第5話
「料理ができるまで、少し話をしよう」
翔が席についたとき、明文は少し待っていてとカウンターの方へ戻っていった。そして帰ってきた彼は、そう言葉を発した。手に持った盆の上には氷水の入ったグラスが、なぜか三つ。
……誰の分だろう。
そんな疑問は顔に出ていないのか、はいと。彼は至極当たり前のように一つ、グラスを翔の前に置いた。氷がカラカラと涼し気な音を立てる。
「ありがとう、明文」
「どういたしまして」
そう返答しながら盆を机に置いて、彼は翔の正面に座った。よく冷えたそれを一口飲み、息を吐いた。
「まずは、ここでの翔の立場について話そうか」
優しい顔。そう表現するのに相応しい表情を、彼はずっと浮かべている。
「その方がわかりやすいと思うからさ」
その提案を拒否する理由はなく、翔は頷いた。
「本当はそこら辺も全て、セージさんが話をする予定だったけど、仕事が押しててさ。俺が説明を任されたんだ。歳の近いほうが緊張もしないだろうって」
その言葉に、先程までいた執務室の様子が脳裏をよぎる。どのくらいの仕事を彼が担っているか、翔にはわからない。けれど、机にあった書類は間違いなく聖司の仕事だろう。あれが全ての仕事ではないと思うが、あの山だけでもかなりの量だった。あれを捌くのにどれだけの時間が掛かるのか想像もつかないが、明文の言葉に納得できるだけの説得力はあった。
「ごめんな? 本当はペーペーのヒーローからじゃなくて、偉い人からの説明のほうがいいんだろうけどさ」
そう明文は言うけれど、翔としては今の方がありがたかった。きっと明文の言う通り、組織の偉い人から言うのが筋なのだろうと思う。けれど、翔はあれ以上あの場に居たくなかったのだから、文句などありはしない。それに聖司の前に立つ苦行は、もうしばらくは味わいたくないのだ。沙織に腕を引かれなければ、前に立つなど到底できなかっただろう。
だから翔は、気にしていないと首を横に振る。けれど彼は、謝罪の言葉を重ねて、
「うん、それじゃあ話をしようか。……翔を困らせてたら、セージさんに叱られちまう」
と、おどけたようにと笑った。そして真面目な表情で、
「翔の立場は今、ベルダーのヒーロー所属ってことになってるんだ。勿論そこには、見習いや仮って言葉が付くんだけどさ」
「へ? なんで?」
「まあ、驚くわな」
素っ頓狂な声を出した翔に、想定内と言わんばかりに明文は首肯した。
「翔の部屋をヒーロー居住区に用意するってのは決定事項でな。それにあたって、その立場が必要不可欠だったんだ。でないと、面倒な人たちに文句つけられっから。翔の対応を任せられるのがヒーローだけなんだと説明しても、過激な奴らだと鍵の付いた部屋に閉じ込めて監視すればいいだろ。なーんて、言われかねないからさ。……後天的能力者は、強い能力の持ち主が多いから縛り付けたいんだろうけどよ。無茶が過ぎるよなあ。まあだから、組織に所属させる形で、繋がりを持たせること。それだけで納得つーか、譲歩してくれるわけだけどさ」
絶句した翔の目を見ながら、彼は続ける。
「誰が、なんて聞かれても答えられない。ごめんな。……翔に対して隠し事や秘密、話せないこと。まあ全部同じことだけどさ、それはたくさんある。だけど隠していることは隠さないから、気になることがあったら聞いてくれ。答えられないことなら、その都度言うからさ」
「……どうして話せないのか聞いても?」
「ああ、大丈夫だ。問題ないよ」
単純なことだ、と。そう前置きして、
「翔は今ベルダーの所属だけど、正式なメンバーでないと言ったろ。だからだ。だから、話すことが出来ないんだ。名目上メンバーなだけで、翔がここにいる理由は能力のコントロールだからな。ある程度、能力の使い方に慣れて暴走の危険がないと判断されたら元の生活に戻れる。……まあ、元のとは言っても、全て同じ様にとはいかないだろうけどよ。家族友人知人から引き離されている状況は終わる。そうしたら、ベルダーと関わることはほぼ無くなるわけだ。ヒーロー志望だったりその周辺の仕事がしたいのじゃなければ、ヒーローの存在が身近な生活を送るなんてことはよほど運が悪いか、悪いことしているかってぐらいだしな。普通に生きていくなら、関わりが薄くなるのは必然ってわけだ」
