7:星は眠る
ゆらゆらとまだ世界が揺らめいているような気がして、フォイユは頭を緩く振った。
お湯の張られたバスタブの中、滴が落ちて波紋を広げる。
「……俺は、何者なんだろう」
呟きは湯気に紛れて消えた。結局あの後、帰ってきてすぐに浴室に叩き込まれたので、話を聞く暇も無かったのだ。今頃、彼女たちは自分の扱いについて会議でもしている事だろう。
フォイユがエレジーではない、と言われた時の驚愕は本物だった。ということは、彼女たちにもフォイユの正体が分からなかったと思っていいだろう。問題は、その場合ここに居る事は難しいのではないか、という点だ。
どんな結論であれ、フォイユに拒否権など無い。言われるがままに追い出されるとしても、それはいつも通りの展開だから慣れっこだ。
とはいえ、ここから自力で出る事は不可能と既に言われている。彼女たちはどうするつもりなのだろうか。
体も十分に温まったので湯船から出て、一旦バスローブを羽織った。これからスーツを洗って食事の準備をしなくてはならない。やる事はまだまだある。
タオルで頭を拭いて水気を適当に取り、バスタオルで水滴を綺麗に拭きとってから着替える。
そして浴室の外に一歩出た途端、目の前にロットが立っていた。
「……えっと、どうかしたのか?」
「…………うーん、そぉよねぇ。まぁ、おかしいとは思ったけどぉ……はぁ」
「?」
じろじろとフォイユを見て、残念そうにため息をつく姿に、疑問が増していくばかりだ。
「あの、俺がどうかした?」
「人間じゃないんでしょぉ、アナタ?」
「……ああ、……えっ? 俺、人間じゃないのか?」
器がエレジーじゃないとは言われたが、人間じゃないとはこれいかに。
驚愕するフォイユに対し、ロットは人差し指をつきつけ、落胆を隠しもせずに言った。
「エレジーに擬態したレクシオ。だそうよ。……どうなるかしらねぇ、アナタ」
「……」
そのまま、ロットはふいっと居なくなってしまう。
何とも不機嫌そうだった。すぐ殺されなかっただけマシだろうか。
「……とりあえず、掃除して荷物をひとまとめにしておくか」
いつ出ていけてもいいように、とフォイユは嘆息して再び浴室に戻った。置いてあった着替えを抱え、二階にある洗浄装置に放り込む。その間に浴室へ戻り、使ったばかりのそこを掃除し始める。
そこに慌ただしく入ってきたのは、ティフで。
「ふぉ、フォイユ! 無事!?」
「……? 無事って?」
「そ、その、あのね、怒らないで。フォイユの正体が人間じゃないってシャル達が判断したの。そうしたら、ロットとミエルちゃんが怒っちゃって……人間だと信じてたのに、って」
「……あの、俺も人間だと自分で信じてたんだけど、本当に人間じゃないのか?」
「多分、そうだと思う……。セルクルの子達は、あたし達より多くの人間を見て、関わっているから……エレジーとよく似ていても、気付けたんじゃないかしら」
「じゃあ、俺は……どんなレクシオなんだ?」
掃除の手を止めたフォイユの問いに、静かに答えたのはティフではなかった。
「まだ推測の域を出ぬが、ミロワールを人間に与えたと言われている、レクシオの始祖じゃな。レクシオの中でも最も稀有で最も特殊な存在。それが、『アルモニー』よ」
ふわりと浮かんで現れた、少女の姿のミーヌである。じろじろと同じようにフォイユを見て、冷たく告げる。
「が、そなたは人間であるように呪われておるようじゃな」
「呪い……俺が、レクシオだと分からないように、ですか?」
「左様。レクシオの中でも、人間を最初に信じ、人間に最初に裏切られた種族ゆえにな。先の戦争でも姿を見せぬでの、とうに滅んだかと思うておったが……」
