9:偶像の抱く夢
「この人も、駄目だったね……」
足下には人間の死体。内臓の辺りが破裂したそれは、強い鉄錆の臭いを放っている。
それを見下ろしながら、残念そうに呟くのはまだ幼い少女。
「気にする事はないさ。エレジーはまだまだいる」
その後ろで歌でも歌うように、小柄な少年が言った。
「もう何人目かなぁ……。お母様の言いつけ、破っちゃったし」
しょんぼりする少女はうつむき、ため息をつく。
「仕方ないよ。人間が脆いのがいけないんだ」
「私も、こんな風に壊れちゃうのかな」
しゃがんでそれを無機質に見つめる瞳に、何の恐れも浮かばない。
少年はそんな少女の手を引き、立ち上がるよう促した。
「……俺が居る限り、守ってあげるよ。だから行こう、俺のルリ」
「うん……分かった。テラン」
素直に少女は立ち上がると、少年に連れられて夜の闇を再び歩き出す。
この死体を通行人が見つけるのは、その翌朝のことだった。
※ ※ ※
「ほら無能、人間どもも騒いでいるようだぞ」
「おはよう、リュイ? えっ、あ、新聞……」
朝、朝食の準備をしているフォイユの所に来たリュイが、テーブルの上に新聞を放り投げる。
手が離せないのですぐ見れないが、恐らくクロの言っていた事件の裏付けだろう。
「フォイユ、おはようなの! あっ、これ何?」
「おはよう、ティフ。それは新聞だよ。大きな事件はそういうもので知らされるんだ」
「そうなのね! ええと……あ、これがクロの言っていたエレジーの事件かしら!」
彼女たちはそういえば、人間の文字が読めるらしい。言葉が通じるなら、それは当然の事でもあるか、とフォイユは思いながらフライパンを振るう。
多めのスクランブルエッグを大皿に盛りつけながら、フォイユはベーコンや付け合わせの野菜も焼いていく。
その合間にコンソメスープの具材が煮立ってきたので、味を調えつつ火加減を見る。
「死体はどれも、内臓破裂によるショック死。そして戸籍上エレジーという事が判明している者ばかりだ。人権が無いに等しいエレジーといえど、これだけ殺されれば人間も気になるだろうな」
さらりと朝から重い話をされるが、フォイユはスープの味見やら火の加減やらであまり気にならない。
とはいえ、今日はソーセージを使わなくて良かった、とちらりと思ってしまった。
「おはよう。おや、二人が早いとはね。それは何だい?」
続いてシャルがやってきた。朝からシャワーを浴びたらしく、タオルを肩にかけている。
「ああ、おはよう、シャル。リュイが新聞を持ってきたんだ。クロさんの言っていた事件のことが書いてあるんだってさ」
「ふうん……目撃証言はゼロ、犯人はエレジーに恨みを持つ者か? 逆ならともかく、今更エレジーを恨むような存在なんて居ないだろうにね。人間って馬鹿なのかな?」
「自分たちのやっている事の棚上げは得意だからな。馬鹿ではなく悪知恵が働くんだろう。ところで無能、茶は?」
「そこのポットに入っているよ。茶葉はもう取り出してあるし、まだ熱いと思うけど」
「ふん、ならいい」
てっきり淹れろと言われるかと思ったが、リュイは自分で注ぐらしい。それを見て他の二人もお茶を飲む事にしたようだ。
「アッサムだね。せっかくだし、トーストくらいはボクが焼くよ」
「え、いいのか?」
「キミはまだそっちから手を離せないんだろう? 炭にしないよう加減出来るから、心配は要らない」
「じゃあ……お願いするよ」
ここに来てからというもの、こういう光景が当たり前になりつつある。特に困りはしないが、彼女達はどうしたのだろうか。
「僕のはあまり焼かなくていい」
「あたしのはちゃんと焼いて! それでバターと蜂蜜をたっぷり塗るの!」
「はいはい。……このくらいでいいかい?」
「十分だ」
「わぁ、さすがシャルなの! 美味しそう!」
三人が楽しそうにパンを焼いている間に、メインは大体揃った。サラダも盛り付けたので、次々とテーブルに持って行く。
「お待たせ。どうぞ」
そこに他の面々も現れる。
「あらぁ、もうすっかり準備万端じゃなぁい」
「おはようございますわ。なかなかいい匂いですわね」
「ん? シャルがパンを焼いておるのか。では我のも頼むとしよう」
「やれやれ、仕方ないな。フォイユ、少し離れてね」
