オオカミなメイドさん、赤ずきんな瞳子

 お嬢様とメイドとロリータ少女の共同生活は、まず共通のルール作りから始まった。


 ナオミは紙とペンを瞳子の前に置く。


「瞳子さま。恐れ入りますが、こちらの紙に授業の時間割を含め、大体の一週間の予定を書いていただけますでしょうか。特に家を出る時間と、帰宅時間をお願いいたします」

「あ、そうですね!」


 促された瞳子はテーブルの上でペンを走らせる。

 真正面に座るスズはカップを傾けていたが、瞳子が書き終わった辺りで「見てもいい……?」と聞いてきた。もちろん、と言えば、スズは紙を取る。


 ナオミはいつの間にかその場を離れ、スズは無言で紙を見つめている。

 

 ……紙を置いたスズは何の反応も示さなかった。


 静かで何の音もしないかと思いきや、実際には心地のいいBGMがかかっていた。アコーディオンみたいな音色。

瞳子が部屋の隅に目を向ければ、カーテンに隠れるようにしてひっそりと大きな蓄音機が置かれている。ホーンはまるで金色の百合みたいで、めちゃくちゃ高そう。


蓄音機を操作していたナオミが戻って来た。


「お待たせしました。さきほどスズお嬢様にレコードをかけるように申し付けられましたもので。紙の方は……拝見いたしますね」


何でも仕留めてしまいそうなヘーゼルアイが瞬く。


「瞳子さまは、バイトをされているのですね。週四で平均一日四時間となるとそれなりにお忙しい日程になるかと存じますが」

「そうですけど……私の場合、服代が結構かかってしまうので、サークルは入らない代わり、バイトに専念しているんです」

「我が家の朝食は七時で固定なのですが、バイトの日の夕食はいかがされますか?」

「いえ、それは自分で何とか……」


 そう言いかけた瞳子ははっと気づく。食事の世話までしてもらえる!


 瞳子は考えた。バイトの日の夕食はいいとして、朝食と、遅くならない場合の夕食は作ってもらえるらしい。……なら、昼は。


「あのぅー。すごぉく、不躾になってしまいますケド、昼食はどうしましょう?」


 ナオミは無敵の微笑みを浮かべた。


「もちろん学校の日にはお弁当を作らせていただきます。外食をなさる時にはなるべく早くご連絡いただければそれで結構ですよ」


 そればかりでなく。

 外出時には帰宅予定もあらかじめ告げること。予定が変わったらすぐにナオミに連絡を入れること。

 洗濯物を頼みたいときには瞳子に用意した客室にある洗濯籠を朝、出かける前までにナオミに渡すこと。

 お風呂はお風呂掃除も終わっている夜七時からならいつでも入ってもいいとのこと。

 送迎の車は行き帰り、スズと一緒になる時は乗せてもらう。別々に行き来する時、瞳子は地下鉄を使うこと(この辺りは瞳子もさすがに遠慮した)。

 そのほか、家事全般はナオミの仕事となっていること。


 また細かいところはおいおい詰めていくことにして、とりあえずはこんな形で決まった。

 つまり瞳子は、ほとんど何もしなくてもいい。


 ――至れり尽くせりだっ。


 毎日の家事から突如解放された瞳子は感激した。姉との同居が始まって当初は均等に家事も分担していたというのに、気づかぬうちにどんどん瞳子の方に家事が押し付けられていたのを思い、瞳子は心の中で涙を流していたのだ。瞳子にとって家事のことは佐々さんに対する大きな不満点のうちの一つであった。


 瞳子はごく普通の一般市民だが、猛然とメイドさんが欲しくなった。メイドは男子ばかりでなく、全「家事に疲れた女子」の夢に違いない。


 さきほどとは別の紙に、メイドによる美しい文字で書きだした「共通ルール」の紙をテーブルからはがし、ナオミはスズと瞳子に見えるように掲げる。


「こちらでいかがでしょう?」

「わ、こんなに手厚くしていただいて! 本当にありがとうございます!」


 いえ、とナオミは首を振る。


「感謝はどうかスズお嬢様になさってください。私にとっては仕事の一部ですが、これはスズお嬢様の御厚意なので」

「ありがとう、スズちゃん!」


 二人の視線が向かう先にいた三宮スズは、たっぷり十数えたあたりでようやくかすかに「……うん」と頷いてみせた。


「ナオミ、お願い」

「かしこまりました、お嬢様」



それから瞳子は二人と改めて連絡先を交換した。

ナオミさんの名字は唐崎さんと言うらしい。

本人は「ハーフなので」と静かに告げた。



 マンション最上階、ワンフロアを住居に使っているため、トイレと風呂もそれぞれ二つずつあった。お風呂は大小違っていて、大きい方はナチュラルにジャグジーバスだったものだから、ナオミに案内されて覗き込んだ時、素で「ふわぁっ」と叫んでしまった。瞳子はリアル陶器(ビスク)人形(ドール)を目指すために全身を着飾ることに余念がないが、自宅でジャグジーバスを使っていることが信じられないぐらいには庶民なのであった。


 瞳子に驚きを提供した張本人は早々に部屋に引っ込み、入浴も瞳子の後でいいとのことだったので、意外に庶民的だった和な夕食を終えてから、ジャグジーバスを堪能した。


 そのうちラッパを吹く天使がお迎えに来そうなぐらいには天国であった。


 乙女を維持するためのあれこれ――髪や肌の手入れなど――を済ませた瞳子はお気に入りの部屋着をまとって大きなリビングを横切ると、


「お風呂はいかがでしたか? ゆっくりできましたか?」

「それはもう」

「実はリンゴをご用意しております。よろしかったらお召し上がりください」


 ナオミは両手のプレートを少し持ち上げる。

 皿の上のリンゴは今すぐ食べられるようにカットされていた。ずいぶんと久しぶりに見た切り方だった。


「なら、もらいます。可愛いウサギですねぇ」


 赤い皮の耳が元気よく立っていた。ナオミは苦笑の顔を作る。


「この切り方をすると、お嬢様はとても喜ばれるのですよ」

「だからお弁当も可愛いのがいいのかなぁ。今日もパンダおにぎりをとても大事そうに食べていたし……」


 瞳子はソファーに座り、串で刺したリンゴに歯を立てた。しゃくりと朗らかな音を立てて、喉奥に冷たいものが滑り降りていく。


「キャラ弁が得意なんですか?」

「そこまで言うほどには。ただ、お嬢様にお仕えするようになってから、少し練習はいたしました」

「ナオミさんはいつからここに?」

「一年ほど前になるでしょうか。以前は別のお屋敷で勤めていたところを、お嬢様にぜひにと見込んでいただきまして、こちらに参りました」


 へえ、と瞳子は頷く。意外と二人の関係は新しいものだったようだ。

 勝手に十年以上の付き合いかと思っていたが、これはメイドの方が年齢不詳のように見えるからかもしれない。


 納得したところで話題が尽きてしまった。いや、探せば色々とあっただろうが、あれだ、美人の前だと言葉少なになるのだ。その狼みたいなヘーゼルアイが見慣れないもので。きれいで。


「ところで瞳子さまは可愛い服をお召しですね。フードのついた赤いワンピース……赤ずきんでしょうか?」


 そうです、と瞳子ははにかんだ。部屋着だから今まで佐々さんにしか見せる機会がなかったのだが、はじめてまともな反応が返ってきた。ちなみに佐々さんはやたら長い「ふーん」という一言で終ったのに。


「よくお似合いですよ。狼に食べられないようお気をつけくださいね」

「大丈夫ですよ。だってここは森の中でもないのに」


 森は森でもコンクリートの人工的な森の中にいるわけで、狼は徘徊しない。


「そうですね。申し訳ありません」


 ナオミは謝罪し、続いてよろしければ何かレコードをおかけいたしますか、と聞かれた。何があるのか問えば、全部同一ジャンルの曲しかないという。


「スズちゃんの一番好きな曲がいいです」

「ではこちらですね」


 最初にかけられた曲で、何度か耳なじみがある。


「ナオミさんもこの曲が好きですか?」

「……どうでしょうか」


 視線を蓄音機に移した彼女は低い声で呟いた。


「本当は嫌いなのかも」


 とっさに何も返せなかった瞳子に、ナオミはアルカイックスマイルを浮かべ、口元に人差し指を立てた。


「お嬢様には秘密ですよ」


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蜂蜜とスパイス 川上桃園 @Issiki

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