Scene.4/RING IN.(No audience.)






 ――――俺は愛車のオンボロ三輪に鞭打って、ガッタガタの悪路を飛ばしていた。なるべく街から離れなくてはならない。街はそこそこの都会だが、一歩外に出ると牧場や草原が広がっており、ちょっと車で走れば山もある。山に逃げ込めば何とかなるかもしれない。まだ子供一人を負ぶさって山に分け入るくらいの体力はあるはずだ。ボクシングを辞めた後も、ギャングに入団した後も、老いていく身体をいじめ抜き、トレーニングだけは怠ったことはなかった。

 もう夕日も沈もうという頃だ。暗くなる前には山に入りたい。暗闇では山狩りも容易でないが、俺達もろくに身動きが取れなくなるからだ。

「……ん?」

 必死に車を走らせていた俺は、前方に人影が見えるのに気が付いた。黒いスーツの男が立っている。追手か? だが何故か、道の脇には子供も居た。妙に見覚えのある連中だ。

 スーツの男は、車の進路を塞ぐように、道の真ん中へと歩み寄った。

「ちくしょう……!」

 ……どうせ避けるだろう。俺はそう思い、思いっきりアクセルを踏んだ。オンボロ車でたかが知れているが、それなりのスピードは出てたはずだ。だが、相手は退こうとする気配を見せなかった。

「野郎、チキンレースのつもりか……?」

 どいつもこいつも、人をなめやがって。俺も引かなかった。三輪トラックと男の距離はぐんぐん縮まっていく。

 そしてついに――衝突した!

 黒スーツの男は派手に吹っ飛んだ。

「……な、バカかあいつは!?」

 俺は少しばかり、避ければ良かったと後悔した。今は、見ず知らずの男を病院に運んでる暇はないのだ。

 男の生死を確認するため、俺は車を降りた。だが、そこで見たものには、正直我が目を疑った。男は普通に起き上がり、服に付いた汚れをぱんぱんと手で払ったのだ。

「いてて……ひっでえな。……あんた、誘拐犯さん?」

 俺は無言だった。この男、見たことがある。そう、昼間レストランで絡んできた男だ。

「オレ、ハリヴァ=ロトワール、よろしく」

 ハリヴァ……どこかで聞いた名だ。

 その男は、自己紹介ついでに、連れの少年を親指で指差す。その子も、今しがた起きたことについては別段驚いてもいない様子だった。

 ……何だ? こいつらの間では車に轢かれてもピンピンしてることが普通のことなのか?

「んで、こっちはイオ。オレの事務所に勝手に住み着いた孤児……」

 最後まで言う前に、その少年が鋭いローキックを放った。キックはきれいに男のふくらはぎにヒットした。

「うごおうっ!……じゃなくて、わが社のとっても頼りになる助手のイオ君だ」

 ハリヴァと名乗る男はそう訂正した。

 何なんだこいつらは、ふざけてるのか?こちとら大真面目の逃亡劇を繰り広げている最中だというのに……!

 ハリヴァはそんな俺にはお構いなしで、首をコキコキと鳴らした。

「依頼があってな。息子を誘拐されたから、取り返してほしいと。警察には言うなと脅したそうじゃないか……」

 どうやらコイツは、あの資産家が雇った刺客らしい。組織も協力したとなれば、恐らく俺の情報はもう、あの黒岸とかいう男に根掘り葉掘り知られてる。俺の経歴を踏まえて雇ったとなれば、それなりの使い手ということになる。ハリヴァは俺に向かって歩き出した。

「どうもかなり酷い怪我を負わせてるらしいな。子供相手に酷いマネをしやがる」

 ――どうやらコイツは騙されている。本当のバカだ。

 そこで俺は思い出した。

「ハリヴァ……、アフターダークのハリヴァか。」

「知ってたかい? 光栄だよ」

 ハリヴァは服から特殊警棒を取り出し、助手に下がっているよう、手で合図をした。

 俺もよれよれのコートから護身用のチンケなリボルバー銃を取り出し、坊に車の中に居るよう指示する。

「ああ。悪い噂は聞かん。Mr.バカ、ザ・お人好し、依頼成功率二十パーセント弱、業界一の間抜けってな」

 だが、恐ろしく腕が立つ。熊を倒したとか、拳銃やドス持ったヤクザ二十人相手に勝ったとか、とにかく武勇伝には事欠かない人物だ(信憑性には欠けるが……)。しかしもっとごつい大男かと思っていたが、実物は驚くほど華奢だ。

 この辺のマフィアやギャングは、新人には口を酸っぱくしてこう言っている。

「ハリヴァにだけは喧嘩を売るな。組ごと潰されちゃ敵わんからな」と。

 実際に奴は、雀の涙ほどの依頼料で、悪徳金融の一支部ごとぶっ潰したことがあるらしい。なんでも借金の抵当に連れて行かれた娘を取り返すため、事務所に単身乗り込み大立ち回りを演じたらしいのだ。警察が介入したころには、明らかにカタギでない職員達が、武器を手に持ったまま全員伸びていた――という話だ。そんなものは今の今まで、都市伝説のたぐいかと思っていた。

 だが、今だけは、相手がどんな奴でも退くわけにはいかない。俺は慣れない手つきで銃を構えて、奴に向かって三発、発砲した。

 驚いたことに、ハリヴァはそれらの弾丸を全て、警棒で難なく弾き飛ばした。〝弾丸を見切る男〟――確かそんな馬鹿げた通り名もあったはずだ。どうやら噂は本当のようである。

 ……一体こんなバケモノと、どう戦えばいいというのか。俺も一発、二発程度なら相手の目線と銃口、タイミング等を見計らって弾丸を躱したように見せかける……ことはできる。だが奴は警棒で三発全てを防御したのだ。あえて弾を避けなかったのは、恐らく背後にあの子供――助手がいたからだろう。

 ハリヴァは警棒を道の脇に放り捨て、俺の方にずんずんと歩み寄った。俺は撃たなかった。どうせ自分の腕では当たらないと分かっていたからだ。間合いは縮まり、とうとう一メートル弱ほどになった。

 ――拳足の間合い。

 コイツ、俺の事を甘く見ているのか? 俺は素手での戦いで、尚且つ相手がヒトの形をしている限りは、「勝てなくても負けない」自信はある。

 だが、その自信を見透かすように――便利屋、兼ボディーガードの男は口の片端を吊り上げた。

「あんた、ボクサーだろ? 拳と体格を見れば分かる。……ヘビー級ってところか」

 ――どうやら、分かってて挑んできたようだ。俺も拳銃を捨てた。拳を握り、構えをとる。

「あの子は一度、俺の属していた組織で売られた。首筋のバーコードがその証だ」

 ハリヴァは「?」の表情。

「虐待されてるんだよ! 服の下を見るか? ひどい有様だ。お前は俺が付けた傷だと思ってるのかも知れんが、古いものもある……少なくとも二、三年は地獄のような生活を強いられたんだぞ!!」

 俺は抑えきれなくなり、犬のように吠えたてた。ハリヴァがちらりと目を逸らした。おそらく、車の中の坊を見たのだろう。そしてまたすぐ、俺に目を戻す。

「あんたがホントのことを言ってるのかは、オレが確かめる。……こぶしでな」



 ――戦いは、静かに始まった。

 俺は牽制でジャブを仕掛けた。ボクサーのジャブは「決して避けることができない」と言われている。プロでさえ、「喰らうのを覚悟する」という対処法しか持たないのだ。

 だが、弾丸さえ見切る奴の動体視力の前には通用しなかった。まるでカンフー映画でも見ているかのような特殊な受けで、俺のジャブはすべて捌かれた。

 そして左脚にローキックをもらったかと思うと、その蹴り足は既に俺の脇腹にのめり込んでいた。二段蹴りだ。

 ハリヴァはそのまま反対足での後ろ廻し蹴りを繰り出した。俺はかがんで躱す。ピーカーブスタイルで相手の懐に潜り込んだ。ボディにフックを打ち込む。肘でガードされた。

 目の前に敵の膝。ひざ蹴り。俺は慌ててバックステップで距離をとる。離れ際に、ワンツーパンチを奴の顔面に当ててやった。浅い。効いてない。

「へぇ、巧いじゃないか」

 ハリヴァは全然余裕といった感じだ。かく言う俺は、恐らく全力で動けるのは三分間――1ラウンドが限界といったところだろう。早めに勝負を決めないと、どんどん不利になっていくはずだ。

「(勝負に出るか……)」

 俺は利き足の前後を入れ替え、構えを逆にした。右手を前に突き出し、左手を顎に引きつける。ハリヴァが少し驚いた顔をした。

「……ひょっとして、サウスポー?」

 サウスポーとは左利きのこと。ボクサーでもこのタイプはやり辛く、敬遠される。俺は右手で素早いジャブを繰り出した。奴は手の平と手の甲で数発のジャブを払いのけた。

 ここからが、現役時代より俺の得意としてきただ。

 ……普通、さかの手のジャブから利き手ストレートに入るコンビネーションが、ボクシングの定石だ。だが俺はそのままさらに踏み込んで、ジャブと同じ腕――右ストレートの強打を捻り出す。右から右へとつながるイレギュラーに対し、ハリヴァが驚いた様子でギリギリ、それを避けた。

 俺はステップを踏み、再び構えを入れ替えるスイッチ。今度は左で先ほどと同じ速度のジャブを繰り出した。

 相手は体を振り子のようにスイングさせ何発か躱したが、最後の二発は顔面を捉えた。このヒット自体に大した効果はない。だが、そのダメージが作り出した隙に乗じて、右ストレートを打ち出す。ハリヴァは俺の腕を潜って直撃を回避した。俺はその避けた瞬間を狙い、今度は渾身の左ストレート。

 ハリヴァは避けきれなかったのか、それを手の平で掴み取った。大した反射神経だ。

「あんた、まさか……」

 何か言いかけたようだが、俺は奴の手を振り払って、再び右のジャブを仕掛けた。奴は後ろにのけ反って避けようとした。――よし。俺はそれを待っていたのだ。

 ハリヴァが避けるのと同時に俺は、握っていた拳を開いて、奴の襟を掴んだ。これで相手は身動きが取れない。そのまま全力で左フックを打ち下ろし、奴のテンプルこめかみを強打する。更に、襟を掴んだままの右拳で強烈なアッパーをぶち込んだ!


「――サウスポーじゃねえ。スイッチヒッター、両利きだ」


 そう、俺は左右の拳で、同等の速さのジャブ、同等の威力のストレートを打ち分けることが出来るのだ。

 ハリヴァはさすがに効いたのか、「ぐぅっ」と呻いて後ろによろけた。だが優勢になったのも束の間、次の瞬間には俺の足が水面蹴りで払われた。盛大にすっ転ぶ。

「やるな、あんた。何でプロにならなかったの?」

 立ち上がろうとしたところに鋭いミドルキック。クロスアームで受けた。

「プロだったんだがな……下らん理由で辞めてしまったのさ」

 事故で膝をやられた。その後すぐに妹も死んだ。ヤケになって飲んだくれ、酔った挙げ句にごろつき相手の暴力事件、そしてライセンス剥奪だ。本当に下らない。

 俺は戦闘中であるにも拘わらず、失笑が漏れた。だが、一回の下らないミスで落ちぶれてしまった俺とは違い――――坊には未来がある。そして可能性も……。


「負けるわけにはいかない」俺は強くそう思った――。



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