エピローグ

 ベルタさんの美しい顔を見ながら、私はとりとめもない物思いにふけっていた。

 彼女とすごした、短いが楽しかった日々。その後、机にかじりついてマンガを書いたこと。原発ジャック騒ぎ。漫画家としての人生。

 肩にどん、と、中年女性のバッグが当たった。我に返った。

 窓から差し込む日の光はすっかり夕焼け色になっていた。来たのが十四時ごろだから、私は三時間ほどもベルタさんを見つめ続けていたことになる。

「先生! 先生! あ、やっぱりここにいた!」

 背後で若くて明るい女性の声がはじけた。アニメで元気な少年役を演じていそうな声だ。

 振り返ると、スーツ姿の小柄な女性が肩で息をしながら立っていた。

「やあ、きみか。こんにちは」

 私はうやうやしく挨拶する。この女性は、ついこないだ私の担当になったばかりの編集者だ。大学を出たばかりだという。

 彼女は私の挨拶をきいて一瞬きょとんと眼をしばたたかせ、ついで唇を尖らせてツンツン怒り出す。

「こんにちはじゃないですよ! いまが大事な時だってわかってるんですか?」

「ああ、わかってるよ」

「じゃあ、どうしていきなり行方不明になるんですか! この五週間ずっと人気が下がりっぱなしなんですよ。なんとかテコ入れしないと栗山先生みたいに第一部完ですよ?」

「わかってる、わかってる」

 私は苦笑して軽く手を振った。

 あれから二十年、私はなんとかいまだマンガを書き続けている。ベルタさんが面白いと言ってくれたマンガを、なんとかあきらめずに書き続けている。一度だけ、アニメ化されるほどのヒットを飛ばした。ひどく人気が落ちた時期もあって、雑誌もなんどか変わった。ついこないだ、古巣の少年サンダーに帰ってきたところだ。いまの少年読者は私のマンガが楽しめないらしく、ネットの話題にはなってもアンケートの良さには繋がっていない。

 私があまりに軽く言うので、彼女は不審に思ったらしい。眉間にかわいらしいシワをよせる。

「まさか先生……今回のはもういいやってことで、あっさり打ち切って次ですか? そんな気持ちなんですか? あの、そんな考えでしたら、ダメだと思います。わたし、若造ですけど、言わせてもらいます。今目の前のことに全力出せないのは、ダメです! 逃げてるっぽいです!」

 まるでベルタさんが言いそうな言葉だと思った。軽く噴き出してしまう。

「ひ、ひどい! なんかわたし、へんなこと言いました?」

 動揺半分怒り半分、といったふうの編集さん。私は頭を下げた。

「すまなかった。ただ、いまの台詞が、昔の知り合いに似ていて」

「昔の知り合い?」

 首をかしげる彼女。私は無言でベルタさんを指し示す。

「え……え、……ええーっ。この人と知り合いだったんですか!」

「ああ。とても短い間だけ」

「どんな人だったんですか?」

「そうだね。強くてたくましい女性で、でもさみしがってて、甘いものが大好きで……そうそう、おしゃれにあこがれてた。でも慣れてなくて、おしゃれをすると恥ずかしがるんだ」

「まるで……ふつうの人みたい」

「そうさ。ベルタさんは、ふつうの人だ」

 私と彼女はそろってベルタさんを見上げた。

「……これ、死んでいるわけではないんですよね?」

「ああ。違う形の生き物になっただけだ」

 原発が止まってから何年もたってから、調査のために炉心に人が送り込まれた。彼らが見たのは、全身が真珠のようになって固まっているベルタさんの姿だったという。

 死んだのではない。高熱と放射線という新しい環境に適応して、エインヘリヤルの細胞が変化を起こしたのだ。ほとんど死に近い状態でゆっくり生きる生物へと。

「意識は、ないんですよね?」

「ないといわれているが、脳波測定では分からないこともあるからね。とてもゆっくりものを考えているのかもしれない。私は三時間も立っていたから、見えたかな?」

 彼女は口ごもった。

 私は彼女の小さい肩をポンと叩く。

「さあ、もう帰ろう。心配させてすまなかった」

「原稿は? 次回はどんな話にするんですか? もうアシスタントに考えさせるのはダメですよ?」

「わかってる。自分で考えるさ。いいのができそうなんだ」

 私は軽く手を上げて、ベルタさんにひとまずの別れを告げた。

 彼女と肩を並べて、出口に向けて歩き出す。

(さあ、今日からまた、がんばるぞ)

 技術は進歩している。いつかベルタさんは蘇るかもしれない。

 そのとき私は、胸を張って「おかえりなさい」と言いたい。 

 だから私は、約束を守り続ける。

 

  おわり

 

 

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泣き虫兵器ベルタ ますだじゅん @pennamec001

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