第3話「オーク、日常を過ごす」
結局、髷では30%程度の聖属性耐性と5%程度の耐久力上昇が付けられるので幕内力士の四股でも一撃で致命傷を負うことはないということがわかったところで、その日の稽古時間は終わってしまった。
「はあ……どっと疲れたな……」
「お腹ぺこぺこでやんす……」
口々につぶやきながら昼食を食べに向かう力士たち。だが、一人だけ浮かない表情で立ち尽くしている者が居た。
(……豚田の力は確かに凄いヨ……でも、部屋の外国人力士枠が2つしかないのは変わらない……次に新しい外国人力士を親方が拾ってきたら……)
千糸部屋所属の外国人力士、
彼の視線の先には豚毛を無理矢理髷の形に纏めた豚田がいる。相変わらず何を考えているのかわからない無表情で、豚田はフゴフゴと鼻を鳴らしている。
ある意味のんきとも言えるその姿を見て、桜田は心中でニヤリ、と笑った。
(だけど……外国人力士が相撲で大成するにはネ、実力だけじゃ足りないヨ。角界の洗礼を、味わうと良いよ……)
彼の考える角界の洗礼とは何か……その正体は、この後の昼食ですぐに明らかになるのであった……
――――
相撲部屋の食事事情は部屋によってことなる。
最も多いのは若手力士がちゃんこ番と呼ばれる食事当番を務めるという形式だが、千糸部屋では複数人いる千糸親方の奥さん(角界では通称千糸ハーレムと呼ばれており、何度かスキャンダルにもなった)が全員分の食事を用意している。
力士の巨大な体躯を作るために食事は欠かせない。その為、女将さんたちは腕によりをかけて料理を作っている。だが……その食事が幕下力士の口に入る機会は少ない。
「ふぅ……いやはや、やはり女将さん達のちゃんこは美味しいですねぇ。ついつい食べすぎてしまいましたよ」
「あらやだ悪人関ったら!」
目を細めて笑いながら腹をなでている幕内力士、
一方、幕下力士達はそれを恨めしそうに見ている。一体何故彼らは食事にありつけていないのか。
(ふふふ……これが相撲の近代スポーツと一線を画する特徴ヨ!親方と幕内力士が先!僕達下っ端はそれを食べ終わった後!そしてその頃にはもうろくな食事が残っていない!なんて言われて親方に誘われたのか知らないけど、エリートスポーツマンの卵として扱われることを期待してたなら一瞬で心折れるに決まってるネ!)
なお、これらの習慣は普通の相撲部屋では是正されつつあり若手力士も真っ当な食事を取れることを付け加えておきたい。
「いやあ、すみませんねぇ。皆さんの分も残してあげようと思っているのですが、ついつい美味しすぎて……いやいや、申し訳ありませんねェ……」
「い、いいでやんすヨ、悪人関!どうぞたっぷり食べてくださいでやんす!」
笑いながら退出する悪人関と現役でもないのに無駄に食べる親方を見送った後、やっと幕下以下の力士の食事が始まる。
とはいえ、まともにあるのは米だけだ。あとは野菜の切れっ端が浮いたちゃんこの汁のみ。
(さあ!心折れてとっとと帰るが良いネ!)
桜田はちらりと豚田の方を伺い、目を見開いた。
そこには野菜の切れっ端をかき集め、米と一緒に書き込む豚田の姿があった。ガツガツと音が聞こえるほど勢いの良い食べっぷり、飛び散らかる米と汁。少しでも人としてのプライドがあればこうはなるまいという食事風景だ。
「……豚田は良く食べるな」
「豚は雑食性でやんす。人間にとっては豚の餌みたいなの無残な食事でも、豚にとってはごちそう中のごちそうなんでやんすよ」
「人が食ってるものを豚の餌って呼ぶなよ……」
平凡川と丸眼鏡の会話も、桜田の耳には届いていない。
(ば、馬鹿な……わざわざ外国まで来てこんなスポーツマンとは思えないような待遇が許せるって言うのかヨ……)
豚田がついにおひつに顔を突っ込んで飯を食おうとしだしたので、平凡川はそれを止めた。
「馬鹿、止めろ!!」
「これが本物のハングリー精神って奴でやんすかね」
「ただ空腹なだけだろ!!」
ハングリー精神……。それは桜田も持っていたもののはずだった。
だが、今の自分にそれがあるのか。桜田にはわからなかった。
――――
昼食後は昼寝の時間である。激しい鍛錬で消費した体力を回復し、多量に摂取した昼食を消化する。力士の身体を作るためには食事と並んで重要な習慣であった。
(は、はん!さっきはびっくりさせられたけど、今度はそうは行かないヨ!食っちゃ寝なんて真っ当な社会生活を送っていた人間ならそう簡単に適応できない!でも寝とかないと明日の稽古に体力が持たないヨ……!僕の国みたいに、シエスタの習慣があれば別だけどね!)
ちなみに人間の行動サイクル上、昼寝を取るのは真っ当な社会人であっても効率的であるという意見もあることを付け加えておこう。
だが、桜田の目論見はすぐに外れた。そう、豚田が一瞬で寝ているのである!
「こいつ寝入り早いな……」
「野生動物にとって無駄な体力の消耗は死活問題でやんすからね」
「どうでもいいけどなんでこいつが野生動物であることに欠片も疑問もってねえんだよ……」
――――
昼寝の後は掃除の時間である。
(僕の国では掃除は掃除婦の仕事!日本人みたいに学校で掃除をわざわざやらせる国は少ないネ!変な習慣に戸惑いなヨ!)
「豚田掃除うまいな」
「豚は意外ときれい好きな動物でやんすよ」
「へぇ……って止めろ!土俵に穴を掘るな!」
――――
夕食
(夕食の納豆!腐った豆なんて日本人以外に食べられないヨ!)
「豚は雑食性でやんす」
「二度目」
「桜田くんも、好き嫌いせずに納豆を食べた方がいいでやんすよ。納豆は高タンパクで筋肉をつくるのに適しているのでやんす」
桜田は自分の前にある発泡スチロールパックに目を落とした。そこにはおぞましき腐った豆が詰まっている。
(……そうか、強くなるために手段を選ばない……こんな、腐った豆すら食べる……それが……ハングリー精神)
桜田は意を決し、パックを開けた。開け放たれたそこからはキラキラと光る糸が舞っていた。
(……僕が……無くしていたものネ……!!)
――――
翌日。
相撲部屋の朝は早い。特に若手はほぼ日の出と同じぐらいの時刻から稽古を始めている。
「そういや……今日は亡国部屋との合同練習の日でやんすね」
「そうだったな……豚田が失礼しないようにしねえと」
「いやあ、その必要はないでやんすよ。だってこっちが気をつけても……」
皆で準備運動をしていたところ、稽古場の扉が荒々しく開かれた。
そこに立っているのは一人の力士だ。キリッとした目、長い髪、やや低い身長。
その力士は入ると同時、大声で名乗りを上げる。
「
その姿を見て、だれともなくため息をついた。
「あっちがああでやんすからね……」
その力士、外国人じゃなくてオークだろ!? ロリバス @lolybirth
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