第3話
開いた扉から見える部屋の奥には、立派な机があった。その上には、たくさんの書類が見える。執務室のようだった。そこに座っている人こそが、沙織の言った、組織内で一番偉い人なのだろう。赤みがかった黒髪、深い赤の目。そんな暗い赤よりも真っ赤な色のほうが、それこそ真紅などと言われるような赤い色が彼にはより映えるだろうと、なぜかそう思う。
その人はとても若くみえた。事実上とは言え、組織のトップとは到底信じられないくらいに。どこをどう見ても、二十代半ばぐらいにしか思えなかった。
「早く中に入ってしまいなさい」
優しい声。けれどその声には、抗いがたい何かがあった。
「すみません、セージさん。今、入ります」
明文がそう言って、部屋に入っていく。その後に沙織、翔と続いた。明文が右寄りに机の前で止まる。沙織が左寄りで同じように止まった。開けられた真ん中に行くべきだろう、と。そう思うけれど、真ん中に、ここのトップだと言う人の正面に立つ勇気を翔は持ち合わせていない。そうこう躊躇していると、沙織に腕を引っ張られて並んでしまった。
「明文も沙織もご苦労様。ごめんね、本当は私が向かえば早かったんだけど」
「セージさん、この書類の山を見て文句言ったら極悪人だよ、俺ら」
「あはは。いや、うん、本当ごめんね」
「いいですよ、別に。セージさん、どうぞ本題に」
「うん、そうだね」
明文に向けていた笑みを引っ込めて青年は、
「では、君の名前を伺ってもいいかな?」
「……そこにいきますか、今の流れで」
左隣からボソリと聞こえた。
「あっ、えと、はい。藤沢翔です」
「はじめまして、藤沢翔くん。私は
穏やかな声で彼は言う。はい、と小さく頷いた翔を見て、聖司は笑みを作った。
「うん。それで、先に言ってしまうけど、君はしばらくここで過ごしてもらわなければいけない」
「え?」
聖司の告げた言葉の意味がわからずに、驚きの声が出る。たっぷり数秒、翔は固まって、ようやく何を言われたのか理解した。そして、
「ど、どうして、ですか」
感じたままに疑問を投げつけた。頭の隅では、だからかと。納得している自分がいる。だから、教えても問題がなかったのか、と。
それに対してええっと、そうだなと。聖司が言葉を紡ぐ。
「もう二人から聞いていると思うけど、ここはヒーロー組織ベルダーの基地なんだけど、君がどうしてここにいるのかは、聞いているかい」
「い、いえ。聞いていないです」
「うん、そうか」
首を横に振った翔に聖司は頷いた。では、と。彼は言葉を続ける。細められた赤い目から、視線をそらすことができない。
「学校の帰りに、あったことは覚えているかな。君は背中を刺されただろう?」
ゆっくりと紡がれた言葉。その言葉で翔は、思い出した。忘れていたのが、覚えていなかったのが不思議なくらいに鮮明に。何か言葉にしようと口がはくはくと動くが言葉は形にならず、
「う、あ?」
押し寄せる嫌な記憶に、意味をなさない音が喉を突いて出る。嫌だと。声にならぬまま首を振るが、鮮明に思い浮かぶそれからは逃れられない。
幾度となく上がる悲鳴。足は動かず、指先からも温度が奪われていく。無様に立ち尽くすことしかできなくて。子どもが男に押しのけられて、それを見てようやく動くことができた。尻餅をついた子どもを助け起こして、そのあと。そう背中を刺された。いたくてあつくて、やっぱりいたくて。背中を触った手は赤く、紅く染まっていた。
目が覚めてからは、なぜか頭から抜け落ちていたようだ。
……ああ、そうだった。僕はあの子に大丈夫だと言ってあげたかったんだ。
落ち着かない気分になった、理由はこれだった。
頭を抱え込んで、何も見えないようにしてあげればよかったと。背中だからあの赤を見ていないと思うけれど、何かを見てしまったのは間違いないだろうから。幼い子どもの悲鳴が深く残って、その思いが拭えなかった。刺されたことによる痛みで、到底そんな余裕など、なかったというのに。
ジクジクと痛む気がしてそっと背中に、手を這わす。傷跡はない。
……そう言えば、沙織さんが言っていたな。怪我は治したと。
傷があっただろう場所を撫でて、翔はぼんやりと思った。感じた痛みはもうどこにもない。手を見える位置に移動させて、恐恐と見てもそこにあるのは見慣れた色だけだった。あの、赤い色はない。それを確認すると、急に呼吸が楽になった気がした。
「翔」
囁くように右隣から声が聞こえる。大丈夫かと、その声に小さく首を縦に振り、聖司の言葉に返事をするために口を開く。
「はい」
と声に出して、翔は意識してゆっくりと息を吐いた。赤い目はずっと優しい色をたたえたまま、何も言わない。その先の言葉を待っているように。
「……覚えています」
少し震えた声が、室内に響いた。うん、と穏やかな声が返ってくる。
「その後に何があったかは覚えてる?」
そう言われて、翔は記憶を漁るが何もわからない。赤に染まった手を見てからどうなったのかが、まったく。
……手を見てから気を失ったのだろうか。
そう考えたが、違うだろうと思う。プッツリと途切れているのだ。手を見てから、全てが。赤に染まった手を見て覚えただろう、衝撃さえも。
「……血濡れた手を見てからは何も」
「うん、それならその後のことからだね。翔くんが、ここで過ごさなくてはいけない理由がそこにあるから、何があったか説明するよ」
こちらの答えがわかっていたかのように、聖司は頷いた。手元の書類をチラリと見てから、
「あれは結構な騒ぎでね。うちが出向いた時にはすでに複数人の負傷者が出ていた。あの場には犯人を抑えられる人間が、誰一人いなかったみたいでね。抑えようとした人はみな、返り討ちにあったらしい。それで、あの場に向かったヒーローが、そこにいる明文と沙織さ。他にも向かったヒーローはいるけれど、犯人の鎮圧に選ばれたのはこの二人。手が空いていたヒーローの中でも経験がそこそこあって、尚且つ戦いに向いた能力者なんだ。それなのにね」
そこで言葉を区切り、彼はため息をついた。憂鬱そうな顔だ。
「沙織の飛び蹴りであっさりと意識を失ったらしい」
「あの男を見た限り、能力者には到底思えませんでした」
「本当にただの一般人だとは思わなかったけどな」
「まあ、犯人のおかしな点については置いておこうか。もう本当に、あとの事を考えるとアレなんだけど、今の話には関係ないからね。で、そこからが翔くん。君に関係がある話だ。……あの場で起こったことについては二人に任せるよ。私は報告でしか知らないからね」
「俺もその場をすぐに離れたから、木本に任せた」
「……はい。私から話します」
「うん、よろしくね」
……いったい、何を聞かされるのだろうか。
翔には全く見当がつかなかった。言い様のない不安が浮かんでくる。
「私は月影が去ったあと、犯人を動けないように縛り、近くで座っていました。あの男が何か仕出かすことは、ほぼあり得ませんでしたが、万が一何かあってからでは遅いですから」
「俺が木本を置いていったのも、見張りは必要だからだしな」
「それから、少しあとです。異変に気がついたのは。最初は、犯人が持っていた刃物でした。宙に浮いて、くるくると目の前で回り始めたのです。他のメンバーが手持ち無沙汰になって、イタズラを仕掛けたのかと思い、気に留めませんでした。周囲に人がいなかったのと、あの程度の刃物では怪我などしませんし、叩き落とすことも容易かったので。次は袋が空を舞っていました。風があったので、違和感もあまりありませんでした。ただ、少しばかり高度があった気がします。そのあとは上着に鞄、鉢植え、看板、その他色々な物が浮いてました」
「まあ、普通はあり得ないわな。誰かが能力を使ってなければ」
心臓がいやな音を立てた、気がする。
「誰が、そんなことをしているのか探す必要がありました。黒幕がいる可能性もありましたので」
「そんなこと思ってしまうくらいには、あの男は変だったからな」
「物を浮かせている犯人を探すと、明らかに様子がおかしい人物が目に入りました。それがあなたです、翔」
沙織が翔の目を見て言った。いつの間にか、手にじっとりと汗をかいている。わけがわからない。
「近づいて、声を掛けました。何をしているのかと。こちらを認識はしていたように思います。ですが、聞こえてはいないようでした。目もこちらを見ているようで、見ていなかった気がします。私は彼が犯人だと確信しました。間違いなく能力を行使していましたから」
「近づいたら、何となく分かるんだよ。相手が能力を使っていると。経験ってやつかな。危機察知能力が磨かれたのかもね」
なにを言っているのか、わからない、わかりたくない。その先の言葉を、翔はもう聞きたくなかった。
「暴走していると判断しました。ですが、私はそれを止める方法を知りませんでした」
「ざぁんねーん、致命的」
「そこで意識を刈り取ることにしました。人に被害が出ていなかったので無意識に抑えているのだろうと思いましたので。多少なりとも能力者の制御下にあるのであれば意識がなくなれば、暴走は止まると思いましたから。なので、殴って気絶させました」
「そこで、みぞおち狙って殴るあたりがもう、ね」
「私からは以上です」
「うん、ありがとう。……ねえ翔くん。もうわかっているよね。君は」
翔はしゃがみこんで、耳をふさいでしまいたかった。けれど、赤い目がそれを許さない。
「能力者だ」
「う、そだ」
「嘘じゃないよ」
「だって、そんな。能力者は生まれたときからそうだろう、本人がわかってるはずだ!」
「そんなことないよ。後天的に、能力に目覚めるものもいる。ただ、その数は圧倒的に少ないだけでね。でも、知らなくても無理はないよ。知る機会なんて、普通はないから。知っている人なんて、ごく少数じゃないかな」
「……なんで、ですか」
顔を歪めて、問う。震えた声が、遠い。
「小さい子供だからだよ」
「……小さい、子ども」
ぼんやりと、翔は聖司の言葉を繰り返した。言葉の意図がわからない。
「そう、小さい子どもだ」
念を押すように、彼は言った。
「後天的に能力が目覚めるのは、大体が五歳まででね。極々稀に六歳、七歳の子もいるけれどそれこそ、数年に一人もいないほうがザラなんだ」
言い聞かせるように、優しい声。
「能力者と無能力者の違いは、能力の有無だけだから、ね。子どもが幼いと、その子が目に見える形で能力を行使しなければ、どちらなのか普通はわからないんだ。先天的能力者は、君が言ったように自分が能力者というか、異能を持っているって自覚はあるけど、それは当たり前のことだから。自分は能力者だと口にしないし、ましてや幼い内は意思疎通は難しいからね。そして幼いからコントロールの仕方を知っていても、感情で暴走させてしまうことは多いんだよ。親が、我が子を能力者だと認識するきっかけが暴走であることは少なくないんだ。だから、能力を暴走させないようにコントロールするための施設は、調べれば出てくるんだけど。暴走させたからと言って、後天的能力者というわけじゃないからね。そも、後天的能力者だったとしても幼いうちから施設に通っていれば本人だって差異に気付けない。だから、一般的に知られてないんだ。敢えて、隠しているとも言うけれどね。もちろん先天的か後天的かは判断のすべはあるよ」
そこで彼は言葉を区切り、息を吸った。
「それは、コントロールの仕方を知っているかどうかだ。能力者は自分が能力者だと知っているのと同じように、能力の使い方を知っているんだ。誰に教わるでもなく、練習することもなくね。だけど後天的能力は違う。自分が何の能力を持っているか知らないし、使い方もわかっていないから、意図せずに暴走させてしまう。だから、……だから君は、ここにいてもらわなくちゃいけない。今まで通りの生活をさせるわけにはいかないんだ。君の能力がコントロールできるまで」
「ど、どうして? 施設があるなら、そっちに通えば問題ない、だろ」
縋るように聖司を見つめて言った翔に、
「……うん、うん。そう簡単に認められないよね。今の生活から、家族友人知人から引き離されて、はいそうですかとは言えないよね。でも、ごめんね。それを許すことはできない。私、個人としては別に構わないのだけどね」
「セージさん」
「ああ、すまない。今の発言は忘れてくれ」
「期待さえるようなことってのもそうですけど、今の発言はヒーロー組織のメンバーが吐く言葉としても駄目ですよ。それに口うるさい爺さん共の耳に入りでもしたら、面倒なのはセージさんなんですから」
「気をつけるよ」
「ええ、そうして下さい」
「ごめんね翔くん、脱線して」
僅かに与えられてしまった期待は、言葉に出すことは叶わなかった。あまりにも、聖司の目が恐ろしくて。
「後天的能力者はね、翔くん。目覚める年齢が上がるに連れて、暴走の被害が大きくなる傾向にあるんだ。五歳までなら、その差も大したことはないのだけどね。六歳、七歳はその比じゃない。八歳で目覚めた子はそりゃもう酷かった。だから翔くんには、コントロールができるまで、今まで通りの生活をさせてはあげられないんだ。……今の君は、いつ爆発するかわからない爆弾のようなものだからね」
その言葉にもう何も、言うことはできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます