後編
いつの間にか、日はすっかり雲海の向こうに沈みかけていた。
振り向くと、葬送に参列した人々は、もう、それぞれ、村へと帰り始めている。その人々の流れに混じろうと、俺も戻る。俺が近づくと、お袋は、軽く頷いて、ディローナおばさんに寄り添うようにして、二人で先に村へと戻っていった。
あとは、残っているのは――リリィ、か。重そうに、両手で大きな鞄を持っている。あ、いや、あれは俺の鞄だ。
俺はリリィに駆け寄ると、手を伸ばして鞄を受け取った。
「すまん」
「やけに重いけど、何が入ってるのよ」
手のひらが痛くなったのか、両手を揉み合わせるようにしながら、リリィが聞いてくる。
「いや、入ってるのは下着の替えくらいだ。鞄自体が重いんだ。軍規格の防水生地だからな」
「ふん、あんたには、そんな重くもなさそうね」
リリィが両手でなんとか持ち上げていた鞄を簡単に片手で持つ俺を見ながら、リリィが鼻を鳴らす。実際、俺からすると、そんな重いとは感じない。無駄に重りを詰め込んだ行軍訓練時の背嚢と比べれば、こんなものは風船みたいなものだ。
「……で、戻ってきたのね」
「ああ。電報送ってくれたの、お前だろ?」
「そうだけど、でも、来るとは思ってなかった」
俺たちは、昔のように自然に二人並んで歩きながら、そんな会話を交わす。
電報は、島と島とを繋ぐ、貴重な通信手段だ。いつ届くかわからない郵便と違い、遠方の島とも即座に連絡が可能だが、しかしその分、料金は馬鹿高い。1文字につき、実に5アルマイト。
「ジュゼッペ死去、葬送は24日夕刻、リリィ」
ただそれだけの内容の電報が、250アルマイト近い金額になる。さっき棺車に入れた花束なら30束くらいは買える計算になるし、そもそも
「よく電報送る金があったな。大丈夫か?」
「いくらうちが貧乏でも、それくらいあるわよ」
「少しくらいは返すぞ? いや俺もそんな金を持ってるわけじゃないから、形ばかりだが」
「そんなの要らないわよ!」
怒られた。
うちもそうだが、リリィも、俺たちがまだ幼かった頃にあった流行り病のせいで、父親を亡くしている。ずっとお袋を見ていたからわかるが、こんな辺鄙な村では、女手一つで現金収入を得ることは難しい。リリィの家は、退役軍人であるジュゼッペ爺さんの年金があったんじゃないかとも思うが、それも生活の足しになるほどの額ではなかったのではないか。
一方、俺の方は、この2年近く、給与を使う機会、というか時間はほとんどなかった。なので、時たまお袋に送金してた分以外は、そっくりそのまま残っている。現金収入の手段に乏しい、こんな田舎暮らしのリリィよりは、俺の所持金の方がはるかに多いはずだ。それに、今回の葬送のための棺車を手に入れるための金も、村の互助金の支援があったはずとはいえ、馬鹿にはならなかっただろう。
「いや、でも」
「要・ら・な・いっ!」
――駄目だ。
リリィがこういう怒り方をするときはいつも、俺がどう言っても聞き入れない。後でお袋に頼んで、ディローナおばさんにこっそり渡してもらおう。
それはそういうことにして、俺は話題を変えた。
「ところで、爺さんはなんで死んだんだ。どっか悪かったのか?」
「……全然。あんたが出てった時とおんなじ。無くなった脚が痛いって時々ぶつくさ言う以外は、ピンピンしてたわ」
「じゃあ、なんで?」
「お医者様によると、脳溢血、だって。いつも朝早いのに、珍しく起きてこないから部屋に見に行ったら、もうベッドの上で冷たくなってたわ。なんでも、苦しむ間もないくらい、あっという間に息を引き取っただろう、って」
「……そう、か」
苦しまなかったのなら、よかった、のかもしれない。なんだかんだ言って、爺さんは村一番の高齢者だった。年齢的に言えば、いつ死んでもおかしくはなかった。
「それで、あんたはこれからどうするの?」
俺が爺さんのことを考えていると、いきなりリリィにそう振られた。
「え?」
「え、じゃないでしょ。村を出てってからあんたが戻ってきたの、これが初めてじゃない。何日かゆっくりしてくんでしょ?」
「いや、明日の朝、『政庁』に戻る」
「……はぁっ!? 明日の朝!? なんでよ!」
「兵学校は休みじゃないし、帰りの
「なにが奇跡よ! ふざけてんじゃないわよ!」
また怒り出した。でも、さすがにこの怒りようは理不尽だろう。
兵学校の訓練兵は、入校から任官までの3年間、基本的にほとんど休みはない。それに、肉体面での鍛錬はまだしも、座学、そして実技実習の方は、休んだからといってその分を誰かが後で教えてくれるわけでもない。来る最終年度には、いよいよ所属兵科が決定されて、その訓練課程が始まる。最難関の兵科とされる
ただ、ジュゼッペ爺さんだけは、俺にとっては特別だった。
俺に、飛ぶことへの憧れを、竜騎兵になる道を教えてくれた爺さんだけは、俺が、自分で、その最後を見送りたかったのだ。
「……本当は、竜騎兵になるまで、戻るつもりはなかった。爺さんに、竜騎兵の徽章を見せる、その日までは」
俺の口から、そんな言葉が、漏れた。俺の、正直な気持ちだ。