どこか忌々しそうな目を向けられて、フォイユは居心地の悪さを感じた。このまま縊り殺されるのだけは勘弁して欲しい。
「落ちぶれても始祖か。……そなたも哀れよの」
「……すみません。あ、あの、ここを急いで掃除したら、荷物すぐまとめますので」
「えっ!?」
「いや、俺が人間じゃないなら、多分お払い箱だろうから……」
「さての。そなたがレクシオであろうが、目的が果たせるならば王は構わぬであろうな。しかし、ミエルとロットはどうか。……殺されねば良いがのう」
本当にそれでいいのだろうか、とフォイユが困惑している間に、ミーヌは消えた。
とりあえず掃除の続きをしていると、ティフがしゅんとしたまま声を掛ける。
「ごめんなさい……フォイユは、悪くないの」
「誰も悪くはないんじゃないかな。ただ、俺もやっぱり死にたくはないから……なるべく、早めにここを出た方がいいかもな」
「そんな事して欲しくないの。だってフォイユは自分を要らないから、外に出たらすぐに、悪い誰かに捕まったりするの」
「……そういえば、仕事の時も言ってたけど……俺が要らない子ってのは、どうして思ったんだ?」
何となく気になっていたので問うと、ティフは落ち込んだままだが答えてくれた。
「自分を、認めていないわ。フォイユは自分が何も出来なくて、価値が無いって思ってるの。そうあろうとしているの」
バスタブをスポンジで擦る手を止める。思い起こすが、大体合ってるかもしれない。だが、殊更彼女がそれを気にしているのは何故なのか。
怪訝なフォイユに、彼女は言葉を続けた。
「あたしは戦争を引き起こした原因だと言われたわ。お前さえ居なければ、って。本当のあたしは、その声に、言葉に、視線に、感情に、耐えきれなかったの」
「…………」
「だから、この姿になったの。子供なら、侮られるのも、怒られるのも、当然の事だから。大人のあたしは責められたくないから……その分、悪いものがよく分かるようになっちゃったけど、でも、それは仕方のない事なの」
慰めが欲しいわけではないだろう。だが、責任から逃れたがっているのもよく分かる。だからフォイユは、見たままを告げた。
「君が俺を庇うのは、誰かを悪者にしたくないから?」
「そ、れは……何で、わかるの?」
「何となく。ティフは優しいんだな」
再び掃除に戻るフォイユは、シャワーの蛇口をひねって泡を洗い流す。ぴかぴかの浴槽になったのを確認して、洗ったスポンジを所定の場所に引っ掛けた。
そろそろスーツが洗い終わってるところだろう。取りに行かなくては。
「俺は他の部屋に行ってくるから、ティフも少し休んだ方がいいよ。今日は仕事で疲れただろうし」
そう告げてフォイユは浴室を出る。無理に同行を促しても、嫌がられるだけだろう。
洗浄部屋に向かうと、予想通りスーツが陣の中心に固まって落ちていた。それを拾い上げて軽く振ると、わずかに残った水分が弾けて落ちた。
固い物質はともかく、布系は水分が完全に除去されるわけではないらしい。だから軽く干す必要があるのだ。
「うーん、とりあえず部屋の方に持っていくか。ハンガーにでもかけておこう」
それを持って部屋に戻ると、誰も居なかった。そのまま服をハンガーにかけて、フォイユは自分の荷物を軽くまとめ始める。もっとも、ほとんど広げていないのだが。
一通り終わって床に座ると、途端に眠気が襲ってきた。叩き起こされるまでひと眠りするか、とそのままフォイユは眠りに落ちる。
そして、次に目が覚めた時、フォイユは。
「起きたんやな。セルクルの導き星」
確実に成人男性の声を発しながらも赤系の髪と緑の瞳でこちらを覗き込む美人を目にして、言葉を失った。
※ ※ ※
美人だが男であるらしい彼の名はクロというらしい。確かに漆黒の服に身を包んではいる。が、意味は違うそうだ。
さておき絶対脱出不可能の地下洋館から全く見知らぬ空間に運び出されていた経緯は、ごくごくシンプルなものだった。
「簡単に言うとな、アンタらの居った地下洋館っちゅう所は、中央都市から外れたとこの林の地下やねん。そこを上からメテオ降らせて、抉ったんや」
よく無事だったものである。いや、フォイユ以外の無事は全く知れないが、彼にとってはどうでもいいのかもしれない。
何より、どうしてそんな事をしたのか。それらの疑問に対し、クロは分かっているかのように全てつらつらと答えてくれた。
「アンタらが壊してしもた廃墟はな、ウチが前から目ぇ付けとったんや。あそこは魔力の溜まり場になっとって、傷ついたレクシオの丁度いい休養所にするつもりやったんよ。それを派手にぶち壊して大穴開けよったんや。報復くらい、覚悟してもらわな」
独特の言葉遣いがすごく気になりつつも、なるほど、とフォイユは頷いた。
「仕事とはいえ、それはすみませんでした」
「それはええ。敵同士やさかい、多少のドンパチは当然や。けど、ウチの部下がパートナーをボロボロにされたっちゅうのにえらい上機嫌で戻って、アンタの事を報告した時、好機やと思うたんや」
「好機……?」
「せや。アルモニーは始祖の中でも変わり種でなぁ。人間と共存するんがこの世界のバランスを保つ術やて言うて、自ら人間に溶け込みよった。せやからアルモニーは、始祖でありながら人間からしか生まれんのや」
なるほど、それは確かに分かりにくい存在なのもうなずける。ただ、当人さえも気付かないというのはどうなのか。
「けど、アンタが人間にしか見えんのは、呪いのせいや。アンタの全身にびっしり掛けられた呪いが、アンタの本来の姿を表に出さんようにしとる」
ミーヌも言っていたが、そもそも何故、呪いなどかけられなければならなかったのだろう。そして一体誰がかけたのだろうか。
「そういや、アンタの名前は?」
「あ……フォイユ・エトワール、です」
「エトワールやて?」
いつも通り名乗ると、クロが怪訝そうに呟いた。今まで名前に反応を示す相手は誰も居なかったのに。
「その名前、誰からもろた?」
「それが……俺、孤児で。生まれた時からこの名前が付けられてたそうです」
「孤児! 呪いの相手が分からんっちゅうんは、また酷な話やなぁ。星の冠を封じられてもうたんか」
星の冠って何だ、と思って頭に手をやっても、髪の毛以外は何もない。
「ああ、そういう意味ちゃうで。生まれたばかりのアンタの頭を、六つの星がくるくる廻るんや。その星が一つずつアンタの中に入って、月の鏡をアンタの中で形成するんやで」
「……月の、鏡……」
「けど、アンタはその鏡が不完全なんや。……せやなぁ。強いて言うなら、星が一個、足らん」
「星が……?」
「呪いのせいやろなぁ。星がどっかに隠れてしもてん。それが無いと、アンタの力を解放出来んのや」
それは本当に必要なのだろうか。否、必要だとしても、どうやって呪いを解けばいいのか。
正直、特別な強さとかは要らないのだが。
「アンタが生まれた以上、この世界は変わる時なんや。……アンタが嫌でも、呪いは解かせてもらうで」
考えを見抜いたかのように断言するクロの顔は、その時、フォイユでもぞっとするほどの何かを含んでいた。そういえば、彼は何者なのだろう。話からして、恐らく答えは一つきりだが、はっきりしておいた方がいいかもしれない。
「……あの、クロさんはもしかして……セルクルの過激派の……ボス的な存在ですか」
「正解や。ウチはなぁ、この世界が正直疎ましいねん。力も無い癖に数ばっかり増えよって、ウチらレクシオを迫害するばかりか、レクシオの恩恵を受け取るエレジーまでもを、同じ人間やのに虐げる。無力な人間が蔓延るだけの世界。それのどこが、正しい世界なんや? 女王の命令とはいえ、今も大人しゅうしとる理由なんて無い。そうやろ?」
問われても、虐げられていたフォイユには答えられない。ただ、彼から目線を外し、わずかにうつむくのみだ。
だがそれを許さず、クロはフォイユの顎を掴んで、目を覗き込んで続ける。
「アンタは押し込めとるだけや。この世界への怒りを、哀しみを。それは何の解決にもならん。なぁ、フォイユ・エトワール。アンタは人間を支配する側やで? いつまで人間の振りしとるん?」
「俺は、そういうつもりじゃ……それよりも、赤い霧が……っ」
当然といえば当然だが、二人の周囲を真っ赤な霧が囲い始めていた。傍目に見ても危険にしか思えない。
クロはそれを聞いて口元の笑みを深める。
「そうや。それでええ。エレジーには出来ん事も、アンタなら出来る。アンタがウチのパートナーになれば、この世界は再びレクシオのものになるんや」
「は……? パートナー……? え、でも、男ですよね……?」
「ん? 何や、まさか性別なんか気にしとんの? そんなもん、人間だけの制限やで。強いレクシオ同士がマリアージュするのに、男女の性差なんか関係あらへんよ」
「…………それは……中々に斬新ですね」
どさくさ紛れのように聞いてしまった新事実に、フォイユはそれとなく衝撃を受けた。人間として育ったせいか、そういうのは出来れば遠慮したい。が、それで引き下がるような相手でもないだろう。
「答えは急がんけど、逃がさんで? せやなぁ、せっかくやし、お近づきの印に、血ぃもらおか?」
「えっ……あの、俺の血はあまりおいしくないって、ミエルが……」
「あん? 箱入りお嬢のミエルか。あれも可哀想になぁ。何も分からず呼び込まれて、そのまま捕まってしもたんやから」
言いながら首筋に触れるクロの牙は鋭く、痛そうだ。
「レクシオを相手に吸い尽くしたりはせえへんよ。ほな、いただくで?」
「っ!!!」
人生で何度か受けた注射よりもよほど痛いその衝撃は、フォイユの意識を一瞬にして霞めた。
傷口から歯を抜いて、溢れ出る血を啜る音だけがやけに響いて聞こえる。
痛みと熱でもうろうとし始めたフォイユに、クロが嬉しそうな声で囁いた。
「辛いやろ? わざとやで。アンタにはうちの牙の味、知ってもらわな。ああ、マリアージュしてくれたら、次からは気持ちようしたるで?」
次もあるのか、とぐったりしたままフォイユは内心呟く。正直勘弁して欲しい。
「ええ顔や。ウチなぁ、相手がウチに痛めつけられとる顔が好きやねん。せやからついつい、痛い事したくなってまうけど……堪忍な?」
こっちはもっと勘弁して欲しい、と思いながら、フォイユの意識は徐々に重く沈んでいく。
くすくすと笑うクロの声だけが、頭の中でいつまでも響いているような気がした。
※ ※ ※
元よりフォイユ自身は、誰かを必要としたことが無かった。
それは誰にも頼れなかったというのもあるが、誰かの力を根本的に必要とする状況に当たった試しがないのもある。
かと言って「誰の助けも要らない」などと強がるつもりもなく、誰かに縋る事も無く、何となくで生き延びてきた。実際、何とか生き延びられているのだから、それでいいのだろうと。
だが、そろそろそれも潮時なのかもしれない。フォイユ自身にはいくつもの選択肢が与えられ、それのどれか一つを選び取らなければ、最終的に誰かの駒に成り果てて、恐らくは今のレクシオの女王と同じになってしまうはずだから。
それでも、そう思っても、フォイユは。
「……面倒だな……」
それしか、言葉が出て来なかった。
気だるさと喉の渇きに目が覚め、起き上がる。クロは居らず、部屋も真っ暗だ。
「……水……どこだ……」
血を吸われたせいかもしれない、と首筋に手をやると、ぴりっとした痛みが起きる。傷痕もそれなりに深そうだが、血は止まっていた。
いくらフォイユでも、あの吸血鬼の傍にこれからも居続けるというスリリングな生活は、出来れば遠慮したい。だが、逃げるあてなど一つもない上、今のフォイユは人間でしかないのだ。どう頑張っても途中で捕まるし、最悪、死ぬだけだろう。
彼女たちの所に居てもいずれは殺されるしかなかっただろうが、心の持ちようが全く違う。
(まあ……もともと、運なんてあって無いようなものだったしな……)
真っ暗な中、ベッドを降りてそろそろと歩き出す。床がぐにゃっとした気がするが、どうやら貧血に近い眩暈のせいらしい。途中で倒れないように気を付けなければ。
何とか扉に辿り着いて廊下に出ると、途端に明るくなった。通路はさすがに明かりをつけているようだ。
ただ、何となく奥の方が騒がしい。どうしたのだろうかと思ったが、自分が行っても仕方ないので、引き続き給湯室的な場所を探す。
「うーん……何だか無機質な造りだな……似たようなドアがいっぱいある」
これで学校のように各部屋の札が無かったら、どこを開けていいかも分からなかっただろう。
騒ぎから遠ざかるように歩いた先で給湯室を見つけたフォイユは、ほっとして扉を開くと中に入った。
水道から出ている水はちゃんと飲めるようで、置いてあるコップを勝手に使わせてもらう。
「……はぁ、何とか生き返った……」
二杯ほど一気に飲むと、わずかに頭が冴えてきた。やはりここも地下なのだろう。窓らしきものが一切ない。
ついでにかけてあった布巾を濡らして、傷口を拭う。血が渇いていたらしく、布巾に鮮やかな赤が付いた。
「……消毒とか、しなくて大丈夫かな……まあ、一応化膿とかはしてないからいいか……」
布巾を念入りに洗って元通りにかけると、フォイユは給湯室を出た。特にしたい事も無いし、と元来た道を歩く。
どうせ武器の類は身に着けてないので、見つかっても言い訳くらいはきくだろう。
そういえばさっきの騒ぎはどうなっただろうか、と思った矢先、目の前に一瞬で黒い影が浮き上がった。
「わっ」
「見つけたで。何しとるんや」
「あ、水を飲みに……今戻ろうと思って」
「よしよし、それならええんや。ほな、ウチと一緒に戻ろか?」
「……また血を吸いたいんですか?」
「そない嫌そうな顔せんでも。まだ要らんけど、アンタはきっちり食べて栄養つけてもらわなあかんなぁ。魔力はあっても味が薄くてかなわんて」
「それは……すいません」
ミエルも同じ感想だったのだろうか。むしろ不味いままなら吸わないでくれていいのだが。
「ああ、それからアンタの寝床はウチの部屋になるで。パートナーになるんやし、一緒に居る時間も増やさんと」
「……確定ですか、それ……あの、俺はまだ心の準備とか全然……」
「せやろなぁ。それも含めて、きっちり調教せなあかんなと思うたんや」
ちらちらとクロの瞳に宿る嗜虐心が、フォイユにはどうにも落ち着かない。むしろ怖い。
調教とか聞こえたが、忘れていいだろうか。
その時、バタバタと足音が聞こえた。どう見ても人間にしか見えないが、人間だろうか。
「クロ様! 奴らが!」
「せやなぁ。目的はフォイユやろ。今更血相変えて奪いに来よって。そろそろ本気で始末つけたらな」
「……え、誰の話ですか?」
自分の事を知っている存在は他に居ただろうか、とフォイユは思ったが、そこに現れた面々を見て驚愕した。
「あーあ、ホントに居たのねぇ。しれっと寝返っちゃうなんて、薄情だわぁ」
「散々脅すからですわ。ロットやミーヌの態度にも非がありましたもの」
「ふん、あの程度で逃げ出すならば、最初からそうしたであろうな。……のう、フォイユ・エトワール。そなたはほんに何も出来ぬ男よの。……身辺整理以外は、じゃが」
ロット、ミエル、ミーヌ。彼女たちは自分の正体にむしろ否定的だった気がするのだが。
「……ええと、俺を殺しに来た……?」
「はぁ? 冗談も大概にしなさいよアンタ。ただの人間よりよっぽどマシな男を、みすみす本気で手放すわけないでしょぉ!?」
「え、でも、すごく嫌がってたような……」
「当然ですわ。レクシオと分かった途端に態度を変えたら、調子に乗られるかもしれませんもの」
そんな理由で命の危機を感じていたのか、と若干ながらフォイユは脱力する。別に調子に乗ったりはしない。戸惑いはするだろうが。
「……じゃあ、ここへは、仕返しに?」
「それもあるがの。そなたを取り返しに来たのじゃ。そもそも、そこな吸血鬼にはそなたの呪いを解けぬ」
「っ!」
指摘されて、クロの表情が一瞬歪む。どうやら図星らしい。
「……呪いを解いたら……俺は、どうなるんだ?」
「知らぬが、役目を果たすであろうな。それで良いのじゃ。我らはその為にそなたを必要としておる」
「っ、フォイユ! 駄目や、アンタは渡さん! ドラゴン族にだって解けるか分からんような、複雑な呪いなんやで!」
「その心配は無いわよぉ? 知識の塊がもう一人、居るんだものぉ」
「あ、リュイか」
小難しい単語を使う彼女なら、確かに呪いについても多少は詳しそうだ。が、フォイユをあれだけ忌々しく思っている辺り、協力してくれるかは疑問である。
「あなたが居なくなった後のリュイの自己嫌悪ぶりは中々でしたわ。そういえばあなたは、リュイの事を嫌いでして?」
「いや、特には。嫌われてるんだろうなと思ってるけど」
「そうでもないぞ。愚鈍で無能で唐変木だが、貴公は己を過信しない。その点だけは評価してやろうと思っていたところだ」
背後から聞こえた声に、フォイユのみならずクロもぎょっとする。
「何やて!?」
「風の通り道を辿っただけなのよ。フォイユは返してもらうんだから!」
「ティフもってことは、もしかして」
ここまで揃った以上、あと一人が居ないはずがない。
そして彼女は、予想外にも上から来た。
「ボクは彼女たちに提案した。『フォイユ・エトワールの正体がアルモニーならば、まずは呪いを解こう』と。そして全員の答えが一致した」
パキン、と足元が氷に囚われた。それはクロも同じで。
「フォイユのミロワールの力を勝手に使うんやない!!」
「難しいな。何しろ彼は全てを許容する鏡だ。……さて、ここにエグザの全員が揃っている。そして幸いな事に、キミがあの場所を壊してくれたおかげで、今は一時的に自由なんだ。だから」
足元の氷が消えたと思いきや、フォイユの体が勝手に浮き上がる。
「わ、わっ」
「久しぶりに、力が使いやすいよ。お礼代わりに、ここの出入り口は全て凍らせておいたからね」
フォイユを素早くキャッチしたのは、ティフで。
「さぁ、帰るのよフォイユ! あたしたちの、新しいお家に!!」
言うが早いか、すごいスピードでフォイユを抱えて廊下を飛び始めた。床にちらちらと見えた赤い何かは、知らない方がいいのだろう。
「あ、あの、クロさんは」
「あの場所にミエルが居た以上、簡単には動かさない。ああ見えて魔力をちゃんと使っていたんだ。もちろん時間稼ぎでしかないがな」
リュイが追いついて疑問に答える。それにしてもどこの出口に向かっているのだろうか。さっき、シャルが凍らせたとか言っていたような気がしたが。
「……なるほど、上から来たんだな」
辿り着いた廊下の奥。その天井に、空が見えるほどの長い縦穴が空いていた。
地上に出ると、何となく久しぶりな気がする太陽と青空が出迎える。
「三人は別の出口から出るから、ここはとりあえず氷で塞ごうか」
「それなら、いい方法があるぞ? ほら無能、役に立て」
「えっ、あ、どうぞ」
フォイユのミロワールを使いたいのだろう、と手を出すと、無造作にリュイはそれを掴んだ。
「シャル、穴の壁を氷でコーティングしてくれ。なるべく厚めに」
「ははあ、なるほどね。じゃ、フォイユ。早速だけど借りるよ」
もう片方の手を掴んだシャルが、すごい勢いで穴の壁を氷で覆っていく。
「底を作ったからもういいよ、リュイ」
「よし。……壊したらその場で水圧死だ。そんな間抜けが出なければいいがな」
嬉々として水を縦穴に注いでいくリュイを見て、大体想像がついた。なるほど、地味に嫌な仕掛けである。
そして何より、時間経過で解けて地下の一部が水浸しになるという、どっちにしろえぐい結果になるという方法は、人間の手では不可能だし考え付かない。
ご丁寧に溜めた水の上部も氷で蓋をしたシャルは、フォイユから手を離して頷いた。
「さて、合流して帰るとしようか」
「あの……俺は、本当に……戻ってもいいのか?」
「いいの! 最初からフォイユは悪くないんだから!」
「殺す理由が無くなっただけだ。いいから黙って帰るぞ、のろま」
結局また、彼女たちの所へと戻る事になったフォイユは、ティフに引っ張られて空を飛ぶ。
クロが追って来るのかと思ったがそうでもないようで、ほっとした。もしかしたら諦めたのかもしれない。
そして新しい家は、地下ではなく地上になっていた。
「このエリアには特殊な陣を引いた。前回のメテオ攻撃みたいな高威力の魔法を使うと、勝手に軌道が逸れるようになっている」
「家もタダじゃないからね。今回のは奇襲だし、フォイユ奪還も兼ねて、王が工面したんだ」
「その代わり絶対に連れて帰れって言われたの……成功して良かった……」
それなりに大きく真新しい洋館だ。洋館なのは外せない要素なのかもしれない。
「ほらぁ、早く入りなさいよぉ!」
「そうですわ。まったくもう、男の吸血鬼というのは品が無さ過ぎますわね! その傷、後で癒して差し上げますわ」
「それとそなたの呪いを細かく分析せねばのう。そもそもアルモニーに呪いをかけられるようなレクシオや人間が居るのも気にかかるしの」
しばらくはまた殺されなくて済むと思っていいのだろうか。それでも彼女たちの期待に応えられなければ、やはりいつかは殺されてしまうのか。
(なんだか、考えるのもおっくうになってきた……な。そういえば水しか飲んでないし、何か食べないと……駄目だ、視界が暗くなってきたし、先に一度寝よう)
「フォイユ! 真っ青なの!?」
「貧血か。戻った早々に倒れるとはいい度胸じゃないか。貧弱め」
「仕方ないと思いますわ。しばらくはわたくし達も人間に擬態しなければなりませんし、彼の血を作る食材を調達してまいりますわね」
「じゃぁ、アタシも付いて行くわねぇ。人間のお金の遣い方も覚えたいしぃ」
周囲で騒がしいが、フォイユは置いてあったソファに倒れ込むとそのまま意識を手放す。
その間際、シャルが囁いた。
「今はおやすみ。月の番人。夜はまだ先だから」
どういう意味だろうかと問う事は――やはり、出来なかった。
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