11本目 魔導士と魔術と


〝邪神によって目覚めさせられた屍龍に立ち向かう、ただ一人の魔法士〟────

そう語れば、まるで何かの御伽噺サーガのようだ。


だが実際はあまりに泥臭く、そしてこの上なく不毛な戦いだ。


片や黄泉路を迷ってしまった迷い子、

片やくたばりぞこないの老人おいぼれ


老人は既に死に体の身体だった。魔法を使うことで、どうにか命を長らえていた程度の。

だが今彼は、文字通りので魔法行使に注力している。

当然、延命の魔法は使えない。

それどころか僅かな消えかけの命さえ、魔力へと注ぎ込んでいる。

矜持も捨てて。わずかな未来も捨てて。それでも横たわる圧倒的な隔絶を、しかし目を逸らしながら削り続ける。


酷い話だ。どんな結末に転ぼうとも、戦いの後に遺るは屍のみ。

囚われの美姫を救い出すわけでもない。

救国の英雄として語られるわけでもない。

終わった龍と終わりかけの老人が、ただ終わりを迎えるだけの戦い。


それでも老人アッシェは、命を振り絞りながら魔法を唱える。


歴史からみれば些細な出来事かもしれない。

世界から見ればちっぽけな理由かもしれない。

それでも彼は、抗うと決めたのだから。


だが────────そんな老人の思惑に付き合うほど、屍龍げんじつは優しくない。


§


「なんっ……だ……?」


その変化は、唐突だった。

幾度と繰り返した光景。

魔法で鱗を砕き、肉に傷跡を刻み、そしてその全てが即座に炎によって再生される。

アッシェがいくつ攻撃を刻もうとも、それが屍龍の最終的な死に繋がるとは思えなかった。それでもそれ以外にアッシェに手段はなく、己の魔力と生命の枯渇を危惧しながら繰り返すしかなかった。


薄氷の如き儚さで保たれていたその膠着は、しかし唐突に融け墜ちる。


ずるりと、紅の鱗が波打った。

仁王立ちになっていた三頭龍クニサキの左肩。そこを隙間なく覆う龍麟が、剥がれ落ちたのだ。

薄皮一枚でつながっているかのように捲りあがったそれは、しかし瞬く間にバラバラにほどけながら大地に墜ちていく。その中には鱗の下の肉まで含まれていた。

脈絡のない異変に、アッシェは眼を見張る。

剥き出しになった屍龍の肉──そこを炎が覆う。


だが一瞬で治してしまうはずの再生の炎が、延々と燃え続ける。

その理由を、アッシェは見て取った。

「再生のそばから、崩壊している……?」

紅の向うで、肉が盛り上がり傷を埋めようとする。だがその肉が数秒と持たずに紅の粒子に、つまりは魔力へと解けて消えていく。それを補うように即座に肉が盛り上がり、しかし再び溶けていく。

魔術である[再生]、それ自体は間違いなく実行されている。つまり三頭龍の魔力枯渇ではない。

残された可能性は、『魔術による過負荷』。アッシェはそう結論付けた。


『魔術』は〝願いを現実にする〟。それを基に編み出された『魔法』も同様だ。

だがそれらは必ず魔力を必要とするように、無から有を生み出すことはできない。決して万能ではない。


そして[再生]は膨大な量の魔力を必要とする。同時に〝因子〟───ときに龍属ドラゴニアが〝遺伝子〟と呼ぶそれに重大な負荷をかける。

それが過ぎればどうなるか? 今アッシェの目の前で起きているように、異常な再生が生じてしまう。一瞬で細胞の寿命が尽きてしまうような『異物』しか作り上げることができなくなってしまう。

だがそれが生じる可能性は、億よりも彼方にある。アッシェが屍龍に強いた[再生]の数で起こる可能性は、ほぼ無いといってもいいだろう。


目の前の龍が、屍龍でなければ。いや、千年間放置された死体でなければ。

そして行使するのが、魔術に熟達していない幼龍でなければ。

何より、因子に異常をきたしている多頭龍でなければ。

だがアッシェが立ち向かった存在ものとは、千年野晒しにされた上で歪に三頭龍へと変化させられた、著しく因子が不安定な存在だった。


───咆哮。

果たして死体が痛みを感じているのだろうか。あるいは幻痛に震えているのだろうか。とかく屍龍の絶叫が大気を世界を震わせた。

じわりじわりと、屍龍の右肩を覆っていた[再生]の炎が広がり始めた。前腕、掌、指先へ。或いは胸部、首へ、あるいは腹へ、下肢へと。

炎は這いまわり、全身に広がっていく。膨大な魔力によって無理矢理に屍肉を[再生]させていた、そのツケが龍の全身を覆っていく。ぼろりと鱗や皮が剥げ、千切れたそばから炎が覆っていく。そしてその炎は一向に消えない。炎の下で、再生するそばから崩れていく。

仮に人属であれば一瞬で体内魔力を枯渇させたであろうほどの膨大な魔力を、浪費し続けていく。


その時点で、三頭龍ハイドラ崩壊は決定した。

[再生]の魔術を解けば、数分とたずにその屍体にくたいは崩れ去る。解かずとも、やがては魔力が尽きて同じ結末を迎える。

それはアッシェの願望でもなんでもなく、純然たる真実だった。だから三頭龍の咆哮がだんだんと小さくなっていくことを、その兆しと思っても無理はないだろう。


だが三頭龍ハイドラとは、まさしく災厄だった。


全身を炎に呑み込まれながら、崩れる全身を[再生]の魔術で辛うじて纏めながら。

しかしその内包する膨大な魔力は、まだまだ圧倒的を誇っていた。少なくともアッシェを焼き殺し、彼の故郷を蹂躙するに十分な量を。

屍龍は再び動き始める。踏み出した右足が、しかし大地との衝突に耐えきれずに歪んだ。しかし一瞬のうちに炎が瞬き、[再生]が完了した右足が巨体を支える。

そして右腕が振われた。アッシェは後退してそれを躱し──た、そう思った。だがその彼に衝撃が襲い掛かった。一瞬意識が遠ざかり、しかし額に突き刺さった激痛が彼を呼び戻す。何事かと額を抑えれば、そこには血の感触。

周囲を見渡せば答があった。彼の周辺に散らばるのは、屍龍の鱗や肉片。振るわれた腕が、その速度に耐えきれず崩壊し、千切れ跳んだ鱗や肉が礫のようにアッシェの額を打ったのだろう。いや、直撃していれば首ごと持っていかれていただろう。掠っただけでこの衝撃か。

割鐘のような耳鳴りを自覚しながら、アッシェは魔法を紡ぐ。

岩の破城鎚。真空の刃。水の槍。いくつもの魔法が屍龍へと飛んでいく。

しかしその全ては届くことなく掻き消えた。屍龍の鱗に届き衝撃を伝える前に、全ての魔法は[再生]の魔術の膨大な魔力の渦にかき乱され構成を崩し、その奔流に呑み込まれていった。垂れ流される膨大な魔力、それ自体が、魔法を無効化させる鎧と化している。

当初のアッシェの目論見通り、三頭龍の魔力は削れつつある。しかしその桁違いの魔力総量からすれば焼け石に水もいいところだった。加えて全身から魔力を垂れ流しにしながら、全く底が見えない。


そしてその潤沢な魔力は、膨大な魔力を垂れ流しながら、その上に大規模魔術の発動を可能にする。そうたとえば、〈魔法の吐息〉のような攻性魔術であっても。

三頭龍の左の首は、狡猾にも魔術発動の徴候を巧みに隠していた。アッシェが気づけたのは、紅蓮の燐光が迸るまさに発動の寸前だった。


その瞬間アッシェは、結局回避を選択した。それは長い経験が培った判断力の成せる行動であったし、決して間違いではなかった。

だが次の瞬間、予想外のことが起こった。


紅蓮の奔流が放たれるその瞬間、左龍頭があらぬ方向を向いた。見やればその首が中ほどから折れ曲がっている。崩壊しかけている屍龍の肉体が、魔術の反動を支えきれなかったのだろう。

〈魔法の吐息〉は龍の視線をなぞるように直線で放たれる。だから支えを失った左龍頭の視界のとおりに火線が薙ぎ払われた。

それはアッシェを狙った軌道ではない、ただ偶然によって起こったものだった。だからこそ、アッシェにとって予測不可能な軌道となる。

幸いなことに、直撃こそしなかった。咄嗟に制動を掛けたアッシェの鼻先を、超高熱が焼き尽くしていく。

だがその余波までは、避けること叶わなかった。

大地に突き立った灼熱は、土や岩を一瞬で沸騰させる。炙られ乾き、そして熔け、一瞬で膨張し罅割れる。そうして放たれた林檎アバルほどの大きさの飛礫つぶての一つが、アッシェの左足を直撃した。己の速度を殺すために地面に突き立てられていたからこそ、それを避けることができなかった。

飛礫はアッシェの服と肉を焼きながら、その速度が衝撃となって骨を砕く。

支えを失ったアッシェは無様に大地に転がった。すぐそばの沸騰した大地の熱を全身で感じる。同時に二種類の痛みが彼を襲う。砕けた骨の欠片が己の肉と神経を切り裂く痛みと、肉と神経と骨のすべてが焼け焦げ固まっていく痛みだ。

痛みで思考がまとまらない、咄嗟に魔法を紡ぐこともできない。よしんばできたとして、一瞬で骨折を回復させる治癒魔法など存在しない。

ただ一発の飛礫。魔術でさえない。果実のような、掌サイズの大きさのたったそれだけで、アッシェは動けなくなってしまった。

大地に伏したアッシェに、鈍い振動が伝わった。激痛を堪えながら震源に目を向ければ、そこには四足で大地を踏みしめる三頭龍が居た。[再生]したのだろう、左の龍頭も含めて、六つの物言わぬ瞳がアッシェを映していた。

ちょこまかと小煩い蟲をようやく捕まえた喜びか。それとも憎き人属への憎悪か。──少なくともそこに嘲弄の色をアッシェは見て取った。

そして三つの龍頭は紡ぎ始める。

このアラオザル大森林を地平線まで焼き払った魔術。異形の風壁でさえ打ち破った蒼炎。三重の〈魔法の吐息〉。

移動不可能な人属アッシェを、防御不能な魔術で確実に仕留める算段のようだった。四足をとったのも、首が折れないようその反動を真っすぐに受け止めるためだろう。


回避不能。防御不能。だからアッシェに選択肢はなかった。

激痛を捻じ伏せ。恐怖から目を逸らし。

しかし目の前の現実をしかと睨みつけ、選ぶ。

彼のたった一枚の勝負札を。

それは先ほど一瞬迷い、しかし結局使わなかった手札。

それが三頭龍にかなう保証はない。

こうして追い込まれた果てに、選ばざるを得なくなった切り札。

だがそれでも────彼は絶望だけはしていなかった。


そしてついに、〈魔法の吐息〉が放たれた。

蒼炎が放たれる。


三重展開された〈魔法の吐息〉は渦巻きながら一つに束ねられ、蒼い光を放ちながらアッシェへと突き進む。

アッシェは唱えた。そのの名前を。


「―――〈liberate解放せよ〉」


それはアッシェが龍属から学んだ魔術。

魔導士王国最強の称号を得た彼が、しかし習得のためだけに十余年をかけた魔術。


そして彼が積み上げてきた人生ものは────今、確かに応えた。


言葉を放った彼の瞳には、炎が映っていなかった。

今まさに己を呑み込まんと迫っていた蒼炎も。

三頭龍の全身を這い回っていた[再生]の炎も。

森を這い回り、燃え続けていた紅の炎も。


それらは厳密にいえば炎ではなく、制御された魔力によって再現された現象だった。

その制御を破壊すれば、現象を再現していた魔力はどれだけ膨大であっても霧散し、消失する。それを為すのが魔術〈解放〉。

そしてアッシェは、そのたった一度の魔術にすべての残余魔力を注ぎ込んだ。

今の彼はたった一発の魔法さえ放つことはできない。酷使した彼の肉体は悲鳴をあげている。


だがその代わり、三頭龍が纏っていた魔力は全て制御を失い大気へ解けた。

再制御して魔力を取り戻す、或いは魔核から一定量の魔力が供給されるまで、三頭龍は一時的な魔力枯渇状態に陥っている。

そして三頭龍の全身が悲鳴を上げた。持続的な再生によってなんとか保たれていた全身がボロボロと崩れていく。鱗がはがれ、肉が融け落ち、骨が歪に歪む。当然その屍体にくたいを支えられるはずもなく、全身が大地へと倒れ伏した。

けれどそれは一瞬のこと。二分もすれば十分な魔力が満ち、三頭龍は再び[再生]の炎を纏い、〈魔法の吐息〉を連射し始めるだろう。

そしてアッシェにはもはやそれを止める術も、抗う方法もない。


それでもこの一瞬こそが、唯一の勝機だ。

保証はなかった。

アッシェには、確信だけがあった。


「────今です!!」


その叫び願いに応えるように。

流星のように、その緑色の〝醜悪〟が降り墜ちた。


==========


【添え書き】

魔術:〈解放liberate

エルダーが扱う魔術。行使には極めて高度な魔力制御が必要で、専用の訓練が必須。

幼龍であった国崩しクニサキは訓練未修のため使えない。両親もエルダーではなく竜であったため使えなかった。

だがこの魔術は、人属アッシェ龍属クニサキの魔術を打ち破ったように、圧倒的な魔力差や親和性がある場合に最も活きる魔術である。この世界で最強種族である龍がなぜこの魔術を編み出し、訓練してまで身に着けるのか。



初登場は『サンドウィン内乱04』。当代紅蓮マルグリッテの〈七辣熔咆ナナ・ハウレス〉を掻き消しました。

簡単に言えば、〝狙いを制御にだけ集中することで効率的に魔術・魔法を破壊する〟魔術です。

普通に相殺・防御するよりも遥かに少ない魔力量で魔術&魔法を打ち消すことができます。ですが非常に高度な集中力を必要とするため、連発は不可能。また相手の制御力を破壊するため最低限必要な魔力が必要です。

今話の戦闘中、『三頭龍の制御』を破壊するために必要な魔力量を推し量れずアッシェは発動を躊躇しました。最終的に発動せざるを得なくなった場合は継戦を度外視して全残余魔力を注ぎこんだため、破壊する必要のない制御まで叩き壊すことになりました。



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異形は人間に憧れる 柘榴 @garnetJ

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