開脚前転七日目

ハギワラシンジ

針のないはりねずみは、はりねずみじゃない

 別にいつも開脚前転している訳じゃない。

 多くて日に十回。少ないと一回もない。というところだ。

 ユーザは九割がはりねずみで残りの一割は名乗らないので何者か分からない。でも、おそらくはりねずみだろう。彼らはとてもシャイなので、名乗るのが苦手なようだ。はりねずみ的見た目をしていても、自分がはりねずみだと名乗らなければ、はりねずみではないのだ。僕たちは常にユーザのことをよく考えていなければならない。そういうものだ。


「はりはりはり」

「はいはいはい」


 今日初めて訪れたはりねずみに、僕は開脚前転を教える。彼は飲み込みが早く、すぐに開脚前転を覚えてくれた。腹筋をちゃんと鍛えているみたいで、鬼門の「針アップ」が綺麗な形で出来ていた。やはり、きちんと名乗ってくれる社交的なはりねずみはこちらの言うことも素直に聴いてくれるので教えやすい。彼はハリイ・チャンバラスキーという名前だった。


 次に来たのは女性だった。女はりねずみもそこそこ来る。本来の目的からは逸れるが、開脚前転は健康にもいい。そしてシェイプアップ効果もある。

 はりねずみにとって、可愛らしい後ろ足を保つことは、ある種の本能だ。そして開脚前転は内腿にある内転筋をとても刺激するので、健康はりねずみにはとても人気がある。昨年「世界一美しいはりねずみ」として、はりねずみとしては異例のフォーブズ表紙を飾ったハリーネ・ハリーナも「はりはりはりはーり(あなたの開脚前転はどこから? 私は内転筋から)」と述べている。

 しかしこの女はりねずみは「針アップ」はおろか、基本動作の「ばた・針」も満足にできないようだった。結局、彼女はろくに前転できないまま一時間が経ち、体力的にギブアップしてしまった。しかし、彼女は開脚前転できなかったというのに満足気だった。そしてナップサックからカメラを取りだし、自分を写した。頑張ったことが大事らしい。それを友達と共有するのが彼女にとっての「開脚前転」なのだ。

 彼女は「はりはりちゅう」と言って僕にお礼を言い、帰っていった。最近、若いはりねずみの中ではネズミのようにちゅうちゅう言うのが流行っているらしい。僕としては、はりねずみなんだから「はりはり」言っているのが一番良いし、はりねずみ的だと思うのだが、本人たちには分からないようだ。自分のアイデンハリィから離れることによって、自分をより認識できるのかもしれない。ちなみに彼女の名前はリ・ハァと言うらしい。


 そんなこんなで、今日も僕ははりねずみたちに開脚前転を教える。今日はこの後に、三匹ほど来て本日の業務は終了となった。

 僕はタイムカードをつけて、帰宅する。一秒たりとも残業はしない。なぜなら、はりねずみは残業を嫌うからだ。一度僕が残業しているところをはりねずみに見られたことがある。彼らは鼻をひくひくさせ、僕を非常に見下した態度で、針を投げつけてきた。次の日、開脚前転本部からお達しがあり、「残業をするなんて、非はりねずみ的過ぎる」とかなり怒られた。以降、僕は残業をしなくなった。仕事が残っていても、終わっていなくても時計の針が六になったら帰る。全ての道は針に通ず。それがはりねずみなのだ。僕ははりねずみではないけれども。


 僕は帰って、すぐに横になる。はりねずみのように、ころんと。

 なんで、僕が開脚前転インストラクターをしているかというと、ただの成り行きだ。その前はシステムエンジニアだったし、その前は警備員だった。僕はころころ転がるはりねずみのように、やりたいことをやっているだけだ。


 万物は流転する、と太古のはりねずみは言った。

 その通りだと思う。太古のはりねずみは全てに通じ、達観していたようだ。

 今日で開脚前転を初めて七日が経った。休息日だ。僕も少しはりねずみの叡知に近付けたかと思う。


 パリパリパリリリン。

 ふと、自室の固定電話が鳴る。僕はシナモン入りホットミルクをかき混ぜながら受話器を取る。

「はりはり?」

「あっ、お世話になっています」

 僕にかけてきたのは勤め先の総務はりねずみだった。

「はりはりはり」

「どうかいたしましたか?」

「君、明日から来なくていいから」

「はい?」

「いやぁ、やっぱりはりねずみじゃないとだめだね」

 僕は口をぱくぱくさせ、言葉が出なかった。

「あの、それは事前にお伝えしたと思いますが?」

「分かってるけど、そういうものなんだよ」

「いや…」

「君もじきにわかるよ」

「いや…」

「はり?」

「いや、はりとかそういうのじゃなくて」

「はりはりはり」

「いやいやいや」

「はりはりはり」

 はりはりはりしか言えないのか、と僕は怒鳴り付けてやろうかと思ったが、僕は諦めて電話を無言で切った。それが大人と言うものだし、そういうものだ。


 僕はシナモン入りホットミルクを飲み干す。シナモンがざらざらする。それがよく感じられる。


 僕は床にころんと横になる。愛らしいはりねずみのように。そして、「ばた・針」の姿勢を取ったあと立ち上がり「ハリーウォーク」をする。そして「お目々と・針」で前方を見据え、方向を定める。そして、「ツール・ド・針」を決める。そこですかさず、「針アップ」。僕は開脚前転している。やろうと思えば「ハーリ・ボンバ」だってできるが、あえてやらない。辺りは静かだ。


 ここまで自然に開脚前転ができるはりねずみがいるだろうか。いやいないだろう。だって彼らは足が致命的に短い。「ハリーウォーク」をするためには前足のリーチが不可欠だ。はりねずみは先天的にそれが難しい。

笑わせてくれる。


 万物は流転するが、お前たちは開脚前転はできなかったようだ。お前たちは考えるだけ考えて、実行に移せない生き物だ。そういうものだ。


 お前たちにあるのは針だけじゃないかはり。僕はお前はりたちとははり違う。はりフォーブズに載らなくてもはりはりはり友はりがいなくてもいいはり。僕ははりねずみはりじゃないから。僕ははり。僕ははりねずみじゃ。はりねずみじゃ。はりねずみなんじゃり。はりり。

 はり?はりはりはり?

 ぼくはり? はりりりりりりりりり。

 はりはりはり。

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