8:虚像の声

 フォイユ・エトワールは間違いなく人間だった。そのはずだ。

 だが、唐突にその前提は容易く崩れ去り、今の彼は彼女たちと同じ、否、それ以上に強い存在となっている。

 それでも奪還させたのは、彼らに――人間を滅ぼそうとしている輩に、彼を渡すわけにはいかないからだ。

「アルモニー……名前の通り、調和をもたらす始祖ということだな。だが、その割には当人の意思が無いように思えるが……呪いとやらのせいか」

 鏡に映った他の場所を見ながら、彼は独り言のように呟くが。

『呪いは願い。願いは祈り。祈りは心。心は――生まれるものよ』

「どういう意味だ?」

 答えたのは、部屋の奥、透明な鳥かごの中に入った女性。その美しさも、纏う輝きも、人間どころかレクシオでさえ凌駕するものだ。

 だが彼はそれには臆さないままに、疑問を返す。

 歌うように奏でるように、女性は再び言葉を紡いだ。

『生まれなければ、見えないまま。見えなければ、使えないまま。使えなければ、何の役にも立たないまま。調和とは、不和と紙一重。生まれるには、意味があるの。意味のない生は、死の延長でしかないわ』

「ならば、争いには不向きだということか? では何故、争いが始まるこの時代に生まれた?」

『不和を調和にする為に。調和とは不和が無ければ求められない。不和を生み出すのも調和』

 即答され、問いを中断された男は一瞬黙り込む。

 しかし、小さくため息を吐くと、かぶりを振って呟いた。

「つまり生まれた時点で不和を示している状態、か。ではあれが女王になれば、調和をもたらせるのか? しかしあれは、男だろう」

 性別もそうだが、既に傀儡に似た状態で生きている彼は、女王の資格を有せるのだろうか。

『調和の為に生まれたなら、女王として求められる。求められるために、不和が生まれるの。全ては代替わりが必要なこの世界の為』

 それはもう聞いた。だから、力あるレクシオを女王の声で呼び集め、そして――力を比べさせた。

 だが大多数が拒否及び逃走し、中でも女王の声に強く惹かれ留められたあの六体が、こうして残っている。

 人間が仕組んだそのやり方に怒り、そして人間に憎しみを抱いた彼女達に星の楔で従わせ、伴侶選びをさせていたのだが、アルモニーが生まれたというのなら、何故そう教えてくれなかったのか。