爺さんに、竜騎兵の徽章を見せたかった。爺さんと同じ、竜騎兵になったんだって、そのことを爺さんに伝えたかった。
「……ふざけんな」
「は?」
「ふざけんな、って言ってんのよ!」
「なにがだよ」
「何が竜騎兵よ! 飛ぶだけなら気球船でいいじゃないの! わざわざ村を出て、軍人なんかになる必要なんかないじゃない!」
「馬鹿野郎! 気球船なんか風に吹かれるだけじゃないか! 俺は爺さんみたいに自分で風を超えて飛びたいんだよ!」
「馬鹿はあんたよ! おじいちゃんはそれで脚を一本なくして飛べなくなったんじゃない! 軍人の仕事は殺し合いなのよ!? ディノ、あんた、死にたいの!?」
「飛ぶことに、挑めさえしないなら、死んだ方がマシだ」
「じゃあ、勝手に、『政庁』でも『帝国』でも、どこへでも行って死になさいよ! もう二度と戻って来るなこの馬鹿!!」
そう叫ぶと、リリィは俺を置いて走り出した。
話しているうちに、というか、最後は怒鳴りあってるうちに、いつの間にか、もう家のそばまで来ていたようだ。リリィは白いワンピースのスカートを翻すと、そのまま自分の家に駆け寄った。そのまま、後ろも向かずにドアを開けて、中に入っていく。最後に、ひときわ激しく、ドアを閉める音を残して。
――はぁ。
こんなつもりではなかった。
家族の一人を失ったリリィを、さすがに悲しんでいるだろうから少しは慰めてやって、そしてまた気を入れ直して、『政庁』に戻るつもりだったのだ。こんな風にリリィと喧嘩するつもりは一切なかった。
とはいえ、どう考えても、これはリリィが悪い、と思う。
俺が昔から竜騎兵になりたかったことは、それこそリリィが一番よく知っているはずだ。俺がお袋に黙って、訓練兵の志願書を軍に出した時も、いつものように色々くさしはしたものの、手伝ってくれたのはリリィだった。
それから2年近くも戻らなかったのはまあちょっと悪かったかもしれないが、よりにもよってジュゼッペ爺さんの葬送の日に、竜騎兵になるなんてふざけてる、というようなことを言われる筋合いはない。
俺はいくらか腹を立てながら、自分の家に入った。
先に戻ったお袋が、晩飯のスープを作っていた。
「ディノが戻って来るなんて思ってなかったから、何の準備もないのよ。いつものものしかなくて、済まないねえ」
そう言うお袋に、いやいつものがいいんだ、兵学校の寮の飯は量以外は酷いもんだ、と答えながら、こういう反応が普通だろう、と俺は思った。
* * *
「ディノー、おはな、もっととって」
「うん、わかったよ」
ぼくはそういいながら、どんどん、おはなをつむ。
おはなをつむ、といっても、さきっぽの、おはなのところだけとってはだめだ。ちゃんと、なるべくながく、くきをのこして、ねもとのほうから、とる。
なぜかというと、このくきをつかって、リリィがおはなのかんむりをつくるからだ。ぼくにはうまくできないけれど、リリィはとてもじょうずにかんむりをあむ。
そして、そのおはなのかんむりが、リリィにはとてもよくにあうのだ。はずかしいから、リリィにはそんなことはいえないけれど。
このおはなは、はるになると、みさきのあたりのはらっぱに、とてもたくさんさいている。ぼくたちが、こうやって、たくさんたくさんつんでも、ぜんぜんへるようにみえないくらい、いーっぱい、さいている。
おとなは、ここが「そうそう」のはらっぱだから、しろいはながさくのだ、とかいって、このしろいはなをいやがるけれど、リリィはこのしろいはながだいすきだ。
ぼくは、おとこのこだから、おはなはべつにすきじゃないけれど、でも、リリィがよろこぶので、こうやっておてつだいをしている。
それに、このはらっぱからは、うんかいがよくみえる。かぜに、うすきいろのくもが、すーっとながれて、とてもとてもきれいなのだ。
あのくものうえを、とびたいなあ。ぼくはいつも、そうおもう。
おかあさんにそういうと、それは、しんだひとにこころをひかれている、だから、よくない、というけれど、それは、めいしん、だとおもう。
ジュゼッペじいちゃんは、おおむかし、ぼくらがうまれるよりもずーっとずーっとまえ、あのくものうえを、とんでいたのだという。
それも、うすよごれたぬのでできた、ぼろっちいカーゴなんかじゃない。ぴかぴかの、きんぞくでできた、ワイバーンっていうものにのって、なんと、かぜにさからって、とんでいたというのだ。
ぼくも、おとなになったら、じいちゃんみたいに、ワイバーンでそらをとぶつもりだ。
そしたら、このはらっぱのうえをとんで、リリィや、じいちゃんに、ぼくがとぶところをみせてあげるのだ。
きっと、きもちいいだろうなあ。
「ディノ、てがとまってるよー?」
「ごめんごめん、でもほら、もうこんなにつんだよ!」
「わーい! じゃあリリィは、おはなのかんむりつくるね!」
「うん!」
* * *
……。
何か、懐かしい夢を見ていたような――
そういえば、夢を見るほどゆっくり眠ったのは久しぶりだ。
……。
ゆっくり、眠った――?
はっ、と、ベッドから飛び起きる。
窓から入る光は、もう夜が明けていることを示している。つまり、日の出に合わせて毎日行われる軍旗掲揚を寝過ごしたということだ。訓練兵としてはあるまじき失態であり、評点が下げられることは言うまでもない。
ありえない。なんで同室の連中は起こしてくれなかったんだ!?
頭の中でそう叫びながら周りを見渡して、そこでようやく、自分がいるのが兵学校の寮の部屋ではなく、狭い部屋の中には俺が寝ていたベッドが一つあるだけだということに気が付いた。
――そうだった、今は自分の実家に戻っているんだった。
寝過ごしたわけではないことには安堵したが、とはいえ、ゆっくりもしていられない。まだ夜が明けてそれほど経ってはいなさそうだが、今日の昼までには
部屋を出ると、お袋が台所で朝食を作っていた。
「あら、やけに早いわね。いつも朝起きるのが苦手なくせに」
「それは昔のことだよ。あっちじゃ、いつも夜明け前に起きてる」
そう言いながら、食卓の椅子に座る。既に置かれていた、この島特産の塩のきつい硬いパンを、手に取ってかじる。
「昨夜も言ったけど、朝飯を食べたらすぐに出るから」
「ほんとせわしいねえ。久しぶりに戻ったんだから、ゆっくりしてけばいいのに」
「そうもいかないよ。俺が休んでる間も訓練は続いてるんだ」
お袋が出してくれたサラダを口に突っ込みながら答える。
「それで、今度はいつ戻るの?」
「……多分、任官されたら、かな」
俺のその返答に、お袋の顔が曇ったが、俺は気づかなかったことにした。
「それじゃ、もう行くよ」
体に気をつけろとか冷たいものを飲みすぎるなとか寝るときに腹を出すなとかいろいろ口うるさいお袋を押しとどめて、俺は玄関先で、そう言った。
「あ、その前に」
急に思い出して、俺は制服のポケットから、束ねた紙幣を取り出した。気球船の運賃は事前に払ってあるので、念のためにと『政庁』から持ってきたこの金は、もう必要ない。いちおう、10アルマイト紙幣を1枚と、数枚あった1アルマイト紙幣は抜いてポケットに入れると、残りは全部お袋に渡した。
「ディノ、あんた、このお金」
「今までの給与だよ。俺には使い道ないから、お袋の生活の足しにしてくれ」
「でも、こんなに……。それに今までも時々送ってくれてたじゃないの」
「どうせ休みもないから、金、要らないんだよ。飯も服も全部支給されるし」
「そうは言っても……。じゃあ、あんたのためにちゃんと預かっておくよ」
「お袋が使ってくれよ。どうせ任官されたらもっと貰えるんだ」
「だって、いつかまとまったお金が必要になることもあるでしょ。結婚とか」
「そんなのいつになるのかわかんないじゃないか。だいたい相手もいないし、そもそもするかどうかもわからないし」
俺はうんざりしながら答える。自分のお袋に金を渡すのに、なんでこんなめんどくさい問答が必要なのだろう。
「そういえば、リリィちゃんとは昨日ちゃんと話したの?」
突然、お袋が、リリィの名前を出した。なんでこの流れであいつの名前が出るんだ?
――あ、あれか。
「そうだった。悪いんだけど、その金の中からいくらか、ディローナおばさんに渡しておいてくれないか」
「それはいいけど、何かあったの?」
「俺を呼んだ電報代。まとまった額だったはずだからな。さすがに悪い」
「そういうことなら、わかったけど、ディノからリリィちゃんに渡せばいいでしょ?」
「昨日そう言ったんだけど、あいつ、ひねくれてるから受け取ってくれなかったんだ」
「ひねくれてる、って……。あんないい子なのに、そういう言い方やめなさい」
「じゃ、そういうことで、頼んだ」
俺はそう言うと、お袋に手を振って、さっさと歩き出した。
歩き出すと、必然的に、すぐに隣のリリィの家の前を通ることになる。煙突から炊事の煙が出ているから、あちらも起きてはいるのだろう。
「ちっ、あの馬鹿」
口の中でそう呟きながら、リリィの家の前を通り過ぎた。
このまま村の中心の通りを過ぎれば、あとは係留所まで2時間ばかりの行程だ。俺は右手の鞄をしっかりと持ち直すと、少し気合を入れ直して足に力を入れた。
絶対に、竜騎兵に、なってやる。
そう心に念じながら。
雲の海の竜騎兵 成坂空馬 @kuuma
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