第18話 長い夜は終わり、明日は来る

 あの夜から一ヶ月が経った。

 ヤシロはスーツ姿で満員電車に乗っていた。周囲には、これから出勤するサラリーマン達。しかしヤシロの顔に以前のような陰鬱としたものはない。

 あの事件の後、ヤシロは勤めていた会社に退職願を提出した。当然、上司からは理由を尋ねられた。なので素直に答えた。これまでに溜めてきた不満や苦労。それに対して上司は呆れた様子で「だからと辞めるのは現実を見ていない。これくらいで音を上げるようでは何処に行っても通用しない」と退職理由を全否定。しかし不思議となんとも思わなかった。嫌味に苛立つこともなく、また退職に不安も抱かなかった。良くも悪くも、他人にも自分にも無責任になっていたからだろう。辞める会社のことなどどうでも良かったし、退職してもなんとかなると楽観的だったのだ。

 退職後、ヤシロはかねがねやりたいと思っていた仕事があっため、就職活動を始めた。何社も書類選考で落とされながらも履歴書を送り続け、そして今日、これから面接を受けることになっていたのだ。

 苦労をしただけに表情には希望と緊張が入り交じっており、背中には脂汗が滲んでいた。

 そんな心を落ち着かせるため、電車が目的の駅に到着した後、ヤシロは駅前のコンビニで飲み物を手に取り、レジへ。

 その精算途中のことだった。

「お兄さん、落ち着きがないね。一服でもして落ち着いたら?」

「お前……」

 ヤシロは驚く。唐突に声を掛けられて振り返ると、そこにハギノがいたのだ。

 彼女は以前のような姿から考えられない真面目な格好をしていた。青色だった髪は黒色に、派手だった服装は学校の制服に。

 そんなヤシロを余所にハギノが店員に言った。

「十五番一箱も一緒に」

「え、でも……」

 ハギノが勝手に煙草も注文。当然、店員は戸惑った様子でヤシロに確認の目を向ける。ヤシロは呆れたようにため息を吐き、煙草を注文。それから店外の灰皿の側へ。

「っで、なんでお前はここにいるんだよ」

 ヤシロが問うと、ハギノは答えた。

「なんでもなにも、私の学校はこの近くだし」

「ってことは、今は通ってるのか?」

「詳細には、停学が取り消しになってから――あの事件の後すぐからだね」

「ふーん、そうなのか」

 ハギノは事件後の話を始めた。

 両親とのわだかまりが解消されたこと、あれから真面目に学校に通っていること。

「それと、トキワのことだけど」

 トキワはナガセの顧客だったために警察から大麻購入の嫌疑を掛けられた。しかし脅迫されていたことや購入を拒否していた記録が携帯電話に残っており、購入に関しては無実が証明された。

 ただ吸引の方は事実だったため、警察からは厳重注意、学校からは停学を言い渡されたという。

「警察からは厳重注意なのに、停学になったのか?」

「煙草を吸ってたことも認めたからね」

 大事にならなかったのは、トキワが未成年だったことと、大麻と知らずに無自覚に吸ったからだそうだ。

 と、一応に話が終わったところでハギノがヤシロに尋ねてきた。

「そういうお兄さんはこれから仕事? あんなにうんざりとか言ってたのに」

「いいや。これから面接だよ」

「面接?」

「前の会社を辞めたんだ」

「へえ、辞めてから仕事探しをするのは無計画だって言ってたのにね」

「計画を立てても思い通りに行かないこともあるだろ」

「思い通りに行くこともあるけどね」

「……」

 ヤシロは言い返してやろうと思ったが、計画云々の話では言い負かされる気がしてやめた。代わりに別方面から。

「さっき喫煙で停学になったって話してただろ」

「トキワのこと?」

「そう。なら、お前も停学になっていないとおかしくないか? お前も実際に吸ってたんだから」

 するとハギノはにやりと笑った。

「私が喫煙をしたのは停学中だよ。加えて言えば、変装の一環としてだしね」

「でも吸ってるだろ」

「バレなきゃ問題ないんだよ」

「暴論だな」

「暴論も一端の理論だよ」

「……」

 この理屈にはヤシロも呆れて何も言えなくなってしまう。

 そうこうしていると、ハギノが時間を確認し、壁に預けていた体を起こした。

「私は行くね」

「学校か?」

「その前に寄る所があるんだよ」

「寄る所?」

「トキワとの待ち合わせ。今日が停学開けなんだよ」

「そうか」

 どうやら友人関係は戻ったようだ。

 ならば心配は要らないか。

 まあ、元々心配はしていないが。

「じゃあね、お兄さん。面接、頑張ってね」

「おう、じゃあな」

「ばいばい」

 手を振って去っていくハギノ。その姿は女子高生らしい可愛げのあるもので、あのような大麻密売計画を企てた張本人には見えなかった。

 あれが彼女の理想としていた日常の姿なのだろうか。

 そんな姿を手に入れた彼女に「似ている」と言われた自分も、理想の日常を手に入れられるのだろうか。

 不安が脳裏をよぎる。

 選考に落とされてきた後遺症か、面接が始まる前から落ちることを想像してしまっている。

 ヤシロはそんな自分に呆れてしまった。

「また繰り返してるな、俺」

 染みついた習慣はなかなか拭えない。気付けば思考が以前の状態に戻ろうとしている。

 あの夜の冒険を思えば、面接くらいどうと言うことはないだろうに。

 ヤシロは箱から煙草を抜き取ると、口に咥えた。

 日常を変えるためには何をすべきか。

 答えは簡単。

 普段とは違うことをすればいい。

 だからヤシロは煙草に火を付け、そして。

「ゴホッゴホッ」

 噎せるのだった。




         /


 本作は当初の予定とは大きく逸れた仕上がりになってしまいました。

 ヤシロは不良に怯える男子高校生の予定だったし、タイトルに沿った内容にする予定でもありましたが、修正を重ねる内に現在の形に。

 おかしい。もっとなんかこう、ファンタジックな話にしようとしていたはずなのに、気付けば大麻なんかが出てきてるし……。

 結局、想定どおりの結果にならないことなど、ままある事なのでしょう。

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