第4話

 わかったと、そう翔が頷くと、聖司はホッとしたように笑った。それ以外の選択肢は無かったと言うのに。安堵したように、息をついた。


「ここでの生活は、あとで明文と沙織に聞くといい。二人には翔くんのこと頼んであるから。無理難題でも吹っかけてくれて構わないけど、どうか仲良くしてあげてね。それからご両親には、このことについて私の方からすでに伝えてある。事後承諾の形になってごめんね。決定事項で、君に拒否権は上げられなかったから」

「……はい」

「それと、学校の方も転校してもらわないといけない。入学してから間もない中途半端な次期で、申し訳ないけど。一般人の多いところだと、色々と柵があって駄目なんだ」


 その言葉に翔は目を瞬かせた。


「学校に通っても大丈夫なんですか」


 この基地に缶詰だとばかり思っていたから。


「転校先の高校であれば、問題ないよ。私の知り合いが経営しているとこでね。ヒーロー志望の子のための学校らしいから、施設も充実してる。少しの自衛すらできない生徒はいないからね。なにより明文と沙織も通ってるとこだし、他のメンバーも結構出入りしてたりするから大丈夫。とは言っても、最低限でも能力を把握してもらわないと駄目だけどね」

「同クラ確定だな」


 口端を釣り上げて明文が言う。


「まあ、ある程度の融通は聞いてくれるからね。生徒たちの安全に関わることだから、断られることは無いだろう。……翔くん、勉強は学生の本分だ。何も気にすることはないよ」

「……ありがとうございます」

「気にしないで。君の家族、友人から、引き離しているのはこちらなのだから。翔くんは許さなくていいし、認めなくていいし、我慢しなくていい。君が怒っても、現状を変えることは出来ない、……認められない。でもそれは、怒りを我慢する理由にはならないんだよ。理にかなっていなくていいんだ」


 その言葉に翔は泣きそうになった。能力に目覚めたのは他ならぬ自分である。その結果、大勢の人を危険に晒さないために、ベルダーの監視下に置かれることになったのだ。翔自身、家族友人を好んで危険に晒したくはない。だから、文句はもうないのだ。嫌だという気持ちはある。どうして自分がという思いも。そして、思いをぶつける先は無いのだ。

 あの男に刺されなければ能力に目覚めなかっただろう。けれど、それは問題の先送りだ。いつかは目覚めるかもしれないし、歳が上がるほど暴走は危険だという。それに、でしかないのだ。

 そうして突き詰めると、能力者である自分が悪いと。そこに行き着いてしまう。親しい人から距離を置かなければいけない、その状況は自分のせいだと。ベルダーは親しい人に向かう危険を、遠ざけてくれたのだとわかっている。

 頭では理解している。それでも、苛立ちを感じてしまう。そして、それに負い目のようなものを感じるのだ。自分を嫌いになってしまう。だから翔は、聖司の言葉に泣きそうだった。怒っていい。八つ当たりしていいんだと。柔らかい心の部分をすくい上げてくれた。


「私からの話はお終いだけど、何か質問はあるかい」

「あ、りません」


 早くこの場から立ち去りたかった。これ以上ここにいると、涙が零れそうだった。

 

「うんそっか。じゃあ明文、沙織。翔くんをお願いね」

「はい、セージさん。では、失礼します。いこうか二人とも」


 明文に促されて、聖司さんに頭を下げて三人は部屋を出るために扉へ向かう。明文と沙織が先に扉を通った。その後に続く翔に、聖司の声が、


「ああ、それから泊まりまでは無理だけど、付き添いありでなら一時帰宅は許可できるよ。ある程度コントロールができるようになるまでは、控えてほしいけどね」


 その声に翔は振り返った。にこやかな笑みを浮かべている聖司と視線が合う。そして、


「あ……」


 バタン、と。目の前で扉は閉まった。そして聖司の言葉を飲み込むよりも早くに後ろで、


「月影!」


 沙織の声が上がる。急な声に驚いて、翔は身をすくめた。恐る恐る沙織のいる方へと振り向けば、彼女は明文に詰め寄り、


「よくもよくも、よくも! 変な合いの手を入れてくれたわね!!」

「ええ? なんのことかわかんねえな。説明不足のとこを、補足しただけじゃないか」

「どの口が言ってんのよ! 最後の方なんか、補足でもなんでもなかったじゃない!」

「あらら、ちゃんと聞いてたんだ。あの場で何も言わなかったから、聞き逃されてると思ったのになあ」

「白々しいわね! 私が白城様の前で、月影のちょっかいに反応するわけないってのに。それなのに、いつもいつも……っ!」

「いや、だってさあ。あんまりカチコチだからさ、少しでもリラックスをと思ってな」


 悪びれずに明文が言う。その返答に、沙織が肩を震わせた。そして、


「余計なお世話よ!!!」

「はいはい、俺が悪かったって」


 声を荒げた彼女を宥めるように、明文は両手を上げた。


「……はああ。軽いっての」


 そのポーズを見て、沙織は深いため息をつく。怒りは霧散したようだった。その様子を気にも留めずに明文が、


「そんなことより、セージさんの話が終わったら来てほしいって、水嶋さんから伝言預かってたんだけど」

「懲りてないのね、まったく。仕方ないか、玲奈を待たせてるみたいだし」

「施設内だからって、飛ばしすぎるなよ」

「わかってるって」


 そう言って明文と会話を終わらせると、沙織は翔の目を見て、


「じゃあ、またね」


 と、沙織は走って行ってしまった。


「うん、では、基地を案内しよう。と言いたいところだけど、少しお腹が空いたから、食堂に行こうか」


 その様子を数秒眺めてから、何事もなかったかのように明文が言う。


「あ、うん、わかった」


 頷いた翔を見て、彼は笑みを深めた。もう、頭は痛くなかった。


 *


 連れてこられた食堂は、翔が通っていた高校にあった食堂の倍の広さがあった。けれど、大きなヒーロー組織としては手狭に見える。そんな翔の疑問に答えるように、


「この基地は広いから食堂が複数あるんだ。そんで一番大きい食堂は、ちょうど基地の真ん中あたりにあるけど、翔はそこの使用は禁止。つーか、ここ以外の食堂全部だけどな」


 人のいない食堂に明文の声が響く。


「どうして?」

「知ってると思うが、ヒーロー組織と言ってもヒーローじゃないメンバーがいる。ヒーローだけでは成り立たないからな。そして彼らの多くは、基地の一部は立入禁止になっている。身を守れないと危険な場所があるからなんだが、訓練場やセージさんの執務室の周辺とかがそれにあたる。だから居住区も2つに別れていて、ここはヒーローの居住区にある食堂なんだ。で、ここ以外の食堂は彼らの使用率が高いから、禁止ってわけだ」


 カウンターの方へ歩みを進める明文のあとを追いながら、なるほどと翔は頷いた。


「僕が行くと危ないから、てことか」

「正解。まあ、ヒーロー居住区だったら一人でどこに行っても問題ねえから、気にするなよ。こっちに入る許可が出てるやつは、多少自衛ができるからな。寝ぼけたヒーローがうっかり能力使うことがあっからよ」

「それって、僕も危なくないか」

「朝っぱらでも、そうそう無いから問題ないと思うが、心配なら適当な誰かに付き合ってもらえよ。俺でも沙織でもな。迷惑なんて思わねえからさ」

「……うん。ありがとう」

「どういたしまして。っと、加賀見かがみさんいるー?」


 グッとカウンターに身を乗り出した明文の頭を、


「調理場に体を乗り出させてんじゃねえよ」


 金色の目をした長身の男がグシャグシャと無遠慮に撫で回した。髪は暗い紫髪でタレ目の三白眼。ガッシリとした体格に桜色のエプロンがなんとも言えない。


「加賀見さんの乱暴者」


 明文はそう文句を言いながら、手から逃れるように体勢を戻した。彼はささっと乱れた髪を直してへらりと笑う。いい匂いがするな、と。


「加賀見さん、グッドタイミング」

「その前に、横の坊主を紹介してくんねえかな。彼がそうなんだろ」

「ああうん、そうだよ。彼が藤沢翔。新しい常連さんだ」

「斜め上の説明できたな、おい」

「翔、この人は加賀見かがみ元弘もとひろさん。この食堂を担当している料理人の一人なんだ」

「無視かよ……はあ。まあ適当に呼んでくれや」

「はいっ。加賀見さんよろしくお願いします」


 そろりと手をこちらに向けてくれたので、翔は恐恐と手を伸ばした。ギュッと交わされた握手は優しい。そして手が解放されると、カウンター越しに頭を撫でられた。


「おう、よろしくな、翔」


 先程、明文にそうしたようにグシャグシャと。目を白黒させている翔を気にすることなく。


「加賀見さん。翔は力のコントロールがこれからだから、ちゃんと距離をあけるの忘れるなよ。うっかり尻尾踏んじゃったら、可哀想じゃんか」


 明文がその触れ合いに釘を刺すように言う。けれど止める素振りは見せなかった。翔には、尻尾を踏むという例えが何を指しているのかもわからない。


「はいはいわかってんよ。測り間違えての事故なんて、起こしやしねえって。まあこの場合、踏まれたほうが可哀想なのか踏んだほうが可哀想なのか。わかりゃしねえがな」


 話についていけない翔を置き去りにしたまま、二人は会話を続ける。


「どっちもに決まってるだろ」

「そうか? てかよ、本人を目の前にしていうことか、これ。」

「なに言ってんだよ、加賀見さん。影でそんなこと言ってたら、虐めみたいだろ。それに、翔にも気を付けてもらわないと。避けれる危険は教えておくべきだ」

「なら、さっさと教えてやれよ。何が何だかわからくて、会話に入ってこれてないないじゃないか」

「それは加賀見さん、あとで話するからいいんだよ。なっ翔」

「う、うん?」


 疑問符を頭に浮かべながら話を聞いていた翔は、反射的に首を縦に振った。


「……お前、本当に何にも話していないんだな」

「そりゃそうじゃん。他の何よりもここをしたからな。だから加賀見さん。泣くほど美味しいご飯をよろしくー。……下準備はほとんど終わってんだろ」


 その言葉を聞いた加賀見は深い息を吐いた。お前は面倒なやつだな、と。そして、


「ああ、わかったよ。ほれ、適当な席で座って待ってろ」


 さっさと散れと言わんばかりに手をヒラヒラさせた。


「うん。じゃあ翔、座ろうか」


 加賀見の返事にニッコリ笑ってから、明文が言う。心配しなくても有耶無耶になんかしないよ、と小さく呟いて。そう離れていない席に、いざなった。


 そんな二人のやり取りを横目に、


「……ご要望どおりの美味いもんを作ってやっから」


 誰に聞かせるでもなく、加賀見は一人呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る