夕立過ぎて残る青空

平方和

夕立過ぎて残る青空


「二人でいられるこの今が幸せで、でもその幸せを噛みしめる程に、自分を戒めているの」

と、彼女は言う。いつかまた独りになるのは避けられない事だから、その時を覚悟している、というのだ。

 近郊都市は再開発と言うスローガンで、駅前に大きな集合店舗などを新設した。けれどそれは雛びた町並みとは関連を欠いたイメージで、賑やかに飾り立てられたウインドウは、妙に浮いて見えた。

 都心のデパートの系列として開店したこの集合店舗に併せて、お洒落な造りの新しい店も古い商店街の中に、ちらほらと出来はじめていた。彼女はその夜、そんなひとつに入ってみたい、とぼくを誘った。

 パスタとピザ。舌を焼く程の熱さが、本場の味を真似ていた。料理が熱い程に、冷えたビールが美味しかった。それが彼女の語った事と、どこか似ていると思った。

 仮定の孤独を語ってい乍ら、ぼく達の食卓は和やかだった。彼女は終始、笑顔を絶やさなかった。そんな彼女の微笑みを見乍ら、いつか祝福される結婚をして、人の好い亭主と幸せになれたらいい、とふとぼくは考えていた。

 だからと言って、愛情が冷めてしまった訳ではない。愛しさは全く変わってはいないのに、それでももう、彼女とは続けて行けないという事を、しみじみと思っていた。それは静かな夏の夜だった。


 ぼくは押し黙って、毎朝出社した。玄関に立つと、妻がこちらに顔を向けるのだが、ぼくは何も語らずにドアを出た。気温は既に上がり始めて、地下鉄の駅まで歩くだけで汗にまみれてしまった。

 地下鉄の椅子に座るとようやく一息つけた。会社のある駅までほんのひととき、のんびりと出来る。向かいの席の親子を見るとなく見乍ら、ぼくは今朝の夢を思い出していた。

 こんなに遠くまで来たのか、と先づ感慨があった。それから町並みが眼前に拡がり始めた。それは知らない土地の風景だった。どこか近い所から潮騒が聴こえる。この土地へぼくは、人を訪ねてやって来たらしい。右も左も判らない土地で、道を訊ねたくとも、町並みに人影は無かった。その寂寥感だけが、目覚めた後に残っていた。

 ぼくはこの春から、新しい会社に勤め始めた。近郊都市の取引先を回っては書類を集めるのが、仕事だった。社員は都心の会社に出社して、そこから毎日、埼玉、千葉、都下、へと散って行くのだ。

 都下の武蔵野と名のつく辺りを、ぼくは担当させられた。けれどその範囲は広く、鉄道の路線は便利ではなかった。平行する路線を縦に繋ぐバスをぼくはよく利用した。時折、冷房のついていない車両さえあって、閉口させられた。

 そんな土地の取引先のひとつに、彼女はいた。


 彼女の座席の脇に、見慣れたトートバッグを見つけた。それはドーナツ屋で景品につけている品だった。この駅前にも、先頃このドーナツ屋のチェーン店が開店したのだ。

 そのバッグはあそこの店の、と話を向けると彼女は、

「可愛いでしょ」

と持ち上げて微笑んで見せた。

 そのバッグは妻も持っていた。妻もまたドーナツ屋で点数を貯めて入手した。たいして欲しくもないけれど、カードを集めるのが習慣になってしまって、と妻は言っていた。確かに妻が持つには、子供向きに過ぎるデザインだったが、若い彼女には似合っていた。そんな事を語って、彼女と親しくなった。


 去年に続いて、今年も猛暑になりそうな気配だった。この夏の始めにして既に水不足の兆候があったし、気温は日増しに高くなっていた。けれどぼくは、歩く事が仕事だった。炎天下を鞄を抱えて歩いた。

 夏の日は歩いているほうが、かえって涼しい様な気がする。少なくとも肌の上では、風を感じる事が出来る。動かない空気に突込んで行って風を起こし、それをひとり占めしている様な感覚がある。

 近郊都市の風景は平らに続き、遠くまで見通せる。遠くの背景には緑が見えて、あそこまで辿り着ければ涼しいだろうと思わせた。それはあたかも、砂漠の旅の様だった。

 夏の日は、記憶に焼き付き易い。この暑い日にこうして歩き回る事で、また切ない夏の想い出を作ってしまうのだろう、と考えていた。

 彼女はぼくに家庭がある事を先づ知って、その上でこの関係を持った。

「貴方のペースを理解する」

と、彼女は言った。その表情に、孤独な人に特有の清々しさがある、とその時感じた。乏しい灯りの中に浮かんだ、何処かに堅さの残る微笑みだった。


 肌に触れる今日の酷暑は、あたかも目の荒いざらついた壁を撫でるかの様な感覚だ。幾度か通って、顔を見知ったおとなしい犬が、今日はしどけなく舌を出して転がっていた。日陰へ行け、涼しい場所を探せ、とぼくは声を掛けた。犬は薄目を開けて、ぼくを見た。それだけの事を大儀そうにして、再び目をつぶった。そんな僅かな動作でさえ、ぼくには感情の動きが感じられ、つい笑みを浮かべていた。そして犬好きというファンクションがなかったら、ぼくは人生に於ける笑いを失っているだろうと思った。

 彼女に話せば、一緒に微笑んでくれるだろうか、と思った。妻にこんな話をしても、笑みも浮かべない事だろう、とも思った。

 家庭の中から笑いが消えて、どれ程経つだろうか。ぼく達の部屋は、身体を休める為の夜という時間を、過ごすだけの場所になった。何時か身体の触れ合いは失くしていた。妻とぼくは只その場所に、各々自主的に参加し、分担して経営している立場だった。

 妻と何処かへ遊びに行った事は、近年全くない。行きたい場所も違っていた。映画の好みさえ全く合わなかった。そんな事を彼女にも語った。遊びにつきあわない妻、あれはもう友達ですらない、と。

 愛情を保つ事に於て、妻にはどこかで方法を誤った。彼女とは、そうなりたくない。今度こそは良好な関係を保ちたい、と思っていた。


 都心を出て西へ向かうには、平行した三つの路線がある。その遠い駅で降りて取り引き先を回る時には、バスでさえも便利ではない。小回りを考えると、結局足で歩いてしまう場合が多い。中央線の駅の側で一件の所用を終えたあと、ぼくは、北へと向かう長い道を歩き始めていた。空はどこか白っぽく、湿度が高かった。汗が溢れて来た。

 新道と名の付くその道は幅を広げる予定らしく、通り添いの商店は皆、奥に引っ込んで新築されていた。そして更地となった道の脇の土地が、杭と鉄線で囲われていた。歩行者にとっては結局のところ未だ道幅は変わらず、通り過ぎる車に肩先を擦められて歩く危ない道だった。

 そんなどこか荒涼とした風景が、田舎の一本道を思い出させた。幼い日の風景は、おぼろげ乍らまだ心に残っていた。ぼくはそんな土地で幼少を過ごした。小学校へ入る頃に、父に連れられて東京へと引き移ったのだ。ぼくがもの判りの良い年頃に成り、生活も安定した頃に、ひとり残っていた祖父も、父は東京へ招んだ。祖母は既に亡かった。


 田舎の寺へ親戚が集まっていた夏の日の、情景が浮かんだ。あれは祖母の法事だったろうか。仕事で行けない父に代わって、学生だったぼくが祖父に付き添って、その懐かしい町へ行った。

 老いた祖父を気遣って、昼の列車を選んだ。新幹線を待つ間に、ぼくは酒とつまみを買って来た。窓際を譲って座席に座り、祖父の傍らの窓枠にそれ等を置いた。祖父は満足気に頷いた。

 あの小旅行からそれ程の月日を経ずに、祖父も逝った。思えば穏やかな、最晩年の旅だった。老いて衰えて消えゆく時の流れを、人はたゆまず留まらず進むのだ、と思った。

 暑さに集中力をなくして、回想に耽けり乍ら歩いた。力もなく長い道を行くうちに、空は急速に暗く蔭った。空気が重くなると、やがて雫が落ち始めた。ぼくはその先に見えて来た公園へ走り、大きな樹の枝の下に入った。雨は激しさを増した。回想から転がり出した想念があって、それに心は因われていた。


 祖父と旅をするなどというのは希な事だった。もの心付く前に家族で、海辺へ行った時以来の事かも知れなかった。情景を覚えている訳もなく僅かなモノクロ写真だけが、その手掛かりだった。

 祖父の仕事が順調だった時代らしく、当時出入りしていた人々を皆、同行させた様だ。多くの人達が楽しそうに写っている、微笑ましい写真だった。けれどその半数が、今では名前も判らない人々だった。

 法事の席には、そんな人々が列席していたのだろう。祖父は精進落しの宴席で、様々な人々の挨拶を受けていた。ぼくが名前を知っている人の方が、少ない程だった。

 ひとりの老いた女性が祖父に声を掛けた。振り返ってそれが誰であるか判ると、祖父は大変喜んだ。歓迎の言葉を口にした。そして想い出話に没入して行った。祖父は時間を気にしてか時折、腕時計を指して見せていた。祖父は、誰かの消息を知りたがっていた。住いは、暮しは、せめて何か知っている事はないのか、と。それは誰の事だったろうか。


 出先で時間が押せば、そこから直帰という事も許された。それを利用した。彼女のいる会社へ最後に寄るというコースを、時折意図的に作った。それが忍び逢いの日になる。休日にこの土地まで足を伸ばす事は、妻の手前どの様にも理由づけが成り立たなかった。

 彼女が会社を退けて来るのを、この雛びた商店街の店で待った。そして食事をし、酒を少しばかり飲んで、ゆっくりと語らって過ごした。深夜に至る事はあったが、それでもいつも律儀に帰宅した。


 その日、待合せの店の座席で向き合うと彼女は、ぼくの首筋に目を止めて、赤くなってる、と言った。炎天下で散々汗を流し、それが乾いたあとでべたついていた。かゆみを感じてそこを、タオルで幾度か強く擦った為に赤くなっていたらしい。あせもだよ、とぼくは答えた。

 あせもだったら、と彼女は急に明るい声を出した。わたしの故郷の山奥にある温泉が効くのよ。ひと風呂浴びればたちまち直る、と彼女は誇らしげに言う。有名な温泉なの、と訊くと、いいえ全く知られていないのだけれど、大昔からあるのよ、と言う。

 それは平安時代あたりの伝説だった。呪われてミイラにされた貴族が、恋人によってその温泉に運ばれた。温泉に浸る事数カ月で、貴族は生き返って元に戻った、という。なんだカップラーメンみたいじゃないか、というと、彼女は頷いて笑った。その後、彼女の故郷にあるという美しい湖の話が続いた。


 近郊都市の町並みは古く、狭い道幅に車の量だけが増え始めていた。町を歩けば傍らを車が擦り抜けて行くから、ぼくは彼女を道の外側へ導く様になった。幾度か繰り返してそれは、ぼくの癖になっていた。

 癖になってしまった位置関係は、崩されると妙に落ち着けないものだ。だからぼくは、常にそれを修正しつつ歩く事を繰り返した。車が近寄ると右側に移るぼくの行動をいぶかっていた彼女は、ある日その意味を知って妙に感激した。

 彼女を護ろうと無意識に行動するのは、どこか兄の感情に似ている。そして女にこんな感情を抱く様になると、ぼくの中で男女関係の在り方にズレが生じて来る。肉体に手を出す事に、何処となく抵抗を感じてしまう様になる。やがては、他の男と恋愛をしろと念じ始める様になる。


 感激した彼女はその夜、家でもてなしたいと言った。だからその夕暮れには、地元の商店街であれこれ買物をして彼女の部屋へ向かった。彼女の部屋へ行くのは初めてではなかった。けれどいつもは僅かな時間立ち寄り、彼女の着替えを待ってすぐに町へ出てしまった。

 彼女は卵を焼いただけでなく、錦糸卵にするという手の込んだ調理までしたが、食卓に並んだのは薬味の豊富な素麺に、焼魚という、どこかちぐはぐなメニューだった。ぼくはその素朴さに微笑んだ。だからその夜は酒が旨く、つい量を過ごした。甘い言葉を互いに遠慮無く口に出来た。

 心を傾けると恋心が転がり出してしまう、と彼女は本音をもらした。溢れ出した恋心に溺れてしまう夜もある。だからそうならない様に、平衡を保つ事を心掛けて暮らしているのだ、と言う。その言葉の裏に、ある種の警戒心が読み取れた。長く独りで暮らして来た彼女は、人は結局ひとりに戻る、という考えを持っていた。だからいずれ来る別れを予感し、それに備えているのだろうか。


 その夜ついに、彼女の部屋に泊まってしまった。

 始発を待って彼女の部屋を出た。彼女はぼくを送って行きたい風情だったが、ひと寝入りして出社しろ、とそれを押し留めた。まだ気温の上昇していない近郊都市の早朝は、都心より明らかに涼しかった。

 狭い畑などを見渡すと、どこか靄が掛かっている気もした。その風景は何処か懐かしく切なかった。くすぐったい様な喜びを押し隠した後ろめたさが、その切なさの正体だった。あの朝には、まだ別れる事など思いも寄らなかった筈だ。


 近郊都市回りから都心の会社へ戻れば、帰宅できるのは大抵夜更けになった。帰途の地下鉄では、つい眠り込んでしまう事もあった。その日も座席を見つけて座ると、途端に浅い眠りに落ちた。

 列車の震動が連想を呼んだのか、ぼくは列車の情景を夢に見ていた。祖父が窓辺の側に座って、頭を傾けて眠り込んでいた。窓には夜の闇が流れて、遠い街灯が認識できるばかりだった。あの夏の法事の帰りの様子らしかった。

 祖父は胸の辺りに腕を軽く組んでいた。袖口から銀の腕時計が覗いていた。普段を洋装で過ごす洒落た老人だったが、この時計はその趣味より更に、目立って洒落ていた。久し振りの旅だからと、気遣ったのだろうか。

 祖父のあの日の言動が今も心に残るのは、疑問を伴っているからなのだろう。祖父があれ程までに熱心に、その消息を訊ねていたのは誰だったのか。

 それをどうしても調べたければ、例えば田舎に残る親戚に訊ねる、というのはどうだろう、と考えた。心は夢うつつの中にあるのだろう。夢と共に時代の観念が十数年遡ってしまっている。あれから時は流れている。殆どの人はもう故人となって、あの日の顔ぶれはもう逸散している。気になるのは話題に上っていた人の存在だ。改めてその意味を心に探った。


 武蔵野という名のつく公園の大きな樹の枝の蔭で、降り募る通り雨を避け乍ら回想に耽っていた時に、既にぼくはその意味に気づいてしまっていた。けれどその重みから、ぼくは気づいた事を記憶から押し遣っていたのだ。


 推測は、いくつもの疑問に連鎖的に解答をもたらした。そして得た結論は、彼女とはもう続けてはいけない、という事だったのだ。それをぼくは無理に忘れようとしていた。

 別れなければならない。愛しさは今も変わらないのに。彼女の表情が浮かぶ。微笑んでいる情景であっても、その何処かに悲しみが隠れている。何故、と思い詰める。

 答えは彼女のその面影の中にあった。額の髪の生え際と、目の辺りを思い出す時、とても幼い誰かの顔が重なって来るのだ。それは誰か。いつ頃の知人か。それを記憶に追ううちに、何か懐かしい名前が心に浮かんだ。

