼い頃に住んだアパートの裏は高台になっていた。その上に送電線の鉄塔があった事を思い出していた。アパートはとうに取り壊されたが、鉄塔が取り壊される筈は無かった。そうなるとあの土地で、ぼくより確かに歳降った建造物があそこにはまだ残っているのだ。

 どんな形の鉄塔だったろうか。細部の記憶はない。子供の視線ではその全体像をひとつの画面に収める事が出来なかったのだ。太い脚が四隅を踏みしめていた筈だ。そして各々の脚が緩やかに反りつつ空へ昇って行く。遥かな高みで四本の柱がひとつに集まり、鋭い頂点に結ばれる。

 それはスケルトンのロケットだった。ロケットは骨組みの姿のまま、星空へと飛んで行った。子供の想像の中では、骨組みの外に鋼の被覆があった。被覆が肌を接する宇宙空間はもの皆凍る冷たさなのだが、それでも何故だか絶対零度より三度だけ高いという。

 少年時代に見たアニメーションのロケットは、任務を終えると帰還する。ロケットは雄々しい姿で直立したまま、大地に炎を向けつつゆっくりと降りて来るのだ。そんな風に裏の高台のロケットは、幾度も出動と帰還を繰り返しているのだ、と少年時代のぼくは夢想していたのだ。


 ロケットが帰還するのは、子供の描く未来世界では常識だった。それなのに、現在の技術では、ロケットは巨大な廃棄物を後に落とし乍ら、飛んで行くらしい。そんな話をし乍ら、あの人と昼過ぎの街を歩いていた。オフィス街で会って、食事を共にした。

 ビルを整然と並べさせてその間を街路が、遠くまで走り抜けている。彼方の空の高みで雲は輝いていた。その輝きを受けて陰りもまたあって、雲が厚みのある事を表していた。午後の日差しは、早くも角度を持っていた。

 ぼくは幼い頃の街を語っていた。鉄塔を残して全てが移り変わってしまったからこそ、ぼくの街は斜陽の記憶の中にのみ、存在していた。

 そーよね、ロケットは頭を上に縦方向に降りて来るものよね、とあの人も同意して呉れた。勿論、今の子供には通じる筈もない事だ。同じ時代に育ったからこそ感じる同じものを持っている人なんだ、と暖かい想いがした。

 記憶の文書の矢印は、ぼくの裡だけでなく、あの人の記憶ともリンク出来た。それはやはり、ある種のテレパシーの様なものなのではないか、と思った。他人の記憶が示す矢印を共有出来るのは、おそらくあの人が様々な人付き合いをして来たからこそなのではないか。その物慣れた様子は、同じ年齢であってもぼくより遥かに練れた大人なのだ、と思った。

 オフィスへ戻るあの人を見送って、ぼくは駅へと歩き出した。高速道路の向こうにそびえるビル街の、高層ビルのひとつはロケットなのではないかと想った。今、任務を終えたロケットが帰還したのだ。

 操縦士はコックピットを降りてヘルメットを脱いでいる。緊急事態を回避させて、操縦士はこの街の日常を守った。そして自分も、自ら勝ち取った日常へ戻ろうとしているのだ。

 窓を開けて都心の方を見てごらん。午後の日差しの中に、銀色のロケットが帰還しているよ。あの人に電話を掛けて、その事を教えたい、と思った。                                       (了)

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銀色のロケット 平方和 @Horas21presents

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