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 ◆ ◆ ◆


 ルート99。

 EoE内の各都市間を結ぶ、異世界の通行の要となっている道路。

 この道路沿いには、パトロールを行う【サイラス】兵士や救援物資を届ける非営利活動法人の構成員などの通行者の休憩所となるレストランが点在している。


 とはいっても各レストランには何十キロもの隔たりがあり、ルート99を移動中に見えるものは基本的には道路沿いの店ではなく、何もない砂漠だ。

 舗装された道路以外には、ただただ延々とオレンジ色の床が続く場所。

 マイルズ暦93年のある夏の日は、霧に包まれた空の中でも確かに燃える太陽のように、その砂漠の中に赤い点が見えた。それも、若さと初々しさを感じさせる鮮やかな赤。

 人の頭髪だった。 


 【ジョード】と同じ【スタインフレーム】の一機である【スタイン・ミルトン】の操縦者である赤髪の少女、エンマは、規律の取れた足運びで歩みを進めて歩いていた。

 ブレザーとスカートに身を包んだ彼女の姿は、場所さえ無視すれば地球極東の女子高生に映らなくもない。

 アクロン空軍基地を焼野原にした悪魔の機体に彼女が乗り込んでいたことなど、この付近の人間に行っても信じる者はいないだろう。


 空軍基地を焦土と化す作戦を終えたエンマは、そのまま【ミルトン】を駆ってラグーナ・セカという名の都市に寄っていた。【ウィードパッチ】から事前に伝えられていた、次の作戦を伝える工作員との合流ポイントである。

 次に実行する作戦の場所と内容、開始時間を把握したエンマは、陸運会社のトラックカモフラージュした輸送車両に【ミルトン】の次の作戦ポイントまでの輸送を任せ、途中休憩のために一般人の少女を装ってルート99を歩いている。輸送車両に同行してもよかったのだが、わけあって彼女は仲間と親密になりすぎるのが好きではなかった。


 長いわりに何もない道のりを歩き続けるうちに、ふと彼女は、【スタインフレーム】の操縦者としての自らの過去・現在・未来に思いをはせていた。

 彼女が跡形もなく破壊したアクロン空軍基地では、今頃別基地から招集された【サイラス】の兵士が情報収集を行っていることだろう。次の戦闘では【サイラス】がこちらのデータを分析して、アクロン空軍基地での戦闘を優に越える兵力と武装で迎撃されるとしてもおかしくはない。

「次からは……ただ的になるだけの戦いになってもおかしくないわね」

 それも、悪くない。

 口に出さずにそう言っているかのように、過酷な運命をたどる人間のそれにしては緩んだ表情で独り言を呟く。

 その後も、赤髪の少女は変わらず一人砂漠の道を歩き続けた。


 そんな彼女の歩みは、あるところでふと止まった。

 彼女の歩みを止めたのは、彼女の歩く先にあったレストラン。

「だーからアタシは別に泥棒とかじゃないっつーの!! だから引っ張らないでってばちょっと痛い痛い!!」

「だったらなんで厨房の冷蔵庫から出て来たんだ!」

「いや頼んでから貰うつもりだったって言ってんじゃん!」

 そのレストランの裏口から店員らしき男に首根っこを掴まれる、アウター用キャミソールとデニムパンツに身を包んだ成人女性だった。

 ポニーテールに束ねた黒髪は漆黒でありながら南国の果実を思わせる瑞々しさにあふれ、野性感の溢れる雰囲気にもかかわらずどこか上品さを感じさせる女性だった。

 尤も、この慌てぶりと、会話から察せられる行いから言って、彼女がそのような外見とはかけはなれた内面の持ち主なのは疑いようがないのだが。

「……あ」

ふと、目が合った。合ってしまった。

「みゆきー!!」

 呼ばれたことのない名前で、明らかに自分より年上の相手に、甘えるような口調と共に抱き着かれるエンマ。

「なーんでアタシを置いてどっかにいっちゃったのよー!!」

「……キミの連れ合いか?」

 全くの初対面であることを気にも留めず、まるでスキンシップをはかってくる女。自分が彼女の窃盗の責任をとってくれると言わんばかりにこちらに視線を向ける店員の男。

「あのねぇ……」

 赤髪の少女が選ぶ答えは、一つしかなかった。


 ◆ ◆ ◆


「あー、やっぱり他人の食べ残しよりも最初からいっぱい盛られてるお料理の方が好きだなーアタシ」

「タダ飯には変わりないけどね……」

 青緑の髪を一房にまとめたその女性は、その体系、整った顔立ちからも言って近くで見るとより大人びた雰囲気が垣間見られる。だがハンバーグステーキを満面の笑みでパクつく彼女の姿は、どちらかというと十歳にも満たない少女を思わせる。

 「ネィヤって呼んでね」と聞いてもいないのに自己紹介をしてきたその女性は、ネィヤという呼称以外には名字も所属も名乗らなかった。どこの馬の骨かもわからない初対面の女性に、彼女は料理を奢ってしまったことになる。

 美味しそうに肉料理を頬張る彼女に、エンマは苦笑いをして、とっとと出ていきたい衝動を抑え込んだ。ほかの客が見たら、彼女の眉がひくついていることに驚いたかもしれない。

 さっき彼女は、「こんな女知りません」とはっきりと店員に伝えて、そっぽを向いて通り過ぎることもできたはずだった。他人とつるむのが好きではないエンマのこと、そちらを選ぶのが自然だし、そうした方が彼女にとっても面倒ごとに巻き込まれずに済んだはずだった。

 だが、できなかった。

 彼女の天性の気質が、全く逆の答えを選ばせてしまったのだ。

 その結果が、彼女が払った金で提供されるネィヤへの料理だった。


「ルビーちゃんはこの世界の出身?」

「……それ私の呼び名のつもり?」

「その紅い髪、キュートだけどどこか上品で宝石みたいだって思ったからね」

「……バカにするんだったら話しかけないで」

「えぇーちょっと……ショーサンしたんだから素直に喜んでよぉ……」

 突き放しつつも、見るからにがっかりした彼女を前に負い目を感じてしまうのが、エンマという女性がエンマたる所以だった。既に初対面の彼女に食事をおごっているのでこれ以上ネィヤにやさしく接する必要などないわけだが、彼女自身の根っからの優しさはエンマの脳内から「放っておく」「見捨てる」という選択肢を放棄させるのであった。

「……あなた、ここの出身?」

 仕方がないので、自分から会話の内容を作った。食べている肉料理の脂肪が全部そこに行っているのかとばかりの豊満な胸を持つ目の前の女性をただ見ているだけでは、エンマも自分の胸囲との格差に気分が落ち着かない。

「そーだよ、砂漠のど真ん中の出身」

「……悪いことは言わないわ、すぐに地球へ避難した方がいい」

「へ? なんで?」

「見なさい」

 画面表面が砂埃にまみれた利用客用のテレビを、エンマは指さした。

 テレビに映ったニュース番組が流しているのは、EoEの軍事を統括する組織、【サイラス】の拠点の一つであるアクロン空軍基地が、型式、所属共に不明の謎のGOWに跡形もなく破壊された映像だった。廃墟と化した空軍基地を背景にレポートを行う女性特派員は、同基地の他にも二つの正規部隊と一つの傭兵部隊が、別の正体不明のGOWによって壊滅させられ、【サイラス】主要基地のピックスレー基地も襲撃されたと報道している。

「【サイラス】の基地や部隊が、四体の謎のGOWになすすべなく壊滅させられたのが、つい昨日の話よ。まがりなりにもこの世界の秩序を守っていた連合国軍最新鋭の戦力部隊に実力で対抗できる組織が現れた。後数日もしないうちに、十五年前とは比較にならない、激しい戦争が勃発することは疑いがないわ」

 彼女に地球に避難するように言えば、これからEoEという戦場で戦う自分と合わないことになるのは確実。相手の安全を保証して、そのうえで自分たちの関係をこの場限りで終わらせる、人見知りで善人のエンマにとっては最善の選択だった。

 しかし、ネィヤがテレビを見ながら得体のしれない思索をした後呟いた言葉は、想像とかけ離れた意外なものだった。

「……天路歴程」

 ネィヤのその言葉が、エンマは眼を見開いて彼女の方を向いた。

 青髪の女性の目は、心なしかその瞬間だけ、見た目通りの大人びた気品をまとっているように思われた。

「あの物語の主人公ならこういうかもね、【これは自分の罪に神が与えた罰なんだ】……って」

 天路歴程。

 ジョン・バニヤンの手によって著された近世イギリス文学を代表する長編小説であり、植民地時代のアメリカ大陸に暮らしていたピューリタンにとって第二のバイブルとして愛された物語でもある。

 マイルズ暦初期、EoEに移住した人々は自らをアメリカに移住したピューリタンたちに重ね、この物語を読みふけったと聞いている。

「あなた、読書の趣味もあるの?」

 問いかけた後で、エンマはつい興味を持ってしまった自分に冷めた。

「……いや、人づてに聞いただけ。なんてーか、そう、友達の友達から」

 急にまた元通りのおてんば少女のような雰囲気に戻り、歯切れの悪い答えを返してくるネィヤ。エンマは気づかないふりをした。触れられたくない人間関係や過去というものは、どんな人間にもあるだろう。

「想像力豊かな友達に恵まれたようね」

 そう言いながらイスに背を持たれかけたエンマの態度には、見るからに会話を切り上げたい人間の雰囲気が醸し出されていた。

「でもおあいにくさま。天路歴程あの物語の主人公みたいに神に頼ったって、この世界の混乱から解放されるわけじゃないわ」

「そーだね、確かに神はアテにならないかもね」

 どれだけ科学が発展しようとも、異世界への扉が開かれようとも、貧富の差は埋まらないし、争いで人は死ぬ。人類の想像にしか干渉しない神などは、実在しようがしまいが何の救いももたらさない。

 そんなことはこの場の二人にとってだけでなく、大半のEoEの住人にとっても共通認識だった。

 しかしそれを承知のうえで、ネィヤは言葉をつづけた。

「だけど……それに値する、別の存在があるならどうかな」

 その問いが、再びエンマの視線を彼女の方に向けさせた。

 自分の乗り込む【スタイン・ミルトン】には、はるか昔のEoEに存在した一人の男性の記憶であり、魂ともいえるエネルギーが内包されている。科学技術によって兵器に姿を変えられてはいるが、ともすれば地球でいう有史以前のはるか昔の時代より存在し続けるかもしれないそのエネルギーは、たとえようによっては―――

(神にもなりうる……?)

 無意識のうちに一つの途方もない仮説に至っていたエンマの横で、何かを切り上げるようにネィヤが立ち上がった。既に彼女に用意された皿は、きれいに食べつくされている。

「美味しいご飯をおごってくれてありがと、ルビーちゃん。それに話もできてよかった」

 別れが近いことに安堵の吐息をついたエンマに、急に頬と頬が触れ合う距離にまでネィヤは詰め寄った。


―――『C』によろしく。


 ほぼ聞き取れない声量ではあったが、ジャズミュージックと客の喧騒が奏でられるレストランの中で、確かにエンマはその言葉を聞き取った。

 その呟きの中で紡がれた言葉は、エンマにとって決定的な意義をはらんでいた。

 気が付くと、目の前にいたはずのネィヤの姿がレストランから消えていた。彼女との出会い自体が白昼夢であったかのような、突然の消失であった。


「ちょっ……待ちなさい!!」

 急いでエンマはレストランの扉を開け、黒髪の女性の姿を追った。もはやエンマにとってネィヤは、ただの食い逃げ女ではなくなっていた。

 この世界の時代を共に変革させる、自分の他に数人しかいない【スタインフレーム】を駆る者だったのだ。


 いつの間にか店の三十メートルほど先には、巨大な灰色の輸送機が着陸していた。自分の【ミルトン】を運んだ【ウィードパッチ】所属の機体とは塗装が異なるため、【サイラス】でも【ウィードパッチ】でもない独立した組織の輸送機だとわかる。

 ジェット噴射の音すら聞こえていないにもかかわらずその場に確かに存在した輸送機の昇降口近くに、機内へと乗り込むネィヤの姿があった。

「姉貴! 【ダニー】のメンテが終わりやした、いつでも次のケンカ場にしゃれこめますぜ!」

「ご苦労さん、次はもっと楽しめるといいね!」

 子分らしき小太りの男と彼女の会話が、かすかにではあるが聞こえてくる。

「待って!! あなたはっ……!!」

 声が彼女に届くか届かないかの距離にまでエンマが近づいたのとほぼ同時、ネィヤの姿は機内へと消えた。

 ほどなくして、エンマの周りを強烈な砂嵐が舞った。輸送機のジェット噴射にあおられて舞い踊る砂塵だった。

「!? くっ……!!」

 呼吸することすらままならない強烈な砂塵が去った後、目の前にはぽっかりと空虚が生まれていた。ふと空を見上げると、先ほどの灰色の輸送機は、はるかかなたに飛び去っていた。


 「【スタインフレーム】の使い手……」

 飛び去った輸送機を見つめるエンマの内心を支配したのは、同じ【スタインフレーム】に乗り込む仲間と別れたことへの孤独感。

 そして仲間となれ合うことが苦手なはずの自分が、同じ【スタインフレーム】に乗り込む人間に対して会話を求めてしまったことへの自嘲だった。


 適度な高度に達したのち、光学迷彩展開が展開されると、たちまち灰色の輸送機は姿を消した。【サイラス】所属の航空機からは逸れる空路を利用して、ネィヤたちは次の作戦ポイントへと向かう。

 蜃気楼と化した輸送機の側部座席に腰掛けるネィヤは、ついさっき自分に料理をおごってくれた赤髪の少女にふと思いをはせた。愛機【ダニー・ザ・パイサーノ】のメンテナンス中、同じ【スタインフレーム】の仲間に会っておきたいと、少女の足取りを予測して砂漠上のレストランに寄り道したが、ネィヤにとって彼女との出会いは寄り道する手間を取るだけの収穫があったようだ。

 見るからに他人と距離を置きたがる赤髪の少女は、見ず知らずの自分にも昼飯を奢り、自分の身を案じてEoEを去るように告げてくれた。仕事仲間の情報が確かであれば、彼女こそアクロン空軍基地を火の海にした、【ミルトン】のパイロットだという。

「……純粋だな」

 ネィヤが発したそのささやきが何を思って発されたのかは、誰もわからない。

 そのささやきも、ジェット噴射が機体内部にまで響かせる轟音の中へと消えた。


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楽園奪還機スタインザリナス 八木耳木兎(やぎ みみずく) @soshina2012

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