「分かった」
近いと魔法が増幅する為、フォイユは少し離れた所に立ち、調理器具の後片付けを始める。
この屋敷ではちゃんと水道が確保されているため、リュイに頼る事はない。
ただし、洗剤を使い過ぎるとさすがに怒られるので加減はしている。
「出来たよ。それでフォイユ、キミはどのくらいが好き?」
「俺は……焦げてなければ特には」
「そう? じゃあボクと同じくらいにしよう」
焼けてればそれでいいので、リュイくらいの軽さでもティフくらいのしっかりでも問題なかった。
というよりも、好みを決める程の余裕はこれまで無かったのだ。
そしてこの先も、あるかは分からない。
片づけを終えてフォイユも席に着き、程よく焼かれたトーストにバターを塗ってかじりつく。
「卵、ふわふわで美味しいの!」
「野菜は、我の庭が安定すればもっと美味になろう」
「ベーコンも悪くないわよねぇ。面白い味ぃ」
今日も問題はなさそうだ。味が気に入らなければ、彼女達は手を付けたりしない。
フォイユがトーストをかじっていると、その傍に皿が置かれた。作ったサラダや卵などが盛られている。
「食べればいいのに、何で手を出さないんだ? その奴隷根性だけは直せ」
「……ありがとう」
持ってきてくれたリュイに、フォイユはお礼を言う。
「全くですわ。きちんと食べてくれなくては困りますわよ。わたくしの為にも」
「……は、はい」
いつもなら自分の取り分を作っておくのだが、今日はうっかりしていたらしい。それにしても、と昨日のクロの話を思い出す。
『共同戦線言うても、殺しは禁止やで。何せ相手のバックに居るんは、天使族やからな。下手な事をすれば、天使族お得意の洗脳が待っとるで』
――天使族、と聞いた時の彼女たちは、騙されたような顔をしてクロを睨んでいた。どうにも、聞いたからには手を引けない状況になってしまったようで、渋々承諾していたのを覚えている。
結果として、クロが解決まで毎日通う事になり、フォイユには今日か明日辺りにここへの紐付けがなされるということも決まったわけだが。
「それでぇ? あの変態、今日も来るんでしょぉ?」
「来るだろうね。フォイユを隠しても無駄だろうし、今日はボクが出迎えるよ」
「わたくしも今日は予定がありませんし、シャルと居ますわ」
「よろしくねぇ。アタシはちょっと、行く所があるからぁ」
どうやら、今日は全員が居ない、という事にはならないらしい。さすがに警戒しているようだ。
どのみちフォイユは出られない以上、お茶や菓子の準備をしておいた方がいいだろう。
――そして、時計がきっかり十時を報せた時。
「邪魔するで。それからこれは、土産や」
玄関どころか応接室に直接現れたクロは、昨日よりも平たく小さい、だがお洒落な箱をフォイユに渡してきた。
「ど、どうも……?」
「開けてみい」
反応が見たいのか、クロにそう言われて恐る恐るフォイユは箱を開けるが。
「……青い、チョコレート……?」
真っ青な色をした滑らかな艶のチョコレートが、箱の中に綺麗に並べられていた。さすがにこれが目玉とかなら、また放り出しそうになっていただろう。
「随分と食欲を減退させる色の菓子だね。ひょっとして毒入りかい?」
「うちも食うんや、入れるわけないやろ。ほな、茶をもらおか? フォイユ」
「……わ、分かりました……」
これもついでに出してしまおう。そう思ってフォイユは、昨日と同じく厨房へ向かうのだった。
※ ※ ※
青いチョコレートは、昨日の薔薇と同じ香りがした。毒ではないが、真っ当な代物とも言えまい。
とはいえ食べても大丈夫なようなので、そこだけは安心だろうか。
「クロ、キミひょっとしなくても、変なこだわりを持っていたりするのかい?」
「変とはなんや。うちは青が好きなだけやで。それも、血の気の引いたような、綺麗な青がな」
「どこをとっても悪趣味ですのね……」
同族であるミエルも引く程の趣味、ということだろう。毎日青い何かを土産にされたら、青がトラウマになりそうな気がする。
さておき応接室でお茶をしながら、今居るメンバーだけで方針を立てる事になったのだが、フォイユは何もすることがない。いつでも退出できるよう、扉に控えているくらいがせいぜいだ。
