最終話

 美雨に『別れて』と言われた日から、およそ一ヵ月が経った。


 俺は、学校から徒歩十分以内にある喫茶店にいた。

 昭和からあるという、昔懐かしいレトロな店には落ち着いた大人の客達が穏やかに談笑していた。店長が一人で切り盛りしているので、注文してから料理が届くまで遅いが、誰一人文句を言う人はいなかった。

 この店が提供するのは、美味しい飲み物と料理だけじゃない。

 洋楽好きな店長が、その日の気分でかける音楽。これが、なかなか評判が良い。

 お客さんの会話の邪魔にならない程度にかけられた音楽は、静穏な喫茶店を繊細に彩る。


「よっ! お待たせ!」


 相沢 駆が笑顔でやってきた。必ず五分遅刻する、ルーティーンは健在のようだ。

 俺は窓ガラスを見て、ごく自然な笑みを浮かべてみせた。


「遼から、お誘いなんて久しぶりだな」

「そうか?」

「最近は、遊びに誘っても気が抜けた返事ばっかだったから。

 何かあったんだろ?」


 気がきく駆からの誘い水をありがたく頂き、俺は美雨が新しい恋人と一緒にいたところを目撃した事を話した。

 美雨が幸せそうに笑っている姿……久しぶりに見れた。

 その笑顔が、俺以外の誰かの為の物でも……心が温かくなった。

 心の塞がりかけた傷が少し開いて、ズキズキと痛みが走ったけれど。

 美雨が、とても幸せそうで……良かったと思った、と俺は話した。


「遼も――――今すぐは、まだ辛いから無理だろうけれどさ。

 いずれは……気持ちを新たにしないと。過ぎてしまったことを引きずっていたら、いつまで経っても前に進めないぞ? そんで、いつまで経っても幸せになれない。

 彼女が幸せになったように……お前も幸せにならないとさあ」


 駆は、心から俺を案じてくれている。それはよく分かった。

 そんな優しい親友に、俺は笑顔で頷いた。


 失恋したばかりの頃は、哀しくて辛くて、世界まるごと滅べばいいとすら思った。いくら別れを覚悟していたといっても、失恋の苦しみは完全には消えなかった。

 でも生じた心の傷は、時間の流れによってゆっくりと塞がっていった。

 美雨との思い出を振り返り、色々と考える余裕も出来るほど回復できた。

 そして――――新しい恋をしている美雨を見て、幸せそうで良かったと思えた時

……俺はようやく自分が回復出来たと自覚出来た。

 全てが灰色に見えていた世界に、色が見えた。味を感じられた。

 美しい音楽を聴いて感動するも出来た。自分が戻ってきた。


 俺は店内に流れるギター演奏を聴きながら、携帯を開いた。

 待ち受け画面は、青い空と海の写真。

 先週、俺と美雨の写真データを整理したのだ。

 例え写真が無くなっても、過去まで無くなるわけじゃない。

 斎藤 遼が、梅宮 美雨という女性を愛した事は絶対に無くならない。

 初めてだったから空回りして、あまりに不器用で通じなくて、上手くいかなかったけれど。でも、大好きな人と一緒にいる幸せを知ることが出来た。

 それだけでも、恋が出来て良かったと思う。

 あまりに幸せだったから時々、夢見てしまう。

 美雨と一緒に笑い合った日々が再来することを。

 今でも自分の部屋にいると、美雨と記憶が鮮明に甦ってしまう。

 その切なくとも美しい記憶を。

 いつか思い出として、改めて振り返れた時がゴールだろう。



 ねえ、美雨。君は今、幸せ?

 俺は……美雨といた時の方が幸せだよ。

 まだ美雨のことが好きだから。

 だから君が幸せになることを心から願っている。

 もし今が、前以上に幸せなのだとしたら。

 どうかその幸せが、ずっと続きますように……。

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Happier ーあなたの幸せを願うー 月光 美沙 @thukiakari

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