第6話

 オムライスを完食するのに、それほど時間は掛からなかった。スプーンを置いて、空になった器を見つめる。もう残っていないことが、少し寂しかった。


 食べ終わったもまだ、ポタリポタリと涙は流れ落ちている。


 …………なみだ。なんで、泣いているんだっけ。


 霞がかかったように、ぼんやりしていて、わからない。ただ、ご飯が美味しかった。それだけだった。ふわふわしたような落ち着かないようで、どこかスッキリした気分。ボーっとしたまま、何とは無しに翔が顔をあげると、未だこちらを見ている明文と目が合った。


 ……なぜ彼は、まだこっちを見ているのだろうか。


 疑問を抱いたのは一瞬。翔は自分の状態を思い出した。先程までの、ぼんやりは吹き飛び、顔に熱が集まるのを感じる。食べることに夢中になっていたことと、泣いているところを見られた気恥ずかしさから、乱暴に涙を拭って彼から目を逸らす。そして、


「明文は食べないのかよ」


 そう、指摘した。彼のオムライスは手を付けられた形跡はなく、ケチャップの字さえそのままだった。もう表面は冷めてしまったのか、湯気は見えない。


「くっ、ははっ。うん、うんそうだ、食べない。これは、俺のじゃないからな」


 翔の焦りが面白かったのか、明文がくすくすと笑う。けれど翔は、笑われたことよりも、その言葉に衝撃を受けた。お腹が空いたと、翔を食堂に誘ったのは明文だったというのに。


「え、あ、では誰のだと」


 言うんだ、と。言葉は最後まで紡がれることはなかった。その前に、明文の背後から手が伸びて、


「ぼくのオムライスだ」


 明文の頭の上に顎を乗せた人物が、そう言った。肩ほどの白髪に、右側の一房だけが黒で一際長く、目は黄色。抱きつくというよりかは、体重をかけるように、明文に腕を回している。


「初めまして、新入り君。ぼくは、未来のクラスメイト三号だよ。よろしくね」

「は、初めまして。藤沢翔です」


和かに言った少年に、翔は目を白黒させた。


きょう、自己紹介なら名前を言わなくてどうする。それとも初対面でツッコミ待ちか? 難易度高えだろ。というか、三号ってなんだよ」


 明文の言葉に彼は数回、目を瞬かせた。そして、ふわりと笑みを浮かべ、


「ああ、そっか、そうだね」

「……名前言うの忘れてただけかよ。つーか、なんで忘れるんだ」

「まあ、いいじゃん。あと、三号っていうのは三号だよ。一号が木本さんで二号がアッキーだからね」

「良くねえし、アッキー言うなし」

「じゃあ翔くん改めまして、ぼくは白城しらききょうだ。好きに呼んでよ」

「案の定、無視なのな」


 彼は明文の文句を聞き流して、翔に手を振った。ため息をついた明文を気にすることなく、ひらひらと。そんな二人の様子に、仲がいいなと感想を抱きながら、翔は手を振りかえした。鏡の名字に少しの引っ掛かりを覚えながら。


「おい鏡、そろそろ離れてさっさと隣に座れ」

「うん」


 いい加減煩わしく思ったのか、少し低い明文の声。その言葉をすんなりと受け入れて、彼は言われた通りに隣に座った。ことり、と。彼の前にオムライスを移動させて、


「まあ、こいつのことは置いといて、加賀見さんについて話すか」


 言った。余っていたグラスも、鏡の前に移動させている。最初から、彼が食堂に来るのは決定事項だったようだ。オムライスの『きょうのぶん』は『今日の分』かと思っていたが『鏡の分』ということだったのだろう。 


「加賀見さんについて? どうして」


 オムライスに手を付けていた鏡が、不思議そうな声を上げた。


「さっき、加賀見さんに釘刺したんだよ。あの人、地雷系だからな。で、翔にも気を付けてもらわないといけないから、話するんだよ」

「ああー、なるほど。見えないラインを踏み越えたら、悲惨だもんねえ」

「そういうことだ」


 っと、鏡のせいで話が逸れたな。そう、明文は呟いて、


「加賀見さん、あの人は妖怪だ。種族名は狐憑き」

「狐憑き?」


 聞いたことのない名称に、翔は首を傾げた。


「まあ、知らなくても無理ないよ。狐憑きは前例が無いから。加賀見さんは、ベルダー基地から出ないし」

「どういうこと? 勝手に名乗っているわけでは、ないよな」

「元々、妖怪の名前は彼らが名乗ったわけじゃないからねえ」

「ええと確か、能力者が生まれる以前からある、伝承か何かから付けられたのが始まりだったかな。特徴や能力とかが、いい感じにハマったみたいでさ。で、今も、そこから名付けているんだ。残っている資料を引っ掻き回してな」

「今だに、新しい種族が誕生するの?」


 その問いに鏡が目を瞬かせ、明文は小さく頷き目を細めた。翔くんはさ、と。鏡が言う。


「妖怪がどう生まれるか、知ってる?」

「そりゃあ、妖怪の親からだよね」

「うんうん、せーかい。まあ、常識だしね。じゃあ、妖怪の両親から生まれた子どもの種族はどうなると思う?」

「親の種族と同じではないのか?」

「うーん、半分正解ってとこかな。親が同じ種族の場合に生まれてくる子どもは、翔くんが言ったように、親と同じ種族。まあどちらかに、別の血が混じってたら先祖返りもあるけどね。だけど親が別種族同士なら、ごく稀にどちらでもない種族の場合があるんだ。もちろん、先祖返りじゃなくてね」

「なるほど。その場合に前例のない種族と認定されるわけか」

「そーいうこと。……まー、他にもあるけど」


 小さく呟くと、鏡はオムライスをを口に運んだ。そして、うん美味しい、と。感想をこぼす、その様子に明文が、


「そこら辺は、また追い追いな。一気に詰め込む必要はないし、この話にはあまり関係ないからさ」


 フォローするように、翔に言った。彼は、小さく息をつき、


「で、話を戻すけど。さっき地雷系と言ったように狐憑きはさ、かなり危ういんだ」

「危ういって。妖怪の能力はコントロールできないものなのか? それとも狐憑きが特別?」

「そうだな、なんて言ったらわかりやすいか」


 翔の問いに、彼は困ったように眉を寄せた。そして言葉を探すように視線を彷徨わせ、ゆっくりと口を開く。


「ただの能力者は自分が何の能力を持っているか、知っているよな。誰に教えられるでもなく、能力の使い方も」

能力者はね」


 スプーンを咥えた鏡が、カチカチと音を鳴らした。強調するように吐き出された言葉に、


「……後天的能力者は例外、か」


 苦いものが込み上げてくるようだった。少し前に知ったその存在を理解はしても、まだ消化しきれていない事実故に。


「うん、だけど後天的能力者だけじゃない」


 翔の暗くなった表情に気付いていないのか、鏡は淡々と言った。


「能力者でも後から別の能力に目覚める人がいてね。そういった複数の能力持ちも、その枠に入らないんだ。前者も後者も、さして差はないけどね。後から能力を知るって言う点では。まぁ後者は、元がただの能力者の枠だったわけだけどもね」

「後天的能力者は元々が能力無しで、複数持ちは1つは知っているってだけだな。どちらも珍しいから多くはいない」


 だから、わかっていないことも多い、と。付け足すように、明文が言う。また話がそれてるな、とも。

 ため息をついた彼の表情は、変わらず優しかった。


「妖怪にも能力持ちはいるんだ。種族固有の能力とは別に、な。そしてこの場合は、普通の能力者と同じで、元からんだ。まあ、こちらも、あまり多くいるわけではないが」

ベルダーうちではどれも、そんなに珍しくもないけどねー」


 そう言った鏡を、明文はなんとも言えない目で見た。その様に笑みを返して、鏡は言葉を紡ぐ。


「肝心のさー、妖怪の種族固有能力。これはねー、自分の固有能力について知るとようになるんだ」

「……自分がどんな能力を持っているか知ると、それまで能力の使い方がわからなかったのが嘘みたいに、な。コントロールできるようになるんだ。まあ、能力の強さも個々によって違うし、得意不得意もあるから出来ることに差はあるんだけどな」


 ため息を飲み込んで、明文が補足するように言った。


「そうなん、だ」


 知らなかった、と。そう呟いた翔に、


「これも、あんまり知られてないからねー。なんたって、近頃は種族不明自体が珍しいから」

「昔は珍しくなんてなかっただろうがな。今は積み重ねた前例により、不明なままになってることは殆どなかったはずだ」

「……ああ、そうか。昔の文献は状態の良い物の方が少ないんだっけ」


 ……確か、教科書に載っていたボロボロの文献。あれでも状態が良い方だと先生は言っていたはずだ。


 その言葉に、明文が頷く。

 

「能力者たちが現れる以前の時代。その記録の多くは失われ、かろうじて残った記録もまた損傷が激しい。だから、残っている資料だけでは特定が難しかったんだ。似たような特徴を持つものも複数あったし、読めなくなっている部分も多々合ってな」


 勿論、最初からそうだったわけではないと。彼は言葉を続けた。


「能力者たちが現れてから間もない時代に、戦争が起きたんだ。それも大規模の、な」

「力を持たない人々は恐れたんだよ。自分たちが持たない能力を持つものにね。始まりは、能力者たちへの弾圧。特に妖怪への対応は酷かったらしいよ。同じ人形ひとがたをしていても、意思疎通ができてもね。同じ人であるとは受け入れられなかった。……だからこそ、妖怪と当てはめたのかもしれないけどね。まあそんな感じで、弾圧を受けた能力者と妖怪だったわけだけどさ。そんな扱いをされて黙ったままでいられるわけないよね。争いになるのは、わかりきったことじゃん」


 能力について、かねり嘗めてかかってたんだろうねえ、と。鏡はグラスについた水滴を指ですくった。


「その結果、重ねてきた歴史は燃えてしまった、と。まあ、笑える話だよね」

「笑えるかどうかはともかく、そんな感じで種族特定が大変になったんだ。まあ、時間が掛かるだけで、名付けについては問題がないんだけどさ」

「問題なのは、能力についてだよねー。運が良ければ、固有能力についてに足りる情報が残っているけど、大体は読めなくなっている物が多いから」

「前例があれば、判明した場合に記録している。だから種族固有能力についても困らないんだけど、加賀見さんの狐憑きは前例がないから」

「ある意味、翔くんと似た状態だね。能力が自分の支配下にないって点では」


 そう言うと、彼は水を一口飲んだ。カロンと、氷がぶつかる音が響く。


「翔くんが特例の中でも別格なのと同じで、あの人も特殊だからねー。お互いが気を付けてたら、少しは危険も減るだろーから、翔くんと加賀見さんは一定の距離を保つようにってことだろーね」

「ええっと、まだちゃんとは、わかってはないけど。お互いに能力のコントロールができないから、距離を開けて置くようにってこと?」

「ああ、それで問題ない。何かあっても対処はするけど、何もないに越したことはないからな。注意するべきだと、そう認識でがあるだけでも、かなり違う」


 悪いな、と。小さい声。それに対して翔は、構わないと首を横に振ることで答えた。

 責める理由など、一体どこにあるというのか。翔の安全を思ってのことだ。苛立ちなどありはしない。


「丁度いい時間だな。最初の目的であった基地の案内に行こうか」


 少し重たくなった空気を払拭するように、通る声で明文が言った。


「わかった」


 そう翔が頷くと、彼は席を立ちグラスを片付け始めた。翔も明文に合わせて食器を運ぶ。


「おおー、いってらっしゃーい」


 まだ食べ終わっていない鏡が言った。彼の器には、半分ほど残っている。


「ああ、また後でな」

「またねー、翔くん」

「うん、また」


 手を振った彼に、同じように手を振り返して、二人は食堂から出ていった。

 

 

「ごちそうさまっと」


 ようやく食事を終えた、鏡は手を合わせた。彼の他に、誰の姿もない食堂に声が響く。


「やっぱり加賀見さんの作る料理が一番だな」


 そう呟くと、鏡は手際よく食器をカウンターに運び、机を拭く。そして、水を入れ直したグラスを置くと、グッと伸びをして、


「うーん、受け身ぐらい取れるようになったら、問題無さそーかな。翔くんが加賀美さんと仲良くなるのは、ある程度自分を守れるようにならないと話にならないからなー。あの子は攻撃的だから。まあ、大人相手じゃないから、いつもより警戒してないと思うけど。後で様子見といてあげて」


 席に座った。彼は上半身を机に預けるように体を倒して、グラスを見つめる。そっとグラスに指を這わしてから、もてあそぶように揺らした。


「あーあ。しばらく明文は忙しいから、寂しいね。慣れるまでは君、新入りの子に近寄るのも苦痛だから、話す時間もあんまり取れないだろーし。明文は基本的に翔くんと行動するもんね。まあ、しばらくは明文の代わりにっていうと変だけど、よろしくねー」


 そう鏡が言い放つと、氷がぶつかりあう音とは別の音が響いた。シャラン、シャランと鳴るその音に耳を傾けて、彼は口元を緩めた。

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