第三夜 ③
自分が警官だったお陰で事件の説明に多少の説得力を持たせられたのは不幸中の幸いだった、とレイン巡査は思う。
あの死体が消滅したりせず形を残してくれたのも大きかった。鑑識はきっと頭を抱えている事だろう。
一夜明けた12月25日、警察署の窓越しに見る世界はすでに夕焼けに染まっている。
街は今夜もクリスマスを祝うイルミネーションを輝かせ始める。
今はちょうど、ベンが事情聴取で署に来ていた。
怪物に吹き飛ばされた彼を昨夜一晩入院させたが、検査では骨にヒビが入っていたものの内臓等に損傷もなく、ひとまずは安心した。
「せめてテレパシーだけでも残ってくれたら良かったのに……」
彼女は自分のデスクでパソコンを見つめながら、イヴの夜に体験したひと時を思い出す。
サンタの前で恋人らしい能天気な姿を振る舞いながら、彼が得たテレパシーを駆使して本当の意見を交わし合い作戦を練った。彼が“最後の願い”で相手の実体を求めたのも、サンタが現れた時に窓に姿が映っていなかったことを彼女が気にかけていたためだ。あれがなければ最後の願いは「お前の消滅」とでも言ってみたかもしれない。それでも上手くいっていたのかどうかはもう確かめようのないことだが、失敗していた場合に実体を隠している悪魔に銃弾が効いたかどうか……。
彼は、ベンはこれで全てを吹っ切ることが出来ただろうか?
2人の出会いは最悪の日だった。警官である彼女も知識にない凄惨な
最初は事情聴取のため。しかし、とても見ていられないその姿に胸が痛み、心のケアを試みるうちに警官としてだけではない小さな感情が芽生えていった。彼がまともに口を利けるようになった頃には、互いにそばに居てほしい存在に育っていた。
翌年のクリスマスは兄や友人のために喪に服し、共にお墓の前で祈りを捧げた。
ようやく立ち直ってきた今年。しかし、楽しく過ごすはずだった2人の2年目のクリスマスイヴは、健全さとはあまりにもかけ離れた異常な一夜になってしまった。日の出に合わせて行くはずだった墓参りも出来ていない。
だが、結果としてはきっと大きな前進のきっかけになる一夜だったのではと期待したい。望むべくもなかった復讐の機会が唐突に訪れ、最善を尽くして全てを終わらせることが出来たのだから。
それと……彼女個人としては、長年の親友だった
思案に耽りながらマウスをクリックする。
この2年で集めた資料が画面上に展開された。当然全て提出済みの内容だ。
彼女が知り得た一番古い類似事件は1654年、フランスの片田舎で起きたと記述があった。クリスマスに大量の血と肉片を残して消滅した一家。獣が侵入した形跡はなかったという。
その後は1700年代まで飛んでいる。残っていないのも仕方のないことだろう。そもそも毎年起きていたわけではなく、近年の記録では連続して起きてもいるが数年空いていることもあった。もっとも世界各地だから調べきれているわけもないが。
しかし、あの悪魔は結局なんだったのだろう……?
死に際、恐らく犠牲者の数であろう“664”という数字を口にした。また“あと一歩”と悔しがってもいた。もしも自分達2人が殺されていたなら犠牲者は666人…誰もが耳にしたことのある呪いの数になるはずだった。その
別の資料をクリックすると1879年に起きた事件に誰かが添えていた古い民謡が画面に広がった。
善いサンタがやってくる
街に奇蹟を連れてくる
どんな願いも叶えてくれる
最後の願いを間違えた時
悪いサンタが現れる
街から魂がさらわれる
善いサンタを連れてくるのは馴鹿だけ
悪いサンタを殺せるのも馴鹿だけ
姿を変えながら
ふたりはまたいつか
街にやってくる・・・
歌の調子は分からないけれど、それだけに淡々とした不気味さがある。
この
「
しかし気になる点は他にもある。
あれで本当にあの悪魔を滅ぼせたのか、という事だ。
彼女は歌詞の最後の一節を見つめながら背中に冷たいものを感じた。
「――HOHOHO……!」
突然響いた笑い声に彼女は弾かれたように振り返った。
「メリークリスマス! マルゲリータであっていますよね!?」
クリスマスに夜勤で入ってしまった署員の夜食が届けられていた。
定番のサンタ姿でピッツァと交換のドル札を確認している配達員。
「心臓が止まるかと思った……」
大きく息を吐いて胸をなでおろすと、オフィスの入口から見慣れた顔が現れた。
「エドワードさん」
「レイン巡査、昨夜は大変だったな」
エドワード警部は彼女の眼前まで歩み寄ると、ちらりとパソコンの画面を見やる。
「今回の資料か……どうにも扱いきれない事件だな」
ええ、と首肯する彼女に視線を移した。
「例の死体だが、見た目通り人間の組成とは一致しないようだ。詳しく調べるために国の研究所へ移すことになったが……君達の説明通りの存在だとしたら世界が揺れるニュースになるな。まぁ、公表されるとも思えないが。代わりにヴァチカンが絡んでくるかもしれん」
「エドワードさんは、私の報告とベンの話をどう思いますか?」
「俺は君らを信じるよ。2年前の説明のつかない事件現場も見ているしな…… 署長も始末書を書かせる気はないと言っていた」
「ありがとうございます……」
きっと彼が署長に色々と進言してくれたのだろう。
15年前に殉職した父は彼の相棒だった。その縁でずっと気に掛けてくれている。
非現実的な全てをありのままに説明することしか出来なかったが、少なくともここに味方が居てくれることに彼女は安心した。
「さて、もう少しで彼の聴取も終わるだろう。今日は君も仕事を終わりにして2人のクリスマスを仕切り直すといい」
「いいんですか!?」
「これは署長命令だ」
エドワードはパチリと目配せをして颯爽とオフィスを出て行った。
彼女はいま一度深呼吸をして、ディスプレイに向き直る。
「そうね、これ以上考えても仕方ないか」
画面に浮かぶこの民謡自体、信憑性も、本当に事件と関わる資料だという保証も、何一つありはしない。
“扱いきれない事件”……その通りだ。そして容疑者死亡で幕は引かれたのだ。
「私の捜査は終わり」
画面を閉じながら万感の思いを込めて呟いた。
彼女は左手に目を落として、うっすらと頬を染める。
(もうすぐ彼に逢える……)
昨夜、嵐の後のような部屋で、ベンは拾い上げたコートのポケットから小さな包みを取り出すと彼女の両手で握らせた。
その彼の指先に与えられた温もりと、包み紙の奥に感じる予感に胸の鼓動はなだらかな高まりを覚えた。
指の震えを堪えながら丁寧に解くと左手のひらに現れた白い箱。
「ベニー……」
彼の愛称を零しながらその蓋を開いた。
「あいつが起こした奇蹟に比べたら見劣りしちゃうけど……」
彼はそう照れ臭そうに呟いた。
胸に詰まる言葉の代わりに、涙を堪えながら首を振った。
彼の両手に優しく肩を掴まれ、唇がそっと寄せられ、そして愛の言葉を贈られた。
彼女は左の薬指に輝く指環を愛しさをこめて撫でる。
リングに刻まれた“愛するディア・レイン”。
「ありがとう、ベニー。人生で最高の奇蹟よ……」
今夜こそもう一度、ふたりの聖誕祭をやり直そう。
去年のイブに亡き姉の夫にもらったあのワインを開けよう。
ジェレミー達の魂がマリーお姉ちゃんのいる場所で安らぎを得ていることを祈りながら酌み交わし、私達は今日から未来へと一歩を踏み出していこう。彼らの分まで。
いつの日か、痛みが薄れ、良い思い出だけが残って心から笑える時が来るから。
気が付けば陽も沈みきっていた世界は窓硝子を黒く染め、そこに誰よりも幸せそうな女性を映している。
ディアは瞼を閉じると、温かく高鳴る自らの鼓動に耳を澄ませた。1秒、2秒……鼓動に少し遅れながら時が過ぎていく。
「ふぉっふぉっふぉ……」
突然背後から笑い声。
今度は
彼女はゆっくりと目蓋をひらいた―――。
第三夜~聖誕祭の奇蹟~幕
聖誕祭の奇蹟 仙花 @senka
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