「それで? 天使族と事件の犯人の関係は? 後ろ盾というくらいだ。まさか黒幕が天使族、なんてオチじゃないだろうね」
シャルが話をすぐに進める。彼女は敵対心をあまり表に出さないので、クロも一々突っかかる事はなさそうである。
「黒幕かどうかは知らんで。そもそも天使族っちゅう時点で珍しいんや」
「そもそも、何故あなたが天使族と関わりを持っているんですの? 吸血鬼が光の属性と関わるなんて、酔狂にも程がありますわよ」
「箱入りお嬢はほんまに、なーんも知らんのなぁ」
ただし、同族には遠慮がないらしい。今日も荒れそうだ。
「うちはあんたと違て、長生きやさかい。色んな奴らとコネクション持つんは当然やろ」
「セルクルの過激派とコネクションを持ちたがるなんて、物好きだね?」
「今のあんたらもコネクションの一つやで? なぁ、フォイユ?」
「えっ、お、俺は……そういうのは、分からないので」
闇が深そうな話を振られても、フォイユは困る。そういう世界も関わりたくないが、クロに関わる限り、そうも言えないだろう。
「あんた、死にたくないて口癖のように言うとるやろ? うちの伴侶になれば、死なせんで?」
「はいはい、口説くなら全部解決してからにしてね。渡さないけど」
「そもそもフォイユが嫌がっているのが、見ていてわかりませんの? ……いえ、嫌がるのがお好きでしたわね、そういえば」
常識を説こうとしたミエルだが、すぐに相手を見て撤回する。フォイユとしても、クロに靡くつもりは全くない。
「嫌がる相手を服従させるんが好きなんやで? 絶対を言う奴ほど、陥落した時の変わりようは別人や」
「……ボク、彼の趣味嗜好の話を聞きたいわけじゃないから、ミエルはちょっと静かにね」
さすがにシャルでもげんなりしているようで、ミエルにそっと苦言を呈する。ミエルも心なしか青い顔でお茶を飲みつつ謝った。
「申し訳ありませんでしたわ、シャル。噂以上に歪んだ性癖だったようですわね」
確かに、とても楽しそうに語るクロを見ていると、フォイユは生きた心地がしない。あのまま彼のアジトに居たら、どれほど痛い目に遭わされていただろうかと思うと、悪寒がぬぐえなかった。
「話を戻そうか。犯人の目星は結局、ついているのかい? 何の情報も無いとか言ったら、即座に追い出すけど」
「……ま、それくらいはええやろな。どうせ分かる事やし」
少し考えたクロは、すぐに情報を提示した。
「犯人の小娘とレクシオは、マリアージュこそしとらんけど、セルクルの一員や。ただしセルクル言うても、穏健派――人間との共存を求める側、やけどな」
「!」
「へえ、セルクルは派閥に分かれているんだ。よく均衡を保っていられるね?」
「そこは互いが互いを干渉せんようにしとるんや。目的はレクシオの為の世界やけど、その手段が全く違うで」
「ということは穏健派は和解、和平交渉かな。過激派はエレジーのみを保護して、レクシオと組ませる……だっけ?」
「せやな。それからもう一つあんで。中立派や」
つまり、セルクル内は三つの派閥に分かれているらしい。そして今回の犯人が穏健派であり、その背後に天使族が居るということは。
「天使族が……穏健派の、リーダー……か?」
呟きが思わず零れ落ち、フォイユははっとする。うっかり発言したが、怒られはしなかった。
「そうなるみたいだね。別に隠す事じゃないだろうに、昨日の時点で言わなかったのは、他のメンバーの承諾を引き出す為かい?」
「当然や。あんたら揃いも揃って癖が強すぎるせいで、話がちっともまとまらんかったやろ。天使族が関わる、いう意味が理解出来れば十分やろしな」
「あの……天使族、って、そもそもどんな存在なんですか」
フォイユは気になって問う。レクシオにも種類があるし、始祖という存在が居る事も分かった。だが、それ以上に謎が多く、人間はそこまでレクシオの事を伝えたりはしない。
天使族といえばやはり、レクシオの中でも人間に人気がある存在だ。物語では正義の味方としてよく出て来る。美しい姿に白い翼、くらいしか描かれないが。
「何や、知らんのかいな。せやなぁ、こっち来たら教えたるで」
「行く必要は無いよ。ボクが教える。天使族というのは、レクシオの中でも力を持った存在なんだ」