「それほど重要なことなんだ。ええとあれだ、企業秘密みたいなことか」
「ああ、その認識で良い。きつい言い方をすると、部外者には教えられないってことさ。まあ、そこら辺は面倒な人たちも関わってきて、ちょっとばかしややこしいからさ。詳しいことは、また機会があれば話すよ」
そう言って、彼は口端に笑みを浮かべた。その言葉に、
「それなら、期待せずに気長に待ってる」
翔も笑みを返した。
「ほら飯、出来たぜ。ご要望どおりにな」
まるで会話が終わるのを見計らったかのような、絶妙なタイミングで加賀美が料理を持ってきた。そっと、丁寧に机に置かれた料理は、
「ありがとう、加賀見さん」
「どういたしまして。食い終わったら、カウンターのとこに置いといてくれや。ちょっくら奥に、引っ込んどくからよ」
「了解ー」
『新常連歓迎』そう器用にケチャップで書かれているオムライス。それに視線を奪われて、翔は二人の会話が耳に入っていなかった。
「加賀見さんの料理は本当に美味しいんだ。それは、もう感動するくらいに。だから翔に是非、食べてほしくてさ」
その言葉に翔は我に返り、明文を見た。彼は行儀悪く片肘をついて、その手の甲を頬に当てている。目が合うと天色が優しく細められた。彼の前にも置かれている『きょうのぶん』と書かれたオムライスに手をつける様子はなく、翔が食べるのを待っているようだ。
「話の続きは食べた後に、な。ほら、さっさと食べるといい」
頷いて、こちらを見ている明文の視線から逃れるように、翔は小さくいただいますと、言ってオムライスへと手を付けた。ケチャップの字を無遠慮に広げる。画数の多い文字で書かれていたが、線が細かったこともあり程よい状態だ。そしてスプーンですくい一口。
「沙織が半熟になっているのは苦手だから、卵はしっかり火を通して。それに覆われているのは、ただのケチャップライス。中の具材は細かく刻んで。玉ねぎ、ピーマン、肉は鶏肉だったり豚肉だったり。たまに人参、ウインナーが入ってたり。その他まあ気まぐれに。上のケチャップは控えめに、文字はその日の気分でお茶目に。要望があれば、他にふわふわ卵だったりガーリックライスにしたりデミグラスソースとかでも作ってくれるけど、基本はそんな感じな加賀見さんお手製オムライス。お味はどうだ?」
その声を聞きながら翔はゆっくり咀嚼し、飲み込んで、
「美味しい」
声が溢れた。美味しい、おいしい。
両の目からツゥーっと、涙が伝った。ポタリと、机に雫が落ちる。止まることなく、一滴二滴と。机に小さな水たまりを作っていく。
「え? あ、なんで」
混乱により落ちた言葉へ、優しい声が返ってくる。
「言っただろ、泣くほど美味しいって。さ、泣いているのはあんまりにも美味しい料理のせいだ。……何も気にすることなく、食べるといい」
その言葉の意味を理解するには、頭がぐちゃぐちゃで、わけがわからない。それでも二口目、三口目と食べる手は止まらずに進む。美味しい。美味しくてたまらない。言葉には到底ならない、よくわからない感情が涙となって滑り落ちていく。
「……君に会う前に頼んでおいたんだ。セージさんの話が終わる時間の予測は付いたからさ」
静かに泣く翔を見ながら、ポツポツと。明文が呟く。穏やかな表情で、
「頼んでおいて正解だった。料理のチョイスは加賀見さんに任せたんだけど、オムライスとは全然予想してなかったや。これは完璧に加賀見さんの趣味だね。……新常連歓迎って、あの説明のこと案外気に入ってくれたのかな?」
誰にも聞かせるつもりのないような、小さな声で。そんな彼の様子にも気付かないまま、翔はオムライスを食べる。流れる涙を拭うこともせずに。
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