 ぼくの心の愛情のスイッチは、オンになった途端に常に肉親への情愛へと向かってしまう。それはかつて、ぼく自身がまだもの心さえつかない程の頃に、僅かな期間だけ共に暮した筈の妹への感情だった。

 ぼくの愛の回路は正常ではない。失った肉親への感情が、成長の課程で変調を招いたのだろう。他人をいとおしむ感情は、うまく形成されなかったに違いない。すべての女性は、恋愛の対象とは成り得ない。それはぼくが常にどんな女性をも、面影の妹と比べてしまうからなのだ。心にはいつも、妹の喪失感を秘めているという事なのだ。

 ようやく雨足が緩み、明るさが戻り始めた公園の樹の下で、ぼくはぼく自身の心理の構造に気づいて呆然としていた。祖父と父とぼくの男ばかりで始められた生活には、母の存在さえ禁句だった。そんな頑なな家風を維持する一方で、祖父の心にはいつも、父の許を去った嫁と、彼女の連れて行った孫娘への想いが秘められていたのだ。

 晩年の祖父にとって彼女達の消息は、悔恨さえ伴う程に希求した関心事だったのかも知れない。だからこそあの最晩年に、弱った身体をおしてまで田舎へ向かい、法事を摂り行った。それは情報収集の為の最後の機会だったのだろう。穏やかな旅だったという印象はここで崩れた。祖父は結局、その消息を知る事が出来たのだろうか。

 夕立ちが過ぎて雲が薄れると、夕暮れには未だ間があって、空は再び青く澄んだ。その束の間の青空が心に残っている。ぼくは別れを決めていた。という事はこの仕事も続けられないのだ。今後は、彼女の勤める会社へ顔を出す訳には行かなくなる。雨に洗われた青空の情景には、そこまでの思考過程がひと綴りに焼き付いていた。


 外回りから戻った夜の会社で、ぼくは上司に辞意を告げた。君なら体力的にもこなせると思っていたのだが、と彼は言ったが、留意もなく淡々と退社は決った。ぼくはまた、仕事に縁付けなかった。二十歳からの日々に、幾度会社を変わっただろうか。父はまた怒るだろう。

 やること成すことがうまく収入に繋がらないのは、ぼくの品格が二流のせいなのだろうか。いつも詰めが甘く、自分を追い込めない。まもなく三十歳になろうとしているのに、生活は未だ安定しないのだ。


 辞めた会社のかつての同僚から、伝言があった。彼女が会いたい、と言っている。ぼくのテリトリーを引き継いだ同僚には、ぼくと彼女の関係が薄々とは見えるのかも知れない。職探しの合間に、ぼくは武蔵野の名のつくあの駅へ再び足を向けた。

 賑わう町の中に取り残された様な古ぼけた珈琲屋で、彼女と久し振りに向い合って座った。疎縁になった事を、彼女は悲しんでいた。それが別れの足掛りだと、彼女は気づいてもいた。

「でも奥様とやり直すならば」

と、彼女は言った。そんな有りふれた調和を望んでいるのではない、という事をどう伝えればいいのか判らなかった。

「やり直せる関係すら既に終っている」

 口を衝いて出たのはそんな迂遠な状況説明だった。彼女に言うべき言葉は、こんな事ではない筈だ。家庭の問題などは関わりがない。今でも愛しいと思っている。だがそれを口に出してその先をどう続ければいいのだろう。

 幻の妹の姿を追っているなどと言えるのか。どうしても幼い妹の面影と重なってしまうから、恋愛が成立しないのだ、と。ぼくは口篭り、やがては口を閉ざした。彼女はぼくの言葉を待って黙った。それはこの恋愛で、幾度か繰り返された情景だった。だがこの日の沈黙は意味が違った。もはや取り返せない別れの時をそれは誘った。

 通りを散歩に連れ出された犬がやって来る。道に面して大きく開かれたガラス窓を、犬は間抜けた表情で覗き込んだ。束の間、ほんの僅かな微笑みが、ぼく達の口許に戻った。そのまま彼女は言った。

「また元通りに暮らすだけ。去年と同じ暮らしに戻ればいいの」

 別れの訳を問い詰める事を、彼女は結局しなかった。



    承


 今日は家へ帰る、と言ってあった筈なのだが、ぼくの足は帰途へは向かない。東北新幹線は七時過ぎに東京に到着した。妻は夕食の支度をしている頃だろう。何気なく帰れば良いのだろう、とは思うのだ。けれど、この数週間、家を空けて連絡を怠った事が、気を重くさせていた。ただでさえ居心地の良くない部屋に、この状況下で戻れば、また嫌な想いをするだけだ。

 ぼくは駅構内の旅行案内所に入った。南へ向かうフライトの、最終便に空席がある、と判った。今から羽田へ向かえば間に合いそうだ。ぼくは山の手線へ向った。家の事はまた、頭の中から追い出してしまった。


 機内に駆け込んで座席に着くと、程なく離陸を始めた。二十時過ぎの空港の風景は、点滅を繰り返す灯りばかりだった。耳を圧する空気の感覚が、奇妙な静寂を呼んだ。その静寂の中で、ぼくはこの数週間の右往左往を思い出していた。


 酔って父へ電話を掛けた。ぼくには妹が居たんだな、と問うと、父は肯定した。何処にいるんだ、と重ねて問うと、行方はもうわからないよ、お前の母親が連れて行ったんだ、と悲しそうに言った。

 女と別れなければならない程に、もつれて追い詰められた自分の心理。それを解かなければ、この悲しみから逃れられない、と思っていた。その為に、知らなければならなかった。自分の心の何処かにわだかまる、凍り付いた様な肉親への感情の、正体を見極めなければならなかった。

 翌日にぼくは、実家へ行った。遅く帰宅した父を待つ間、缶ビールを空けていた。勝手を知った台所の様子だ。父がこの銘柄を買い置いている事は判っていた。

 着替えてソファに座った父を問い詰めた。妹がいたなどという事、今まで教えてくれなかったじゃないか。酔った振りをして、我が家で禁句となっていた事を口にした。母が出て行ったその理由は何なんだ。

 父は台所へ行き、缶ビールとグラスを手にして戻った。タブを引き開け、グラスに注いだ。それを一口飲んでから、小さな声で語り始めた。

「何故出て行ったのか、それは俺も知りたい」

 お前の妹が生まれて、一歳にもならない頃だった筈だ。あいつは突然いなくなった。そして誰からも連絡を絶った。その行方について、親父は何か勘づいていたらしい。だがそれに気づいたのは亡くなった後の事で、その時にはもう親父の手掛かりを辿る事さえ出来なくなっていた。

 永い年月の事で、父は既に諦めてしまっている様だった。その語り口も、淡々としたものだった。それはどこか冷たささえ感じさせた。ぼくは勢いを呑まれた格好だった。言葉を継げなくなった。テーブルに缶ビールを、音たてて置いて席を立った。

 祖父の部屋へ入った。床の間に、底の浅い箱が幾つか積み重ねてあった筈だ。祖父はかつて何かを掴んでいたかも知れない、という。おそらくは田舎の人脈に依るその手掛かりを、この中に探れないかと思ったのだ。それは文箱というには粗末な、ボール紙の書類ケースだった。

 父にも受け継がれた通り、祖父は几帳面な人だったらしい。箱は手紙と、写真と、古い書類とに分類されていた。書類はかつての仕事関係のものらしく、今では何の役にも立たないものばかりだった。手紙もまた、当時の仕事関係の人達からのものばかりだった。

 三つ目の箱を開くと、モノクロの写真が沢山あった。妙に小さく焼き付けられた肖像もある。どれも気取った、よそ行きの表情ばかりだった。今ほど写真が日常化していない頃のものなのだろう。

 それ等をめくって行くうちに、見覚えがある写真を幾つか見つけた。祖父が見せてくれた事があったという遠い記憶が、微かに蘇る。あの時ぼくは全く無関心で、懐かしがって興に乗っていた祖父を疎ましく思ったものだった。