「始祖、ですわね。わたくしやミーヌ、そしてあなたと同等の実力者ですわ」
「レクシオと始祖は同じように括られているけれど、実際は全く違うよ。最初の女王がまず生み出したのが始祖で、始祖がレクシオをそれぞれ生んだ。そして、人間は――天使族が生み出した存在なんだ」
人間がレクシオから生み出された。その事実に、フォイユは少なからず驚く。
「天使族が……? どうして」
「決まっとるやろ。自分達の庇護欲を満たす為や」
クロがそこで口を挟む。どうやら流れを変えられて面白くないらしい。
「天使族は始祖の中でもいっとう腹黒いで。人間を生み出したんも、何の力も持たん命を庇護して自己満足に浸りたい為や。その上で自分らだけを尊敬させたがったんやで」
もっとも、先の戦争でそれも無くなったけどな、とクロは続ける。
「けど生んでおきながら、人間が思い通りにならんようなって、天使族はすぐ持て余したんや」
「そしてその代わりに、アルモニーが人間に力を貸すようになったんだ」
「その真意は未だ、定かにはされておりませんの。恐らく争いを避けるため、調和を与える為、と考えられていますけれど……結果としては戦争を生んでしまいましたわね」
自分がその力を貸した側だと言われても、フォイユには全く身に覚えがない。
そもそもそんな事をしなければ、エレジーも生まれず、迫害もされなかったのではなかろうかとさえ思っているほどだ。
「人間は……力あるものを怖れて、排除するようになったんだよな。……俺、未だに疑問なんだけど……レクシオを怖れる割に排除出来るって思ってるの、何でだろう……」
「くく。ええ所に気付きよるなぁ。そうや、そこが人間の愚かさやで。天使族が生み出した人間どもは、最初こそ奴らの庇護を受けて暮らしとった。いわば愛玩動物やな。けど、知性を持ってしもたせいで、人間どもは自分らが好き放題しても問題ない、と増長し始めたんや」
おかしそうに笑うクロの説明に、すぐフォイユは気付いた。
「天使族に守られていた過去が……レクシオよりも上だという優越感をもたらした……?」
「その通りだろうね。人間はそうして勘違いしたまま増殖し、レクシオとの境界も曖昧になり、そこにアルモニーが力を貸してエレジーが生み出された事で、人間は自分たちの立場が危うくなってきたことに気付いたのかもしれない」
「戦争を起こした原因がレクシオにもあるとはいえ、人間が迫害しなければ起き得なかった事でもありますわ。……そして天使族は、我関せずとして、戦争以来姿を消しましたの」
何とも無責任な話である。だが、アルモニーもそれと同じくらい無責任だ。
(力を貸しておきながら、それ以外は何もしない……。争いを避けようとしていたのなら、もう少しやりようが無かったのかな)
自分だったらどうしただろうか。そもそも人間に肩入れすらしなかったのかもしれない。だがそれは生まれ育った環境がそう思わせるのであって、始祖という立場のままだったなら、違う考えに至っていたのかもしれなかった。
だが、深く考えようとすると、途端に頭の中に靄がかかる。それもあって、フォイユは考える事が得意ではない。
「……なあ、フォイユ? あんた気付いとらんのやろけどな。時折、呪いが発動しとるで」
不意にクロが言い出して、フォイユは目を丸くした。途端にミエルもシャルもこちらを見る。
「キミ、今何かした? フォイユ」
「い、いや……考えようとしたけど、ぼうっとしたから」
「呑気に考え事ですの? ……いえ、お待ちになって。呪いとはまさか」
先にミエルが気付いたらしく、苦い顔になった。
「せや。思考を制限されとる。考え続けて、重要な事を得られんようにされとるんやろ」
クロはにやりと笑ってそう言うが、だとしたら迷惑な呪いである。
どうせなら思考よりミロワールの力を封じて欲しかった。
「……ねえ、フォイユ。キミは確か孤児で、名前だけは決められていたんだよね」
「ああ。それが……?」
「あらかじめ決められていた名前と、呪い。……無関係とは思えませんわ」
「ん、そういやフォイユは、エトワールっちゅうんも勝手に付けられとったんやったな」
「あ、はい」
