第3話 地方公務員って言葉の響きだけで強くなれる

 薬屋という家業の関係上、役所にはよく足を運ぶ。

 医院ほどではないかもしれないが、薬屋だって立派な医療の場だ。病気や怪我を治療する、命に関わる仕事である。前の世界のように、工場で生産された薬を処方するだけなら知識だけあればいい話かもしれないが、こちらだとそうはいかない。うちの店で処方する薬は全部父さん達が調合しているし、物によっては材料から手作りなんてドゥーイットユアセルフ感がモリモリな薬も少なくはない。お役所を通して上の機関に定期的に薬効証明だとか、サンプル品だとかを提出しなければ営業が許されないのだ。

 そんなわけで、店主である父さんや、その代理のヨナスが手を離せないとき。次点で長女のジーウが駆り出されることになる。

 そう大きくもない町の役所だ。職員も大体が顔見知りで、向こうもこちらを見れば「コックさん所のジーウちゃんね。いつもの申請書?」てな具合である。なにせ俺は美少女なので、印象に残りやすい。ちなみに父さんもヨナスも勿論顔を覚えられているらしい。二人の代打の俺が覚えられているんだから当然の話だけど。

 そんなわけで、今日も今日とて紙束をばさばさ窓口に提出して、パパパーンと判子を貰った俺は、役所の受付前の待合椅子で一服を決め込んでいるのでした。今日のお茶はローズヒップのフレーバーティー。甘酸っぱい香りが鼻の中でわいわい弾ける。

「こーら! 御用がお済みの方が馴染んでるんじゃないわよ」

「いやーセレンソンさんがお茶でも飲んでいったらって言うからさあ」

 窓口の向こう、セレンソンさんが良い笑顔で手を振ってくるので、こちらも笑顔でそれに答える。彼は俺が役所に訪れる度に良いように扱ってくれるので大変ありがたい。

「セレンソンさん! ジーウ甘やかしちゃダメです!」

「マリルー酷い」

 まだ湯気の立つカップを傾けると、ばっとそれを奪われそうになった。慌てて避けると、手の主は諦め悪く何度も挑んでくる。水物相手にどんな果敢さだよ。

 そうやって暫くの攻防を続けていると、他の職員さんの視線もだいぶ生ぬるいものになってきた。きたが、相手はどうやらそれに気づいていない。

「ジーウっ」

 あ、ちょっと本気で怒ってる。付き合いが長いので結構分かるのだ。

 怒りのあまりか、避けられ続ける悔しさのあまりか、顔を真っ赤にしてちょっと涙を浮かべる声の主――マリルーは、ぐっと顎を引いて俺を見下ろす。

 マリルーは、”わたし”の幼馴染だ。

 ヨナスの一つ上、わたしの二つ上の彼女は、去年からこの役所の受付として働いている。

「あのねぇ、ここはあんたの遊び場じゃないのよ」

 はぁっと口紅を引いた唇から鋭いため息が漏れる。腰に手を当て、ちょっとお姉さんぶった仕草だ。さっきまで猫みたいに俺のカップを狙っていたのを見ていたら全然威厳なんて感じないのだけど。

 マリルーは昔からこうだ。お姉さんだし、実際本人もお姉さんらしい、頼りになる子なのに、どうにもなんだかからかいたくなる。これは俺の精神が見た目より年食ってるからとか、そういう問題じゃないような気がしている。

 だからなんとなく、またからかいたくなって俺はわざと唇を尖らせて、両手で持ったカップの中に息を吹き込んだ。

「……だってマリルー、仕事終わるまでまだかかるでしょ?」

「は?!」

「最近会えてなかったし、いっしょにかえりたいなぁって……」

「な、な、……」

 ぱくぱくとマリルーの口が空気を噛む。

 なにせ”わたし”は美少女な上に、このマリルーという幼馴染は可愛いものが大好きなのだ。

 くるくるとウェーブががった色の濃い髪をしっかり纏めて、きっちりシワの無い制服に踵の高い靴を合わせたマリルーは、アイラインをきつく差して、お手本みたいに仕事の出来る女のひとそのものだ。それなのにそんな風にぱくぱくしている顔は年下の女の子みたいで可愛いので、時々こんな風にしてみたくなる。良くないんだろうな。本当に。あまり良くないことだ。仕事の邪魔をするのも良くないし、いつもお世話になってるお姉さんをそんな風にからかうのも良くない。うん。わかってはいるんだけどな。こういう趣味、”俺”じゃなくて”わたし”のものな気がする。

「でも……邪魔になっちゃうの、良くないよね」

 満足したので、空になったカップをセレンソンさんに返して、まだ固まっているマリルーの横を通る。

「ごちそうさまでした。マリルー、また後でね!」

 役所の戸を押し開ける。さて、暫く買い物でもして時間を潰そうかな。


「……ん?」

 メインストリートに向かおうとしている途中で、きょろきょろとあたりを見回す人影を見かけた。背の高い青年である。なにやらメモとあたりを矯めつ眇めつして、迷っている人のお手本のようなしぐさをしている。はたと足を止めると、向こうもこちらに気付いたのか、首っ引きになっていたメモから顔を挙げた。

 遠くからでも良く分かる、中々のイケメンだ。印象が優し気なヨナスと比べると、目つきも鋭く冷たげな雰囲気を覚える。涼し気イケメンは立ち止まっている俺を光明と取ったか、いそいそとこちらに駆け寄ってくる。駆け寄って、……でかいな。こちらに寄ってくると大柄なのがありありと分かる。頭一つ分くらいかと思ったが、”わたし”の頭が彼の肩に届いているか怪しい気がした。身長ばかりではない。がっしりと分厚い体のすみずみから鍛え抜かれた筋肉が見て取れる。

 旅人か、傭兵稼業の人だろうか。どちらも一般的に柄が良いとは言い難い職業だけれど、それにしてはイケメンマッチョはこぎれいな格好をしていた。

「あの、すみません、少しいいですか。レムナン市の市役所がこのあたりにあると聞いたのですが、どうも迷ってしまって」

 そして印象によらず当たりは良かった。

「ああ、役所ならこのまま真っ直ぐ行った後、角を右に曲がってすぐですよ」

「真っ直ぐ」

 俺が差したほうを伺って、なるほどと頷く。手元のメモを見下ろして、ぐるっと向きを変えたりしている。地図の読めないヤツがする奴だ。

「……右、というと。レターセンターのある」

「いやそれはだいぶ逆ですね」

「逆……」

 またメモをぐるぐる。やめろ。もうそのメモを回すのを止めろ。それすると自分の位置さえ分からなくなるだろ。

 ええととか呟きながら道の先とメモとを見比べている様子は、大きな背中を丸めているのも相まって飼い主を見失った大型犬のような雰囲気を醸し出している。

「えっと、良ければですけどご案内しましょうか」

「良いんですか! あ、いやすみません、お忙しい所をそんな」

「いや、どうせもうしばらくしたら行くつもりだったので……」

 暫く、と言っても一時間か二時間か、少なくともマリルーのほとぼりが冷めるまではと思ったのだけれど、こんな様子を見ているとどうにも放っておけない。

「……じゃあ、その、お願いしてもいいですか」

「はい、いえもう全然」

 ぽくぽく歩きながら聞けば、男性は役所の職員なのだそうだ。

「へぇ、そんな風に見えないですけど。あ、や、失礼な意味じゃなくって、もっとこう、強そうっていうか」

「あー、よく言われます。業務上、結構力仕事が多いので妙に鍛えられちゃって……」

 力仕事多いのか。役所って事務職なイメージあるんだけどな。実際マリルーも座り通しだって言っていたし。

 そんなことを言うと、クールイケメンの割に人当たり良い様子で彼は笑う。

「事務系だと本当に動かないんですけど、実務だといろんなところ走り回って色々やらなきゃいけないんで」

「なるほどぉ」

「結構体育会系なんですよね。公務員ってこういうイメージじゃなかったのになーっていうか」

「まぁそういう仕事多いですよね。営業とかも大体運動部みたいなもんですし」

「ああー、営業さんってやっぱり体力勝負みたいなところあるんですか?」

「いやもう体が資本っていうか」

 っていうか。

「…………」

「…………」

 っていうか。

「………………、…………………」

「………………………」

「あの、つかぬことをお伺いいたしますが、前職は何を……?」

「…………日本という国で医療事務を少々」

「………………なるほど……」

 な、なるほどぉ……。

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生まれ変わるなら美少女がいい 井伊藤里 @sundubu_

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