雨の降る部屋
ストビフ
重々しくのし掛かるような暗い雲は、その水分を抱えきれず、今まさに雨を落とし始めた。東の空から順を追って光が失せ、闇が這い寄る。
男は呆然と立ち尽くしていた。
足元のコンクリートは点々と染みになっていく。開いたまま転がった傘は静かに雨を受け流していた。
傘を拾い上げる。ただの白いビニール傘だ。穴は空いていない。雨音を反響させる。
雨は次第に強さを増す。足元の染みは一つになり、所々薄い水溜まりになっていた。いつの間にか街灯が灯り、それを水面が反射する。
ワイシャツにスラックス姿。中肉中背。特徴のない、印象に残らない顔。強いて言うなら清潔感があるが、やはりどこにでも居そうなサラリーマン風である。
歩き始めた。この場に留まる理由がないからだろう。まもなく、足を止めた。ゆらりと手を伸ばした先には壁があった。雨の景色を映し出す壁。どうやらただのガラスではないようだ。壁を伝って歩く。始めに傘を拾った街灯の元に戻ってしまい、四方を壁に囲われていることがわかった。また、それほど広くない。四畳半ほどだろうか。
気が付いたようだ。出口がない。空を仰いでも、低い雲が垂れこめて、大粒の雨を降らせるだけ。
アスファルトは雨足を跳ね返し、水溜まりを深くするばかりだ。
どう休もうにも濡れるのは仕方ないと諦めて街灯の柱に寄りかかる。すると柱が動いた。男はバランスを崩し、柱の奥へ吸い込まれるように消えた。
男と消えたはずの傘が雨と一緒に降りてきて、何事もなかったかのように雨を弾き続けた。
そして私は飛び起きる。一拍あけて目覚まし時計が鳴り始めた。
内臓全体が重力に勝っている。ふわっと浮き上がっている。鼓動も雑だ。体内を血液が遠慮なく荒々しく駆け回る。
目覚まし時計の音が大きくなっていくと、次第に私の内臓は適切な重力に囚われて大人しくなった。
私は息を吐いて、けたたましく鳴り続けるデジタル時計を殴って黙らせたのだった。
キッチンへ向かい、コーヒーを淹れるためにやかんに火をかける。
近頃同じ夢を繰り返しみているようだ。雨の中、見知らぬ男が電信柱に消え、浮遊感の後、飛び起きる。彼はおそらくサラリーマンだろう。歳は私より上だろうか。二十代後半から三十代前半といった風情だった。
紙のフィルターが湯と粉によって色が変わるのをぼんやり見つめながら、彼の顔を思い出そうと試みる。しかし不透明な白い傘と、けむる雨粒のせいで鮮明には思い出せない。
まあ、いいか。どうせただの夢なのだから。
濃いめに淹れたブラックコーヒーを片手にテレビの電源をつけると、芸能人のスキャンダルを騒ぎ立てたり、都心に新しくできた商業施設に人を流そうとしている。
はりぼての平和を見せつけられているような気分になるのはなぜだろう。
用意を済ませ、部屋を出た。今日も仕事だ。
朝、仕事に向かうとき天気予報を確めておくべきだった。昼から酷い雨だった。私の体はすっかり冷えてしまった。既に夜も深い。風呂で暖まってから寝よう。
深夜のマンションの階段をずぶ濡れで歩く。鞄から部屋の鍵を取り出してドアの前に立つ。
私はふと気がついた。なぜこんなに嫌な予感がするのだろう。
もしかしたら今朝の夢が未だに私のどこかで引っ掛かって入るのかも知れなかった。
馬鹿ばかしい。今までに何度も見た夢なのになぜ今日に限って引っ掛かる。
私はドアノブを握りしめ、大きく引いた。
そしてすぐに後悔した。
私の部屋に雨が降っていた。
雨漏りの比喩ではない。
今朝の夢のように、天井には重々しい雲が立ち込め、堪えきれなかった雨粒をばらばらとこぼし、床は濡れたアスファルトのような色をしている。
その上に不透明な白い傘が開いたままひっくり返っている。
傘の奥には男がもたれて姿を消した、街灯を備えた電信柱がある。私の部屋の間取りで言えば、丁度ベランダがある場所だった。
私はきっと疲れている。一度ドアを閉めた。鍵もかけ直す。一呼吸おいて鍵をあけ、今度はゆっくりドアを引いた。
いつもの私の部屋だった。濡れた形跡もない、今朝最後にみたままの部屋だった。
あれから度々私の部屋には雨が降る。雨が降るうちは決してなかに入らず、ドアと鍵をあけ直して、いつもの私の部屋に戻るのを待った。
雨が降る部屋の出口となるであろう電信柱は決まって私の部屋のベランダにあたる。どんくさい私はきっと怪我をするだろう。
心療内科や神社、寺、占い師にまで相談し、何度引っ越しても雨は止まなかった。
また例のごとく私の部屋に雨が降っていた。私は意を決して足を踏み入れることにした。小さな庭付きの一階の部屋。これなら部屋からの段差も少なく怪我をしてもたかが知れている。きっとこれしか方法がない。
ドアの内側にはドアノブがなかった。雨のにおい、湿気った空気がドアと壁の切れ目まで隠してしまう。押してもびくともしない。雨が降る景色をうつすだけだ。ガラスとも液晶ともちがう感触だ。やはり出口はあの電柱しかないようだ。あの男が歩いた道をたどってみた。傘を拾い、壁の感触を頼りに一周した。
そして私は電信柱に触れた。指先が埋まった瞬間、私は体ごと持っていかれた。暗闇と浮遊感が私を圧迫した。
次目覚めたときには、私の部屋に戻っていることだろう。
繰り返し見る夢がある。若い女性が雨の中、傘をさしながらうろついていて、電信柱に触れた瞬間消えてしまうのだ。僕はいつもそこで目が覚める。
「すぐそこのアパートで変死事件だって。」
母さんが化粧をしながらテレビを指さした。つられてテレビを見た。僕は叫びそうになるのを必死に堪えた。
夢に出てきた女性と、事件の被害者の顔写真がそっくりだったのだ。近所だから、もしかしたらいつの間にかすれ違ったのを無意識のうちに覚えていたのかも知れない。
「昨日雨なんか降ってなかったのにその人、開きっぱなしの傘握りしめて庭で死んでたんだってさ。ほら、ぼさっとしてないで、学校遅れないように出なさいよ? お母さんもう行くからね。」
母さんが家を出る音がした。もう堪えることができなかった。声の限り叫んだ。
次は、僕だ。
雨の降る部屋 ストビフ @R00stBeef
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