だから戸籍もその名前で登録されてしまっている。しかし、親がいないのに名字があってもな、というのが正直な気持ちだ。
しかしクロはあっさりと言い放つ。
「それならあるやん、星」
「え」
「アルモニーの力の仕組みは教えたやろ。あんたには星が一つ足らん、言うたはずや。その星こそ、その名前やないん?」
これにはフォイユですら驚いた。確かにエトワールは星を意味するが、それではどうやったら取り戻せるのか。
「ははあ、なぁるほどなあ! 考えよるわ。フォイユはフォイユのままなら、永遠に星を取り戻せん、っちゅうわけや!」
「……そういうことか。まいったね」
「そこまでしてアルモニーを封じたいというのは、いささかおかしな事ではありませんこと?」
「ちゃう。……逆や。アルモニーを女王にしたい何者かがそうしたんや」
伊達に長生きはしていないらしい。クロは推測を次々と並べていく。
「アルモニーが生まれたっちゅうことで、母親かそれとも他の誰かがえらい焦ったんやろな。アルモニーは不可解な独断専行で人間に介入した始祖や。せっかく見かけでも平和な世界になっとるのに、また余計な事をされたらかなわん。……せやから、アルモニーである事を封じたんや。思考の妨害はその一端やな。勝手に考えて勝手に動いて世界を乱すかもしれんから、最初から言う事聞くように仕向けたんやろ。……てことは、や。そんな状態のアルモニーを、誰か探しとるかもしれんなあ? うちら以外に」
なかなかに手の込んだやり方である。それなら最初から手元で育ててそうするようにしても、結果としては同じだっただろうに。
それとも、必要だったのだろうか。フォイユが孤児である、その意味が。
「フォイユ。キミも知っての通り、大抵のエレジーは普通の人間に迫害され、そして人によっては恨みを抱く。だけどキミはそうならなかった。それが誤算だったとしたら?」
「……シャル?」
急に言い出すシャルの言葉に頷き、ミエルも続ける。
「あり得ますわね。フォイユのミロワールの力を封じなかった為に、恐らく隠れているレクシオの力を無作為に受け止めて暴発を起こしてきたのならば……人間は間違いなく、フォイユのような存在を迫害しますわ。それによって、フォイユに人間への悪意を抱かせようとしたのならば……」
「ほんま、それならうちが引き取って育てたんやけどなぁ。知らんかったんが悔やまれるで。しかし、そうなると……うちらとは別に、人間を滅ぼしたがってる存在が居る、っちゅうことになるで? それも、レクシオ側に」
人間はそもそも呪いなど掛けられない。必然的にレクシオが疑われる事になるのは当然なのだが、フォイユとしては正直、面倒でしかないな、というのが本音だ。
結局のところ、何一つ解決の糸口になっていないのだから。
「せや、フォイユ。今回の事件を解決したら、その天使族に会わせる、っちゅうんはどうや? 同じ始祖やし、話が分かるかもしれんで?」
「どういうつもりかな? まさか、フォイユを事件現場に連れていけとでも言うつもりかい?」
「反対ですわ。ただでさえエレジーが狙われているというのに、フォイユを連れて行ったら、被害が増大しかねませんもの」
苦い顔で反対する二人の気持ちも、何となく分かる。外に出るとろくなことにならないのは、フォイユも理解しているからだ。
とはいえ、仕事となればフォイユとて大人しく家事ばかりしてもいられないだろう。
「ええと……今回、俺はどんな仕事をすればいいんだ?」
「お、さすがやな。分かっとるようやで、本人は」
「く……」
「……まあ、確かに王からも言われてはいるけどね。フォイユを囮に使え、と」
だろうな、とフォイユは納得した。生餌としてはもってこいの存在だろう。
だが、それで殺されるのはさすがに避けたい。そもそも何で殺されているのかすら、分かっていない状況だ。
「……そもそも、殺したかったのか?」
ふとこぼれた疑問に、クロがため息を返す。
「……気付きよったか。せや、ガキ共の目的は恐らく、殺しやない。…………フォイユ、あんたや」
「え」
「ちょっと!? 話が違いますわよ!?」