 店先に沢山の人が並んだ写真があった。昔、祖父がやっていた商売の関係者一同なのだろう。どこかの海辺らしい旅先の、妙に広々とした風景を背にした記念写真もあった。改めて見ると、その古臭い衣装と髪型から、相当に昔のものだと知れた。出入りの取り引き者まで引き連れての、慰安旅行だった、と聞いた記憶がある。

 その顔ぶれの大部分は、ぼくの知らない人々だったが、幾人か判る顔もあった。田舎の親戚の若い頃の姿だった。そのひとりならば、この顔ぶれを説明して貰えるかも知れない。そう考えた時、いつか似た事を考えた事を思い出し、連想が働いた。

 十幾年か前に祖父について行った法事で、多くの見知らない人達と会った。あの人達の中には、母の行方を知っている人もいたのではないだろうか。祖父が手掛かりを得たとすれば、あの時あの場所だったのではないか。あの席で誰彼となく声を掛けて、そこから何かを掴んだのだ、という気がする。そのあたりが判らないものだろうか。

 ぼくは集合写真の幾枚かを、選り分けた。そうするうちに箱の下の方に、腕時計を見つけた。あの法事の時、祖父がこれをして出掛けた事を思い出した。ぜんまいを巻くと、時計は動き出した。ぼくはそれを腕にした。


 二時間に満たない程の時間で、南の街の空港に着陸した。ゲートを出た所で案内板を見回して、交通の連絡手段を探った。市街のターミナル駅には、地下鉄で行けるらしい。うまくすれば、下りの急行に間に合うかも知れない。ぼくは地下鉄のホームへ急いだ。

 五分程でターミナル駅に着いた。切符を買って構内へ駆け込んだ。急行のホームへの連絡橋を駆け上った。夜の駅は蒸し暑かった。ぼくは汗を流していた。急行列車は間もなく来る筈だった。


 祖父の写真を数葉携えて、田舎へ行った。近代的なビルに建て替えられた駅を出て、バスで山手へ向かう。すぐに見なれた田園風景が拡がった。気取った街なんかでなくていい。ぼくの田舎は、これでいいのだ、と思った。

 高齢の親戚は、西瓜などを用意して歓待してくれた。祖父を直接知る人達は、もう幾人も残っていない。この親戚はその年齢にしては相当に元気だった。

 ぼくの持参した写真を前にして、老眼鏡を落し掛けにした親戚は目を細めた。じいさんこれを大事に持ってたのか、と彼は嬉しがった。

 ぼくがあれこれ訊くまでもなく、彼はそこに並んだ人物達を語り始めた。存命の人と故人とがエピソードの中で錯綜した。これは誰、あれは誰、その名前は聞き覚えがあったが、ぼく自身との関係は判らない。理解を越えていた。

 これは、とぼくが指差すと彼は笑って、そりゃ出入りの酒屋だよ、と言った。

 これはお前の大伯母にあたる人だったかな、と彼が示したのは、上品そうな中年女性だった。その顔にどことなく覚えがある。どうもあの法事の時に、祖父と話していた人の様だ。

 お前の母親の方の親戚だった筈だ、と彼は言った。その家はどこですか、とぼくは訊いた。市内だよ、と彼はその人の嫁ぎ先だという店のある街を教えてくれた。


 バスで市内へ戻って、教えられた商店街を歩いてみたが、その店の名は見当らなかった。店構えの古そうな一軒に入って、訊いてみた。その店はこの並びにあったよ、と店主が教えてくれた。真夏の昼下がりで、暇だったのだろう。店主は興味深そうに話に乗って来た。

 大伯母という人の名を言うと、大病したからな、あのおかみさん生きてりゃいくつだ、と空に視線を遣り、八十か、とつぶやいた。

 旦那が死んだ後は三人の店員と切盛りしていたが、疲労が溜ったんだろ、おかみさんも倒れて患いついた。入院が長引いたんで、店をやって行けなくなり、長男が東京から来て、仕事を整理して店を畳んじゃったんだ。あれは十年以上前だったか。

 おかみさんはどうしたんでしょう、と訊くと店主は、判らないな、と首を振った。その後で、元の店員さんがひとりだけ、まだここに住んでるよ、と教えてくれた。


 店員だった人物は町内で勤めを変え、今は和菓子屋を営んでいた。恰幅のいい初老の人物は、前掛けを外し乍ら奥から出て来ると、店先に座って対応してくれた。熱いお茶と商売物の菓子を振舞われた。

 昔の店のおかみさんの件で、と切り出すと、十年程前かな、あなたのお父さんも訪ねて見えたよ、と言った。こちらの親戚を随分と訪ねて歩かれた末に、私んとこまで来られたらしいが、私などは下っ端で、お店の事情はよく判らなかったんもんだから、と申し訳なさそうにする。おかみさんもあの後どうしてなさるか、気にはしてたけど全く噂にものぼらなくて、と言ってそこからは、彼のひとり立ち迄の苦労話が暫く続いた。

 遠回りした話はようやく戻って来て、当時の番頭さんが東京の息子の所に身を寄せているけど、と言う話になった。折々の挨拶状くらいはまだ、やり取りしてるんだ、と彼はそれを捜し出して来てくれた。


 大伯母という人はもう故人かもしれないが、その息子という人を訪ねられれば、と希望を繋いで、東京へ戻った。元の番頭さんという人物を訪ねてみよう、と思った。東京を駆け回っていた仕事の時のフットワークを考えれば、それ位の事はなんでもなかった。

 職探しは、放り出してしまった。僅かばかり貯め込んでいた貯金を、取り崩して過ごしていた。妻はその事に怒り、口も利かなくなってしまった。

 けれど今ぼくにとっては、これは何よりも優先される事だった。今これを知らなければ、この先誰も愛する事が出来ないだろう。人を愛せないという事の悲しみは、心の風景を霧に閉ざされる様で辛い。正しい愛情の形を取り戻せなければ、ぼくという人間としての在り方さえ否定しなければならない。


 焦って乗り込んだ急行列車は、一時間程で次のターミナル駅に滑り込んだけれど、そこで終着だった。時刻表を良く見なければいけなかったのだ。だが、あの駅では、乗り換えに時間がなくてその隙もなかった。ここより南へ行くには、次の急行を待たなければならない。ぼくはホームのベンチに座り込んだ。南の都市の夜は、まだ暑かった。時刻は二十三時を回っていた。次の列車までたっぷり二時間ある。


「おかみさん、おたくには顔向けできなかったんだ」

と、元番頭さんは言った。訪ね当てた都内の家で、彼は隠居暮しをしていた。北の町の店の話で、と切り出すと、彼の表情が冴えた。思い当たる事があったのだ。ぼくが名乗ると、あんたは息子さんだね、と言って納得した様だった。そして口にしたのがこの言葉だった。それは何故です、とぼくは問うた。

「あんたのおかあさんの件で。知らないのかい」

と、彼はいぶかった。それが知りたいのだ、ぼくは身を乗り出して訊ねた。教えて下さい。

 けれど彼は、私が話していいのかね、と言ってその話題から離れてしまった。あれからおかみさんが何処に行ったかは、私も知らんのだ。店を畳む時には、息子さんがいろいろ気を使ってくれて、当座は不便のない位のものを出してくれたよ、旦那さんが亡くなってから店はあれで内情は火の車だったてのに、良くしてくれたもんだ、と彼は巧妙に話を逸した。

 そのご長男は、どちらにいらっしゃるのでしょう、と訊ねると、

「そりゃあ、あいつに訊くのがいいよ」

と屋号を口にした。それは誰です、と重ねて問うと、おたくにも出入りしてた酒屋だよ、と彼は言った。親戚との会話が蘇った。あの古い写真に写っていた、出入り業者だ。


 深夜一時を回って、闇の中を急行列車がやって来た。ぼくは座っていたベンチから腰を上げた。深夜のホームでは待つ人もいなかった。自由席の車両に乗り込んだ。どの席にも大きな荷物を持った人々がいて、眠そうにしていた。たったひとつ空いていた座席を見つけ、ぼくは腰を降ろした。

 さすがに疲れていた。列車が走り始めると、間もなくぼくは浅い眠りに落ちた。何か優しい人の存在が感じられる。その人物はだんだんと輪郭を明確にして行く。やがてそれは若い女性の姿となった。それは明るい性格の女性で、ぼくは我知らず微笑みを誘われた。それは未だ見ぬ妹の面影だった。


「その時計、おじいさんの形見ですね」

 酒屋の主人は、ぼくが腕にしていた時計を知っていた。北の町に暮す親戚に尋ねると、その酒屋はすぐに判った。店は新装したばかりの様で、明るくきれいだった。酒以外にも豊富な品揃えをして、コンビニエンスストアになっていた。

 店番を息子に任せて、店主はぼくを奥に導いた。店の奥は昔乍らの家屋になっていた。一番奥の部屋にぼくを通すと、店主は丁寧な挨拶をした。祖父には随分可愛がられた様だ。

 この時計を御存知ですか、とぼくは水を向けた。あれは十五年近くも前になりますか、これをおじいさんに渡すようにと、私がことづかりまして、お宅にお届けしたんです、と彼は言った。

 誰からことづかったんです、とぼくは問うた。店主は大伯母の店の名を言って、おかみさんから、付け届けの様にこっそり渡してくれ、と持たされました、と答えた。それにはどう言う意味があるのだろう。

 大伯母とはつき合いが途切れてしまったんです、とぼくは言った。そうなんですか、私もあれきり御無沙汰したままになってしまいました、と店主は悲しそうに言った。あちらのお店の方とはもう、おつき合いはないのでしょうか、とぼくは切り出した。東京へいらしたご長男とは、それきりになっております、と彼は答えた。ぼくは落胆を隠せなかった。

 でも確か、娘さんからご挨拶状を頂いた事がありました、と彼は続けた。その住所は判りませんか、とぼくは勢いづいて訊ねた。昔の帳面を見つければ、と彼は答えた。


 午前四時になる頃、その小さな駅についた。既に辺りは明るくなってはいた。けれど人を訪ねるには、非常識な時間だ。せめてあと三時間は、待たなければならないだろう。ぼくは駅舎を出ずに待つ事にした。


 酒屋を辞してビジネスホテルへ入り、シャワーを浴びた。家に電話を入れた。電話の向うで妻は、表情を失くしていた。呆れているのが、声で判る。

「明日戻るよ」

とだけ言って切った。酒屋で持たせてくれた小瓶のウイスキーがあるのを思い出した。冷蔵庫を開いて氷を取り出し、備え付けのグラスに入れた。ウイスキーのキャップを捻った。疲れていた。酒に酔って、眠ってしまいたかった。

 翌朝、酒屋の主人からの電話で起こされた。ぼくの眠そうな声に主人は、お寝みでしたか、と笑ってから、住所が判りました、と言った。

 駅へ駆け込み、新幹線に飛び乗った。三十分でその都市に着いた。


 新興住宅街の団地を探しあてた。面識どころか、その存在さえ知らなかった母の従姉に、一体どういう説明をして自己紹介すればいいのか、あれこれ悩み乍ら、その部屋のチャイムを押した。

 部屋の扉をゆっくりと開いたのは、上品な老女だった。随分と痩せ衰えてしまっていたが、面影は蘇った。あなたは、と声を掛ける前に、彼女がぼくの名を口にした。懐かしさを込めた口調だった。

 母の従姉にあたる女性が、氷を出しグラスを整えて、冷たい麦茶を出してくれた。その間も惜しんで大伯母は、ぼくに祖父や父の消息を訊いた。キッチンには窓からの風が入っていた。


 大伯母が箪笥の引出しから出して来たものは、封書だった。これが三年前に来たきりなの、と彼女は言った。それは母からの手紙だった。初めて見る母の手になる文字は、細くか弱く感じられた。

 手紙は先づ無沙汰を詫び、心配を掛けたと重ねて詫びていた。娘の体調が悪くなったので街を離れたのだと言う。今は細々とした収入もあるからと言い、また便りをします、と結ばれていた。

 封筒を返すと、意外な事に南の土地の住所があった。旅館の名前の気付けになっている。ここで働いている、という事なのか。

 大伯母は、ぼくの問いにあっさりと事情を話してくれた。貴方のお母さんは、早くに親に死なれて、私の所で育ったのよ。だからお産の時にも、うちに来ていた。あなたの妹が生まれて、うちで養生している間に、貴方のお母さんはうちの店員と恋仲になってしまったの。うちで育ったのだから、それ迄にも見知っていた仲だったけれど、どういう訳かその時になって、いけない恋に落ちてしまったのよ。

 当時の貴方のお父さんにどういう事情があったのかは、私の言う事ではありません。けれど一年と経たない間に、この二人は追い詰められてしまって、出奔してしまったのです。何処へ行ったのかは、私も知りませんでした。

 貴方のお母さんが、便りを寄越したのは、何年も経ってからでした。男は去って、貴方のお母さんは独りで娘を抱えて生きていたのです。それからわたしは、誰にも告げずに貴方のお母さんを援助していたのです。

 それはありふれた物語に聞こえた。ぼく自身いつか似た様な事をしていた。嫌悪という感情は、特に湧いて来なかった。哀れな女の事情だ、というだけの事に思えた。

 何故ぼくに、それを教えてくれるのですか、と問うた。もうわたしは歳老いて、動けなくなってしまったから、と大伯母は答えた。どうも心配なの、この三年何の連絡も無いし、娘は病気らしいし、訪ねて行きたくても余りに遠いのよ。

「お母さまを許せないでしょうが」

と、大伯母は問う。けれどぼくには、今はまだ判断ができない。何処かで理解できそうな気もするのだ。

「それでも会いに行ってやって下さい」

と、大伯母はぼくの手を握り締めて言った。


 ぼくの大旅行は、ようやく目的地に着いた。駅舎で七時まで待って、ぼくは町へ出た。手紙の住所に書かれていた旅館は、表通りに面していてすぐに見つけられた。この時間に旅館の玄関は、既に掃き清められていた。声を掛けると、すぐに仲居さんが出て来た。

 宿泊ではなくて、とぼくは母の名を出した。仲居さんの表情が曇った。もう辞めてしまったのですか、と訊くと、いえ、と口篭ってから彼女は、あの方は亡くなりました、と言った。

 その言葉は妙にゆっくりとぼくの心に響いた。言葉を飲み込む前に、口調からその内容が読めた様な気さえした。だから衝撃という程のものは無かった。

 それはいつ、と問うた。去年です、腎不全とかで急に悪くなられて、と彼女は答えた。娘さんがいた筈ですが、と重ねて問う。確か御病気とかで、勤めを辞めて御自宅にいらっしゃるようです、と彼女は答えた。この時になって衝撃が来た。その住所を教えて下さい、とぼくは急き込んで言った。

 仲居さん達が、あれこれと書類を出して調べてくれた住所は、ここから更にバスで行く距離の町だった。その路線と停留所の名まで、彼女達は丁寧に教えてくれた。誰もが母を良く知っている様だった。


 ぼくがもの心つくかどうかの二十数年前、母は去った。妹はほんのひとつに、なるかならずの頃だった。ぼくの心にその幼い姿が浮かぶ。記憶ではなく、イメージなのだろう。色白でふっくらとした頬の子だ。

 十二年前、祖父と法事へ行った。身体の弱っていた祖父にしてみれば、覚悟の大旅行だったのだろう。そこで祖父は大伯母と会っている。腕時計が大伯母からのものだろう、と気づいて問い詰めている。

 その後大伯母は倒れ、店を畳んだ。祖父も間もなく逝って、今度は父が探索に乗り出した。こうしてぼく達は、父子三代にわたって探したのだ。決して冷たくはなかった。


 バスは通学客を運んでいた。溌剌とした女子高生達が、乗り込んで来ては挨拶を交わし合った。やがてそれ等は、幾つかの停留所で纏まって降りて行き、いつかぼくはただ独りの客となった。海の遠望できる町で降りた。

 それは人通りもない静かな町だった。あたかも沈黙しているかの様な静寂の、昼下がりの町だった。堤防を越えて吹く潮風に、どの家も色彩を失い枯れていた。教えられた住所の番地を探して、ぼくは辻を曲った。いつかこんな時を夢で見た様な気がした。

 そのアパートは路地の裏にあった。一階の隅の部屋に、その名前を見つけた。ぼくはドアをノックした。名前をそっと呼んでみた。人の気配はある。今年二十代の後半に入った筈の妹が、そこいる。母に先立たれ、収入も途絶えて逼塞しているという。ぼくは名乗った、判るかい、と問うてもみた。

 やがて扉が開いた。扉の隙間に見えたのは、哀れにもやつれた姿の妹だった。ぼくは涙が溢れるのを、留められなかった。



    続


 バスは昇りに掛かって、エンジンの力を振り絞っているかの様だ。山中へと向うバスには、数える程の人達が乗っているばかりだった。妹とぼくはその最後部の座席に座った。妹の様子に人々の視線が行かない様に、と考えての事だ。古びたバスは車体を揺すり乍ら、狭い道を進む。

「暫く帰らない」

と、家へは電話を入れた。妻は出掛けている様で、留守番電話だった。だから、用意していた細かい説明は、省いてしまった。

 東北の山中には、そろそろ秋の気配が忍んでいた。窓辺で妹は、その風景を見ていた。目深に被らせた帽子の為に、表情は読めない。

 いつか別れた女が言っていた、古い伝説を持つ温泉へとぼく達は向っている。伝説の通りに肌に良い、という効能を頼って、ここまで再びの遠い旅をして来た。ひと夏の暑熱にやられて疲れた肌を、ぼくも癒したかった。


 東北新幹線からローカル線へと乗り継ぐほんの僅かな時間に、駅を出て買物に走った。一緒に来るかい、と妹に声を掛けたが、肯定とも否定とも取れる曖昧な首の動かし方をしただけだった。町を歩かせて、また好奇の目に曝されるのもかわいそうだ、と思った。ローカル線のホームまで連れて行き、椅子に妹を座らせた。手にしていた新聞を渡し、それを拡げて持たせ、顔を自然に隠させた。すぐに戻るから、心配しないで待ってなさい、と言って出口へと急いだ。

 駅前の商店街を急ぎ足で歩いて、必要な物を買い揃えた。大きめのバスタオルを何枚も買った。少し考えて、後々語らいの種になる様に、と本も数冊買った。酒屋を通り掛かって、一瞬足を止めた。けれど入るのを止めた。

 どの店のレジでも、使い捨てカメラが目に入った。旅行者ならばともかく、今のぼく達にはこれは憎むべき物かも知れなかった。

 駅へ戻って、ローカル線のホームへと走った。ホームのベンチには、地味なデザインのサマードレスを着て、つばの広い帽子を被った妹の姿が見えた。袖丈が長いのが少し奇異だが、そのほっそりとした姿は、遠目には可憐だった。かざした新聞の蔭の顔さえ見られなければ、楽しいバケイションだと思われるだろう。


 ローカル線は走る程に山中へ分け入った。渓谷と、断崖も見えた。四十分の行程の風景は、目を楽しませてくれた。声にこそ出さなかったが、妹の目に少しだけ輝きが宿った気がした。妹もその風景を楽しんだ筈だ。

 伝説のある温泉が何処にあるのかを、ぼくは知らなかった。それ程の名湯ならばすぐに判るだろうと、たかをくくっていた。けれど乗り換え駅の本屋でガイドブックを見ても、それらしい温泉は出ていなかった。

 手掛かりになるのは、別れた女の語った故郷の話だけだった。東北の山中にある美しい湖、その近くだ、と彼女は言っていた。ともかくそこまで行こう、と思った。哀れに病んだ妹を目にした時、悲しみに塞がれた心に浮かんだのは、その温泉だけだった。

 ローカル線の駅を出ると、湖へ行くバスには間があった。改札で訊いてみると歩いて小一時間の道程だという。人の目を気にし乍ら、ここで待ちまたバスに乗るよりは、と思って、歩こうか、と言ってみた。身体の病ではないから、妹は歩く事も問題なかった。人の目だけが、痛みなのだ。

 渓流に添った道を、ぼく達は歩き出した。風があり涼しかった。妹は長い髪を、後ろで束ねた。頬や首筋が露呈し、痛々しい肌の色を見せた。これを隠していたのだ。

 幾重にも重なる山々が、緑に輝いて目に心地良かった。都会の塞がれた空ばかり見て来たから、とぼくはぼくの仕事の話などを思いつくままに語った。妹は微かに頷き乍ら傍らを歩いた。

 前方の山に掛かっていた霧が、次第に近付いて来た。あの霧に包まれると、濡れるのかな、と語っているうちに、やがて細かな雨になった。肌やシャツを湿らせはしたが、傘を持たない事を後悔する程の雨ではなかった。

 霧はすぐに流れ去って、道は登りに掛かった。低い峠を越えると、遠くに湖が見えた。あとは緩やかに下る一直線の道だった。


 湖畔へ行き、ともかく座った。ぼくにとっては日常の事だが、妹にしてみれば久し振りの遠足だろう。座らせて休ませた。日差しは晩い乍らも夏のものだが、湖を渡って来た風が涼しかった。砂は粒が大きく、細かな石とさえ言えるものだった。歩くと何か摩擦音の様なものを、足の裏から感じた。これは鳴砂なのだろうか、と妹に言ってみた。妹は砂を手に取って見つめた。

 渚を、腰を屈めた老婆が、ゆっくりと近付いて来た。老婆は妹の顔を見ていた。湖の側から見られてしまうと、その哀れな症状を隠しようがなかった。紅く乾いて所々腫れている。かゆみを堪えて暮し続けた為に、いつか表情さえ摩耗してしまった。

 老婆はぼく達に近付いて、温泉へ行きなさるか、と訊いた。場所を御存知ですか、とぼくは訊ね返した。手掛りが掴めて、内心では興奮していた。

 老婆は、それなら、と道を教えてくれた。湖畔を通るバスに乗れ、と言い村落の名前を語った。


 教えられた村落で降りて、山道へ入った。日陰は涼し過ぎる程で、薄いドレスの妹には寒いのではないか、と思った。上着を羽織るかい、と訊ねると、妹は首を振った。山道は何処までも登りだった。

 僅かに下ってまた登るという山道を歩き続けた。登り道の背を越えた所で、前方に湯気が見えた。狭い窪地に一棟の建物が見えた。分校の校舎とも言えそうな、細長い宿だった。

 近付いて行くと、宿の向こうから瀬せらぎの音が聴こえた。遠くでひぐらしが鳴いている。老婆から聞いた宿の名が、その玄関の古びた看板から読み取れた。妹に微笑んで頷いた。ここへ来れば、という希望が叶ったのだ。


 玄関を入り声を掛けると、奥から老女が現れた。お入りなさい、と老女は言った。湯治で、と言い掛けると、そりゃどなたもそうだ、と言われた。

 こちらへ、と通されたのは、意外にも設備の揃った診察室だった。古びたベンチに、ぼく達は座った。壁には、何かの許可証やら、温泉の分析表やらが貼ってあり、湯長と書かれた札に、老女のものと覚しい名前が掲示されていた。

 湯長さんは隣の部屋で、白衣を着込んで現れた。下の婆さんが電話で知らせて来たよ、と言う。湖畔の老婆は顔が利くらしい。どれ診ましょ、と湯長さんは妹の前に腰掛けた。

 妹は帽子を取り、袖を上げて患部を見せた。湯長さんは老眼鏡を掛けると、顔を寄せ肌を撫でた。妹は衿を拡げて胸や背を見せ、膝を崩してその裏を見せた。

 湯長さんは机に向かうと、カルテを書き始めた。そしてはっきりとした声で、三ヶ月間、朝九時から三時間ごとに十八分づつ入りなさい、と言った。そして宿泊料は三食ついて二人で、と金額を言った。ぼくには殆ど、なけなしの金額だった。あんたの肌も良くなるよ、と湯長さんはぼくに言った。

 湯長さんは棚から塗薬を出し、箆を使い小さなケースにそれを小分けにして、妹に手渡した。これは腫れている所に塗る、腫れが退いたらもう塗ってはいけない、余ってたら私に返しなさい、と言った。

 そして引出しを探ると、鋏を取り出した。それをぼくに持たせると、髪を切りなさい、と妹を示し、あんたと同じ位に、とぼくに言った。

 眉は薄くなり、紅く腫れた顔色に唇の色さえ目立たないその容姿で、女性的な美しさを失った妹に、最後に残った象徴的なものがこの髪かも知れなかった。ぼくは躊躇した。湯長さんの視線は容赦が無かった。

 ぼくは妹の背に垂れる髪をすくい取った。ボブ位に伸びる頃には直ってるから、と言ってぼくは、鋏の刃を立てた。床に髪が散った。表情のない妹の右目から、ひと筋だけ涙がこぼれた。


 古びてはいても清潔な部屋にぼく達は通された。エアコンなど無く、窓を開け放っていた。それで充分涼しかった。有無を言わさずに連れ出した旅行だったので、妹の荷物は小さなものだった。ぼくは駅で買い込んだ沢山のバスタオルを渡した。六時を待って、浴衣に着替えたぼく達は浴場へ向かった。

 脱衣所を抜けると、混浴の大浴場だった。広い浴槽は、黒く堅い木で出来ていた。天井は高く、梁が湯気に濡れて光っていた。冬場ではないので、人も少なかった。

 痩せ細った妹は、バスタオルを身体に巻いて入って来た。浴槽の傍らに妹を座らせて、手桶で湯を汲んだ。熱い湯ではない。頭から十五杯掛けろ、と言われている。さあ掛けるよ、と言うと僅かにうつむいて目を閉じた。

 切ったばかりの髪が濡れてボリュウムを失い、痩せた妹はまるで少年の様に見えた。十五杯の湯で、妹はすっかり濡れてしまった。それから二人で浴槽に身を沈めた。濁りのない湯だったから、深さは看て取れた。湯は指の間で擦ると、少しだけヌルつく様な気がした。

 十八分という時間を、腕時計で正確に計った。時間になると、急かす様に立った。決められた手順に、何か効能がある様な気がしたのだ。熱くもない湯は、火照りを残さなかった。


 部屋に戻ると、肌が乾かないうちに薬を塗らなければならなかった。背中に塗るよ、とぼくは言った。妹は背を向けて浴衣をはだけた。荒れてあちこち赤く腫れたその背は、骨張って痛々しかった。色気など感じもしなかった。ぼくはその背中から尻までに、薬をまんべんなく塗った。その他の部分を、妹は自分で塗った。薬は塗った後すぐには染みるらしい。妹は耐える表情をしていた。ぼくは窓に目を向けていた。

 夕食のメニューは、野菜が多かった。川や湖の魚があるかと思ったが、鮭の切り身だった。ビールが呑みたい所だったが、それを言い出すのが、何となくはばかられた。茶碗を覗いて言った。

「カフェオレ色のご飯だ。おこわかな」

「げんまい」と一言、小声でだが確かに妹が言った。口許はほんの少しだけ笑っている様に見えた。

 それが嬉しくてぼくは多弁になった。ほうれんそうはヒスタミンでね、などと雑学を披露した。簡素な食事にも満足した。

 その夜、それから妹は何も語らなかったが、ぼくに心を許してくれている雰囲気はあった。部屋の隅と隅に座って、ぼんやりと過ごしたが、互いの存在が、疎ましくはなかった。

 布団を並べて敷いた。縁の薄かったこの肉親と、初めて枕を並べて寝た。妹は、長旅に疲れたのかすぐに目を閉じた。けれど夜中に幾度か目を覚ましていたのが判った。闇の中では、瀬せらぎの音が耳についた。


 目覚めて傍らを見ると、妹は既に目覚めていた様だった。寝床の中からガラス窓に目をやりじっと空を見ていた。辺りはまだ靄に煙っていた。眠れたかい、と声を掛けた。答えは無かった。

 語りたいと、思う。これまでの長い人生をどう暮して来たのか問いたい。母の話を訊きたい。この辛い病に罹るまでは、事務職などもしていたという、その話も訊きたい。だが、妹は人と語る事におびえを感じているらしい。そのわだかまりを解くまでは、まだ時間が掛かるのだろう。

 語りたい、と熱望して諦める。それは日頃、妻が試みている事だ、と気づいた。日常に家庭でしている事と逆の立場になっている、と苦笑した。


 朝食は、粥と僅かな菜、それに梅干しだった。淡白な生活が始まりそうだった。九時を待って、今日のノルマを開始した。妹の頭へ十五杯の湯を浴びせた。


 昼食は玄米と味噌汁と、皿に沢山に盛られた漬物だった。昼の入浴をして、ほのかに暖まった妹の身体に、薬を塗った。薬はしばらくすると、かゆみを抑えるらしい。妹は表情を緩め、卓子に伏して居眠りをした。その様子を見乍ら、ぼくも眠気を感じた。あまりに静かな午後だった。温泉三昧などというのは、贅沢の極みなのかも知れない、と思った。


 三時にまた入浴。湯上がりにはビールが呑みたい所だけど、と湯長さんに言うと、醗酵していないだけで似たようなものだろ、と出してくれたのは、冷えた麦茶だった。鳩麦はヨクイニンという漢方薬で肌に効くからどんどん呑め、と湯長さんは、干したコップに間を置かず麦茶を注いだ。妹もゆっくり味わって飲んだ。


 入浴して夕食。再びの夜。卓子の上には、駅で買った本を出してみた。分厚い推理小説と、グルメの紀行本と、犬の生態の本。それから幾つかの嗜好品関係の雑誌と、通信販売のカタログ。妹の目に微かな笑いは浮かんだが、手に取りはしなかった。

 就寝の時間は都会生活と比べればあまりに早い。けれど静かである為に、眠くなってしまうのだ。寝床の妹は、夜中に幾度か目覚めている様だ。眠りが浅いのだろう。


 それからの日々は、あまりに淡々と繰り返された。日々のノルマが無ければ、退屈もしただろうが三時間という間隔は意外に長くはなく、気づくと次の入浴時間になる、という繰り返しだった。夕食後になって、ようやく落ち着けるという暮しは、どこか仕事を持っている生活のリズムに似ていた。

 そんな暮しが続き、この山にやって来て幾日が過ぎたのかさえ曖昧になって来た頃に、台風がやって来た。

 湯長さんは部屋に転がっていたぼくをも苅り出して、戸板の釘づけを手伝わせた。こんな作業は、田舎での少年時代以来だった。湯長さんに指図され乍ら金槌を振るっていて、なんだか懐かしい気になった。そんなぼくを、妹は窓から面白そうに見ていた。

 台風は本州を辿って夜半にこの山中に至った。強風の音がダイナミックに轟く。なんだかわくわくして妹と顔を見合わせているうちに、明りが消えた。送電線が何処かで切れたのだろう。

 渡されていた蝋燭に火を灯した。互いの顔が、陰影を深めて浮かんだ。初めてぼくは、妹の面影に自分に似た処を見つけた。妹はどう思ったろう。

 なんだか秘密めいた時間だった。昔はけっこう停電はあってさ、とぼくは子供の頃の、田舎での暮しを話していた。妹は乏しい灯りに浮かぶ、ぼくの顔に視線を注いでいた。

 田舎で飼った犬の話をした。田舎だからこそ飼えたんだ。東京へ出る時には連れて行けなくて親戚に預けたんだ。茶色い雑種だった。頭のいい奴だったんだ。妹の口許が綻んだのが、灯りの陰影でくっきりと見えた。


 台風が去ると、晴天が続いた。秋の空というにはまだ、日中の日差しは強かった。ぼくは今度は屋根に昇らされ、雨漏りの修理をさせられた。湯治に来る客としては、若すぎたのだろう。湯長さんは極めて重宝に、ぼくを使った。

 湯上がりに妹は、卓子の上に置いたぼくの腕時計を手にしていた。銀の時計は毎日の入浴で、輝きに少し曇りが生じていた。妹はそれを悲しそうに見て、手にしたタオルで丁寧にぬぐっていた。その表情から、妹はこの時計を知っている様だ、と思った。


 肌に小さな水ぶくれが出来る様になった。それは妹にも見られたので、湯長さんに相談した。それはここで湯治していると必ず出る症状だと、と湯長さんは言った。それが出たら効いてきたしるしだ、いずれ全て奇麗に治る、と湯長さんは笑った。

 夕食の後の時間に妹は、ぼくの買って来た本を手にし始めた。犬の生態を書いた本が気に入った様だ。心が落ち着いて来たという事だろうか。

 妹の肌は、赤みと乾きが治まって、土気色に落ち着いて来た。腫れがなくなったので塗薬はやめた。かゆみがとれて、夜も眠れている様だ。


 けれどその直りかけた肌に、妹は爪を立てた。夜のひとときに、ぼくの腕時計をしげしげと見ていた時にそれは始まった。穏やかだった表情が次第に堅くなって、両の手がわさわさと蠢き出した。首筋に腕に、妹は無表情で爪を立てる。その様は無気力に見えて、けれど指の動きはどこか執拗だった。表情が動かない為に、行動と感情が分離しているかの様にも見えた。

 どうしたの、やめなさい、とぼくはきつく声を掛けた。妹の手は唐突に止まった。ぼくは妹の両手を押えた。御免なさい、と妹は言った。肌は少し赤らんでいた。爪切りを出して、ぼくは妹の爪を短く切った。


 温泉から溢れた湯は、裏の川に流れ落ちていた。川は今では湖に繋がれ、発電に使われている。人の手によって湖に流された川の水は、魚を死滅させた。温泉の成分の酸が強すぎたのだ。

 こんなに近いというのに有史以来、川は湖には流れ込んではいなかった。それは、不思議な事ではないだろうか。山の地形は、永らく魚を護っていたかの様ではないか。

 人はその悲惨な結果を、先に知る事は出来なかった。そこに流れがあったなら、それを発電に使うのは自然な成行きだったろう。止められる事ではなかった筈だ。宿の玄関にあった皺だらけのパンフレットは、そんな昔話を教えてくれた。

 この由来を妹に話した。だから食卓に川のお魚が出ないのね、と妹は納得した。このところ妹は、小さな声で話をする様になっていた。


「どうしてそう無計画なの」

と妻は、電話の向こうで悲嘆にくれていた。もう我慢がならない、あなたを待つのも止めにするわ、私は実家へ帰る、と妻は言って、必要な書類は判を押してここに残しておくから、と電話を切った。ついに別れる気になってしまった様だ。

 妹と久し振りに湖まで下りてみた。日差しも弱まり始めている。空の蒼は僅かに深みがある様に思える。水面の照り返しも、目を射る程には強くなかった。湖畔の道を歩くと、日陰では寒い程だった。

 足音が埋もれてゆく砂浜に、また妹と座った。その肌は少しづつ健康な色を取り戻し始めていた。ぼくは時計を見乍ら、今日の三時の入浴はパスだね、と言った。その時計、と妹はつぶやいた。何、と訊くと、母が贈ったの、と言った。妹は長い話を始めた。


 小学校の低学年の頃だった。お母さんの収入が少なくて、どうにもならなくなった事があるの。今考えれば大した金額じゃないけれど、当座を過ごす為に必要なお金さえうちには無かった。お母さんは思い切って、大伯母様に借金をした。それをようやく返せる様になって連絡をしたら、大伯母様は受け取らなかったの。当時は大伯母様のところだって左前だった筈で、それは別の人が出してくれたものらしいと判った。そして誰がお金を出してくれたのか、お母さんには判った。だからそのお金でこの時計を買って、その人に渡してくれる様に、と大伯母様にお願いしたの。

 お母さんがこの腕時計を買って来て見せてくれた時、とても奇麗にぴかぴか光ってた。だから良く覚えてる、と言う妹の目には涙が溢れた。それと同時に指が腕に食い込み始めた。

 そんなにいい親戚を持っていたのに、お母さんは酷い事をした。わたしは罪の子供なの、と妹はまた肌に爪を立てようとした。

 そんな筈はない、と言い乍らぼくはその手を押えて、ぼくの肌を見ろよ、同じ病を持ってるんだ、血縁なんだ、と言った。両の手を押え込む姿は、遠目には抱き締めている様に見えたかも知れない。

 母が誰を愛したにしろ、その時欲望に正直に従った母は、どこか可愛いと思った。それは、その頃の母と同じ年齢になろうとしているからこそ持てる想いだった。その愛情の形は極めて自然で正常だ、と思うと羨ましい気さえした。


 辺りに篭っていた暑さが去った晩秋の午後、宿の玄関に彼女が立っていた。別れてから随分永い時間が過ぎている様な気がしたが、季節がひとつ行く程の僅かな期間だったのだと、思い直した。どうしてここにいると判ったんだ、とぼくはいぶかった。

 貴方がわたしのテリトリーに入り込んだのよ、と彼女は言った。遅れた夏休みの消化の為にこの時期、故郷に帰って来たらしい。

 あのお婆さんは本当に困った人にしか、ここへの道を教えないのよ、と言うのであの湖畔の老婆の、この地域での立場が判った気がした。

 あせも治ったでしょ、と彼女は言う。確かにここへ来る理由のひとつは、ぼく自身の癒しの為でもあった。そしてぼくの肌はすっかり良くなっていた。

 貴方のペースを理解しているつもりよ、と彼女は笑った。それなら、もう暫く待っていてくれないか、とぼくは言った。正しい形の愛情を手に入れられそうな気がするんだ。

 そうなったら、あの人は天使ね、と彼女はぼくの後方を指差した。ぼく達の話し声に気づいた妹が、廊下をやって来る。妹は玄関先に立つ人物に興味を持った様だ。微笑んで小首を傾げている。美しさを取り戻しかけているその面差しは、やはり彼女とどこか似ている気もする。

 判った、待ってるから、と彼女は妹に軽く頭を下げて玄関を出て行った。見送るぼくの目に、辺りの森林が潤いを増して映った。


 筆記用具を貸して、と妹が言った。短かかった髪は伸び、その裾をぼくが切り揃えたので、女の子らしいショートカットになった。就寝までのひとときも、この頃では語らいがあって、そう長く感じられなくなっていた。ぼくは鞄から、レポート用紙とボールペンを出して渡した。卓子の上で、妹は手紙を書き始めた。傍らでぼくは、腕時計を外してぜんまいを巻いた。

 その封書を、翌日に訪れた郵便配達夫に手渡した。ぼくが探り当てた住所を表書きにして大伯母に宛てた封書は、長い便りになった。         (了)

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夕立過ぎて残る青空 平方和 @Horas21presents

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