「アルモニーを最初から保護していれば、殺し合いなどさせなかったものを」

『……星を集めきれていないアルモニーは、不和しか生まない。すぐそこに星があるのに、気付けないままでは、調和出来ない。月が欠け続けたままでは、鏡になれないように』

「つまり、誰かが呪いをかけた時点で、保護は無理だった、と? お前が呪いを解けたのではないのか?」

『いいえ。あれは呪いではないわ。心が生み出した、祈りの姿』

「……つまり、今はどうしようもない、ということか」

 次の女王を選ばなければ、自分も彼女も生き続ける。女王で在り続ける限り、死の自由すら得られない。そしてそれは、伴侶になった自分にも降りかかるものだった。

「マリアージュの解消も不可能、か。戦争を止めた代償は余りあるな」

『いいえ、いいえ。不和は調和で終えるべき。調和は不和にて崩れるべき。終わりはもうすぐよ』

 傀儡と言われる女王だが、意思はある。会話も、困難な事も多いが成立する。だからこそ、早く終わりたい。女王の心が壊れる前に。

「アルモニーの行く末は、じきに見れるのだろう。なら、それまで付き合うだけだ」

『あなたの望むままに。愛しい私の伴侶、セヴェラン』

「ああ、そうさせてもらう。……俺が選んだ未来。……ドミナシオ」

 そう囁くように告げる男、セヴェランの指先が、鏡の向こうの景色を消し去る。

 波紋のように揺らめき広がり、鏡はただの鏡に戻った。


※ ※ ※


 フォイユが奪還されてから一週間ほど経過した頃、当のフォイユは新しい家となった洋館の窓ガラスを磨いていた。

「オレンジの皮が役に立つって本当だったんだな……」

 ぴかぴかになるガラスを見て、フォイユは感嘆する。

 この間ミエルとロットが買い込んだ食料の中に果物も当然あり、せっかくだし、と試してみたのだ。

 今日は全員、仕事やら用事やらで家を空けているが、昼には戻るらしい。

 なのでそれまでに終わらせて、昼食の用意をしなくてはならなかった。

 ふと、鏡のように磨かれたガラスに、自分が映る。

「……結局、消えなかったな。傷痕」

 すっかり塞がれてはいるものの、首筋にはクロという吸血鬼の青年が付けた噛み痕がくっきり残っていた。ミエル曰く「呪い」に相当するらしい。


『傷を完全には癒せないよう、術がかけられているんですの。この類のものは、無理に消そうとしますと、かけられた当人の命にかかわる事もありますわ。……非常に見苦しいですけれど、このままにするしかありませんわね』


 すごくすごく悔し気に諦めた吸血鬼の少女は、げんなりもしていた。

 クロは吸血鬼界隈ではその昔、かなり悪名高かったという。何でも、気に入った相手を連れ去り、痛みや恥辱で散々甚振って廃人にしてしまった後は、配下の吸血グールに下げてしまうのだとか。

 自分もそうなりたくはないので、フォイユはやはり彼を選ぶ気には全くなれない。何より男同士というのが個人的に無理だ。

「あれで諦めてくれるといいんだけどな……」

 あの氷のトラップがどうなったかは気になるが、なるべく死人が出ていないといいな、とは思っている。

 彼女達にとっては敵だが、自分にとっては敵というわけではない。かといって味方でもないが。

 考え事をしながらガラス拭きを終えたフォイユは、一度手をしっかり洗ってから昼食の準備を開始した。

「うーん、生野菜の中でもそろそろ傷みそうなものは……と」

 冷蔵庫はない。代わりにシャルとリュイの共同作業によって作り出された天然冷蔵庫と冷凍庫が厨房の隣部屋に存在する。

 何でも冷凍すればいいというものではないし、かといって冷蔵庫だけでは無理がある。ミエルとロットに買い物を任せた結果、この一週間、買い物に出る必要が無いくらい買ってきてしまったのだ。それも、かなりアバウトかつ興味本位で買ったらしく、どう扱えばいいのか分からない食材も残っている。

 ミエルが吸血鬼なおかげで匂いのきついものは少ないが、それでも見た目や中身、味も考慮するならあまり下手な組み合わせは作れない。何しろ彼女たちは地下の生活から出たせいか、人間のような生活サイクルを送り始めているのだ。

「とりあえず……この赤くてトゲトゲした……野菜? 果物? これ使ってみるか……」

 匂いはそこまでしないが、切ってみると中もそれなりに赤い。試しに小さく切った部分を食べてみると、かなりの辛みを感じた。

「……スープにでもするか……辛いスープってどんなのがいいかな……」

 吐き出すのももったいないので飲み込むと、喉が若干ひりつく。生食は危険だったかもしれない。

 四苦八苦しながらスープを作り終えた所でチャイムが鳴った。誰か帰ってきたのだろうか。

(何でチャイムがあるんだろうか。誰も来ない前提の場所なのに)

 ちょっとした疑問を抱きつつ玄関へ向かって扉を開くと、見知らぬ少年が立っていた。どことなく、ポストマンに似た格好をしている。

「……どちら様、ですか」

「こちら、フォイユ・エトワール様のお宅ですね?」

 独特な発音に引っかかるものを感じたが、それよりも彼の腕に抱えている箱の方が気になる。

「……フォイユは俺、ですが……」

「お届け物がございます。少々かさばりますので、中に運ばせていただいても?」

 確かに少年の腕には大きい箱だ。しかし、フォイユならばそうでもない。何より、あまり重そうには思えない箱だ。ご丁寧にリボンもかかっている。

「すいません、中には誰も入れるなと言われてますので、それは俺が引き取ります」

「……それは残念ですね。では、どうぞ。この場でお開け下さい」

 今、この場でか、とフォイユは若干怖れを感じながら箱を受け取る。予想に反して、箱はそれなりに重かった。

 片手で何とか支えながらリボンを解き、蓋を開ける。途端に嗅いだことのない、しいて言うなら花のような香りがした。

 しかし、その箱の中には。


「――――うっ、うわあああああああ!?」


 目が合った、とフォイユは箱を放り投げる。中に入っていたのは、人間の生首だった。

 箱から転がり出た生首は、こちらに顔を向けたまま、にい、と笑みを作る。

 恐怖心から目を離せないフォイユは、その顔が誰なのかという事に気付いて、ますます血の気を引かせた。

(お、俺の、首……!!)

 心臓がうるさい程に音を立てる。そして自分の首元を抑えると、クロが付けた傷に触れた。

 大丈夫、まだある、と自分をなだめながら、どういうつもりかとポストマンの少年を見ると、そこには。


「あーあー、勿体ないわぁ。せっかくうまく作ったんやから、もうちょい眺めてもええんやで?」


 にやにや笑うクロその人が、ポストマンの格好で立っていた。

 彼は落ちた生首を拾い上げ、ふっと息をかける。途端にそれは青いバラの花束に変化した。

「悪戯に見事に引っかかってくれたあんたに、ええもんプレゼントしたるわ。これな、魔力で作った薔薇やねん。食えば魔力になるで?」

「い、いや、俺、花を食う趣味は……それより何でここに。いや、どうやってここが……」

「あかんなぁ。レクシオの勉強、した方がええで? 吸血鬼は愛する者を得ると、血を吸えんようなるんやで。そして薔薇の花を食べて、死に向かうんや。……うちの本気、受け取ってもらわな」

 花束をずいと出され、その香しさが感情に揺さぶりをかけてくる。クロの外見は美麗と言っても差し支えが無いためか、並みの女性なら確実に落ちるだろうなとフォイユは冷静に分析した。

「とにかく、俺は受け取れません。今なら誰も居ませんので、帰った方がいいです」

「え、そうなん? ……ほんなら、一緒に帰ろか」

「いや、それはちょっと……。もうじき昼食の時間ですし」

「あん? 何であんたら、人間の食う物なんか食うとるん?」

 それはフォイユが人間だったからである。が、確かに言われてみれば、フォイユ以外は趣味で口にする程度であり、毎食の必要性は無かったはずだ。

 しかしややして首を傾げていたクロは、再びにやりと笑う。

「……ははあ。さてはフォイユがアルモニーやと知って、フォイユを逃がさんよう、媚び始めたんやな」

「いや、彼女達は別に媚びては」

「せやったら、あんたに合わせる意味があらへん。それにあんたの呪いも、まだ解けてへんしな。懐柔して、呪いを解いたところで、恩着せがましく女王に選ばせよ、いう魂胆やろ」

 そこまで考えるかは分からないが、フォイユとしては殺されなければそれでいいので、何も問題はない。

 それに、彼女達でも解けるか分からない呪いらしいのだ。一週間経った今も、手がかりはほとんどゼロと言っていい。

「まあ……選ぶ約束は、していますので」

「はん、約束なんか誰が守るんや。レクシオも人間も、たいがい嘘つきやで。その点、うちは嘘なんかつかん。その必要がない。約束を口にするより早く、言葉と行動が決定しとるんやから」

 それはそれで厄介な気もするが、フォイユは口をつぐんでおく。迂闊な事を言って死にたくはない。

 しかし、このままでは誰か一人が帰って来たら、非常にまずい事になってしまう。フォイユとて彼が来るとは思ってなかっただけに、この状況を上手く解決できる術が思いつかなかった。

「……あの、それで、何をしに来たんですか?」

「んー、そやなぁ。あいつらが居らんなら、あんたを取り戻す事にしよか」

「い、いえ、本来の目的があるのなら、それを……」

「あんたを取り戻すんも本来の目的やで。な、ほら、おいでフォイユ」

 フォイユはそこではっと気づいた。周囲を赤い霧が漂っている。

(確か、幻惑の霧、ってミエルが言っていたような……)

 まずい、と咄嗟に口元を袖で覆う。吸い込んだら最後だ。

「何や、気付くの早いなぁ。さすがはアルモニーや。ミロワールの力はエレジーの比やあらへん」

 フォイユの様子に気付いて面白そうに言うクロは、軽く手を振って霧を消す。

「せっかく、幻惑でうちに惚れさせて、連れて帰ろ思たのになぁ」

「……それは、遠慮させて下さい」

 あの手この手で迫ってくる強引さは、出来れば別に向けて欲しい。フォイユはそう思いながら、ようやく立ち上がった。

「なあ、フォイユ。あんたはどうしたいんや? このまま、女王の伴侶になろう思とるん?」

「それは……そうするのが、最初の話でしたから」

「違う、あんたや。あんたがあの中の誰かを伴侶に選びたい、思てるんか?」

「そういう約束ですし」

「違う言うとるやろ! ……ああ、なるほどなぁ。それも呪いやな。なぁフォイユ、あんた今ここでうちに何かされても、拒めないんとちゃう?」

 一瞬苛立ったクロは、だがすぐに余裕を取り戻し、ふわりと浮き上がると近付いてフォイユを見下ろす。

 その瞳に嗜虐的な光を見て、フォイユは悪寒が走った。塞いだはずの噛み痕が痛みを訴える。

「ええなあ、その怯えた目。逃げられもせんで、うちをずっと見つめてくるの、ゾクゾクするなぁ」

 伸ばされる手の爪は鋭く伸び、フォイユに付けられた傷痕に触れて抉ろうと食い込んでくる。

「っ…………!!」

 激痛を覚悟したフォイユは、だが次の瞬間、強い風によってクロから解放された。

「ぐぁっ!!」

「……今のは……ティフ?」

 大分引き離された安堵に息を深く吐き、当たりを見回す。すると上空から垂直にティフが降りてきた。

「フォイユ! 無事なの!?」

「……何とか。……助かった……」

「良かったの! ……リュイ! フォイユは無事よ!」

「それは何より。無能がこれ以上足手まといになるのはご免だからな」

 こぽ、こぽ、と水音がする。どこだろう、と思っていると、それもまた上から降って来て。


 ばしゃんっ!!


「ぎゃああああ!!?」

 クロに直撃した。

「吸血鬼は水が苦手なの。……平気なのもいるってミエルが言ってたけど」

「そうなのか……クロさんはすごく苦手みたいだな……」

 地面に落ちてへばっている様子を見るに、覿面だったらしい。

「こんの……ドワーフのガキがぁっ……!」

「清められた水は大層お気に召したようだな? もう一杯どうだ?」

「……あの、クロさんは何か用事があるみたいなんだけど……」

 一応そう告げると、絶対零度の視線がリュイからフォイユへ向けられた。

「ほう、一応は来客だと? 付け入る隙を散々作っておいて、よく言えたものだ」

「それは……ごめん……」

「用があると言うのなら、とっとと言え。ここで聞いてやる」

「…………くそ、何でうちがこんな屈辱を……!」

 非常に怒っているようだが、そもそも用件を先に告げていればよかっただけのことなので、フォイユもフォローはしない。

「中に入れぇや。このまま引き下がるんはうちのプライドが許さん」

「図々しいにも程があるぞ、変態吸血鬼。誰が入れるか」

「ほな話せんなぁ。あんたら、フォイユがどないなってもええんか?」

「フォイユ……? あっ! 首の傷が!!」

「え……」

 ティフの声に、首元の傷に触れると、ぬるりとした感触が痛みと共に伝わって。

「……さっきので……開いたのか」

「楽しい取引の時間や、エグザのガキ共」

 落ちていた薔薇が、一気に散ってフォイユの首を覆う。

「!?」

「その花はうちの魔力や。うちを招き入れんままなら、フォイユも道連れやで」

「くそっ……また隙を作ったな!?」

「む、無茶なの、リュイ。フォイユの呪いはクロのものも混ざっちゃったから、仕方ないの……」

 一種の首輪のようなものだろうか。拒み続けたらそのうち、花が自分の首を絞めてくるかもしれない。

(それにしても、どうして家に入れろ、なんて言うんだ? クロさんの性格からして、勝手に入りそうなのに)

「よく分かっていないようだな、無能。そいつは吸血鬼だ。吸血鬼は、招かれない限り家の中へは入れない。だから入れろと喚いているんだ。一度入ってさえしまえれば、後は出入りし放題だからな」

「……出入りし放題……」

 なるほど、フォイユを力ずくで連れて行かないわけだ。家にさえ入れてしまえば、連れて行く機会はいくらでも出来る。

「そんなのダメなの! セルクルは敵! どんな用があっても、入れるわけにはいかないんだから!」

「というか、他のメンバーが居ない所で決めるのはまずいような……」

「その通りだ無能。つまり、全員揃うまで死なないよう、せいぜい命乞いでもするんだな」

 命乞い以前に、道連れ前提の状態では身動きも取れない。クロを見ると、居座るつもりなのかその場に座り込んで、リュイを睨みつけている。

「そこのドワーフの小娘がやらかしてくれよったせいでな、今うちんとこのアジトは復旧作業に追われとるんや。本来ならうちがあんたらを呼びつける予定やったのに」

「どのみち用がある、ということか。なら帰れ。気が向いたら呼ばれてやろう」

「ここまで来て引き下がるわけないやろ。帰れ言うなら、フォイユも連れてくで」

「うぅ……平行線なの……」

 このまま連れ帰られたら、命と正気の保証はさすがに無さそうだ。フォイユは今もって人間のような存在の為、下手な事をされれば死ぬ。

「大体何だこの花は。青薔薇か? 悪趣味にも程があるな」

「風でも散らないの……」

「ほう。ならこうするか」

 あ、とフォイユはすぐに悟った。彼女の手のひらから溢れそうなほどに膨れた水球を見る限り、逃げるのは許されそうにない。

「げっ」

 ばしゃん!! と耳元で水音が響き、次いでフォイユの首元にあった花は、無残にも地面に散って落ちていた。

「……これは……助かった、のかな……」

「でもでも、フォイユが水浸しになっちゃったの!」

「貴公は中に入って着替えでもしていろ。大体、昼食の用意はどうした」

「作ってる途中で……」

「ならさっさと作れ。後はこっちで片を付ける」

「フォイユ、今のうちなの! 着替えてご飯の用意、お願いするの」

 二人に促され、フォイユは頷いて中に入る。直後に扉の向こうからただならぬ何かを感じ取ったが、これ幸いとばかりに着替えるべく部屋へ一度向かったのであった。


※ ※ ※


 ――ところが、である。

「無能! 茶と菓子の用意だ!」

 苛立ちが最高レベルのリュイが、厨房へやってくるなりそう怒号を響かせた。

「えっ!? あ、す、すぐに準備します!」

 つい昔からの癖で敬語になるフォイユを見て、リュイは小さく舌打ちする。

「今後貴公には、ここから単独で出さないように対策を施すからな」

「……あの、ということは、もしかして……」

「話は後だ。それと、そこの鍋の中身は何だ?」

「え、あ、少し辛みのある野菜を使ったスープ、です」

「出来てるんだな? 分かった、よこせ」

 言われるがままに、お湯を沸かしている間に軽くスープを温め直し、フォイユは器によそってリュイに差し出す。

「どうぞ。熱いから気を付けて……」

 彼女はそれを無言で受け取り、ゆっくりと飲む。

「あの、匙は……?」

「……よこせ」

 差し出された手に匙を置く。そのまま様子を見たかったが、お湯が沸いたのでフォイユはまずお茶の用意を続ける事にする。

 菓子は昨日作ってあった残りと、買ってあったものを皿に並べるだけで良かった。トレーに乗せる際、思い出してリュイの方を振り向くと――彼女は自分で二杯目をよそっていた。

「……あ、あの、リュイ。カップは……」

「今は四つでいい」

「四……? もう一人帰ってきたのか?」

「は? いつそんな事を言った?」

「え、違うのか……?」

 呆れた目をしながらスープを平然と飲んでいるリュイだが、あれは結構辛くなってしまったはずだ。大丈夫なのだろうか。

「貴公が自分の淹れた茶を飲みたくないと言うなら、止めはしないがな」

「……あ、ああ、そういうことか。分かった。それと……あの、平気なのか?」

「毒でも入れたのか」

「いや、辛いはずなんだけど……」

「見ての通りだ。さっさと持って行け。僕もすぐに行く」

 もしかしたらリュイは、辛いものが好きなのかもしれない。だったらそっとしておこう、とフォイユはトレーを持って応接室へと向かった。

 扉をノックしてから開けると、そこに居たのは向かい合わせのソファでにらみ合う、ティフとクロの姿。

「あの……お茶、です」

「フォイユ! リュイは?」

「今来ると思う。何だかとても怒ってたけど……それに、どうしてクロさんが」

 お茶を淹れながらティフに問うと、ティフはしゅんとなって答えた。

「負けたの……」

「始祖にレクシオが勝てるわけないやろ。実力差や」

「しょ、勝負してたんですか……」

 さっきと違って上機嫌なクロは、出されたティーカップをすぐに手に取る。

「本気出させてもろたで。こっちも暇やないんや」

「忙しいなら帰ればいいのに!」

 ふくれながら菓子を頬張るティフも、なかなか怒っているらしい。

 そこに、やっとリュイが来てソファに座った。すぐにフォイユは茶を差し出す。

「他のメンバーが帰るのを待つほど、こっちも暇じゃない。さっさと用件を言え」

「負けた割には態度でかいなぁ。ほらフォイユ、あんたも座り」

「……は、はい」

 トレーを下げ、フォイユは自分のお茶を置いてソファの端に座る。なるべくクロからは離れた位置だが、真ん中に座るのは気が引けた。

「フォイユ、あんた端に座るならこっち来いや」

「い、いえ、ここで大丈夫、です……」

「いいから用件を言え」

「はいはい。ま、端的に言うで。――あんたら、うちと共同戦線組まん?」

 あまりにも端的過ぎて、一瞬フォイユも何を言われたか、理解出来ていなかった。

 が、ややしてリュイが不機嫌オーラ全開のまま言う。

「共同戦線だと? 共通の敵が居るとでも? そしてそれの為に、僕達が行動するメリットがあるとでも?」

「裏切るかもしれないの……」

「これだから飼い犬は困るんや。飼い主の躾がなっとらんなぁ。うちのところはみぃんな、従順で賢うなっとるんやけど」

「何で従わせたか知れたものじゃないな。必要事項だけ言えばいいものを」

「なぁドワーフ、あんた会話の重要性、分かっとらんで。情報を引き出したいなら、それなりの話をせな」

「……相手を怒らせるのは、会話じゃないの」

 互いの敵意が飛び交って、話が進まない。フォイユはいたたまれない思いをしながら無言でお茶を飲む。

 だが、クロがこの二人を倒したということは、恐らくかなりの強さだ。彼女たちはシャルを含めて三人でクロの部下を倒している。その時のレクシオは二体で、更にその二体とマリアージュを同時にしたエレジーが居た以上、彼女達の強さも相当なはずなのに。

 ということは、力で解決出来ない何かか、それとも力がそれ以上に必要な何かなのか、そのどちらかに絞られる。

 とはいえ、下手な発言は出来ないので、フォイユは全て考えるだけに留めているが。

「なあフォイユ、あんたはどう思う?」

 留めていても、この状況でスルーはされなかったらしい。

 このままにらみ合いを続けられても困るので、フォイユは自信がないままに考えを述べた。

 すると。

「そこまで考えているなら、さっさと言え無能」

「フォイユ、言っても大丈夫なの。怒ったりしないの」

 ティフとリュイ、二人からすぐさまそう言われてしまった。

「……アホかあんたら。フォイユは言えんのや。呪いのせいもあるけどな、人間どもがフォイユから意思の力を奪ったせいもあるんやで。そこも知らんとまあ、よう無責任に言えるわ」

 その通りではあるが、クロのそれは人間への悪意を煽る言い方でもある。フォイユは困惑気味に俯くしかない。

「それで、どっちだ?」

「前者や。力で押し切るんやったらうちらで十分やけどな。面倒な事に、殺すな言われとるんや」

「言われたって、誰に? どうして過激派のボスが、誰かから命令を受けているの?」

「そこまで言うわけないやろ。あんたらには関係のない情報や」

 言いたくないんだろうな、とフォイユは何となく察する。プライドの高い彼のことだ。例え命令されて逆らえなかったとしても、それを自ら進んで言いたがるわけがない。

「それなら敵も分からないままだろうな。敵を知れば、必然的にその背景も知れてくる」

「……ほんま、ドワーフは性格悪いなぁ」

「常識の欠片もない吸血鬼に言われたくない」

 いつもならシャル辺りが話をうまく進めるのだが、彼女は今居ない。果たしてこれで、無事に話し合いが終わるのだろうか。

「そういえば、他の奴らは何しとるん? 遊びにでも行っとるんか?」

「そんなわけないじゃない! みんな、フォイユの呪いの為に、がんばってるの!」

「そない女王になりたいん? あんたら、物好きやなぁ」

「どういう意味だ?」

 また空気が殺気立つ。しかし、クロはにやにや笑いながらフォイユを見て言った。

「フォイユが女王になるんやったら話は分かるけどな。何せ、フォイユは呪いのせいもあって、最初からお人形や」

「!」

 お人形、と言われてフォイユはぎくりとする。クロは女王を手に入れられたら、その世界を支配できると言っていた。恐らくそれは比喩ではなく、実際に。

「……女王は傀儡。そんな話も、昔から聞こえてはいたが……事実か」

「あたしも、聞いたことはあるの。でも、確かな事が何も分からなくて……」

「あっはっは! 気の毒になぁ? 女王は柱や。柱は勝手な事出来ん。せやから伴侶にやらせるんや。伴侶が間違えれば、この世界は歪む。今みたいにな」

 クロが笑って言うが、リュイもティフもさすがに顔色が悪い。この事実を知ってるかどうかで、全く異なる結論が出てくるだろう。

「お人形なるんが嫌やったら、他に譲るんやな。オトモダチにも教えた方がええんちゃう?」

「……余計な事を」

「ま、仲間割れしてもこっちは問題ないで。敵の方は、そやなぁ。人間ばかり住む街あるやろ。あそこで夜な夜な人殺ししとる言う話や。それも、エレジーを狙ってな」

 引っかき回して楽しんだだけだったのか、クロは話を本題に戻す。

 すぐにそちらに引き戻されたティフとリュイも、厳しい目つきになった。

「エレジーを殺しているのは人間か?」

「レクシオが居たらすぐ気付かれちゃうの……」

「ま、手間は省けた方がええやろ。犯人は分かっとる。エレジーの小娘が一人と、それについてったレクシオが一体。レクシオの種類は、土属性のドワーフ族や」

「……ちっ……」

 リュイが忌々し気に舌打ちする。同朋の仕業というのが気に入らないのだろうか。

「ただ、殺しとる理由は分からん。せやから捕まえなあかんのや」

「解せんな。それで僕達に協力を求めても、僕達に何のメリットがある?」

「エグザは一応、人間側やろ。頭に居るんが女王とエレジーだった王や。放っとくはずないやろなぁ」

「だが、そんな話は全く……」

 言い返そうとしたリュイを遮るように、扉が開かれた。

「ただいま。……それで? これは一体どういう状況かな?」

「まあ! 何て事をしましたの!? よりにもよって彼を招き入れるなんて!!」

「やだぁ、変態吸血鬼じゃなぁい。ニンニクあったぁ?」

「あるわけなかろう。して、こやつらは何をやらかしておるのじゃ?」

 残りの四人が同時に帰ってきたらしい。クロを見てものすごく嫌そうな顔をしている。当然だろう。

「はぁ、こないぞろぞろ来られたんやったら、面倒やなぁ。ほな、ここまではあんたら二人で説明せえや」

「ちょっと! そんなの無責任なの!!」

「全くだ! おい無能、茶と菓子の追加だ!」

「は、はい!」

 嫌でも彼女たちは説明しなくてはならないのだろう。……無論、自分たちの敗北も含めて。

 フォイユのせいも若干あるとはいえ、無能と言われるがままに何も出来ないフォイユは、せめて紅茶と菓子で彼女たちの機嫌を少しでも回復出来れば、と思いながら追加の準備をしに厨房へ向かったのだった。

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