「天使族にもフォイユの話は漏れとるんや! うちも出来れば隠しておきたかったんやで!? けど、人間を生んだだけあってなあ、奴らは見ただけでミロワール持ちがすぐ分かるんや。ましてや不完全でもアルモニーが外で力を使うたんやで? 気付くに決まっとるわ! あんたらのせいでなぁ!」
――以前言っていた、隠れ家候補の破壊だろう。それは気付かれて当然かもしれない。
忌々し気にクロに睨まれ、さすがにシャルもミエルも口をつぐむ。
だからこそ、彼とて逆らえなかったのだろう。始祖同士でも力関係はかなり違うようだ。
出来れば隠したかったのだろうが、無理だと思ったらしい彼は、紅茶を飲み干してぽいとチョコレートを口に放り込む。それを咀嚼し飲み込んでから、ため息をまた吐いた。
「……会わせるんは決定事項や。あの天使族を敵に回すっちゅうことは、人間どもの煩わしい妨害も想定せなあかん。洗脳魔術が得意っちゅうことは、集団扇動も平気でするで。……人間は都合のいい存在だけ祀り上げるもんや。天使族は今でも、人間の中では御伽噺に出る、まともな存在扱いやからな」
その通りだとフォイユは頷く。御伽噺に出るレクシオを排除するのは、大抵が天使だ。
「戦争が起きた途端、天使族が人間を見捨てたという事実は綺麗さっぱり忘れてますのね。さすが人間ですわ」
「助けてすらくれなかったのに、見た目の美麗さと手の届かなさが相まって、崇拝するしかなかったんじゃないかな?」
陰口を平然と叩く二人の気持ちは分からなくもないが、せめて当人の前でだけは言わないでいて欲しいな、とフォイユは切に願う。
とはいえ、何故に穏健派の天使族が会いたがっているのか。
「穏健派が女王になったら、どうなりますか?」
「あん? そんなもん、決まっとるやろ」
はっ、とクロが笑う。嘲るように。
「天使族の言う事しか聞かない人間と女王の言う事を聞くしかないレクシオだけが残った、楽園……違うなぁ。――この世界丸ごと、天使族の為の箱庭か畜舎やな」
ぞわっ、と悪寒が走る。穏健とは何なのか。
ミエルもシャルも、青い顔になった。
「そうか……そうだね。天使族は人間を持て余していた。だけど、今でもその存在を認められているのなら、今度は言う事を聞かせられるようになる。ボクたちレクシオは当然、女王になった天使族には従うしかない」
「平和と言えば聞こえはよろしいですけれど、全てが天使族の意のままになる……という事ですわね。とてもそれは、まともとは言えませんわ」
「……その場合、エレジーも迫害されなくなるかもしれないけど、人間はどうなるんだ?」
争いは起きないだろう。だが、そこに待つのは恐らくリュイが嫌う「停滞」だ。何の展望も見えてこない。
フォイユの疑問に、今度はシャルがため息を軽く吐いた。
「ボクたちレクシオの餌として管理されるんじゃないかな。別に人間達がどうなろうと知った事じゃないけど、天使族に全てを施されたくないよ」
「同感ですわ。獲物を選ぶ権利すら取り上げられてしまいますもの。わたくし達は楽をしたいわけではありませんのよ」
なるほど、家畜扱いか、とフォイユは頷いた。確かにそれはそれで、いい気分はしないだろう。
「せやから、共同戦線なんや。フォイユに選ばれたいんはうちら全員同じやろ。天使族を相手にする以上、フォイユを何とかして守らなあかんのや」
「……あわよくば同士討ちをして頂きたいですわね」
「ボク達がそうされそうな気がするよ。でも、フォイユを使わないと仕事にならない。困ったね」
言いながら、今度はシャルがチョコレートを口にする。そして驚いた顔を見せた。
「ふうん、魔力の花をジャムにして包んだのか。面白いね」
「せやろ? うちはそういう意味でもグルメなんや」
「……何故、美的感覚があるのにそんなにおかしな趣味なのか、さっぱりですわ」
「美食も一歩間違えれば悪食、って事じゃないかな? さて、ところで次に出そうな場所は見当がついているのかい?」
「食っといて文句言うんかい。まあええわ。……せやなあ、どうせ毎晩のように犠牲者が出とるんや。近くの街をうろつけば、嫌でも当たると思うで」
話が本題にようやく戻り、クロが二つ目のチョコレートを口にしつつ言う。
「……てことは、街中を歩いたらすぐミロワールが発動しかねない?」
「かもしれんなぁ。ま、うちの呪いがあるさかい、簡単には死なせんで?」
「迷惑ですから、解いて下さいませんこと? 傷も見苦しいですわ」
「甘ちゃんはこれやから困るなあ。その傷がええんやろ。痛みも思い出せるしなあ」
塞がりはしているが、消えたりは絶対にしない。それが分かるだけに、苦い気分でフォイユは首元を押さえた。
それを見てクロが嬉しそうに笑う。
「せや。そうして、うちを忘れんとき。ちゃあんと、夢も見せたるさかい」
「……勘弁してください……」
げっそりとした気分で、フォイユはそれだけ返すのが精いっぱいであった。
※ ※ ※
館から街まではそう遠くない。ので、今回は徒歩で移動する事になった。ただし、フォイユ一人で、である。
レクシオである彼女たちは人目に触れるとまずいため、上空で移動しているそうだ。更に、見えないように魔法をかけているらしい。
人気が少ない路地裏などでの被害が多いらしいが、そもそも内臓が破裂するという点において、レクシオである彼女たちの見解は一致していた。
『ミロワールが壊れたが故に死んだ』
膨大な魔力を触れた状態で使われ、過負荷に耐え切れなかったミロワールが体内で破壊されてしまい、その破壊衝撃によって内臓破裂という外傷が起きた為に死亡した、というのが真相らしい。
なので、フォイユならそれはまずあり得ないし、迂闊に触れて来る子供が居たらそれが犯人だろう、という話らしいのだが。
「……そもそも、夜に子供が出歩いている時点で怪しいだろうな」
ミロワール持ちなら自分のように家無し生活を送る事もあるだろうが、傍目には分からない上、暴走しなければただの人間だ。声を掛けられてもおかしくないはずである。
それが無いということは、だ。
(……シャル達のように、見えない魔法がかかってる、って事かな)
何にせよ、自分も無差別に無自覚に暴走する。犯人以外のレクシオが居たら困るので、出来れば出てこないで欲しい。
ひとまず人気の無い方向へと進むと、ふわりと体が光った。
(やばい!)
瞬時に起こったのは――アスファルトを突き破って、木が複数生えた事である。
「なっ……」
ミーヌの力に似た現象に、フォイユは立ち止まって辺りを見渡す。
そこに、背中から飛びつくように、誰かが抱き着いた。
「見つけた」
途端に体が光り、次々と木が増えていく。まるでそこだけ、自然に戻っていくようだ。
しかもその勢いは増すばかりで、このままでは人通りの多い方にまで影響が及んでしまう。
「は、離してくれ……!」
「やっぱり! ルリ! こっち!」
少年の声だ。そして木々をかき分けるようにして現れたのは、小さな少女。
「テラン! この人ね? この人が、本当のお母様になるのね!?」
喜色を浮かべた少女の言葉に、フォイユは混乱する。少年は離れたが、これだけの状態では、完全に騒ぎが起きるだろう。
「……俺は男なんだけど。お母様って何だ?」
「本当のお母様は女王様の事だよ。俺達のお母様は、本当のお母様を探してて、俺達はそれを手伝っていたんだ」
そういえば少年だが、ドワーフ族だったか、と情報を思い出す。それにしたって、何とも杜撰が過ぎるものだ。
「何人も殺しておいて、探してたって言われても……」
「違うの……! みんな、テランの魔力に耐えられなくって……殺したかったわけじゃないし、お母様にも、殺しちゃ駄目って言われてたのに……」
「ルリをいじめるな。俺がやったんだ。大体、悪いのは脆過ぎて俺の力もまともに受け止められないミロワールだろ!」
もしかしたらこっちのドワーフは、リュイよりもずっと子供なのかもしれない。口調や思考が幼く思えた。
そうしていると、周囲の木々が枯れていく。
「なっ!?」
「ど、どうして……!」
「我がやった。不用意に力をまき散らすでない、ドワーフの幼子よ」
やはりミーヌの干渉のようだった。この量の木々では、致し方ないだろう。確かに燃やすよりはいい。
そしてふわりと、エグザのメンバーが降りてくる。
囲まれた二人は身を寄せ合い、そしてその途端に二人を守るように、いばらの蔓が二人を覆う。
「ほう、マリアージュはせずとも、相手は決めておるか」
「……僕は感心しないね。さっさとマリアージュしてくれていたら、面倒は起きなかった。まだ子供といえど、力と知恵を悪用するならば同朋には容赦しない」
「み、水の……!」
顔を見ただけで分かるらしい少年テランは、引きつった声を上げる。
「事情は知ってるけど、もう止めた方がいい。大体、君達の言うお母様とやらは、何を望んでいたんだ?」
「この近くに居る……大きなミロワールを持った人間を探して欲しいって。お兄ちゃんがそうなんでしょ? お母様と一緒に、わたし達を助けてくれるのよね?」
期待を込めてこちらを見るルリという少女だが、フォイユは首を横に振る。
「そういうつもりで来たわけじゃない。だけど、君達の目的が俺なら、そのお母様とやらに会うのは決まってる、らしい」
「なら、そいつらをどこかにやってくれよ! お母様が用事があるのは、お前だけだ!」
「口の利き方がなっていませんわね。ここに居る者達は皆、あなたよりずっと年上ですわよ?」
「ひっ……! きゅ、吸血鬼……!」
「まあ、失礼ですわね。見境なく襲うどこかの誰かさんと、一緒にしないでもらえませんこと?」
怯えるルリを庇うようにしながら、それでも茨の囲いをテランは外さない。
「聞き分けがないのなら、このまま氷漬けにして運ぶ事にするけど、どうかな?」
急にシャルが過激な事を言い出した。殺したら揉めてしまうので、出来れば避けてもらいたい。
「だめだめ! 場所が分からないのは、困るの!」
「それもそうか。……テランと言ったな。貴公はまだ、力もまともに扱えない半人前のようだ。案内を頼む代わりに、この無能を運ぶ役目くらいは負ってやる。どうだ?」
「……そう言って、俺達二人を消すつもりだろ」
「話を聞いてなかったのかな。キミたちを消すと、ボク達が困るんだ。大人しく連れてってもらうよ。キミたちのお母様――天使族の所に」
「…………ええと、そういう約束で話がついているんだ。俺も死にたいわけじゃないし、話をするくらいは出来るから……その、案内を頼めるかな。ここから遠い?」
フォイユがなるべく静かに声を掛けると、しばらくして茨の囲いが消えた。
「……こっち。でも、どうせ俺とルリは……約束を破ったから、消される。お母様は優しいけど、厳しいから」
「お兄ちゃん、どうして……? みんなで幸せな世界を作ろうって、お母様はいつも言ってるのに」
その定義が箱庭の家畜なら、フォイユを含め誰もが賛成できないから、である。
とはいえ、彼女達は恐らく洗脳を受けているだろう。言ってもこじれるだけなので、フォイユは黙っていた。
不可視の魔法が発動しているらしく、誰もフォイユたちを気に留めない。駅の近くにある地下道に入っても、それは同じだった。
「……なるほど、穏健派も地下が拠点になるのか」
「地上なんて、人間まみれでどこも安心出来ないからだろう。いくら穏健でも、迫害されたら元も子もない」
「そうだよ。それにお母様は、ただの人間は要らないって言ってるんだ。……世界を全て愛せる人間以外は、一度消えるべきだって」
思想は過激派と何ら変わらない気がする。むしろ過激派より怖い。
(それを正義だとして掲げたら、どんな悪事も正しい……か)
理想論を並べて過激な思想を推し進めると、出来上がるのは理想郷ではなく、その真逆だろう。
だが子供達にそんな理論は通用しない。子供達は大人に教わった事を信じて生きるのだから。
地下道の途中から見えない入口を通らされ、曲がりくねった一本道を歩いていくと、やがて突き当たりに鉄の頑丈な扉があった。
「……ここだよ」
硬い声でテランが言いながら、扉に手をかざす。すると音もなく扉は開き――。
「お帰りなさい、可愛い我が子達。そして」
背中に真白く大きな翼を持った、美しい女性が扉の向こうには立っていて。
ふわり、と白く細い腕が、フォイユに伸びてその体を優しく抱きしめた。
「ようこそ、新しき世界の柱。私が愛すべき――月の子供」
不思議な事に、魔法は何一つ、発動しなかった。
星の鏡は月の夢を映す 宮原 桃那 @touna-miyahara
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。星の鏡は月の夢を映すの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます