第7話
食堂を出てから最初に案内してくれたところは、翔がこれから住むことになる部屋だった。ヒーロー居住区にある食堂に来ていたので、一番近かったのだ。
部屋の中はそこそこ広かった。家で使っていたような一部屋ではなく、ホテルの一室のような感じだ。室内は入ってすぐ右側に扉がついており中は洗面所らしい。その奥にシャワー室とトイレがあるそうだ。湯船はなく、お風呂は大浴場を使う人が多いらしい。
「洗濯物は、この居住区の一角に置いてある籠に入いれるんだ。一応、部屋に小さい洗濯機も置いてあるから、洗ってすぐ使う必要がある物とかあったらそっちを使うといい。洗濯が終わって返ってくるのには、少し時間がかかるから。ああ、それと籠には名札が掛けてあるから、間違えないようにな。まあ、間違えても返っては来るけど、手間をかけさせてしまうから」
奥に広がる空間には必要な物が揃っていて、家具の配置は見知った部屋のそれと同じだった。恐らく、説明のために家へ行った際に翔の部屋を見せてもらったのだろう。自分の部屋に有ったものは揃っているように見え、逆に置いてなかった物が増えていた。小さな冷蔵庫に、電子レンジ、それからポット。棚なんかも増えているが、物が増えて狭くなったという印象は受けなかった。翔の部屋よりも、この部屋が広いからだろう。
翔の部屋から右隣は明文の部屋だった。何かあってもすぐに対応ができるように、ということらしい。
「それに歳が近いほうが話しやすいだろうと、セージさんがな。だから左隣もメンバーの中で歳が近い人の部屋なんだ」
そう言って明文は笑った。彼が言うには、左隣の部屋の主は三つ年上の黒髪緑目をした鬼族の妖怪らしい。気さくなお兄さんって感じの人だそうだ。残念ながらその人は部屋に居なかったので、挨拶はできなかった。
部屋の案内が終わった後は、そのまま居住区内を紹介してもらった。図書室に休憩所、それから大浴場。大浴場の近くには、先ほど明文が説明してくれた洗濯籠の一角もあった。たくさん並んでいる籠の中から、
「翔のはここだな」
そう言って明文が触れた籠には、確かに翔の名前が書かれたネームプレートがついていた。
「ちなみにこの名札さ、本名にコードネーム、はたまたあだ名だったりで統一性ないんだ」
そう言って明文は、他のメンバーに頼まれたりしたときは気をつけろよと、笑った。
次に案内してもらったのは、訓練施設だ。大型訓練場が三つと小さな施設が多数あり、能力の検査施設もあるそうだ。検査などは基本、隣の医療施設で行っているそうだが能力によってはこちらの施設も使うらしい。
「翔の場合は能力が目覚めたばかりで安定してない。だから、ある程度慣れるまではこの検査室で能力の訓練をしてもらうことになる。この部屋は検査が目的だから、能力の状態を調べるのに適しているんだ。まあ、医療施設に近いほうが安心ってのもあるけど」
そう説明すると、明文は流れるように隣の医療施設を案内してくれた。医務室に、検査室、翔が寝ていた場所もこの医療施設内の一室だった。医務室には治癒能力者が常勤しているらしく、緊急時でも対応できるようにしているそうだ。
最後に案内されたのは、広い室内に大きめな扉が複数ついた閑散とした部屋だった。扉の近くにはインターホンのようなものがついている。この扉が、基地の出入り口らしい。空間転移の能力を応用した代物だそうで、ここ以外には緊急用のものが基地内のどこかにあるだけだそう。
詳しい仕組みはわからないが、許可がないと出入りはできないらしく、許可なく扉を開けても壁しかないとのこと。それから、行き先にも同様の扉とベルダー所属のテレポーターがいることが条件だそうだ。任意のところへ行き放題ってわけではないらしい。
「さらに欠点があってな。出入り口のどちらかが、この基地でなければならないんだ。外と外では同じように作っても、成功したことがない。どう頑張っても、どこにも繋がらないんだ。だから、支部から支部に移動したいときも、ここを経由しなければならないんだ。とは言っても、直接能力者に飛んでもらったら、問題ないんだが」
「この基地には直接、移動できないのか?」
「普通は無理だな。能力の強い人なら大丈夫らしいけど、ベルダーのメンバーでも、直接ここに飛ぶことが出来るのは片手で足りる人数だし。この島はちょっと特殊でさ。そのせいで色々と面倒な部分もあるけど、そのぶん安全だから。うちの本拠地なわけだしな。……まあ、うん、危険なことはない、はず」
「明文?」
歯切れの悪い様子に、思わず名前を呼ぶと、
「……基地内にいる人に喧嘩を売っちゃだめだよ、絶対に」
据わった目をした明文が柔らかい口調で、そう翔に詰め寄った。
「う、うん」
思わず体を後ろに引いてしまったが、翔は悪くないだろう。
明文は翔が頷いたのを確認すると、なんでもなかったように振る舞う。翔もそれについて触れる勇気はなかった。
「後は図書館や農業区、一般居住区とかがあるけど、そこは場所だけ把握すればいい。余程のことがなければ、翔は行ってはいけないから。間違って迷い込むことがないようにしてればいい」
「うん、わかった。食堂の件と同じってことだね」
「ああ、すまないが気をつけてくれ」
そう、困ったような笑みを浮かべ、
「大方の案内は終わったし、もう日が暮れる。休むには少し時間が早いかもしれないが、色々あって疲れただろ。今日はもう、ゆっくり休むといい。部屋まで送る」
「……うん。ありがとう」
背を向けて歩きだした明文に、翔は置いていかれないように駆け寄った。
「あちこちと連れ回して悪かったな」
部屋まで送ってもらった、その別れ際に明文は言った。
一人になると、どっと疲れが押し寄せてきた。襲いかかる眠気に抗い、さっとシャワーを浴びて歯を磨く。乱雑に拭いた髪は乾ききってはいない。けれど、もう限界だった。ベッドへ一直線に向かうと、そのまま倒れ込んで、翔は目を閉じた。考えなければならないことは、たくさんあったけれど、到底そんな余裕などない。
「おや、す、み」
誰に告げるでもなく、一人呟く。意識はもう心地よいまどろみに包まれていた。
「 」
音にならないほどに小さく落ちた言葉は、誰に聞かれることもなかった。
*
「ふーん、それで駆り出されてるわけか」
鬱蒼とした森が見える窓の外。それに背を向ける形でソファーにだらしなく座った若い男が言った。目を半ば伏せて頬杖をついたまま、話し相手に視線を向けることもなく彼は小さく呟く。へーなるほど、と。
そんな態度を気にすることもなく、話し相手である青年は頷いた。
「彼以外の選択肢が思い浮かばなくてね。あの子は能力が目覚めて間もないわけだし、報告から能力がどんなモノかは目星がついていても、強さまで測れるわけじゃないからね」
それにと、青年は言葉を続ける。
「困ったことに、あの子さ。十三幹部に最近加わったばかりの
「へぇ? そんな面白そうなことになってんだ」
「他人事だな」
「そりゃあ俺、関係ないし」
口端に笑みを作って、言う。挑発するように青年を見た男の目に、愉悦の色を見つけて彼は苦笑した。
「君のせいではあるんだけどね。この間だって面倒なことになったっていうのにさ。突如空いた十の席を巡ってね」
「そんなことがあったのか。知らかったなぁ」
咎める響きのない青年の言葉に、明らかに作った声音で男が返す。
「よく言うよ。まぁ、いいけどね。多少、仕事が面倒になるぐらいは別にどうってことないし」
「へぇー? どうでもいいんだ。
「そういうわけにもいかないからね。創設者一族のご意向は聞いていく方針なもので。……十三幹部ができたのも、色々あるんだよ。私は、ケイ様の望む生活を支えるだけだからね。ケイ様が気にも留めていないんだから放っておくだけだよ。おいたが過ぎない限りはね」
「ケイは寛大だからなー。自分をいいように利用する奴らなんて、即刻排除すればいいものを」
「そういう君は排除に余念がないよね。だから面倒ごとが増えるわけだけども」
「あたりまえだろーが。俺がケイを利用するような輩を許す必要が、どこにあるっていうんだ」
「そう言うなら、アフターケアもして欲しいものだけど。君はあれかい、もぐら叩きが趣味なのか」
「いんや? ただ、そこまで俺が手を回してやる義理はねぇだろ。俺は、敵対者だもんなぁ」
そう口端を釣り上げて男はニヤニヤと笑う。
「まぁさ? そういうこと言うなら、出入り禁止にすりゃあいいんだぜ?」
「誰もそんなことは言っていないだろう。君は昔よりかは寛容になっているんだしね。一族の意向としても君を害する決断なんて下せるわけがない。と言うかね、そもそも私がさ。君を出禁になんてできるわけがないと知っていて、よく言うよ。……君は、相変わらず私に対して意地が悪いな」
「ふーん? 俺を基地に踏み入れさせたくない連中なんて、山のようにいる組織のくせにな」
上の立場の者がそんなんでいいんだと。男はわざとらしい笑みを絶やさない。そんな様子に青年は仕方ないだろう。そう拗ねたように小さく言葉を吐いた。
「そもそもさ、誰も文句を言える立場にいない。そのことをわかっていないんだよ。十三幹部は君の言う外側の者ばかりだしね。一族が席に就いているのは
そう吐き捨てて、一息。
「この島はケイ様の為にある場所で、ケイ様と君の家だ。私たちはその場所を少しばかり借してもらっているに過ぎない。ケイ様の許しなくば、私たちはこの島に足を踏み入れることさえできないというのに。それを、出入り禁止にだなんてさ。何の権利があって誰ができるのかって。面白い話さ。間借りさせてもらっている立場でさ、君に対して家に足を踏み入れるなだなんて。笑わずにはいられないだろう? 昔からケイ様と君の家がある場所に踏み入っているのは私たちの方なんだからさ。知らないからだとは、わかっていても気分のいいものじゃな、あ……」
そう、まくしたてるように言葉を連ねている途中で、青年は我に返ったようで小さく咳払いをした。話がだいぶ逸れてしまったね、と。
「そんなことが言いたかったんじゃないんだ。さっきは色々と言ったけどね。できれば君はしばらく、基地内の方はあんまり出入りしないでくれると助かるかな。君が言ったように、君は組織の敵対者だからね。所属してる多くのメンバーは君を見たら身構えずにはいられないんだ。基地内での君との交戦が禁止されていてもね。だから君がいたら、些かメンバーがピリピリしてしまう。そういった環境はさ、能力に目覚めたばかりのあの子には毒だ。ただでさえ、慣れない環境はストレスになりやすいというのに、そこにいる人たちの空気が悪ければ、余計に負担がかかるってものだろう? そうなれば、彼の仕事も増えてしまうし」
目線を男からそらしたまま、やや早口に話す青年。その様を目を少し細めて眺めながら、その声に黙って耳を傾けていた男は仕方ねぇーなと。先ほどとは打って変わって、目尻を下げた優しい笑みを浮かべて言った。
「へいへい。お前がそう言うんだ、おとなしくお預けされておくわな」
「悪いね」
「いいさ、別に。俺は寛大だからな。多少の譲歩ぐらいしてやるとも」
くっと、男が口端を吊り上げると、
「今回だけだぜ? なんせお前の頼みだからな」
同時に開け放たれた窓から少し強い風が室内に入った。愉悦の色をたたえた真紅の目に、小さく口を戦慄かせる。
「まったく、まったく。君ってやつは、本当に」
風と木々のざわめきの音が、ちいさな音をかき消した。
青年は目を数度瞬かせて、小さく言葉を吐く。
「君が、素直に私の願いをきいてくれるなど、珍しいな」
「そうか? 俺はいつだって優しいというのに酷いことを言うもんだ」
口ではそう言いながらも、男は傷ついた様子もなくカラカラと笑う。
「まぁ、いいか。俺としては能力の暴走による被害がなかったんだから、どうでもいいことだし。お気に入りに怪我がなかったのならそれで、な」
「なるほど。今日帰ってきたのは、それが理由か」
知らぬふりなど意地が悪いな、と。机に散らばった書類を片付けながら青年は男を見た。
「そう思うんなら、
「他の者にとっては部外者どころか敵対者だろうけどね」
口端を釣り上げた男に青年は小さく言う。
「お前にとっては違うんだ?」
「本当に、君って人は面倒くさいな」
男の言葉に青年は答えない。ただ眉を寄せて愉悦の色をたたえた、その真紅の目を睨みつけるように見返す。そして、話を戻すけどと言葉を紡いだ。
「口止めなんて、そんな無駄なことするわけないだろ」
「まあそうだろうな。そういうお前は、聞けば話してくれるわけだし」
「君相手に隠す意味なんてないからね。それに君は、ここに乗り込んでくるのだから、最初から話している方が面倒事が少ないだろ」
「へー、そんなんでいいんだ。ここのトップの補佐ともあろう人が」
ニヤニヤと笑う男に、青年は疲れたように額に手を当てた。
「さっきから君は、わかりきったことばかり聞いてくるけど、一体何のつもりかな。そも、ついさっきも言ったように、ここはケイ様と君の場所なんだからさ」
「べーつに」
その言葉にまた、ため息をつきそうになったがそれを飲み込む。そして代わりにそっぽを向いた男に言葉を放った。一体何を拗ねてるんだかと。
「君さあ、拗ねるならよそでやってくれないか。旅行中なんだろ、君は。イヌとカラスとさ。で、置いてきて君はここに居るわけだけど、それでどうして急に拗ねてるんです?」
「なんでもねーけど、さ。なんだってこの口がさぁ」
そう言って、青年の口横を引っ張った。
「なに、するんですか」
「さてな。……なんで、わかんねーかな」
そう言ってまた男は青年の口横を無遠慮に引っ張った。
そうこうしていると、
「二人して何してんすか。セージさんもレンさんも」
声がした方向を二人して見れば、いつの間にがドアを背もたれにするように明文が立っていた。
「あれ、明文どうしたんだい。彼は?」
「もう休ませましたよ。加賀見さんの特製料理食わせて感情を爆発させたうえに、基地内を軽く案内しましたからね。今頃、疲れ切ってぐっすり寝てると思います。怪我は治したとは言え、体力は消耗してますからね」
「そんなことをしていたのか」
「必要だからですよ」
「やわだな」
「人間ってのは脆いんですよ」
「明文ありがとう、助かったよ。」
「いいえ、俺が任された仕事ですから。まあ、そのくらいのアフターケアぐらいしかできませんけどね」
「大変だな。ま、それよか、良いところに来たアキ。ちょっと付き合え。場所はいつものとこでいいよなぁ?」
「いつものとこと言うと訓練室……ですよね」
「もちろん、模擬戦するよな?」
「……ええ、はい。俺は構いませんが」
明文はそう言いながら、ちらりと聖司に視線を向ける。
「まぁ、あの部屋は君のせいで誰も近付かないから好きにしたらいいけどさ。君、イヌとカラスのこと放っておいていいのかい」
「あぁ? 一々面倒なんざ見なくても問題ないに決まってんだろ」
「ああ、そうかい。……結局、君の本命はそれだったわけか。まっいいけどね」
聖司は小さく息を吐いた。
「せっかく、こっちまで来てくれたのに。ごめんね明文」
「セージさんの謝ることでは。ただまぁ、いつにもまして手加減してくださると嬉しいですけどね」
「……善処する」
「……和音くんには私から連絡しておくよ」
「……どうして、そう後ろ向きなんですかね」
二人の反応に明文は苦笑いが隠せなかった。
ヒーローなんて柄でもないけど 玖木 十五 @unohara
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ヒーローなんて柄でもないけどの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます