エピローグ

十子ちゃん元気? 

こっちは連日三十度を越えて夏ばて気味だよ。涼しいオレゴンが羨ましい。十子ちゃんの観葉植物は何とか枯らさずにやってるよ。それでもこの暑さにこれからが心配だな。


僕はメールを打つ手を止め、すっかり氷が溶けて薄くなったウーロン茶を一息に飲んだ。

大学生になってから、僕と十子ちゃんは一緒に暮らし始めた。そうして同棲後まもなく十子ちゃんは海外留学のチャンスを得、この夏アメリカへと旅立った。


僕はふと思い出し笑いをした。

出発までが大変だったのだ。十子ちゃんは泣きながら、

「育ちゃんを連れて行く」

と言い張っていたから。普通は待っていて、とか言うものだろうけれど。まあ、十子ちゃんはちょっと変わっているから。


 左手の薬指を見る。出発前に、十子ちゃんからもらった指輪がキラリと光った。

 愛おしさに、また微笑む。

 まあ、十子ちゃんだから。


 でも彼女は知っているだろうか。

 僕が黒髪の若い男性を見た時、思わず目を逸らしてしまう事を。


 全てを思い起こさせてしまうから。


 漆黒の短い髪、

 強い瞳、

 屈託ない笑顔。


 あの時に起こった出来事も、


 あの時の感情も、


全て。


そうして、いつも僕は強く頭を振る。

全てを消し去る為に。

全てを忘れ去る為に。


僕が選んだ事だから。



しばらく物思いに沈み、ふと気付いた。

十子ちゃんへのメールがまだ途中だ。


僕は勢いよく椅子に座り直し、コンピューターに向かった。

「さて、と」


十子ちゃん、

もらった指輪はちゃんとつけてるよ。

十子ちゃんが帰って来る時には、君の分も用意しておくから。

安心して、勉強しておいで。


大丈夫。 

僕達は、


ずっと変わらないから。      完

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それでも恋をする愚かな君たちへ。 浅野新 @a_rata

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